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トップの写真は、僕が東京都渋谷区の上空で撮影した写真です。
龍に見えるでしょうか?
龍の形の雲が出現するときは、基本的にスピリチュアルに関わる時か、旅行でリラックスをしている時が多いような気がします。
この時は、青山にレイキ・ヒーリングの練習をしに行く時でした。
レイキ(霊気)と言うのは、手から出る神聖なエネルギーで人を癒やすような、いわゆる「手かざし」である典型的なヒーリング法です。
元々は、臼井 甕男(ウスイ ミカオ)さんという人が開発して、合気道の様に第二次世界大戦がきっかけで世界に広まりました。
合気道のについては後述します。
レイキのマスターは、京都の鞍馬寺に祀られている5次元の宇宙人であるサナート・クマラです。
僕は、この時、レイキのスクールに行くために渋谷の駅を降りて、青山学院の方へ歩いていきました。
練習をする場所につく手前で、水を買うためにコンビニに入り水を買いました。
お金を払って出ようとするとレジの女性店員が、
「今日は晴れているのに雨が降っていて不思議な天気ですね」
と、話してきました。
僕は出口に向かって女性に背を向けていたので、振り返ると、周りに誰もいなく、僕に話しかけているようでした。
都会のコンビニで店員が、客に世間話で話しかける事はまずありません。
また、その状況もあまりにも不自然でした。
僕は、何か天からのメッセージと思いました。
そして、外に出て、空にカメラを向けました。
すると、円系の不思議な雲がありその雲を写真に撮っていました。
すると、そこから龍の尻尾と頭が生えてきたのです。
最初の円の雲は、ドラゴンボールだったのでしょうか?
☆ レイキ(霊気)
ただし、レイキはものになりませんでした。
理由は、僕は、レイキや気功を使っている人の感情や欲望である邪気を受けてしまい、自分が体調を崩してしまうためです。
レイキの伝授自体は簡単な事です。
しかし、レイキの様なヒーリング・エネルギーを使うためには、自分の邪念を消し去り、神聖なエネルギーだけを使わなければならないと、この時、悟りました。
僕は、元々、努力をしない不良で、堕落した、下賤なダメ人間です。
単なるサラリーマンなのに、外見よりヤクザと思われる事もあります。
人間は地球上の生物の食物連鎖の頂点に立つ動物であり、動物として生きている以上、食欲や呼吸欲などの生命活動である欲望や願いは、全て邪気になります。
「お金を稼ごう」とか、宗教的に「奉仕で徳をつもう」といった打算も、全ての考えや価値観は邪気です。
ヒーリングで最も重要な事は、動物的な要望や願いの様な邪気を出さないように抑える事です。
自分の邪念を払い、精神を統一する修行など、僕には縁遠い世界です。
昔、「フルサウンド・ボイス」と言って、「自分の声が全チャクラに共鳴しているか?」の機械による音声分析のテストを受けた事があります。
僕の声は、7つの全チャクラに共鳴している声で、スピリチュアル的には、かなり優秀な方だと言う検査結果でした。
しかし、天使の輪である第8チャクラへの共鳴が不十分で、その原因が瞑想の不足だそうです。
指摘の通り、僕は瞑想とか精神統一系のじっとしているのが苦手です。
お母さんが、子供に愛情を持ってレイキを使うのは、適しているかもしれません。
ただし、このときは、「勉強をしろ」とか、しつけ的な事を考えると「邪気」になるので、気をつけた方が良いかもしれません。
☆フルサウンドヴォイス↓
☆霊的な根拠について
今回は、霊や死後の世界の存在の根拠と、基本的な情報をお話ししたいと思います。
僕はスピリチュアル的な精神修行として、多くの霊視をこなし数百の怨霊や妖怪を除霊して天に送った経験がある実践的な能力者で、悪魔の除霊も2回あります。
僕は、幼い頃はおとなしい性格で虚弱体質でしたが「最悪は死ぬだけ」といった覚悟があるような「怖いもの知らず」の性格で「動かざること山の如し」のタイプです。
よって、自ら行動して神聖さを求めるより、追い詰められて仕方なく戦う様な、悪魔との戦いが、僕の本領かもしれません。
しかし、闇に落ちてしまわないような、精神力も試されます。
その過程で、キリストや観音のような神と言われるマスターから多くの修行を受けています。
