マンザナー収容所の訪問記3です。
パート1
パート2
マンザナー収容所跡地は
物凄く広くて見学できる範囲
だけでも甲子園球場でいうと
約15~20個分あります。
収容所本体では約40個分、
農地なども含めたら460個分
ぐらいでとても広いので、
徒歩と車で跡地を見て回る
スタイルです。
(全体像ではなく一部)
庭園跡地から病院跡地へ
車で向かう途中、車のお腹?の
部分から変な音が鳴り始めました。
車を停めて底を見てみると、
大きな枝が引っかかってたんです。
そんなの曳いた覚えないのに。
夫の体は大き過ぎたので
私が地面にうつ伏せになり
車体と地面の間に体を無理やり
突っ込んで引っかかってる枝に
手を伸ばしました。
顔すらも地面についてたの
ですが、やるしかありません。
必死でその枝を取り去り
地面から顔を上げた瞬間、
ブワーーーーーって何かの
意識が入ってきたんです。
その瞬間、バタンと倒れた
ような衝撃が体に走って
(実際には寝転んでただけ)
地面から見えていた砂利・
草木・空の景色が
「当時ここで倒れた人達が
見た景色」という感覚になって
襲ってきました。
暴動や喧嘩だけじゃなく、
工事や修理中とかに地面に寝転ぶ
必要があった人もいたでしょうし、
小さい子が遊んでて地面に
転げていた事もあったかも
知れない。
なんとも言えない、懐かしい
ような奇妙な感覚になって
すぐに立ち上がれませんでした。
理解してもらえるわけがないと
思ったので夫にも何も言わず。。
なんか自分が自分でないような
感じのまま次のポイントへ。
病院跡地です。
収容された1942年春の仮設病院は
水も設備もほとんどなかったけど
その年の7月には250床ある
本格的な病院がスタートしました。
ここでは、1万人の収容者を
たった5人の医師で診ていました。
看護師、歯科医、薬剤師、
検査技師、事務員など290人が
働いていましたが、ほとんどが
日系人でした。
(米国人もいた)
産科では541人の赤ちゃんが
生まれました。
調乳室があり、そこでしっかり
管理されたミルクを配っていました。
なんと、病院にも庭園が造られて
いたんです。凄いですよね。
病院跡地からまた車で移動し、
TVなどでも見た事がある有名な
慰霊塔へ。
いつか来たい、と思っていた
念願の場所です。
これほど美しいものが80年以上も
前に作られたとは。
後ろに見えるのはシエラネバダ山脈
(高い所で標高が4389m)
この慰霊塔は裏側に
「千九百四十三年 八月
満砂那日本人建之」
と書かれています。
マンザナーの当て字で満砂那。
砂の満ちる美しく豊かな所、
という意味にしたんですね。
なんかもう美し過ぎて。。。(涙)
慰霊塔は、収容者の満場一致で
作りたいとの思いから全世帯から
500円弱ずつを集めました。
(現代の価値で)
設計・施工は門田良三さん
という石工職人さんが担当。
(カトリック教徒)
題字・書を長富信定さんが担当。
(浄土真宗の僧侶)
青年仏教会のメンバーが
手伝いました。
これは宗教を超えた記念碑であり
墓地でした。
(現在でも慰霊祭が行われている)
ここにはいくつか個別のお墓
(跡地含め)があります。
私は「よそ様のお墓だから」と
スルーしようとしました。
チャンネルを合わせないように
する、って感じで。
さて、帰ろうか。と思った瞬間、
かかとに棘が刺さったんです!
なんでーーー!?
「せっかく来たんだから、
ちゃんとお参りして行ってよ」
って言われたように感じたので
すぐさま棘を抜き、お墓に
お参りしました。
なんか不思議な事が続いたなぁ。。
しっかりお参りし、次の場所へ。
これは、収容所で働いていた
民間のアメリカ人の家です。
中を覗いてみたら、こんな感じ
ちょっと電気系統の物が見えます。
ここで働いていた米国人達にも
いろんなドラマがあったん
でしょうね。
実は、マンザナーではネイティブ
インディアンのパイユート族の
人達も働いていました。
(マンザナーのエリアの人達)
パイユートの人達は、自分達も
土地を奪われるという経験を
してるので、同じ目に遭ってる
日系人にシンパシーを感じて、
仲良く過ごしていたそう。
なんかネイティブインディアンの
人達と日本人ってちょこちょこ
繋がりがあるのが不思議。
紹介はここまでです。
どうですか?
日系人の逞しさ、米国側の
協力体制など、あまり知らされて
来なかった面が見えましたよね。
(番外編に続きます。)
この後、20分ほど離れた
ローンパインという街に出ました。
マンザナーで働いていた米国人も
ときどき遊びに来てたそうです。
ローンパインの街にある
メリーゴーランドという
中華&米国料理のお店。
面白い雰囲気だけど1957年創業
という結構な老舗。
マンザナーにいた日米の人達も
このお店に来てたかも知れない!
どんぶり鉢に山盛りのスープ
(中サイズだったのに)を飲み
お腹がちゃぷちゃぷでしたが、
やっぱりもう1回マンザナーに
戻りたくなって再び訪問する事に。。。
(車で回れるエリアは日暮れまで
開いてます。)
ここで
「家に帰ったら、必ずみなさんの
暮らしについて日本人に伝えます」
と強く誓いました。
そして今ここでブログに書いてます。
施設の紹介は終わりますが
番外編に続きます。
今日もありがとうございました。









