いきなりみなさんの思いを否定するようなタイトルで失礼いたします。
「信じてください」とは言いません。
私の直感的な思いを書きます。
昨年末に書いたブログに
「1年前のちょうど今頃は、たくさん神社に行っていました。しかし、今年はなぜか行きたいという気持ちにはなりません。神社には神様はいないと思っているからかもしれません。」と書きました。
2021年12月31日のブログ
確かに2020年の12月は10社ほどの神社に行っていました。
行ったというか引き寄せられていたのかもしれません。
2021年01月02日のブログ
今は、神社について「神様はいない」という感覚は変わりません。
神様という存在 = 人間の心・生活の支え = 依存 だと思っています。
そして、神様という「存在」を作ることで、
崇拝 = 信じるものを支配する = 統治 となっていく。
それをより強固なものにするのが、「神社」や「お寺」になってくると思います。
そして、行き着く先は「支配」であり、「搾取」であり、「お金儲け」になります。
人間の「依存心」が、「支配構造」を作り、「支配者が利益を得る」ということになります。
ほどんとの人は気づいていないでしょう。
だから、「神社参拝をし、神様にお願いごとをする」のです。
「バチが当たる」というのも「崇拝」することで出てくる言葉であり、「罪悪感」を持っていて、たまたま良くないと思うことが起こると自分自身で「バチ」と関連づけているにすぎないのです。
そして、そのバチが当たるという「罪悪感」を持たせることが、「崇拝」する力を強めていくわけです。
神社に出向くこと、神を信じることは、宗教となんら変わりはありません。
「正しい生き方をしないと天国に行けない。」と洗脳され、あれは食べてはだめ、これなら食べてもいいと支配層が勝ってに決めつけ、「崇拝」する人たちを支配し、強いては洗脳していく。
「葬儀」も同じこと、死者にとっては「お経」は意味のないものであり、生きている者たちが勝手に「意味付け」しているだけ。
葬儀もお墓もすべて、人間の心の弱さ、依存心をうまく利用した「支配」、そして「お金儲け」にすぎないのです。
香典、お布施...
これらの「根本的な原因」を言いましょう。
ズバリ!「依存心」、「他人軸」からきているのです。
要するに、人間の「弱み」をよく知っている「悪」にうまく利用されているのです。
「悪」は言い過ぎと言われるかもしれませんが、当人が「悪」と気づいていないのです。
ご理解いただけましたでしょうか。
かつて依存について書いたこともありました。
2021年05月16日のブログ
最後に、「神社の真実」を書いたブログがあったのでご紹介します。
私は天照大御神も神ではないと思いますが... 宇宙人?
そもそも「人」として存在したものを祀る神社は「神」がいると言えるのでしょうか?
私は「神」=「人間」ではないと思うので、亡くなった人を神に仕立て上げ祀っている神社は単なる「金儲け」にすぎないと思います。
さあ、あなたはどう捉えるでしょうか。
私は、「神」=「自分」であり、自分の中にしか「神」は存在しないと思っています。
つまり、自分を信じていれば、神は必要ない(依存の必要がない)ということです。