彼の声

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彼の声 2024.7.22 「取り返しのつかない事態」

voice-163

 人は誰でもそうなるわけでもなく、精神面
でも肉体面でも真っ当な感覚というのが人に
よっても立場によってもある程度は違ってい
ても構わないが、その人が信じている価値観
やそれに基づいた意見や主張などが完全に一
致しなくても、それなりに重なる部分がない
と、人と人との間で交流も共感も連帯も生じ
なくなってしまうから、真っ当に思われる態
度や姿勢や感覚などに関しては、常識的で妥
当に感じられる範囲内で一致する面や重なる
部分がそれなりにありそうだが、たとえ違っ
ている面が目立っていても、ある種の傾向に
囚われた人々と別の傾向に囚われた人々との
間で社会の中でうまく妥協や譲歩を伴った棲
み分けが成り立っていれば、表面上は平静が
保たれているように見えるだろうが、それで
も対立が表面化してくれば異なる価値観に基
づいた意見や主張や見方や考え方が衝突して、
争いに発展するかも知れないし、たとえそう
なっても程度や傾向によっては表面化しない
で穏便に済ませられる可能性もあるだろうか
ら、見かけ上は平静が保たれていれば、それ
ではまずいわけでもなければ、ことさらに問
題視する必要も生じてこないはずだが、それ
でもわざと寝た子を起こすようなマネをやる
のが煽動者の常套手段だろうから、そんなこ
とをやっているのを見かけたら、何か別の目
的や狙いがあってそんなことをやっていると
見ておいても構わないが、それがどんな目的
や狙いなのかが、やっている当人にもわかっ
ていない場合もありそうだが、その場の成り
行きに引きずられて当初には思ってもみなか
った違いを煽り立てるようなことになってし
まうと、それと気づかないうちに取り返しの
つかないような事態に陥ってしまって、もは
や妥協も譲歩も不可能な対立に至ってしまう
場合もありそうで、そうならないうちに何と
かしなければならない現状なのかというと、
誰もそうは思っていないのかも知れないし、
人によってはそうなってしまった方がかえっ
て好都合なのかも知れず、そんな状況を利用
してやれることがありそうに思われるなら、
それをやってもらえばいいはずだが、それが
多くの人々にとっては非常識がまかり通って
いる状況になってしまい、そんな非常識なこ
とをやっている人や団体に対してメディアが
脚光を浴びせる事態になっていそうなのだが、
そうなっている限りですでに世界が激動の時
代に突入していて、しかも多くの人々がそれ
に気づいていないのかも知れず、気づいてい
ないうちにやってしまえばいいと誰が思って
いるわけではなく、そんなことをやっている
人や団体でさえ気づいていないからやれる状
況となっているのかも知れないし、たとえそ
れに気づいていても、メディアには無視され
てしまうから、無視されている人にとっては
焦ったいだろうが、何か得体の知れない焦燥
感に囚われていること自体がその人の思い通
りには行かないことの表れで、世の中の常識
がそこで起こっている現象を捉えきれていな
いから、それが非常識とも思わないようなよ
くわからない焦燥感をもたらしていて、それ
が真っ当な感覚からもかなり外れているから、