マスターからの修行の中には、サイキックの戦闘や、死後の世界の見学実習、地獄に堕ちた魂の救済方法の実習などもあります。
修行は過酷で、常に追い詰められます。
そのマスターからの修行の中で得た情報を軸にして、死後の世界についてまとめました。
神の導きは直感的イメージであり言葉ではないため、その説明のために、国家公認の超能力者が存在するイギリスの「世界スピリチュアリズム協会」、「仏教思想」等の概念や用語を当てはめています。
僕は「米国催眠師協会認定ヒプノセラピスト」という資格を取得しているので、その知識を補足として説明します。
もちろん、ベースとして、精神医学、心理学等を含めて、医学的な基本的な知識は学んでいます。
僕は、理系の現実的な人間であり、コンピューター・プログラマーでもあるので、現実的な価値観や科学的な知識で生きています。
しかし、このブログでは、スピリチュアルである霊的な視点より説明しているため、言葉の意味は、学術的な意味とは違います。
こう聞くと、僕が、とんでもない勉強家で、努力家に聞こえますが、全て、死ぬほど追い詰められて、生き残るためには、その道しか選択肢が無かっただけです。
僕は、基本的には勉強や努力をしない堕落した人間ですが、命がけの土壇場では、人より起点が効くのかもしれません。
いつも、投資のような安易な儲け話や、安易な生き方や、ご利益信仰を考えていて、騙される事も多く、なかなか思い通りにはならないのが世の中です。
注)このブログは全て霊的な視点での説明のため、心理学のような科学的な用語の説明とは違います。
☆「顕在意識(ケンザイイシキ)」と「潜在意識(センザイイシキ)」
人間の意識は、脳の意識である顕在意識と、霊的な意識である潜在意識から構成されています。
精神医学や心理学的には霊の存在は認められないため、潜在意識の意味は違います。
しかし、サイキックによる透視や霊視などの実践的な認識では、潜在意識が霊的な意識になります。
意識を卵に例えると、脳の顕在意識は表面の殻であり、中身のほとんどは霊的な潜在意識であり、潜在意識は意識できないため、無意識と言われます。
昔は、顕在意識の領域はわずかな事より「氷山の一角」に例えられていました。
最近では、顕在意識は、氷山の上の氷の欠片程度の極めて小さな存在だと言われています。
顕在意識は、太陽の光のように強く、潜在意識は昼間の宇宙や星が見えないように、無意識となっていますが、無限です。
☆霊的存在の根拠
催眠の世界では、潜在意識にある霊界や前世の記憶が世界的に研究されています。
潜在意識に霊界や前世の記憶がある事が、霊界や輪廻の存在の根拠であり、それ以上の根拠はありません。
潜在意識の記憶を探ることで、病気が治ったり、人生の価値を見出したりと、現実的な利益があるため、アメリカ等の先進国では催眠が健康保険で認められています。
潜在意識に霊界や前世の記憶があるという事は、肉体の死後も潜在意識は残るのであり、潜在意識が霊であり「死後の世界」だと言えます。
また、潜在意識の能力をサイキックと言い、潜在意識が霊であるならば、霊能力でもあり、英語では超能力も霊能力もサイキックです。
「 潜在意識の能力 = サイキック = 超能力 = 霊能力 」
・刹那思想(セツナシソウ)
生きている時に感じる事のできる感覚や思考や心である顕在意識は、肉体の脳の機能であり、肉体の死により消滅します。
よって、脳の自然な感覚や思考では
「最初に空間や時間である時空や物質が存在し、そこに生命が生まれて、意識が生まれる。
よって、肉体の死により全てが消滅し、霊界の様な死後の世界は存在しない。」
と考えられるのであり、そのような自然で原始的な考え方を「刹那(セツナ)思想」と言います。
「刹那」とは、時間的な一瞬を意味します。
宇宙的な時間の中では、人間の一生は、まさに瞬間であり刹那です。
スピリチュアル(霊性)は、霊界が存在するという前提の精神世界であり、霊界が存在する確実な根拠は、人間には認識できないため、刹那思想が正しいのかもしれません。
・唯物(ユイブツ)と唯識(ユイシキ)
刹那思想に対して、「最初に意識があり、意識が現実を生み出している」とする「唯識」を基軸とする仏教が誕生した事で、原始的な自然な思想である「刹那思想」が「唯物」と言われるようになりました。
