100点取れる実力がある人が、努力なく取った70点
同じ70点という結果には変わらないが、どちらが評価されるだろうか。
100点を目指し、誰もが認める精一杯の努力した50点
100点取れる実力がある人が、努力なく取った70点
この場合はどうだろうか?
結果は後者の方が出している。前者と20点も開きがある。
しかし僕はやっぱり後者は評価出来ない。
尊敬も出来ないし、信用も出来ない。
それは同じ夢を追えないから。
同じ温度感で感情を分かち合えないから。
喜びとか悲しみとかね。
やっぱり『不器用でも一生懸命』がカッコいいし、僕は好き。
泥臭くて人間臭いのが好きだなぁ。
手を抜いて、そこそこでそれなりの結果を出し、その場しのぎの生き方も選択としてはあると思う。
でも僕はそんな人と一緒に居ても楽しくないし、会話してても合わないと思う。
今、色々試されてて。
これからももっともっと試されるんだと思う。
理念とかビジョンにね。
理念に通ずる社風でないと体現は難しいし、
ビジョンに食らいついていかないと実現は難しい。
志高く、理想が高ければ高いほど、
目標が高ければ高いほど、
そこそこでは立ち向かえない。
手を抜いて70点では勝てない。
でも全力でやり切った70点ならまだまだ戦える。
夢が夢を生み、もっともっと出来なかったことが出来るようになるんだと思う。
やっぱり妥協はダメだね。
何もプラスを生まない気がする。
こんな話がある。
人は報酬を求めて生きる動物。
お金とか地位とか名誉とか、
認められたい、褒められたいとかね。
でも結果や成果を出すとか、
評価されるとか、給与が上がるとか、
保証もないし、いつ実現するか分からない。
だから、すぐにでも得られる報酬についつい流されてしまう。
楽とか、
サボるとかね。
目先の報酬として、すぐにでも自分の意思で手に入れられて、
楽して、手を抜いて、時給や月給を稼げるんだから何だか得をした気分になるのかな。
上司が見ているところだけ努力している風で、
なんとなく評価されることもあるだろうし、
逆にそれさえ抑えておけば、見られるところだけやってる風でなんとかやっておけば、後は適当にした方が楽だしねって。
で、結果がどうであれ、固定の報酬は得られる。
でもそれって本当に得してるのかな?
信用残高や信頼残高は貯まってるのかな?
自分の自信や仕事のやり甲斐は得られてるのかな?
自分の人生という貴重な時間を投資と言えるのかな?
それて生き抜く力は身につくのかな?
仲間と切磋琢磨し、夢を追いかけられるのかな?
チームに貢献出来ているのかな?
一生涯付き合えるそんな仲間になれるのかな?
目先の楽を選び、それが得だという考え方は、
結果的に大切なものを得る権利を放棄しているのと同じこと。
だから、同じ70点でも中身が違う。
重みが違う。
これは絶対に誤魔化せない事実。
特に自分自身において。
うちは本当に仲間に恵まれている。
自慢できるくらい。
(他社の皆様申し訳ありません。手前味噌です…)
(社員さんやアルバイトさんに語りかけるブログですから!笑)
でも今一度、チームに貢献できているか、
自分自身の人生という大切な時間に投資する生き方が出来ているか、
みんなで考えてみよう。
100点が素晴らしい訳ではない。
高得点が素晴らしいのではない。
獲った点が何点であれ、周りから賞賛される位の努力で勝ち取った点が素晴らしい。
先日とあることで、「感謝」の反対は「当たり前」だと、久しぶりに怒った。
ピュアさを大切に自分から何に貢献するか。
一人ひとりが会社にとって、お店にとってかけがえのない人間だという自覚を持って、
遠慮せず、誰かの陰に隠れず、
みんなが己を磨く、そんな環境にしていきたいと僕は思う。
今日は飛行機の中、あまりにも暇すぎたから長文だよ!笑
明日は人生初のフルマラソンに挑戦してきます。
お店を守るすべてのメンバーがいるからこそチャレンジできます。
本当にありがとう!
自分と戦ってきます!
死ぬ気で完走してきます!
あと15分で那覇に到着!笑