ディーダラスのひこーき工房 ~Dedalus's Aviation Studio~ -6ページ目

ディーダラスのひこーき工房 ~Dedalus's Aviation Studio~

「ホップ、すてっぷ、ジャンプしたらそのまま飛んでいけ!」
 "Hop, step, jump and fly away!" This is the studio to build "airplanes" from materials in the storehouse in my brain...

出張で金沢に来た。
時間があったので、兼六園に行ってみた。

兼六園には随分前に家族と来たはずなのに、何一つ覚えていない自分の記憶力が切なかった。

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大学入試の時期だねー、と思ってたらこんなニュースが。


京都大学二次試験で不正行為

〈抜粋〉
 25、26日に行われた京都大学の2次試験で、数学と英語の問題の一部が試験時間中にインターネットサイト「ヤフー知恵袋」の質問掲示板に投稿されていたことが26日、分かった。京大は「受験生が携帯電話を使い、不正に投稿した疑いがある」として調査を始めた。同一とみられる人物は、同志社大学(京都市)の英語の入試問題を試験時間中にネットに投稿していたことが判明。また、立教大学(東京都)の英語の入試問題も投稿していた可能性があることが分かった。


 電子機器がこれだけ発達してると、このくらいの話は出るよなー。筆記用具か衣服にカメラを仕込んで、外部に画像を送信。外部の協力者が知恵袋で答えを聞いて、試験会場に音声で返信。本人は小型のイヤホンで答えを聞く、って感じか。
 
 Yahoo!知恵袋自体、中高生が英語の教科書の文を載せて「訳してください」なんてしょっちゅう頼んでるから、入試で同じことを考えるバカがいてもおかしくない。

 「知恵袋はバカの質問にバカが答える場所」とはよく言うけど、ある意味当たってる。教科書の和訳は訳を自分でする過程で英語の解釈力をつけるのが目的なのに、それを他人に頼んで何の力をつけるつもりなのか。バカになるために努力しているとしか思えない。

 「点数を取る」「良い成績をとる」ことを目的にしている人間には失敗しか待っていない。人生は勝負の連続で、その勝負に毎回勝てるとは限らない。結果さえ見栄えが良ければいいと思っている人間は実力がないから、どっかの勝負で必ず負け、しかも「負け=絶対敗者」の思考が染みついているから、すぐに挫折する。

 「強くなる」「賢くなる」ことを目的にしている人間にとって、「負け」は自分を鍛えるための契機でしかない。だから「負け」=「絶対敗者」ではないし、挫折でがっかりする前に自分を鍛える方に目が向く。そういう人間には「失敗」という概念がないと言い換えてもいい。

 発明王のエジソンは、電球を発明する前に10,000もの「つかない」電球を試作したという。やっと電球が完成したとき、意地悪な新聞記者がこう聞いた。「10,000回も失敗したときのお気持ちはどうでしたか?」

 エジソンはこう答えた。「失敗なんかしていないよ。10,000通りの、電球ができない方法を見つけたんだ」

 目指すのはどこなのか。嘘でもいいから「優秀」という評判が欲しいのか。それとも、より良い人生を送るために、本当に強く賢くなりたいのか。目線の高さは全ての行動に表れるものだ。
AppleのCEO、スティーブ・ジョブスのプレゼンを解説した本を読んだ。

「スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン」

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則
スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則
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 プレゼンの技術論だと思って読んだら(それも含まれてはいるものの)、ジョブズの人生哲学がふんだんに含まれた本だった。

 この本によれば、iPod、iPhone、iPadなど、夢のような製品を次々世に送り出しているApple社だが、ジョブズが売りたいのはこういった製品そのものではない。
 彼が提供したいのは、その製品によって得られる「すばらしい体験」そして、問題が解決された「未来」。ジョブズは「より良い未来」をもたらすことに情熱を傾けているのだという。

 偉大なことをする人物はみな、この「人類とその社会を良い方向へ導く」ことに情熱を燃やしている。

 スターバックス社社長のハワード・シュルツもそうだ。彼がはコーヒーを売っているのではない。彼が目的としているのは、「家と会社の間の第三の空間」を提供すること。それによって人々に安らぎを与えることだ。

 アフガニスタンで地域医療に尽力する、ペシャワール会医療サービス総院長の中村哲も、おそらく「病気を治す」ことが自分の仕事だとは思っていない。「社会を良くし、人を幸せにすること」を目的にしている。
 そうでなければ、人の命を救うためとはいえ、井戸を掘り、運河まで作ることはできない。 

 製品やサービスの提供とそれによって得られる対価自体を目的とするのではなく、もっとはるか先に目標を定め、情熱を傾ける。そんな生き方に共感する。
 「職業に貴賎はない」とはよく言われることだ。その日暮らしの生活でも幸せを感じる人はいるだろうし、他人のことなど考えずとも高い地位につき、大金を手にしている人もいるだろう。

