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ブルーグッピーのスピリチュアリティ:自由に!無理なく!楽しく行う超能力開発。

動物等の全ての生命を含めた私達の中にある潜在意識の能力がサイキック(超能力や霊能力)であり、誰もが無意識のうちにサイキックを使っている。

  

☆最新の記事(最後の記事)〉

☆自己紹介

 

blueguppy333(ブルーグッピー)のスピリチュアリティ(霊性)のブログに訪問していただきまして、ありがとうございます。

 

ブログでは、僕自身のスーパーナチュラル(超自然的)な不思議体験を中心に掲載しています。

 

最初の写真は、僕が2012年8月に旅行して撮影した

「アメリカ・カリフォルニア・シャスタ山」です。
 

帰国後に確認すると、雲が龍の形になっている事に気が付きました。

 

それと同時に、30年間苦しみ続けた難病の症状が突然完治する等、多くの奇跡を体験しました。

 

僕は理系の現実派で、元々はコンピュータ・プログラマーであり、病気をきっかけに心理学や医学的な知識を学んでいて、その技術により40年以上働き続けていました。

 

23歳の時に複数の難病に心身を侵され、悪化し続ける体調の中で、現実的な努力を積み重ねました。

 

身心を病んだ過酷な状況の中でも、働き続ける事ができたのは動物的な子育ての本能により、心身の限界を超える事ができたと思いますし、子育てが人生の楽しみでした。

 

しかし、その過労により症状が悪化し、失明等の絶望とも思える現実に直面します。

 

「溺れる者は藁をも掴む」の心境で「超能力修行者」の道に入り、シャスタ山上空にある【5次元の「光の神殿」】に所属します。

 

その後、神の導きによるスピリチュアル的な精神修行を重ね、2012年に聖地であるシャスタ山に旅行し、大きな奇跡を体験します。

 

世の中には宗教や商用の勧誘を目的する多くの迷信が渦巻いていて、スピリチュアリティに不信を抱く材料にしかなりません。 

 

このブログは、僕自身がジタバタとあがく暗中模索の中で、実際に効果があったスピリチュアルな概念や技法などを紹介しています。

 

僕は、体調が悪い中で働きながら、スピリチュアル的な精神修行により結果を出しているため、現実的で合理的な修行方法であると言えます。

 

スピリチュアルな道を目指す方の参考に、少しでもなれば幸いかと思います。

  

 


☆ 精霊の雲

 

以下は、いずれも僕が撮影した空の雲の写真です。


これらの雲が縁となり、不思議な体験をするようになり、どの写真にも龍神の力が宿っているので「精霊の雲」と呼んでいます。


☆東京都渋谷区上空↓

 

☆埼玉県針ヶ谷氷川神社上空↓

 

☆埼玉県富士見市上空↓

 

☆宮古島上空の飛行機から(龍とシーサーペア)

 

 

☆ はじめに

 

スピリチュアリティ(霊性)とは、神のような実態の無い存在の「霊的な意識」であり、その精神力であるサイキック(超能力や霊能力)を示します。

 

「霊的な意識」は、動植物を含めた全ての生命の中心に存在し「精神世界」と言われます。

 

その目的は「霊的な進化による自立と自由」です。

 

サイキックは、あらゆる生命が無意識に使っている「潜在意識の能力」であり、直感、偶然、運命、奇跡等とも言います。

 

「日常的に誰でもが無意識で使っているサイキックを意識的に制御する」のが、スピリチュアル的な技法かと思います。

 

簡単に言うと、意識的、合理的に奇跡を起こす技術です。


多くの人は、支配、依存、怒り、怨み、嫉妬等のネガティブな思念により、自らのサイキックにより不幸を生み出しています。


注)心理学的用語を霊的視点で説明します。

 

☆「顕在意識」と「潜在意識」

 

私達の心は「顕在(ケンザイ)意識」と「潜在(センザイ)意識」からできています。

 

感覚、感情、思考、知識等の「感じる事ができる意識」を「顕在意識」と言います。

 

「潜在意識」は「時空を超えた高次元の精神世界」であり、感じる事ができないため「無意識」と言われます。


潜在意識には、霊界や前世の記憶が有るため、その記憶がある事が「霊界や輪廻の存在の根拠」であり、肉体の死により顕在意識が消滅しても、潜在意識は消滅しないと考えられます。


よって、潜在意識が霊であり、死後の世界であり、スピリチュアルだと言えます。

 

