011 父との再会 | ブルーグッピーのスピリチュアリティ:自由に!無理なく!楽しく行う超能力開発。

ブルーグッピーのスピリチュアリティ:自由に!無理なく!楽しく行う超能力開発。

動物等の全ての生命を含めた私達の中にある潜在意識の能力がサイキック(超能力や霊能力)であり、誰もが無意識のうちにサイキックを使っている。

 

 

☆次の記事>

 

☆前の記事〉


 
 

こんにちは。

 

上の写真は僕ですが、初対面の人の僕の印象は、「ヤクザ」とか「テキヤ」が多いです。

しかし、サラリーマン暦は40年近く、義務教育の時の先生の評価は、共通して「おとなしい子」でした。



僕の父は、阿部家の養子でした。


父の父は、国家勲章をいくつももらっている、田舎の大地主で、名士だったようです。

父もまた、どちらかというと、実業家タイプで、国道沿いにあった僕の実家をレストランにして、成功させていました。

当時は、おそらく、周りにレストランなんて存在しませんでした。

せいぜい、柳ケ瀬という繁華街にあるデパートの最上階にレストランがあった程度です。

 

ちなみに、現在は、岐阜は過疎化で、柳ケ瀬はシャッター街となり、パルコやデパートは倒産しました。

 

昔は、柳ケ瀬もにぎわっていていましたが、もちろん、ファミレスなんていうものは世の中に存在しません。

レストランをつくるという事は、非常に斬新な事だったと思います。

また、実家の隣は大きなパチンコ屋でした。

そして、僕の通う中学校の隣の地区に岐阜競輪という競輪場がありました。

さらに、僕は笠松高校という高校に通ったのですが、その隣の地区に笠松競馬という競馬場がありました。

僕の周りには、ヤクザが多くいて、僕は、博打とヤクザが多い環境で育ちました。

そのためか、今でも第一印象が、ヤクザといわれることが多いです。

しかし、僕は博打はいっさいやりませんでした。

となりから、古いパチンコ台をもらってきて、パチンコで遊んでいたぐらいです。

また、タバコも吸いませんし、今は、お酒もほとんど飲みません。

当時は、「タバコに健康被害がある」なんて言う事は誰も知りませんでしたし。


電車や飛行機の中でも自由にタバコを吸えていました。

健康に関わる知識なんて世の中になく、生活排水や、有害物質を大量に垂れ流すいわゆる、公害問題へと世の中は進んでいったのです。




今から考えると僕の直前の前世は、神社のお堂で寝泊まりするようなバチ当たりなヤクザで、博打やお酒で身を滅ぼしたようでした。

 

それ以前の前世で、かなり頑張りましたが、全の人生で絶望し、最終的に人生を捨てるようになったのかもしれません。

だから、今生で、博打に手を出さないか、試されたようです。

結果、一切博打に手を出さなくて、テストはパスしたようです。




僕の両親は異性にもてるタイプでした。

父は、母にレストランの経営を任せ、外の女性の家に泊まり、何か月も帰ってきませんでした。

 

いわゆる、外で愛人の生活費を援助するのではなく、外で愛人に面倒を見てもらっていたようです。

帰ってきても、夫婦げんかが絶えなく、もちろんDVもあったと思います。

僕の祖母は、よく僕を連れて、夫婦喧嘩の間に僕を入れて、喧嘩を止めていました。

母の母である祖母は、「僕の父がいかに暴力的な悪人であるか」を僕に教え込んでいました。



また、父は不摂生がたたり、眼球に結核菌が入り、視力を失いかけていました。

そのような状況で、両親は離婚し、僕が小学校の高学年のころ、ほぼ失明していた父は、何の財産も持たず家を出る事になったわけです。

そんなわけで、それから父とは、音信不通となっていたわけです。




僕の話に戻りますが、東京で体を著しく壊した僕は、三菱自動車からのオファーで、コンピュータシステムを構築するために故郷にある岐阜の三菱自動車に入社しました。

新たなシステム開発ではないので、つまらない日々をなんとか過ごしていたわけですが。

そんなとき、ひょんなことから、父と再開することになったわけです。

ほぼ失明(わずかに見える程度)していた父は、日雇いの夜中の土方で働きながら、障害者の枠で、神戸の針灸、マッサージの学校に通い
資格を取って、岐阜に帰り、治療院を成功させていました。

そして、正月の参拝客が、岐阜市の人口より多いという、稲葉神社の正面に治療院のビルを建築しようと計画を立てていました。

そんなわけで、父は医療界の情報にも精通していて、僕の体調の話を聞き、リハビリテーションの学校を紹介してくれました。

僕は、精神的にも限界に達していましたので、リハビリテーションの理学療法士の資格を取る話に乗りました。

もちろん、その1980年代当時は、世の中にリハビリテーションなんて言う言葉は誰も知りません。

妻の母が東急病院の婦長でしたが
「リハビリってなに?」
という感じでした。

コンピュータ・プログラマーといっても、リハビリテーションといっても
世の中の人は、何なのか知らないので、そういった職業を話すと
詐欺師かなにか、怪しい人物とおもわれ引かれるのがおちでした。