 しかし、どうせなら人類を幸せにする情熱を持って生きたいもんだ。
 新年あけましておめでとうございます。

 実は昨年11月末、4年間使い続けてきたパソコンが、動かなくなった。
 原因は無線LAN化しようとしてインストールしたソフトらしい。インストール直後にパソコンが立ち上がらなくなった。いろいろ試したが、うんともすんとも言わない。

 仕方ない、買い替えだ、とその後悩みに悩んだ結果、WindowsからMacへの乗り換えを決意。
 せっかくだから、いっそWindowsそのものを脱却しよう、と思い立ち、「15インチ MacBook Pro MC373J/A」を買いました。しかも最上位のIntel Core 7i 2.66GHz、500GB。


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MacBook Pro 15インチ

 前回のパソコンが「使えればいいや」と安い物を買ったのだけれど、あっという間にスペックが時代遅れになってずいぶん不便な思いをしたので、今回は分不相応なくらいにスペックの高いものを購入。周囲からは「CGデザイナーにでもなるのか」「家でハエを殺そうとしてバズーカを買うようなもんだ」の声多数。でもいいのだ。チャレンジ精神と自己満足優先の買い物だから。

 自己満足はとどまることなく、さらにこれにエミュレーターのParallels Desktopと、Windows7(64bit)をインストールし、MacとWindowsの同時使用を可能にし、メモリも8GBに増設した。バズーカどころか、ビームライフルくらいになった感がある。でもいいのだ(以下省略。)

 たいていのことはできるはずのこのマシン、使い方は現在勉強中。
 まだ使用一ヶ月だけど、やっぱりMacってすごいなー。作った人間のセンスの良さが光ってる。
文部科学省が作成した新指導要領では、小学校では「5年生から英語を指導すること」、そして高校では「英語を使って授業をすること」が明記されている。

「英語を中学から勉強しているのに話せるようにならない」「学校英語は役に立たない」という言葉を耳にすることは多い。しかし、「英語を早い時期に」教え、「英語で授業」をすれば、それは解消されるのだろうか。そして、そもそも「英語を話せるようになる」のがそんなに重要なことなのだろうか。

自分の貧弱な英語学習体験に照らし合わせてみても、新指導要領の内容には疑問を感じる。
そんな俺が最近読んで、自分の疑問の本質がはっきり分かったと思ったのがこの本。

英語教育が亡びるとき―「英語で授業」のイデオロギー― 英語教育が亡びるとき―「英語で授業」のイデオロギー―
著者:寺島 隆吉
明石書店(2009-09-28)
販売元:Amazon.co.jp
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実はこの本、昨年9月に出版されていたのだが、この1年余りの間、俺はなかなか読む気が起きなかった。

その理由の一つは、アマゾンに載っていたレビュー。この本にレビューをつけたある人の文では、この本を「批判のための批判」と断定して☆1つで評価していたのだ。
「なんだ、そんな本か。なら読まなくてもいいな」と思っていたのだが、他の人のレビューが増えるにつれて、どうやらそんな内容の本ではないようだ、と思えてきた。
そこで実際読んでみたら…「批判のための批判」だなんてとんでもない。ものすごく誠実かつフェアで根拠もしっかりした、内容のある本だった。

さては最初のレビュアー、本を読まないでレビュー書きやがったな。または、筆者に悪意を持った人間だったのか。

筆者の寺島隆吉先生は、元岐阜大学教授で、長年現場で英語教育に携わってきた人。いわゆる「底辺校」への勤務経験もある、たたき上げの先生だ。

肝心の内容だが、まず「日本人が英語を使えない」の本質を、資料や文献を上げて詳細に分析している。それを簡単にまとめると、

1.英語と日本語は文法体系も語彙も全くかけ離れている言語であり(「言語的距離」を10段階で表すと、この二言語は最大の「10」離れている)、そもそも修得が困難である。

2.そして何より、「日常で使わない」。一歩外に出れば日本で「生活言語」として英語を使う機会はほぼ皆無である。

筆者は、英語の「生活言語」としての側面と、「学習言語」としての側面を明確に区別している。普通の学生なら英語を話す機会がほとんどない日本で、生活言語としての英語を教えることに意味はない、とする意見には、全くその通りだ、とうなずいた。
海外旅行のために覚えると言ったところで、生涯でそんな機会が何度あるのか(「ビジネスで世界を飛び回っている人ならたくさんいる」という人もいるかもしれないが、「だから高校では英会話を教えろ」というのは飛躍しすぎだ。詳しくは後述する)。
高校生に必要な英語とは、そんな数少ない英会話の機会に備えた「生活言語」としての英語ではなく、「学習言語」としての英語であり、論理的思考につなげることができるほどの深い「読み」の能力である、と筆者は言う。
深い「読み」の実践からそれを「書く」ことの実践へつなげ、それをもとに「聞く」「話す」能力へと発展させるべきだという筆者の主張は、言われてみれば当然と思えた。