「 顕在意識 = 感じる心 = 動物的な脳の意識 

 = 肉体の死により消滅する

 = 現実(3次元的な時間と空間の体験) 」

 

「 潜在意識 = 無意識 = 高次元の意識

 = 肉体の死後も消滅しない

 = 死後の世界 = スピリチュアル (霊)」

 

「 潜在意識の能力 = サイキック = 超能力 = 霊能力  」


「 自分の中の6次元以上の潜在意識 

 = ハイヤーセルフ = 仏性 = 内なる神 」


「 チャネリング 

 = 自分の中のハイヤーセルフに繋がる

 = 神との対話が可能 

 = 真理は自分の中にある 」

 

催眠による前世療法を世界中に広げたブライアン・L・ワイス博士は、


「私達は魂の存在である、死というものはない」

 
「愛する人々とは、多くの人生を何回も共に生き、学びあっている」
 
「私達は高次の霊的存在だ」
 

 と、話されています。

 

☆奇跡の輝き

 

この映画は、突然の事故で二人の子供とご主人を亡くし、その絶望により亡くなった事で地獄に墜ちた奥さんをご主人が助けに行くという、死後の世界の物語で、ワイス博士の言葉を映画化したような感動ラブストーリーの名作です。

 

 

☆前世や死後の世界の記憶は脳の記憶


前世や死後の世界の記憶とは5次元の霊界の記憶が、3次元の脳の記憶に変換された記憶であり、正確な記憶ではありません。


宇宙を光速で移動しワープするようなUFOは、5次元の存在と言われていますが、5次元の科学を理解し利用できる能力は人間にはありません。


神とは6次元以上の意識を示していて、神の導きは、一瞬の閃きであり、潜在意識レベルの理解であり、我々の理解を超越しています。


一瞬の閃きに対して、後から、他人に説明できる言葉に変換する必要があります。


人間の言葉に変換した時点で人間の考えとなり、神の導ではなくなります。


☆目的

 

現実世界において、莫大な財産があり容姿や能力や環境等のあらゆる面で恵まれていても、肉体の死により全て消滅します。

 

このような肉体の死により消滅する利益を「現世利益」と言い、それを神に願う事を「ご利益信仰」と言います。

 

人間は、地球上の生物の食物連鎖の頂点に君臨する動物です。

 

私達は、恋愛、美容、健康、お金、衣食住、地位、名誉のような現世利益を追い求めて努力しますが、それは動物として生きるための目的です。


もちろん、動物として生きるためには現世利益は必要であり、その努力や経験は霊的な成長に繋がります。


霊的成長には修行として、この世で生きる事が必要なようです。


宇宙的な時間から見れば、私達の寿命は瞬間です。

 

スピリチュアル的な目的とは、肉体の死の先にある、霊的な進化という、時空を超えた霊的な財産です。

 

・価値観

 

神であるキリストが社会的弱者であったように、霊的な価値観は、人間の価値観では測れません。

 

「現実的不運は霊的幸運」「現実的幸運は霊的不運」のように、動物的利益と霊的利益は表裏一体の関係にあります。

 

生まれつきの障害や病気を持ったり、多くの苦難がある人生の方が、霊的には価値があり、多くの苦しみや障害を乗り越えながら、私達は神へと進化していくのです。

 

人間の視点で何の価値も無いような障害や苦難にも、霊的な価値があります。

 

スピリチュアル的に見れば、人間だけでなく、全ての生命の存在に価値があります。


現実的に幸運であれば、それは幸せな事であり、不運であっても霊的な価値があるのであり、現実の全てに意味があります。

 

・DNA

 

「肉体は霊の乗り物」であり、肉体的な特徴や性格、欲望、遺伝的な病気等は、遺伝子の影響です。

 

肉体という遺伝的問題や癖のある乗り物を乗りこなす事が、霊的な課題の一つかと思います。

 

同じ魂でも、人間として生まれるか、人間以外の動物として生まれるかで、肉体的な容姿や能力、欲望、性格等は全く違ってきます。

 

「三つ子の魂百まで」というように、脳が未熟な幼児期は、内面である霊の性格や能力が表に出ています。

 

肉体や脳が成熟してくると、先祖から引き継がれた遺伝的な性格が肉体を支配し、その欲望に振り回されます。

 

そして、多くの人生経験により、霊がその乗り物である肉体を乗りこなせるようになると、霊としての本来の自分を取り戻す事ができるのかもしれません。

  

・心

 