どう判断すればいいのかわからず、誰もが困
惑してしまうのだろうが、中には困惑してい
る自覚すらない人までいて、意図せずに状況
や情勢の撹乱や混乱を狙って仕掛けている自
覚すらないのかも知れないし、結果的にはそ
れで構わないような状況となっているから、
そんな成り行きに乗じてやれることがそれな
りに出てくるわけで、実際にそれをやってい
るから状況や情勢が揺れ動いているのかも知
れないし、誰が意図したわけでも誰のどんな
思惑が作用しているわけでもないのだろうが、
それが誰の思い通りにも行かないとも思って
いないのだろうが、結果的にはそうなってい
るような感じもしないではないから、今後と
も動乱の時代が続いて行くと思っていても差
し支えないが、それがそうなるように仕掛け
たわけでもないのにそうなってしまうから、
自然な成り行きには違いないのだが、自然な
成り行きだからこそどうということはないわ
けではなく、それなりに自然の猛威を前にし
て、なす術なくどんな抵抗も受けつけないよ
うな事態の中でお手上げ状態なのかも知れな
いが、もちろんお手上げだとも思わない人や
団体がその中で活動しているわけで、それが
無駄な努力だとも思えないのだからやらざる
を得ない成り行きにとらわれてやっているこ
とであり、何か非常識で的外れな行為にも感
じられるわけだが、それも非常識に感じられ
るからこそ目新しくも感じられて、多くの人
人がそんなことをやっている人や団体に惹か
れてしまう面もあるとしても、そういう人や
団体に誘導されてどこへ向かっているのかと
いうと、それが破滅へと向かっているとも思
えないから、多くの人々が誘導されるがまま
になってしまうのだとしても、そこで目を覚
まして現実を見ろと促すようなことを言い放
つ人がこれ見よがしに現れるとしても、そん
な人こそがその種の煽動者なのだから、ます
ます信用できなくなってしまうのだろうが、
それもそれで構わないような自然の成り行き
だとしたら、ではそれに対して何をどうすれ
ばいいのかと誰から問われるわけでもないが、
それも目先の利害にとらわれながら行動して
いれば済んでしまうようなことなのかも知れ
ず、実際に多くの人々がそうなっているはず
だが、それ以外にやりようがないからそうな
っていると見なすしかないだろうし、やって
いることがそうだとしても、やる以前に言っ
ていることの半分も実行されずに、言うだけ
ならいつも言いっぱなしになるだけで、結局
は無駄に無意味なことを述べているだけなの
だが、述べているだけでは飽き足らないから、
何か述べている以上のことをやろうとするの
だろうが、その大半が過ぎたるは及ばざるが
如しになってしまうから、その場の成り行き
の中でそれほど有効に機能しているとも思え
ない代わりに、やることなすこと的外れな感
じがしないでもなく、それが無駄で無意味な
ことだと感じているわけでもないのだろうが、
たぶんそうなっているだけでもまだマシな方
なのかも知れず、他にもひどい人や団体によ
って害悪をもたらすようなことがいくらでも
行われている世の中だからこそ、そうなって
いるだけでもまだマシなように思われてしま
うわけだが、それがせこく小さなところでで
きる範囲内のことをやらざるを得ないように
仕向けられている人たちにはわかっていない
のかも知れない。