父は、どちらかというと、自分の稼業を僕に継がせたかったのです。

しかし、後に分ったことなのですが、理学療法士に開業権がありませんでした。

すなわち、理学療法士は、病院で働くための資格だったのです。

最初に分っていれば、父は僕に柔道整復師の資格を取らしていたと思います。

そちらの方が、かなり儲かり、今頃は、僕もかなりの資産を築いていたと思います。

しかし、僕は理学療法士の道を選び、本格的な医療を学び、より苦難の道を歩く事となりました。

よって、僕は理学療法士の資格を取った後は、職を求めて、再度、東京に上京する事となったのです。

また、妻は一人っ子で、神奈川に妻の実家があった事も東京に上京する理由となりました。


☆ 就職活動


当時は理学療法士が世の中にほとんどいなくて、当然、リハビリテーション施設を持つ病院はほとんどありませんでした。


僕は体調が悪い中、子供の世話をしたり、家族を養わなければいけない状態だったので、過酷な労働条件となる一線の病院への就職は現実的ではありませんでした。


よって、東京の一般の病院を探したのですが、理学療法士を募集している病院は2つで、一つのO病院は初任給が20万円以外という条件でした。


家族で暮らすとなると、沿線でかなり家賃を抑えても10万円は必要であり、家賃、光熱費、税金、公共料金を払って終わりで、到底、家族で生活可能な賃金ではありませんでした。


当然、バブルの始まりの時期で、都心では、駐車場を借りるのに月20万円程度の場所もある感じで、都心に住むことは不可能です。


しかも、共産系の病院で、休みの日は、核爆弾廃止の署名を集める等の、無意味と思える政治活動家が強要される条件でした。


そもそも、敗戦した戦犯国である世界的な立場が無い日本が、核兵器を持つ事など考えられないのであり、その署名にどれだけの意味があるのかわかりません。


核兵器を持ちたい隣国で、そんな活動をすれば、処刑されてしまうので、そもそも意見を言う事は不可能です。


また、当時の為替は、1ドル350円固定で、ハワイ旅行が100万円もしていて、小さなバケツを買う為にも500円は必要で、現在であれば100円ショップで100円で変えますが、当時は100円ショップは存在しません。


もちろん、安く食事ができる牛丼チェーン店もありません。


だから、今より、物価は高かったかと思います。


もちろん、技術的にも、現在のスマホの性能のコンピューターを開発しようと思えば、国家予算レベルの数兆円をかけても不可能ですが、現代では、子供の持ち物になる位、手軽な物となっています。


☆ 入植した病院


もう一方のJ病院は、積極的にリハビリテーション施設を展開していた個人病院で、給料も30万円近く、しかも、家族が住める寮を無料で提供してくれる老人病院でした。


引っ越し費を負担してくれて、家賃が無料というのが、岐阜から東京に移住するためには好条件で、選択肢がその病院しかありませんでした。


その病院は世間の高齢化の波のニーズ合わせて、僕が就職した後も、急速に拡大し、施設数を急激に増やしていきました。


☆ 不思議な縁


最初に僕が勤務した施設に、ST(言語療法士)Iさんが新人として入職してきました。


当時は、国家資格としてPT(理学療法士)、OT(作業療法士)があったのですが、まだ、STの資格制度が無い状態でした。


僕の勤務していた施設に新入職員したSTのIさんは、岩倉具視の子孫で、叔父が菅直人だと言っていました。


また、日本にリハビリテーションの法律を作ったのは、Iさんの父である医師の岩倉先生だと言う事です。


僕は、数十人規模の会社のコンピュータ会社では、明治維新で活躍した三菱の創始者の岩崎弥太郎の子孫と、一緒に働き、担当プロジェクトは違いますが、昼休みにカードゲームをした事もあります。


この病院では、数名のリハビリテーション・スタッフの中に、明治維新で活躍した岩倉具視の子孫と働いた事になります。


もちろん、数千人とか数万人規模の企業の職場に有名な人がいる可能性はありますが、身近で働くというのは、不思議な縁に感じます。


僕の祖母の写真は、坂本龍馬に全くそっくりで、妻も同感していましたが、もしかしたら、何かしらの縁は有るかもしれません。


ちなみに、阿部家は、岐阜の斉藤道三の家来で、岐阜城の城下町の武家屋敷が本家で、天下統一のために働いたかもしれませんが、明治維新には無縁かと思います。


☆次の記事>


★★★ FIN ★★★