我々が感じる心とは、動物的な脳の働きである喜怒哀楽の様な感情です。

 

感情はコンピュータのAIでも表現可能ですし、近い将来、AIが人間の知能を遥かに超えるとも言われています。

 

しかし、人類の知能の頂点に立ち、全てを支配したとしても、そこで行き止まりであり何も生まれません。

 

肉体的な能力が優れている事は現世利益であり、それ自体に霊的な価値があるとは限りません。

 

スピリチュアル的な心とは霊であり、神や惑星や植物や動物や人間にも共通してある心であり、感じる事ができない人知を超えた心を示します。

 

スピリチュアル的な修行の目的に「ハートに繋がる」があります。

 

この「ハート」も人知を超えた領域であり、そこに到達できた者だけが知る事のできる領域のようです。

 

スピリチュアル的な目的は、理屈ではなく、行動と経験で到達可能な領域のようです。

 

・奇跡

 

僕の体験した多くの奇跡も現世利益です。

 

例えば、難病が奇跡的に治った事は現世利益です。


いくら難病が治り長寿になったとしても、いずれは死ぬわけです。

 

もちろん、奇跡を体験する事に至るまでの修行や経験に霊的な利益があります。

 

また、どんな事でも、体験する事で視野や価値観は変わります。

 

逆に言うと、体験をしていない事を信じる事は困難です。

 

特に目に見えないスピリチュアルな世界は、常識的には全く信じる事はできません。

 

「奇跡を体験した事で、人知を超えた世界への興味が深まる」という意味で霊的な価値があるかと思います。

 

・死後の世界の確信を得る事は不可能

 

僕は、自分の修行として、数百の怨霊や妖怪を除霊して天に送った実践的な霊能者です。

 

また、「死後の世界」とか「神、天使、悪魔、精霊のような霊的な存在」に関わっていますが、それでも死後の世界や霊等の存在の確信はありません。

 

死後の世界は無く、肉体の死により全てが消滅するのであれば、あらゆる面で楽だとも思いますが、その確信もありません。

 

精神世界は空想の世界と変わりがないし、肉体の脳で霊の世界を理解する事が不可能だという事だと思います。

 

僕は難病については50歳で奇跡的に完治したのですが後遺症を残し、その後、63才で、癌による余命宣告を受けました。

 

次から次へと問題が出てきて、60才を過ぎると、いい加減、気力も尽きます。

 

心身が屈強で気力が充実している状態での、感じる事が可能な精神力は、傲慢でしかありません。


スピリチュアル的な精神力とは、幼児のように未熟であったり、老化や病気等で体力も気力も全てを無くした時に、本当の精神力が試されるのかもしれません?

 

霊界から見れば「この世に生まれる事は現実という過酷な試練への挑戦」であり「天寿を全うした肉体の死は、短命であっても人生という試練からの卒業というお祝い」となるようです。

 

死のような現実的な不幸は霊界から見ると幸運であり、現実の幸運は霊界から見ると不幸になるように、現実的な価値観と霊的な価値観は表裏一体です。

 

私達は、現実的な成功に恵まれると、傲慢になり魂的に堕落しやすいので、現実の幸運は、霊的な不幸に繋がりやすいのです。

 

しかし、動物的な生存本能に逆らう事はできないし、妻を孤独にしないためにも、長生きへの努力をして、いずれは消え去る人生という無意味とも思える経験を積み重ねたいと思います。

 

・最重要課題

 

スピリチュアルの目的の大前提は、最後まで生き抜く事、すなわち、天寿を全うする事です。

 

心身が衰弱して、追い詰められた時にどうかという問題かと思います。

 

これは、生物としての課題であり、動物も人間も同じく、先ずは現実を生き抜く事が、この世に生まれた最も重要な目的です。

 

動物的には長寿が幸運で、霊的には短命が幸運ですが、自殺は霊的にも不運です。


弱肉強食の自然のおきてや、武力戦争、経済戦争が絶えない人間社会こそが、神の創造物であり、過酷な世界を生き抜く事が、我々に与えられた試練です。

 

現実を生きるためには、お金や衣食住のような現世利益は必要不可欠です。


現世利益である現実的な願いを叶えるためには、現実的な行動と努力により願いを叶えるという、ごく当たり前の現実こそが、スピリチュアル的な法則であり、神の掟です。


努力の無い願いは、単なる空想であり、叶えることは不可能です。


願いが無くとも、努力を続ければ、その行動と努力が願いとして神に届くのです。


願いではなくて、努力や経験に霊的な価値が有るのですが、その霊的経験値を効率的に高める精神的な法則や技法(メソッド)を下のリンクにまとめました。

 