仏教が生まれる前は「唯物」しか無かったので、その思想を「唯物」と言う必要も無かったわけです。
唯識(ユイシキ):
ただ意識のみが有る。
最初に意識があり、意識により現実世界が生まれる 。
唯物(ユイブツ):
ただ物質のみが有る。
最初に空間や時間の時空や物質等の現実世界が存在する。
その物質的な世界に生物が誕生して意識が生まれる。
意識は脳の電気信号にすぎない。
肉体の死と共に意識も完全に消滅するため、霊や霊界は存在しない(刹那思想)。
☆テレパシー
潜在意識同士のコミュニケーションを「テレパシー」と言います。
テレパシーは、サイキックの一つの能力です。
霊的な存在には、幽霊、妖怪、妖精、精霊、天使、悪魔、キリストや観音の様なマスター等、色々な存在があり、テレパシーによりコミュニケーションが可能です。
また、鉱物や星にも霊は宿っていて、鉱物との会話ができる能力者もいるようです。
テレパシーは、言語を使わずに、状況、感情、感覚、仕組み等を一瞬にダイレクトに伝える能力で、別名フラッシュとも言い、閃きや直感のような感覚です。
例えば、生まれつき盲目の人に言葉で色を説明できませんが、テレパシーを使う事ができれば、色の感覚をテレパシーで伝えることが可能です。
また、テレパシーにより、高次元の宇宙人や、動物との会話が可能です。
スピリチュアル的な情報や技術は、全てテレパシーにより伝えられた情報を言葉に変換された情報であり、かなり劣化します。
例えば、「赤」という言葉は、相手も赤を見た事があるという共通体験があるので通じるのですが、相手が生まれつき盲目で赤を見た経験がないと、「赤」という言葉は通じなくなります。
それが言葉の限界であり、高次元の霊的な情報を言葉で正確に伝える事は不可能です。
☆ アニマル・コミュニケーター
特に動物とのテレパシーでのコミュニケーションが得意な人の職業を「アニマル・コミュニケーター」と言います↓
非常に感動的な体験談であり、テレパシーの世界観がよく表現されています↓
☆ 生きがいの創造
催眠によりる前世の記憶の研究をまとめた本↓
☆ 世界スピリチュアリズム協会
イギリスには国家公認の超能力者や超能力機関、世界スピリチュアリズム協会等が存在します。
霊界や輪廻の探求は超能力や催眠等により行われます。
☆スピリチュアルブーム
2005年に「オーラの泉」という霊能者の江原啓之さんと美輪明宏さんが出演したテレビ番組がヒットし、日本にスピリチュアルブームが起き、日本にスピリチュアルという言葉や概念が定着しました。
それ以前には「スピリチュアル」と言葉は一般的では無く、スピリチュアル的な考え方は日本にありませんでした。
霊能者の江原啓之さんは、イギリスの世界スピリチュアリズム協会出身であり、江原さんの広めたスピリチュアル的な概念は、イギリスが起源です。
よって、我々日本人が知るスピリチュアル用語の起源は、イギリスの世界スピリチュアリズム協会にあります。
しかし、占いなどの商売用に間違った形で、スピリチュアル用語がインターネットで拡散しているのが現状です。
☆ 霊界について
5次元の霊界には、自分の心の中心にある霊の本体である「グループソウル(類魂)」が存在します。
我々は、5次元の霊界のグループソウルの出身です。
この世に生まれる前に、グループソウル内で来世の人生の設計図である、自分の運命を作成します。
よって、グループソウルに自分の運命や未来の記憶があります。
そして、グループソウルの極一部(コップの水の一滴に例えられる)が魂となり、親を選んでこの世に生まれてきます。
家族、恋人、親子、兄弟等は、違うグループソウル出身の霊的な他人が家族となります。
霊的な他人が、現実界の家族という関係を持つ事で、違う価値観に対する忍耐や寛容を学ぶ事になります。
遺伝子が同じの一卵性の双子であっても、霊的には他人であり、自分の細胞からクローンを作っても、自分の魂は宿らないで、他人の魂が宿る事になります。
また、1つのグループソウルから2つの魂がこの世に産まれる事をツインソウルと言いますが、目的はできるだけ違う人生を経験する事にあるため、原則として、この世でツインソウルが出会う事はありません。
霊界でも一緒、現実世界でも一緒では、わざわざ現実世界に生まれてくる意味が無いのです。
しかし、稀にツインソウルが大きな目的を持って現世で出会うことがあるようです。