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彼の声 2024.7.21 「馬鹿にするための判断材料」

voice-163

 赤の他人を小馬鹿にできるかというと、小
馬鹿にしたくなるようなよくあるタイプの紋
切り型的な人物をいかに想像できるかにかか
ってきそうだが、例えば都心の再開発によっ
て高さが三百メートルを超える超高層ビルが
何棟も建てば日本が繁栄していると幻想を抱
けるかというと、そのビルを建設して管理す
る大企業の関係者でもないし、そのビルに入
る超高級ホテルなど利用できないし、タワマ
ンの入居者でもないし、オフィスとして借り
るわけでもなければ、関係ないと言えばその
通りなのだが、それでも同じ東京都民として
東京という都市が世界に誇れる大都市だと我
がことのように喜んでみたり自慢するような
人を想像できるかというと、想像するだけで
も恥ずかしくなってしまうわけでもないのだ
が、なるほどそうやって他人を小馬鹿にでき
る材料が揃っていることに気づいてしまい、
そういうことの延長上でテスラやBYDなど
のEVをディスるトヨタ信者とか、ユーチュ
ーブなどでその種の動画を見かける度に、そ
の内容も見ずにトヨタすごいぞ日本すごいぞ
論的な嫌な感じがするわけだが、何か中国崩
壊や韓国崩壊のついでにテスラやBYDや韓
国メーカーのEVが売れずに日本から撤退す
るだとか、そういうデマ的な内容なんじゃな
いかと勝手に推測してしまうわけで、それが
少しはそんな兆候があるんじゃないかとも感
じられるから、かえって本当にそうなればま
すます世界の潮流から取り残されて日本のガ
ラバゴス化が進行するとか、そういうことで
もなく、逆に日本で主流となっていることが
世界でも主流になると妄想したくもなるから、
そんなふうに妄想してしまうとまんざらでも
ないだろうが、本当にそうなるのかというと、
少しは謙虚な気持ちでいたいから今のところ
はよくわからないとしか言えないが、そうい
うことではなくもっと視野を広げて考えると、
ユーチューブ自体がグーグル(アルファベッ
ト)傘下のSNSだし、X(旧ツイッター)
はイーロン・マスクに買い取られてしまった
し、フェイスブックやインスタグラムはメタ
プラットフォームの傘下だし、アップルやマ
イクロソフトのハードやソフトを使ってSN
Sを利用して情報発信していること自体が、
GAFAMなどのアメリカの巨大IT企業の
手のひらの上で踊らされて金儲けの餌食にな
っているだけで、どう考えてもトヨタすごい
ぞ日本すごいぞ論的な部分的な思考の持ち主
は馬鹿なんじゃないかと思われてしまうわけ
だが、そうなっている時点で日本のガラパゴ
ス化も通用しなくなっていて、知らないうち
に世界標準の思考へと統合されつつあるわけ
だから、その種のナショナリズム的な抵抗意
識が世界標準の抵抗でもあるのかも知れず、
日本の独自性自体も幻想に過ぎないような気
もしてきてしまうから、それで構わないよう
なことでもあり、日本でアメリカのトランプ
などに親近感を抱いている人たちが石丸など
にも親近感を寄せている可能性もあるわけで、