 

☆根拠

 

僕は、苦難と絶望で人生に追い詰められた事をきっかけに、神であるマスターから、色々と過酷な修行を受けました。

 

マスターから修行を受けた事で、現実の人生が展開し、視野が広がったと言う体験が、その導きが正しかったと感じる根拠です。

 

マスターの導きは、人知を超えたインスピレーションであり、人間の言葉で正確に表現する事はできないのですが、できるだけと言う事になります。

 

 以下はマスターの導きであり、僕自身も身にしみて反省させられています。

 

☆サイキックのコントロールの基本

 

サイキックのコントロールでは、自分の感情をコントロールをする能力が必須です。

 

自分の感情のコントロールは最も身近で、基本的な常識ですが、最も難しく深淵な分野かと思います。

 

自分以外のコントロールは、動物的な本能である、支配という悪魔の領域です。

 

自分のコントロールは、動物的な本能より進化した、神聖なる領域です。

 

☆支配と依存

 

スピリチュアルでいう闇とは、遺伝子レベルの生存本能であり、生物的な欲望を示します。

 

人間を含めた全ての生物や遺伝子やウイルスであっても存在への欲望により、弱肉強食の世界にさらされ、負ける事は死や滅亡を意味します。

 

勝つための戦い、逃げたり隠れる事、社会を作り助け合う事も、法律や道徳を守る事も、寄生や、ひきこもりも、あらゆる行動が生き残りの戦略です。


現実は、全ての生命にとって理不尽で過酷であるから、生物は進化をして、魂は鍛えられます。


この世が天国では、考える事をやめて、生物は退化し、魂は堕落します。

 

欲望の中でも特に問題となるのが支配欲です。

 

依存は、寄生により、相手を支配する事です。

 

「規則に従順で自分で考えない」と言うのも依存です。

 

相手が約束を守らないで怒りが湧くのは相手に依存しているからです。

 

「支配や依存」は、自分の思い通りにならない、存在や状況に対する不満により「怒り、怨み、嫉妬、猜疑心」のような「ネガティブな感情」を生みます。

 

闇の存在は、自分の規則に従えない者を嫌い、そのネガティブな感情に自分が支配され、自由を無くします。

 

「支配や依存、怒り、怨み、嫉妬、猜疑心のようなネガティブな感情が不幸を呼ぶ」
 

という法則は、私達の無意識であるサイキックの作用です。

 

このネガティブな心が、あらゆる不幸や犯罪や戦争や災害を呼び、あるいは、妖怪を生み出し、悪魔のエネルギー源となります。

 

暴力は、もちろんですが、「自分の優越性を示す」とか「相手より自分が優位な立場になると態度が変わる」といった、マウントをとるような行動が支配欲の例です。

 

マウントは、猿の社会にボスザルがいるように、多くの動物社会でも見られる生殖本能の一部であり、私達は動物的な本能に支配されています。

 

金持ちになれば支配者的な立場になりますが、逆に、マザーテレサの様に莫大な財力を弱者救済に使う人もいる訳で、大きな力を持った場合は、どちらの道を選択するかという本性が試されます。

 

恋人の浮気が許せないというのは支配欲ですが

「支配欲を捨てて、心の底から、怒り、怨み、嫉妬、猜疑心を完全に消しなさい」と言っても無理な話です。

 

そういったネガティブな感情を無理やり修正したり、消そうとしても、心が押し込められ、精神が歪んでしまうかもしれません。

 

「光を求めると闇が深くなる」と言いますが、光や美だけを見て、自分の中のネガティブな感情を見ないようにすると、問題が先送りになり溜まるばかりです。

 

☆自分を認める

 

以下は僕自身が神である霊的なキリストから直接指導を受けたメッセージとして極めて重要な点です。

 

それは、

「自分の心の底に、怒り、怨み、嫉妬、猜疑心のようなネガティブな心があるのであれば、それは支配欲という自分の中の悪魔である」

と認めて、受け入れる事です。

  

「ありのままの自分を受け入れる」という事は、その先の道が開かれる第一歩となり、将来が変わってきます。


「自分の心の中を客観的に観察する事」を仏教用語で「自観」と言い、精神修行の基本です。

 

また、自分を試すためには「思い通りにならない、理不尽で過酷な現実で、自分の感情をコントロールできるか?」という現実社会で生きる試練が必要です。

 