その代表が、ノーベル物理学賞を受賞したキュリー夫妻で、放射線の研究のために、ツインソウルが協力した例と言われています。
また、生まれつき目が見えず耳も聞こえなかった重度の障害を持つヘレン・ケラーと、彼女を教育したサリバン先生は、真逆な人生を同時に体験する目的のツインソウルだと言われています。
最近では、英語の「ソウル」を日本語の「霊」に訳して、「ツインレイ」と言う言葉が作られ、さらに「レイ」の発音に英語の「ray(光線)」を当てはめるように、どんどんと、内容が変えられ複雑化し、都市伝説のように広まっていて、占い等で利用されていますが、全く根拠はありません。
この世がロールプレイングゲームとするならば、我々はゲームキャラクター(アバター)であり、霊界のグループソウルがプレーヤーです。
肉体や意識が死んでも、人生経験の全ての記憶がグループソウル内に残ります。
また、高度なプレーヤほど、難易度が高いゲームを選択するように、高度な魂ほど、難易度が高い人生を選択します。
例えば、知的障害を持って生まれてくる事は難易度が高く、霊的な意味の高い人生である可能性がある訳です。
現実的には何の価値もない障害や病気でも、霊的には価値があります。
霊界では、人生に多くの苦難や障害がある運命を作り、この世に生まれてきます。
しかし、肉体を持つと、肉体である動物的な脳は、なるべく楽しく、楽な暮らしを求めて、霊的な目的とは逆の目的を持ってしまいます。
だから、動物的な肉体が求める物質的な価値観と、霊的な価値観は真逆であり、表裏一体の関係にあります。
弱肉強食の世界では、弱者を食い物にするために、知能や身体能力が高い方が、優位な立場になるので、動物的にはその方が価値があるわけですが、その事が霊的に価値があるとは言えないのです。
ただし、人生がロールプレイングゲームと言ってもコンピュータゲームのように途中でリセットはできません。
自殺をして肉体を殺しても、霊的に死ぬ事はできないため、自殺により問題がより深刻になるためです。
よって、この世の第一目的は、弱肉強食で理不尽な現実であっても、最後まで生き抜く事、すなわち、天寿を全うする事が、最も重要な課題となります。
スピリチュアル的な目的は、精神の成長と自立です。
死後に残る力は、精神力であるサイキックのみです。
よって、現実世界で、自立した精神力を鍛える事が重要です。
☆ 現幽界(現実界と幽界の狭間)
肉体が死ぬと、肉体を捨て、「幽体(アストラル体)」となり4次元の「幽界(アストラル界)」に旅立ちます。
幽体は、生きていた頃の形や、動物的な心や欲望への執着が残っています。
仏教用語で言う死後の「49日」は、現実界と幽界の狭間である「現幽界」に留まり、家族や親類、知り合いをまわります。
この時期に幽霊の目撃談が多発します。
俗に言う「成仏(ジョウブツ)」は、現幽界の幽体が、幽界に旅立つ事を示していますが、仏教の真の意味では無く、仏教用語を流用した俗な言葉です。
また「49日」というのは正確な期間では無く、現幽界に留まっている期間の呼び名です。
現幽界にいる期間は、人それぞれ違います。
病院で植物状態になっている場合は、肉体が生きていても、すでに幽界に旅立っている場合もあります。
また、この世に何らかの執着が有り、幽界に旅立つ事ができないと、現幽界に留まり怨霊となり、地縛霊や浮遊霊などと言われます。
無事、幽界に旅立てると、幽界で人生の反省を10年ほどして、反省が完了すると、幽体を脱ぎ捨て、形のない霊となり、5次元の霊界のグループソウルに帰還します。
そして、再び、来世の計画を立て、その繰り返しが「輪廻」です。
☆幽界(アストラル界)
4次元の幽界は、基本的には真っ白で何も無い無限の空間です。
我々動物は、肉体の眼球で見るためには光が必要であり、光が無いと暗闇になります。
しかし、霊的な存在は、サイキックで見ているため、光は必要なく、幽界に太陽のような光源はありませんが、遠くまで見渡す事が可能です。
幽界では、同じような精神である幽体が「波長の法則」により集まり、独特の世界が誕生します。
幽界は単なる無限の空間ですが、そこに幽体のグループの数の世界が誕生した迷宮となります。
よって、自分の心が暗いと、自分の心の投影として暗い世界が誕生しますが、暗くて見えない訳ではなく、視界はあります。