その延長上でフランスのルペンなどにも親近
感を寄せている可能性もあるが、なぜかそれ
と同じようなカテゴリーに入りそうな中国の
習近平には憎悪の感情を覚えさせるわけだか
ら、そういう面でも愛するトヨタが中国企業
と連携している面は意図的に無視して部分的
なご都合主義に染まってしまい、もちろんそ
ういう面も世界標準でそうなっている可能性
もあるわけだから、単純な愛国主義では割り
切れないような、愛国主義自体がいい加減な
ご都合主義の産物だという複雑な事情や経緯
がありそうなのだが、そうなっているのをイ
ーロン・マスクなどは十分理解しているから、
愛国主義を政治利用するトランプを支持する
のだろうし、また返す刀でトランプが敵視す
る中国政府関係者などとも親密なコネクショ
ンを構築しているのだろうが、さらにトヨタ
信者などは無視してトヨタにも技術的な敬意
を払っているし、自動車産業などの部分的な
カテゴリーを超えて、風力や太陽光などの自
然再生エネルギーから取り出した電気を巨大
蓄電池に溜めて安定供給するための電力事業
などにも取り組んで収益を上げ始めているし、
スペースXなどの宇宙産業も手がけているし、
自動運転技術を利用したロボタクシー事業も
立ち上げようとしているし、汎用人型ロボッ
トの開発もやっているし、医療分野にもAI
やロボット技術を利用することによって進出
しているし、そういう面で何がすごいのかと
いっても、トヨタすごいぞ日本すごいぞとい
うみみっちいレベルの遥か上を行っている感
じもしないではないが、確かにそういう面で
はそうだとしても、別にそれを真に受けて野
球の分野で大谷すごいぞ将棋の分野で藤井す
ごいぞ日本の誇りだと自慢するような人たち
を馬鹿にできるかというと、そういう人には
言わせておけばいいだろうし、イーロン・マ
スクがすごいからといって、出身地の南アフ
リカの人たちが自分たちの国の誇りだと自慢
しているのを見たこともないわけだが、他人
を馬鹿にするのではなく、他人の自尊心をく
すぐってそれを商売に結びつけるような人や
団体が世の中にはいくらでも存在していると
思っておいても構わないのだろうし、ユーチ
ューブで日本すごいぞと自慢する人たちもそ
の種の商売をやっているわけで、それは愛国
心を政治利用するトランプと変わらないだろ
うし、そんなトランプへの支持を公言するイ
ーロン・マスクにも、その種の意図や思惑が
ないとは言えないだろうが、イーロン・マス
クが本業の企業経営の分野でそれなりに実績
を上げているから投資家も彼の経営手腕を信
頼して巨額の資金を拠出しているのだろうし、
そういう面ではそうなっていることでしかな
く、それをいちいち〇〇すごいぞという煽動
的な文脈に結びつけて馬鹿にしたり皮肉って
みても、そういう成り行きをおもしろがって
いるに過ぎないのだろうが、それを真に受け
るなら娯楽や気晴らしの範囲内で真に受けて
いるだけで、本気にならないことが肝要だと
しても、では何に対して本気になればいいの
かと言えば、それが政治の分野になるなら、
民衆のためになっているようなことが本当に
行われているか否かが、真面目なレベルでの
良し悪しの判断材料になるのではないか。

