pともち日記qω・。) -6ページ目

入院十六日目

今日も朝一病院へ行きました。

病室に入ると、朝食中です。今日も食欲がありません。「毎日動かないから食べたくないんだよね~」と言って今日もごはんを見つめています。

「アイスない?」
と言うのでフルーツ味のアイスを渡しましたが、やっぱりダメでした。
代わりに私がアイスを食べながら出勤です。

明日はお休みで叔父さんがお見舞いに来てくれると、朝電話が来ました。

お母さんは手術の日に叔母さんがお見舞いに来てくれたのを忘れていました。認知症が進行したのか、薬で記憶が曖昧なのか、入院生活で日付の感覚が無くなっているのか、わかりません。

おばあちゃんの話

先日、叔母さんがお見舞いに来てくれた時に、お母さんのお母さん、私からみたら、おばあちゃんの話を聞きました。

確か私が小学生の時におじいちゃんが亡くなり、次に従兄弟が交通事故で亡くなり、おばあちゃんは中学生の時に亡くなりました。

お母さんの実家は農家をやっており、おばあちゃんは田んぼや畑を常に気にする人で年をとってからも、田んぼや庭の草むしりをしていたそうです。

兄もパジャマ姿で草むしりをするおばあちゃんの姿を見た事があると言っていました。

おばあちゃんも年をとり、腰が曲がり、やがて歩くのも困難になった時、おばあちゃんはどのように過ごしていたのか?

当時、介護保険などない時代。老人ホームは高額で入所する人はまだまだ少ない時代でした。

おばあちゃんはおじいちゃんに先立たれ、足腰が弱くなった時、誰もいない家に、一人留守番していたそうです。
叔母さんが実家に行った時、おばあちゃんが下半身を出したままいて、「下半身出したままでどうしたの?」と尋ねると、トイレに行っても腰が曲がっているからズボンが上げられなかった。でも、誰も居ないから出したままでいるしかなかったと。
トイレに行きたくて廊下を這って行くも、トイレまで間に合わない時もあった事でしょう。間に合わなくても着替る事も出来ない。
寝たきりになっても、今のような機能的なオムツもなければ、ヘルパーさんも居ない。朝オムツを履いても替えてくれる人は居ない。当然オムツは吸収出来ずに漏れてしまう。
お尻はただれ、床擦れにもなる。

そして、おばあちゃんは亡くなったそうです。

おばあちゃんはおじいちゃんが亡くなった時、「ばあさんは俺より若いんだから、もう少し家の役にたってから来い。」と言われていたそうです。

兄が見たパジャマ姿で草むしりをしていたおばあちゃんは、認知症になっていても日課である草むしりをしていた姿だったのかもしれません。

叔母さんも何度か見た事があるけど、かわいそうだったと言っていました。

今なら老人虐待とか言われそうだけど、昔はおばあちゃんのような、お年寄りがたくさん居たのかもしれません。

がまん強く耐えていたのかも。

実家のお嫁さんが介護を放棄していたのかもしれません。詳しい事はまったくわかりません。ただすごくすごく悲しいです。


自分だったら、こんな悲しい事にはなりたくないなぁ

入院十五日目

今日も朝一病院へ行きました。

今日も食欲があることを祈って

病室に入ると朝食中です
けれど今日は食欲があまりないみたい
残念です

ベッド周りを片付けていると
「どこか行くの?もう帰るの?」
と聞かれました。
「ううん。まだだよ。早く治さないとね」

久しぶりに帰りたそうなお母さん。
ごめんね。

尿を出す為の管の先についた容器には少し尿が溜まっていました。
手術後の様子はまだ聞いていないので状態はよくわかりません。

今日も少しだけ面会して、お母さんに行って来ます。と言って病院を出ました。
あと、高額医療費の限度額適用認定証の交付の手続きを職場でお願いしていたのですが、今日いつ頃に届くのか確認の電話をしたところ、書類が職場の担当者にうまく渡らず遅くなってました(T-T)
病院が待てないようでしたら立て替えて頂いて還付の手続きに切り替えましょうって><

頼むよ担当者(-_-;)

金額聞くの恐いです。

立て替え出来るかしら(^^;?