ちなみに、筆者は「会話力が必要ない」とか「スピーキングやリスニング活動は必要ない」と言っているのではない。

外国語として英語を学ぶ者にとって、会話力の基礎となるのは、確かな文法と語彙、それらを駆使して「読み」「書く」力だ、と言っているのだ。
そして、高校はそういった基礎を学ばせる場とし、ビジネス英語などについては、必要になったときにすぐその場を提供できる体制を作ることで対応可能だ、としているのである。これももっともだ。

また、筆者はヴィゴツキーの「思考と言語」を引用して、英語の習得過程についても説明している。それによれば、母語として英語を身につける者と、外国語として英語を学ぶ者の習得過程は、全くの逆をたどる。つまり、母語話者が音声から入り、文法を意識せずに話すことを覚えてから、後にその文法構造を意識するのに対し、外国語として学ぶものはその逆の順で言語を身につけていく。
これは、「わたし『は』とわたし『が』の違いは何ですか?」と外国人に尋ねられたときのことを考えれば想像がつく(日本語については、並みの日本人よりも、日本語を学ぶ外国人の方が文法に詳しいことは、ままある)。

そして、外国語として学ぶ場合には、この「文法から学ぶ」ことは欠かせない。これは、例えば「韓国に旅行するとき、ガイドブックの『ひとこと韓国語会話」のフレーズを覚えて行くが、帰ってからしばらくたつときれいさっぱり忘れてしまっている」という例を考えてみればいい。文法に根差さず、しかも日常生活でも使わない言語知識は、「すぐに忘れる」のだ。もし英語で英文法を教えず、「ひとことフレーズ」のような会話練習に終始すれば、すぐ忘れるうえに、たとえ覚えていても応用はきかないだろう。

だから、「子どもは文法なんて知らずに英語を話せるようになるのだから、英文法なんて必要ないんじゃないか」という意見は、「生活言語」と「学習言語」を混同しているうえに、言語の習得過程も無視した暴論なのだ。

そして何より、会話力ばかりを強調する人は、「なぜ英語を学ぶのか」「英語を学ぶことでどんな力を身につけるのか」といった問題に対する考察も抜け落ちている(か、浅い)。

筆者は英語を学ぶことの意義を、自国語への感覚を高め、思考力を高めることに結び付け、さらには情報を読み解く「メディア・リテラシー」にまでつなげることを提唱している(これを筆者は、「アメリカのようにならないように、英語を学ぶ」と表現している)。これについても、全くの同意だ。逆に、そうでなければ、英語を学ぶ意義なんてないのではないか、と俺も思う。

新指導要領では、英語でディベートができることを一つの目標としているようだが、ディベートには高度な論理的思考が必要であり、日本語ですらそれができる高校生は決して多くない。それを日本全国の高校生の到達目標に据えるのは無謀そのものである。

そしてその無謀な目標をなんとかして具現化しろと全国の教員は圧力をかけられ、無駄にエネルギーを消耗させられている。

俺はこれが、「屏風の虎を捕まえろ、ただし虎を追い出すのもお前がやれ」と言われるのに等しい無理難題だと思う。

そんなことにエネルギーを費やすのはやめて、高校まででは日本人の多数に最も必要な「読む」「書く」の力をしっかりつけてやればいい。

ここ15年ほどでインターネットの世界は飛躍的に広がった。世界がコンピューターでつながるという、いまだかつて人類が経験したことのない時代で、まず必要なのは、世界にあふれる情報を「読み解き」、自分の考えを「書いて発信する」力ではないかと思う。
「ビジネスの場面でも通用する英語を」と大人が望むのは分かるが、それを日本人全員に望むのは無茶な上に、無駄が多い。
そんなことに労力と金を費やすのはやめて、全員に学ばせることと、希望者が学ぶことを分けてはどうなのか。

この本で筆者は、基礎的な「読み」「書き」は高校までで身につけさせ、その後は必要に応じて「無料の外国語研修の場」を提供してはどうか、と主張している。俺もこの意見に全面的に賛成する。
これなら大学等の施設を利用して実施できる。政府にとっては最小の労力で日本人の外国語の能力を最大限伸ばせるだろう。

他にも示唆に富んだ提言が多くなされているこの本、隅から隅までもっともな意見で埋め尽くされていた。
英語関係者だけでなく、子どもを持つ全ての親が読むべき本だと思う。