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彼の声 2024.7.20 「窮余の策」

voice-163

 為政者というと普通は選挙を経て何らかの
公的な役職に就いている立場の人を想定して
みても、それが目眩しの囮で、実際には行政

的な官僚システムの中で物事が動いているこ

とになりそうだが、行政の首長などを決める

選挙の際に掲げられる政策が、その場限りの

安易な思いつきに基づいているはずもないが、
それが選挙後にどんなに面倒な事態を引き起
こしても、それによってとばっちりを受ける
周囲の関係者にはたまったものではないが、
それとは無関係な一般人には直接の作用も影
響も及ばない限りで、それに対してどんな対
抗策を講じる必要も感じないだろうが、一般
人が何か策を講じても事態が改善するとも思
えないとしても、そもそもなぜ無関係な一般
人が策などわざわざ講じなければならないか
も謎だが、とばっちりを受けたくないなら無
関係を装って近づかなければいいような気が
するものの、それでもだいぶ回りくどいやり
方のように思われるのだが、そうでもしない
限りは何がどうなるとも思えないし、要する
に面倒な人が権力や権限を握ると周りの人々
が迷惑を被る程度のことかも知れないが、そ
の程度で済むなら大した事態でもないはずで、
公職に就いている特定の人物に限っては、そ
の発言がメディアを通じてそれなりの影響を
世の中に及ぼしていると想像できるが、実際
にはそれが隠れ蓑となっていて、それとは別
の方面から何かが変なふうに作用や影響を世
の中に及ぼしていると考えても、それが何だ
かわからない限りは想像の域を出ないことに
なってしまうが、それによって何がどうなっ
ているわけでもなく、それよりも物事がうま
く回っている成り行きの方を注目しなければ
ならないのかも知れないし、何か疑念を覚え
るのだから、その疑念がどこから生じてくる
のか解明したくなってしまい、それによって
無駄な回り道を強いられているとしても、そ
こで起こっている出来事や現象を無視するわ
けにも行かないから、それなりに疑念の原因
や理由を探らなければならず、その疑念が何
かというと、具体的に何がどうなっているわ
けでもなく、ただの都市的な発展の過程に直
面して、それに関わっている人や団体にどん
な意図や思惑があろうがなかろうが、都市が
発展する方向で物事が動いているに過ぎない
ことなのだが、そういう成り行きの進行を阻
害する要因をすぐに思い浮かぶわけでもない
のだが、かえって促進するように作用してい
るわけでもなく、それもただの目眩しの囮に
過ぎないのかも知れないが、何かそういうこ
とまで思い至らないようにするために、そこ
に至る途中の道に数々の邪魔な障害物の類い
をばら撒いているとも思えないのだが、そう
いう邪魔な障害物の類いが、例えば消費税を
廃止するか否かを選択させるような強引な対
立軸の設定であったり、少子化対策の中身が
妥当か否かを検討する回り道であったりする
と思っても構わないかというと、どちらにし
てもそれを真剣に政治的な課題として提示し
ている勢力としては、それこそが切実に実行
すべき政策になるのだろうが、たぶんそうは
思わせないようにする成り行きにほとんどの
人々がとらわれているから、何かそれがリア
リティを感じられないことだと思われて、そ
んなことよりは他に優先させるべきことが各
各にあるから、それもどちらかというとそっ
ちの方を優先させている成り行きの中で生活
や活動が成り立っているはずなのだが、では
具体的に何を優先させているのかといっても、
その人に関係する様々な物事の中でそれらの
中のいくつかを同時並行的に優先させている
に過ぎないことであって、優先するといって
も各々の程度や傾向や切実さなどが異なって
いるから、比較にならないというとその通り
のことになってしまうが、だから別に消費税
の廃止を優先的に訴えている政治勢力に対し
て拒否反応を示す必要もそれほど感じないし、
主張したければ勝手に主張していればいい程
度のことに過ぎず、場合によっては選挙の際
にその種の政治勢力の候補者に投票しても構
わないようなことにもなってくるわけで、ま
た有効な少子化対策の必要性を切実に訴えて
いる人を悪く言う気にもならないし、その必
要性を訴えるなら気が済むまで訴えていても
構わない程度のことに過ぎないのだが、そう
いう絶対的な判断基準が不明な世の中になっ
ているというと、昔からそうなのかも知れな
いし、その折々で例えば郵政事業を民営化す
るか否かが選挙の際の絶対的な判断基準だと
思っていたかというと、結果からそうだった
と言いたい人も結構大勢出てきたはずだが、
今となっては郵政民営化が失敗だったと主張
したい人も結構大勢いるだろうから、そんな
人にとってはその当時の民衆の判断が間違っ
ていたと言いたいわけだろうし、その延長上
で消費税の導入もその税率を引き上げたのも
間違っていたと言いたいわけだろうが、それ
が現状でもそれでも構わないこととして事態
が進行中なのであり、それに類することとし
ても例えば東京の築地市場の豊洲への移転に
関しても、色々と批判されながらもごり押し
的に移転作業が進展してみれば、もはや後戻
りができないような事態の中で物事が進行中
なのであって、それがなるほどそうなってみ
ると都市の再開発の一環でそうなってしまう
ようなことだと納得できないまでも、なし崩
し的な成り行きの中で感覚が慣らされてしま
うわけで、何かそれが抗いがたい事態の進行
に巻き込まれているから、それらの関係者で
はない一般人にとっては手も足も出ないこと
になってしまって、それに対してそれらの反
対運動に身を投じていた人々に関しても、そ
ういう人たちの間でも何か部外者から何を言
われても無視するような態度になっていたと
してもその自覚もないだろうが、切実にそう
は思わない一般人にとっては何でもないこと
であって、築地に関しては小池百合子に騙さ
れたと言いたい人もいくらでもいるだろうが、
たぶんその数百倍の人々がもとから信用して
いないわけで、そうなるだろうと思いながら
も都知事選挙では小池百合子に投票したのだ
ろうから、当人が誰を騙そうが誰が騙されよ
うが、そんなのは気にしない無責任な人たち
が大多数を占めているわけだ。