☆自立と自由

 

「支配と依存」の反対に「自立と自由」があります。

 

自らの考えで実行し、道を切り開き、自立している人は、他人への不満や批判というネガティブな心から開放されて、心が自由です。

 

アニメのルパン三世にあこがれを感じるのは、ルパン一味は、それぞれが自立し自由だからかと思います。

 

究極には、神のように自立すれば、ネガティブな感情が無くなります。

 

神は、規則に縛られない、自由で楽しい存在です。

 

☆自分に合った自立を目指す

 

自立と言っても、色々の段階や見方があり、他人と比べる必要はありませんが、自分の目指せる自立があるかと思います。

 

最初の自立は、生まれた時の自発呼吸と、免疫機能による細菌等との生死の戦いであり、まずは生き抜く事が重要です。

 

乳児が母乳から離れて、食べ物を食べられるのも一つの自立です。

 

親元から離れ、一人暮らしをして経済的に自立し、親の束縛から自由になっても、今度は、社会に支配される事になります。

 

お金をいくら持っていても、自然の中で一人で、生きて行く事が出来ないようであれば、自立とは言えませんし、そういう意味では、自然の虫や動物の方が自立しています。

 

寄生生物にとっては寄生する事が自立ですし、人類は地球に寄生して生きています。

 

☆人知を超えた領域

 

極端に言えば、自由とは、宇宙に裸で放り出された感じであり、自由になるためには、かなりの能力が必要です。

 

ネズミが、巣の穴にいると安心できるように、私達は、地球環境、社会、自宅、常識の様な拠り所等により守られた、ある程度の束縛で安心できる動物です。

 

高次元の存在から見た場合、人類は、目も見えない赤ちゃんであり、地球は赤ちゃんのユリカゴと言われてます。

 

我々の3次元の肉眼で見る事はできませんが、太陽のような恒星や地球上にも「5次元の巨大都市」があり、その一部に有名な「地下都市テロス」があります。

 

地球人や宇宙人の進化系である「5次元の存在」は、「宇宙で存在可能なボディ」や「UFO」をサイキックで作っていて、地球の様な惑星から自立しているようです。

 

「食事不要の仙人」は、食料にする生物を殺す必要が無く、開拓の名で自然を破壊し、侵略する必要も無いので「弱肉強食の世界」から自立していると言えます。

 

「5次元の存在」は、動物的な肉体ではなく「ライト・ボディ」等と言われる「異次元のボディ」の存在のようで、そのボディの覚醒は、スピリチュアルの目的の一つです。

 

高次元の数千歳の存在が、人間の若者の姿で、渋谷などの繁華街に頻繁に遊びに来ているという話もあります。

 

「不老不死で食事不要の仙人」として有名なのが、現在に仏教やヨガを復興させた実績の持ち主であり「竜樹」の漢字名を持つ「ババジ」です。

 

よって、ババジにより成立している仏教やヨガの瞑想の目的は「弱肉強食の世界の輪廻からの解脱」であり、仏教では「成仏(ジョウブツ)」、スピリチュアルでは「アセンション(次元上昇)」と言います。


また、即身成仏とは、ババジのような「食事が不要の不老不死のボディー」の覚醒かと思います。

 

現在においても、千才を超えるババジが起こす奇跡の目撃談が多数存在し、その存在が信じられています。


ババジのような神に近い存在は、教祖のような地位を含めて、人間社会の地位やお金も不要な為、浮浪者のような人間社会の底辺にいて、人々に見下され存在であり、目立つ事がありません。


私達は、見かけの美しさや、財力や権力などの闇の勢力に憧れ従い、神を見下してしまいます。

 

 

☆感謝

 

自立により、ネガティブな心が消え、感謝であるポジティブな心が残ります。

 

「感謝のようなポジティブな心は幸福を呼びます」

 

このブログはスピリチュアル(霊性)的な内容であり、動植物や霊的存在を含める共通した心を示します。

 

よって、法律、倫理、道徳、礼儀、哲学、宗教的教義、等の人間独自の概念については説明しません。


人間が作った規則は、自然には通用しません。

 

「感謝の気持が大切」とは、道徳、世間体、商売等、人間社会で生きる為に必用な「世渡りの技術」の意味があります。

 

本音とは別に「皆さんに感謝します」と表面を装ったり、商売のために、お金を払うお客に感謝をする様な状況もあります。

 

