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こんにちは。
まさのぶです。
突然ですが「神格化(しんかくか)」という言葉をご存知でしょうか?
神格化というのは、はるか昔の尊敬される人物の能力や逸話に大げさな尾ひれがついて、神のように言われる事です。
例えば、「ブッダが水の上を歩いた」とかです。
最古の仏教経典でも、仏陀の死後500年を経てから書かれているため、500年前の人の事を想像して書いているわけです。
キリストやブッダは、自分で書いた文書を残さなかったので、人々の口伝、うわさによって、その言葉や逸話が言い伝えられました。
そもそも、神のメッセージは人間の言葉では説明できないため、人間の言葉で表現した時点で、それは人間の考えであり神のメッセージや概念ではなくなります。
当然、言葉による言い伝えは全く正確ではなく、話が大げさになりがちです。
伝言ゲームのように、数分の間に数人の人に伝えるだけで、話は全く変わってしまいます。
例えば、ブッダは人間であっても、その能力が大げさになり、千手観音のような姿にまで発展しました。
そういう意味では、合気道の創始者である植芝盛平先生は、最近の人であり、ご本人からの話はもちろんの事、ご本人を直接知っている人からのインタビュー記事もあるため正確な情報が残っていると、考えられます。
もちろん、僕は植芝先生の直接の弟子であった岡田氏と言う方、一緒に合気道を練習していましたので、そのお話も聞いています。
生の記録というのは大切です。
また、僕自身の体験として、合気道に入門したとたんに、合気道を辞めるまでの2年間ですが、難病の症状が治ったというのも事実です。
さらに不思議な事は、僕は武道は全くの初心者ですが、岡田氏が僕を見て、「合気道の動きが体に染みついている」と、話していました。
僕は、多くの前世で、剣術などの戦いを実際の戦争の中の実践で極めて来たので、「攻撃を受け流す」という、合気道の能力が潜在的に備わっていたのかもしれません。
不思議な力を持つ合気道とは、いったいどのようなものなのか?
皆さんに、紹介したいと思います。
☆合気道とは?(2つの記事により連載で紹介します)
☆闘争の武から和合の武へ
「武は愛なり」を合気道創始により示した植芝盛平(1883~1969)とは?
道場の真中に立った植芝盛平を、十数人の門弟たちが、木刀、棒、銃剣術の木銃などを持って取り囲み、気合もろとも一斉に打ってかかった。
「ヒュー」
という音を門弟たちは聞いたような気がした。
気がつくと、真中にいたはずの盛平の姿がない。
「ここだ、ここだ」
という声のほうを見ると、2階へ上がる階段の途中に腰掛けた盛平の姿があった。
道場の真中からそこまでは7m。
道場の階段付近には、門弟たちが10人ほど休憩していたが、誰一人盛平の通るのを見たものはいなかった。
これは、田中伊三郎の述懐(じゅっかい)である。
田中が道場主をしている道場に、昭和14年ごろ盛平(56才)が、指導に廻った折、田中が、
「先生、忍術というものがありますが、あんなことはできるものですか」
と聞いたことに対しての答えであった。
一瞬のうちに多くの門弟たちの目を欺いて、盛平はどのようにして移動したのだろうか。
瞬間移動をしたという人もある。
あるいは、一瞬にして集団催眠をかけたのではないかという見方もある。
現在のところ、真相は分からない。
だが、盛平の、こうした超常的な力が発現された逸話は、枚挙にいとまがない。
盛平の超常的な力は、大本教の教祖・出口(でぐち)王仁三郎(おにさぶろう)とともに、蒙古の地を踏み、死線に身を投じたときから現れ始める。
第一次大本事件(時の権力による大本教の弾圧)によって保釈出獄中の出口王仁三郎が、「万教同根」の考え方に基づいて、聖地を樹立すべく密かに蒙古へ旅立ったのは、大正13年2月13日だった。
盛平は、王仁三郎に随行した。
王仁三郎一行は、蒙古の勇将・慮(ろ)占(せん)魁(かい)将軍と提携し、大蒙古の奥地へ出発する。