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彼の声 2024.7.19 「自分の願望が反映された未来」

voice-163

 現状の世の中で暮らしている人々の意識が
どんな傾向にあるかなんて知りようがないと
いうか、それもある程度は想像の範囲内では
思い浮かぶにしても、それも程度や傾向の種
類にもよるが、メディアを通して伝わってく
る世の中の経済情勢や政治情勢や社会情勢や
メディアが実施する世論調査や選挙結果など
から推測するしかないが、それを基にして今
さら何を適当に想像してみたところで、妄想
の域を出ない不確かなものとなってしまいそ
うだが、何かそれが変化する兆しを感じ取っ
ているわけでもないのだが、今後それがどう
変わって行くかなんてなおのこと予想し難い
だろうが、何か人々の意識が変わるきっかけ
となるような出来事が今後起こるかというと、
すでに世界の様々な場所で様々な出来事が起
こっていて、それがそこで暮らす人々の意識
を変えるきっかけとなっているのかも知れな
いし、その全てを把握することなんて不可能
というか、把握しようとしているわけでもな
いし、今後起こるだろう人々の意識の変化の
程度や傾向などを予想したいわけでもないが、
変化するきっかけとして何の材料も出揃って
いないわけでもないとしても、現時点でそれ
を予想するのは無意味かも知れないし、しか
も無意味であっても構わないようなことを予
想したくなってしまうわけでもないのだが、
結果的にそうはならないような成り行きにな
ることをなぜか期待してしまうわけで、しか
もそんな意味不明な期待と共にいい加減な憶
測の類いをこれ見よがしに言い放ちたくなる
わけでもないのだが、そんな期待に自分の願
望が込められているような気がして、何か世
の中がこうなってほしいとか、人々の意識が
こんなふうに変化してほしいとかいう願望に
は、現時点での自分の都合が反映しているは
ずだが、ではいったい具体的に何がどうなっ
てほしいのかといえば、例えば現代の人々の
意識に宿っているある種の狂気が取り除かれ
てほしいと思うわけでもないが、たぶんそれ
がある種の傾向を伴った人々にとってはでき
ない相談であり、果たしてそういうことなの
かどうかも諸説ありそうだが、それが明治維
新以降に西洋から導入された国家的な狂気と
なると、実際に国家主義や国粋主義に感染し
ている人々には、そもそもがその種の狂気に
突き動かされて活動しているわけで、それが
何らかのきっかけから取り除かれてしまうと
活動している意味や意義がなくなってしまう
から、そういう成り行きは断じて受け入れ難
いわけだが、少なくとも現状では完全に取り
除かれるような成り行きにはなってはいない
だろうし、実際に人々の意識の中で国家とい
う架空の存在がそれなりに大きな割合を占め
ているような気もするわけだが、それを信じ
るか信じないかはあなた次第というわけでも
なく、半ば強制的に国家という存在を信じる
ように幼少期から学校などで行われる教育を
通して訓練を受けているわけだから、信じな
い方が不都合を感じるようなかなり強い程度
で誰もが国家が存在していることを信じてい
るはずだが、なぜそれを信じざるを得ないの
かといっても、信じないと直接の不利益を被
るから信じているはずで、制度的にも慣習的
にも法律的にも信じないと困るようなことが
起こるわけで、国家など存在しないと言い張
っても、戸籍がないと自身の存在を公的に証
明することができなくなってしまうし、パス
ポートがないとある一定の範囲から先へは移
動できなくなってしまうし、自身の存在を証
明してくれたり、証明する書類を発行してく
れるのが行政府なわけだから、少なくとも現
状ではそれらの証明など不要な世の中にはな
っていない限りで、国家の存在を信じて何か
につけて行政府を頼らざるを得ないわけだが、
果たして今後そういう基本的な傾向が変わっ
てしまうことを予想したいのかというと、予
想したいというよりは否応なくそうなってし
まうというわけでもないから、今後ともそん
なことはあり得ないと思いたいし、それと国
家主義や国粋主義から生じる狂気が全くの無
関係というわけでもないとしても程度の問題
で、それもいつもながらの原因と結果を取り
違えることから生じる錯覚に他ならないと思
いたいわけだが、そういう成り行きに絡んで
その種の狂気に取り憑かれた人々が他のまと
もな人々へと攻撃を仕掛ける際には、わざと
意識してその種の錯覚を信じているふりを装
うと考えるとしっくりくるのだが、しかも自
分たちが演技している自覚がないというか、
その自覚がなくて当然なのだと思っておくし
かないような精神状態であるから、何かそう
いう方面にこだわっている人々のメンタリテ
ィがわざとらしくも見え透いているように感
じられる限りで、かえって彼らが信じている
国家という存在がフィクションのように思わ
れてしまうという逆説的な事態が生じている
ことを彼らのうちの誰が理解しているとも思
えないのだが、すでにそうなっているだけで
も、現状の中で何かがごり押しされているよ
うな成り行きになっていて、そういうことか
らマイナンバーカードなどのごり押し的な普
及も強行されているのかも知れないが、彼ら
が信じているつもりの国家的な裏づけが、打
ち寄せる波に削られる砂上の楼閣のような比
喩がぴったり当てはまるかどうかもよくわか
らないが、それが争点逸らしの目眩しとして
も機能しているかどうかも定かでないのだが、
それもたぶん実際に起こっている出来事の中
でそんな物事の占める割合が微々たる作用や
影響しか世界に及ぼさないから、そこに暮ら
す人々の願望の程度や傾向もそういう物事と
は関係のない方面から構成されるような成り
行きとなっていて、それが現状の世の中では