成功や利益に対する感謝は、それがあたりまえになると傲慢になり、続かなければ失望や怒りになります。

 

しかし、スピリチュアルな視点での「感謝の気持ち」は「心が平穏」という意味です。

 

「心が平穏」とは「心の底に、支配、依存、怒り、怨み、嫉妬、猜疑心のようなネガティブな心が無い」という事です。

 

☆ 現実

 

この世は、病気との戦いや、生物を殺して食べるという、弱肉強食の残酷な世界です。

 

世界では1日数万人もの人間が貧困、飢餓、戦争で亡くなり、私達はその犠牲の上で生きていて、生きる事は戦いです。

 

しかし、生死の戦いの中でも、武道の真髄の様な「心の平穏」が有るのかもしれません。

 

合気道の創始者の植芝盛平師は、武を極めた代表的な実在した人物と言えます。

 

「勝とうと気を張っては何も見えんのじゃ」
「愛を持って全てを包み、気を持って全てを流れに任すとき、はじめて自他一体の気・心・体の動きが展開し」
「より悟りえたものが、おのずからいわゆる勝ちをおさめる」
植芝盛平

 

平穏の強さを大袈裟に表現したのが、アニメのハンターハンターのネテロ会長の能力である百式観音の感じでしょうか(百式観音のアニメ動画は下に貼りました)?

 

殺し屋ファミリー・ゾルディック家の祖父ゼノが、ネテロ会長の精神を「恐ろしく静かで植物の領域」と説明していますが、そんな感じでしょうか?

 

 

☆ 未知なる領域

 

スピリチュアルは、確実性の無い荒唐無稽の精神世界であり、目に見えない暗闇を歩くようなものです。

  

いわゆるインディージョーンズやトゥームレーダーの様な冒険の世界です。

 

仏陀は、精神修行の意味や結果が理解できない事に対して「無記」を表明しています。

 

 

 

☆光のマスター

 

神の意識は、人知を超えていますが、天使も悪魔も差別なく無条件に愛するという、差別の無い「無条件の愛」と「自由意志の尊重(全ては自己責任)」で、悟りは「有りて有るもの( I am )」だと言われています。

 

よって、凄まじい勢いで地球環境を破壊し、多くの生物を絶滅に追いやる悪魔のような人間でも、神に愛される存在です。

 

スピリチュアル界では、神の事を「アセンデッド・マスター」略して「マスター」と呼び、

「キリストや観音のようなマスターは、霊的に存在するサイキックの先生」

という位置づけです。

 

マスターは、最も自立した自由な存在であり、我々に求めるものが無く、敬意や信仰も求めません

 

神の導きをヒントに行動するのは自分であり、結果に責任を持つのも自分です。

 

よって、サイキックの先生であるマスターに繋がる事は、とても大切です。

 

スピリチュアルの世界では、マスターとつながる儀式を一般的には「イニシエーション」と言います。

 

マスターの導きは、インスピレーションであり、無意識のレベルなので、言葉で説明できません。

 

だから、神であるマスターから潜在意識レベルで直接指導を受ける必要があります。

 

マスターの6次元レベルの導きを、人間の言葉にすると、3次元の人間の考えになってしまうため、マスターの導きではなくなります。

 

瞑想のような、あらゆるスピリチュアル的なワークで、その技法を司るマスターに繋がる事が最も重要です。

 

☆光の神殿

 

僕は、アメリカ・カリフォルニア・シャスター上空にある【5次元の「光の神殿」】のイニシエーションを受けているので、このブログは、その体験談という事になります。

 

キリストは5次元のプレアデス星人の使者で「光の神殿」のマスターの1人だと言われています。

 

そのためか、僕は霊的なキリストより、多くの修行を受けています。

 

神は、自由で楽しい存在であり、アニメの呪術廻戦の五条悟とか、ドラゴンボールの界王の様な感じです。

 

僕は宗教的な歴史を勉強して、聖書は昔の作り話で、キリストは実在しないと学んでいました。

 

僕は「333」の数字に縁があって、ブログID「blueguppy333」やメールアドレス等に昔から「333」を使ってました。

 

後にプレアデス系の「リコネクション」というワークを受けた時に、その先生に「“333”は5次元のプレアデス星人を示す数字である」と、教えてもらいました。

 

僕もキリストと同じく、プレアデス星人であった過去世があるのかもしれません。

 

 

 

 

☆次の記事(最初の記事)> 


☆アニメ「HUNTER×HUNTER」感謝の修行

 

 

★★★ FIN ★★★