ところが、当初、慮占魁将軍に好意的であった張作霖(ちょうさくりん)は、身の危険を感じて慮占魁将軍の討伐(とうばつ)を命じた。
将軍の部下は次々と倒れ、離脱する者も出てきた。
そんなある日、山道を行軍中、突然左右の山陰から一斉射撃を浴びた。
盛平が超常的体験をしたのは、この時だった。
飛んでくる弾丸を、首や体をねじって避けてしまったのである。
「弾よりも一瞬早く、白い光のツブテがパッと飛んでくる」
「それをパッと身をかわすと、あとから弾丸がすり抜けてゆく」
こうして死線を何度もさまよったことで、盛平は、武道の極意をつかみ始める。
死と隣り合わせの極限状態において、自分の心が澄み切ったとき、相手の殺意を感じ取ることができるのを知ったのだ。
何とか無事に帰国した盛平の身に、さらに大きな出来事が起こったのは、翌年の春だった。
剣の立つ、ある海軍将校と道場で手合わせした後、井戸端で汗をぬぐい、庭を横切って柿の古木のあたりまで、歩いてきた盛平は、突然、動きを奪われてしまった。
一歩も動けない。
足元を見ると、大地がゆらめいている。
天からは、まばゆいばかりの無数の金線が降り注いでくる。
大地からも黄金の光が噴出し始めたかと思うと、やがてそれは、盛平の全身を優しく包み込んだのである。
盛平の体は黄金と化したのであった。
しかも、その体は、宇宙いっぱいに広がったかと思うと、小鳥や虫の鳴き声、木のさやぎなど、自然界の営みが目に耳に今までにない美しさを奏でる。
「わしは直後、ハッと悟りを得たように思う」
「勝とうと気を張っては何も見えんのじゃ」
「愛を持って全てを包み、気を持って全てを流れに任すとき、はじめて自他一体の気・心・体の動きが展開し」
「より悟りえたものが、おのずからいわゆる勝ちをおさめる」
と、盛平は後に述懐している。
続く・・・
注)この話の続きは、次の記事にあります。
★★★★★★★★★
☆僭越ながら僕からのコメント
僕は医療従事者ですが、こういう金色の話をすると、ドクターなど医学の専門家は、
「てんかん発作の典型だ」
と、口をそろえて言うと思います。
僕も昔はそう考えていました。
もちろん、植芝先生は、てんかん持ちではないし、てんかんにより人生を悟ることは無いと思います。
僕は、頚損による四肢麻痺で、歩けない障害を持ちながら、普通に歩く事ができ、テレポート(瞬間移動)もできるというクンルンネイゴン(道教)の正統な伝承者であるKan.師という日本人からこういうお話を伺った事があります。
「滝行と言いつつ、滝に濡れないで、滝のそばで瞑想をしていると、滝の轟音(ごうおん)の中にサイレント(静けさ)を感じるときがある」
(滝に濡れないというのは、滝に打たれるような苦行はしないという意味)
「すると、小鳥のさえずりや山道を散策する人の話し声等が明瞭に聞こえてくる瞬間というものが存在する」
「この轟音の中の静けさという相反する2者が落ちることは、(「腑に落ちる」の意味と思うが不明)アセンション(次元上昇)し、死を超越するきっかけとなる」
「こういった、死を超越する事ができるような真理は、極身近な日常の中にあふれている」
僕は、植芝創始の金色の体験に通じるものがあると思いました。
☆ドクターストレンジ
アメリカ映画のマーベルの「ドクターストレンジ」で、主人公の天才脳外科医であるドクターストレンジが、事故で指の機能を失うという絶望の中で、スピリチュアルな道に目覚めたきっかけとなったのが、「頚損(首より下が麻妃をしている)でもバスケットをしている男性」に出会ったからです。
この男性のモデルが「クンルンネイゴンの正当な伝承者のKan.師」であるような気がします。
また、魔導士が次元を超えて戦うという点もスピリチュアルでいう高次元の存在を描いているように思えます。
スピリチュアルな精神修行に入るきっかけが人生の絶望である事は、いわゆる「あるある」かと思います。
☆Kan.師の著作
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★★★ FIN ★★★