pともち日記qω・。) -7ページ目

入院十四日目

今日も朝一面会へ行ってきました。

病室に入ると、お母さんは朝食の時間でした。
ここ最近横になったままの時が多かったのですが、今日はちゃんと起き上がって、今にも、もりもりとご飯を食べそうな雰囲気でした(@_@)
昨日手術して一晩眠っていて、心配だったから少しビックリ

「おはよう」と声をかけてベッド横の椅子に座ると、昨日手術したのは覚えていないかのように、ご飯を食べようとしています。
「昨日叔母さんもおいしくなくても食べないとダメだよって言ってたんだから食べないとね^^」と言うと
「そうだな。痩せちゃうからね」と言いながらお箸で塩むすびを梅干しと交互に少しずつ食べてました。昨日までは味があるものは全て気持ち悪くなるような状態だったのに、今日は塩味しかないおにぎりでは物足りないかのようでした。

お母さんは「昨日はぐっすり寝ちゃったわ~。」と言っていて、夢を見たのか、お薬の影響か、海苔が気になるのか?食べたいのか?やたら海苔の事を言っていました。明日、海苔の佃煮の瓶詰めを持って行ってあげよう。食べられたら嬉しい。

そしていつも通り「行って来るね」と言って病院を出ました。


そして昼間、義姉からメールが来ていました。
朝、お母さんに会いに行ったら少し食べられるみたいでヨーグルトを食べて、もうなくなってしまったらしいです。そして今週、採血して大丈夫だったら腹水を抜いて抗がん剤の治療を始めると先生が言っていたと。
これまた心配で、なんとなく緊張します。

抗がん剤が効いたら少しは元気になるのかな?
それとも副作用で今より辛くなるのかな?

少しでもいいから、元気になる事を祈って…




入院十三日目②

今日はお母さんの姉である叔母さんがお見舞いに来てくれました。

年が一回り近く離れていて、唯一の女兄弟なのでお母さんにとって頼りの存在です。
お母さんが手術前に面会も間に合いました。お母さんも喜んでくれたかな?

叔母さんを迎えに行ってくれた兄(次男)にも感謝です。自分も病気なのに、ただでさえ神経質なのに、叔母さんの家まで2往復もして疲れたでしょ?今日はゆっくり休んでね。

一旦家へ帰った兄の家へ叔母さんを送り届け、手術が終わり病院から電話がありまた病院へ戻りました。

病室へ入るとお母さんは夜は安静にする為に痛み止めと安定剤とぼーっとする薬で眠っていました。
手術中、血圧も安定していて大丈夫でしたよ。とのこと。
後は管を抜かない事を祈ります。

先生から無事管が入りましたよ。と手術の説明を受け、今日は早めに帰宅しました。
上手く行くといいな。

腕には点滴、右脇腹にはお腹の水を抜く管、左脇腹には尿を出す管。
こんなに色々と体に刺さっていてごめんね。

お母さん一緒にがんばろうね

入院十三日目

朝、先生のお話を聞きに病院へ行ってきました

お母さんはお腹の水に続いて今度は尿が溜まってしまうようになってしまいました。

本人は左の脇腹が痛いと訴えています。腰が痛いのかと思ったけど、原因は尿が出ないせいでした。

りんごを小さく切って持って行ったので食べさせてあげると、昨日と同じく戻してしまいました。本格的に食べられなくなっています。

昨日、治療の話をしたばかりなのに急遽変更です。
管を通して尿を出せるように手術する事になりました。先生からもお母さんに話をしてもらい、少し痛いけどがんばろうねと言われました。

先生も癌の進行の速さに少し驚いている様子。
こちらがお腹の水を抜いて対策を考えているうちに、次は腎臓の尿の通り道を両方通れなくしてしまいました。
癌に抵抗されて、先手を打たれているかのようです。
今日ほぼ決まりました。
次また何かあった時はもう手術などはせずに、痛み、苦しみを取り除くだけにしようと。
何か起きては手術して、痛みと苦しみを続けるのはどうなのか。
それならば元の生活には戻れないけれど、少しでも穏やかに最後の時間を過ごしたほうがいいのではないか。
お母さんに残された時間は私達が思っていたより短いみたいです。

入院して十三日、異変に気付き病院に通いだして一ヶ月ちょっと
あまりにも急すぎて心がついていけていません。

お母さんもどんな気持ちでいるのか…

私がしっかりしなくてはいけないのでしょうが出来る訳もなく、ただ色々考えてしまいます。

出来るだけお母さんの側に居てあげなきゃいけないのに、辛そうにしているお母さんの側にいるのが辛いと感じてしまう時もあり、ひどい娘です。

ごめんお母さん

これでも一生懸命がんばってるんだよ