皆に知って欲しい日本とアルメニアの友好のお話 | 世の中の真実を知った上で良い未来を作るブログ

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いろいろ知った人が未来に不安を抱いていますが、知った上で
自分でより良い未来を作る為に明るい所にも目を向けていこうという
趣旨のブログです。

 
私の義母はアルメニア人です。
 
義母のお母さんがオスマントルコに
よるアルメニア人大虐殺で家族を
殺されて11歳の時にアメリカに
渡って来ました。
 
渡って来た、と簡単に言っても
まずは山に隠れ、一緒に逃げた
お祖母さんが山中で1晩で凍死。
 
義母のお母さんは孤児の団体に
助けられてまずはエジプトに行き
受け入れられず、フランスに行って
そこでも受け入れられず、やっと
アメリカに受け入れてもらった
という経緯があります。
 
フランスで再会した親戚の
おじさんはフランスから米国に
行く日に目に炎症を起こしており
渡米の船に乗せてもらえず、
11歳の女の子1人で渡米して
孤児院で暮らしました。
 
 
このような話を聞きアルメニア人の
トルコによる大虐殺の事を知りましたが、
日本とトルコには友情物語があり
(1890年、トルコの難破船を
日本人が助けた。
1985年中東の戦争でイランに
閉じ込められた日本人をトルコ
政府が救出してくれた。)
 
アルメニアと日本にも何か良い
関連性が無いかな?と調べてみたら
ありました。
 
 

 

大虐殺で逃げていたアルメニア人を

日本の商船、東慶丸の日比左三という

船長が救う事を決断した話↓

 

商船だったのに、荷物を捨てて

大勢の人を乗せました。

 

 

詳しい事に興味がある方はこちら↓

 

 

 

そして次は日本人がアルメニア人に

救ってもらったお話↓

 

13分30秒頃からその話が出て来ます。

(冒頭では2年前のコロナワクチンの話が

出て来ますが、非常に懐かしくも

感じます)

 

 

第二次世界大戦の時、米国にいた

日本人は敵性国の人間として日系人強制

収容所に入れられる事になり、

農地なども含み全財産を二束三文で

買い取られ失いました。

 

その時、日本人と良い関係で

近隣で暮らしていたアルメニア人は

日本人の土地を守ってくれていた

そうです。友好を示す慰霊塔も

あります。

 

 

このような関連があり、私も

とてもアルメニアに興味が湧き

いろいろ文化を学んでいます。

 

 

 

世界平和を達成する為には

上の方の人が戦争を止めるだけでなく

個人個人が他国を知り好きになる事が

重要だと思うので私はこれからも

いろんな国の事を学んで好きになって

いこうと思います。

 

 

ちなみに、トルコ人による

アルメニア人大虐殺は「無かった」

と唱える国もあります。日本もまだ

認めていない国の一つです。

 

 

 

今日もありがとうございました。