暗闇の中で、幽霊が見える原理と同じで、目を閉じていても幽霊は見えます。
幽界には、地獄界、餓鬼界、畜生界に分類されるような、三悪道と言われる世界が無数に有り、そこに囚われると、霊界に帰還する事が困難となります。
三悪道の様な世界は、あくまでも、自分の心が映し出す世界であり、そこに自分が執着して囚えられているだけです。
神が地獄に墜とす訳ではありません。
苦しみとは、欲望が満たされない時に生まれます。
欲望とは、動物として生きるために必要な肉体の本能であり、本質的には、肉体の死により欲望は消滅し、苦しみも消滅します。
肉体が無ければ、痛みを感じる神経も無くなるので、痛みや苦しみを感じる事は不可能です。
しかし、肉体の苦しみに執着して、その記憶から離れられなくなる場合もあります。
幽界では、生きていた頃の肉体の欲望への執着から完全には離れていないため、その反省をするわけです。
しかし、肉体の欲望が満たされない苦しみに執着し過ぎると、地獄界、餓鬼界、畜生界に分類される世界を自らの力で生み出してしまい、そこから離れられなくなってしまいます。
地獄とは、自分の苦しみの心が生み出す世界であり、地獄に鬼や悪魔はいません。
また、幽界に天国や極楽はありません。
人生の反省が完了し、幽体を脱ぎ捨て、形の無い霊になる事で、完全に現世欲から離れ、全ての苦しみが消滅します。
苦しみが無い世界が天国であり、5次元の霊界が天国や極楽という事ができます。
したがって、宗教の信仰に関係なく、動物でも誰でもが、天国である霊界に帰還することが可能です。
動物の方が現世に執着が無いため、すんなりと天国へ行く事ができます。
人間は現世欲や苦しみに執着があるため、その執着が天国へ行く障害となります。
また、途中で怨霊になったり、地獄に堕ちて、霊界に帰還することが困難となっても、それは霊の極一部であり、グループソウルから別の魂を派遣できるため、輪廻は可能です。
この場合、前世の自分の魂が、怨霊になったり地獄にいる訳ですから、現在の自分と、前世の自分の魂がツインソウルの関係になります。
☆ 四苦八苦(シクハック)
苦しみの事を仏教では「四苦八苦」と言います。
「四苦」とは、
生、老、病、死(ショウ、ロウ、ビョウ、シ)
の4つの苦しみを示します。
この世に生まれる事で、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみ等のあらゆる苦しみが生まれると言う意味です。
我々は人間という動物であり、苦しみは動物的な肉体が感じる感覚なので、この世に生まれてこなければ、苦しみも存在しません。
動物として生きるための欲望を持ち、その欲望である願いが叶わない事で苦しみが生まれます。
欲望とは、動物としての生存本能であり、呼吸欲、食欲、性欲、承認欲求等、数え切れないほどあります。
例えば「息を吸いたい」という欲望が有るため、窒息して息が吸えなければ、苦しみとなります。
性欲が有るから恋愛感情も生まれ、失恋をすれば苦しみが生まれます。
「八苦」とは、「四苦」に以下の四つを加えます。
⑤愛別離苦「愛する者と別れる苦しみ 」
⑥怨憎会苦「怨み憎しむ者に会う苦しみ 」
⑦ 求不得苦「欲しいものを手に入れることができない苦しみ」
⑧五陰盛苦「人間の身心を形成する物質的精神的現象から苦しみが盛んになる事」
☆アニメや映画の題材としての幽界
4次元の幽界は、映画やアニメでも、頻繁に描かれています。
ドラゴンボールでは、「精神と時の部屋」や「界王星や蛇の道」が幽界です。
界王はセルの爆発により肉体が死にましたが、幽体となっても元々の界王星で生前と同じように暮らしています。
それは、元々、界王星が幽界にあるため、幽体でも住む事ができるからです。
幽界を題材とした代表的な映画としては「奇跡の輝き」があります。
☆奇跡の輝き↓
「奇跡の輝き」では、最愛の家族を事故により全員亡くした絶望により地獄に堕ちた奥さんを、ご主人が助けに行くという感動的なラブストーリーとなっています。
幽界の中にある地獄などの複数の世界が描かれています。
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死後の世界を図にまとめてみました。
視点を変えますが、内容は重複します。