何をもたらしているのかが、今ひとつはっき

りしないようなことにもなっているのかも知

れないが、そこで機能している行政的な制度

やシステムとそれとは別というわけでもない

のだが、それを確固たるものだと信じ切って

しまうと裏切られて当てが外れてしまうよう

な梯子外しを仕掛けられてしまうから、それ

とこれとを完全に一致させようとするから狂

気が生じてくるのだが、だからそれらのでき

得る限りあり得べき未来の姿となると、単な

る事務的で形式的な手続きに終始していてほ

しいわけで、そこに精神や感情などが入り込

む余地などないように配慮されてほしいわけ

だ。

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彼の声 2024.7.18 「当たり前の現実」

voice-163

 誰もが体験しているごく当たり前の現実と
いっても、今ここで実際に体験しつつある現
実でしかないが、それが百パーセント仮想現
実だと言いたいわけでもなく、ただの現実に
は違いないのは、現実をどう認識してどう表
現するかにもよるだろうが、たぶんそういう
現実ではなく、ではどんな現実なのかといっ
ても、比喩としての現実でしかなく、その程
度や深刻度が違うというと、何となくそう思
っておけばいい程度の現実に過ぎないが、思
い知らされたと思うような現実であり、そう
なってみると当たり前のことに過ぎないのだ
が、そう思い至るまでに何か幻影のようなも
のを見させられていたような気がするわけで、
それが幻影だと言ってしまうと、かなり恣意
的に現実をねじ曲げているようなことになっ
てしまうのだが、どうしてもただの幻影でし
かないような現実を目の当たりにして、それ
が思い知らされた現実でしかなく、何かそれ
が直接にではないとしても、間接的には打ち
のめされたような実感をもたらしたわけで、
それがどうやっても動かし難い現実なのかも
知れず、それを自分には関係のないことだと
無視するわけにも行かないから、そんな現実
とどう向き合えばいいのかわからず、困惑す
るばかりの日々を送っているというと、直接
の当事者でもないのに嘘つくなと突っ込みを
入れられるわけでもないのだが、当事者にな
れなければ傍観者や野次馬にしかなれないわ
けではなく、ある程度のレベルで誰もが当事
者にも傍観者にも野次馬にもなれて、他のど
んな役割分担でも世の中に受け入れられるの
かも知れず、そういうレベルではトランプが
アメリカの大統領になったところで何がどう
なるわけでもないことになってしまうわけだ
が、実際に未だに小池百合子も東京都知事の
役職に収まっていられて、それを許している
のが東京都民に他ならず、選挙によって信任
したわけだが、果たしてそんな当たり前の現
実を認め難いかというと、認め難くても認め
ざるを得ないわけだから、たとえそれが嫌な
感じを伴ってきても、今まで通りの日常の延
長上では何でもない程度のことに過ぎないし、
身の回りではそれで構わないようなこととし
て日々が淡々と続いて行くわけで、今に至っ
ても執拗に批判を未練がましく続けている人
たちも含めて、何がどう変わったとも思えな
いような感覚なのだが、それが錯覚に過ぎな
いのかというと、錯覚だとしても構わないの
かも知れず、これまで通りのことがまかり通
るはずだと錯覚していても構わないわけだが、
果たしてそれが錯覚だと思い知らされるよう
なことが今後起きるかというと、それも実際
に思い知らされてからそれを実感することに
なるだろうが、そうなることをいくら願って
みても願いが叶うはずもないとは思わないし、
取り立てて何を願っているわけでもなくても、
どうせ過去に願っていたことなんてすぐに思
い出せなくなってしまうから、願いたいなら
勝手に願っていればいいのかも知れず、願っ
ているだけそれが叶うなら、それこそが幻想
に過ぎないわけで、願いが実現するにはそれ
相応の努力や働きかけが必要だと思うなら、
未だに未練がましく小池百合子を批判し続け
ている人たちを見習うしかなく、彼らのよう
に頑張る気があるなら、他の方面でもやるべ
きことを見つけなければならないのかも知れ
ないが、果たしてそれがそれ以外の方面から
何か煽動すべきことを探し出してきて、それ
を使って情勢の転換を図ることかというと、
そんなことをやらなくてももうすでに情勢が
転換している可能性もなくはなく、何かそれ
がトランプ暗殺未遂事件をきっかけにして起
こったとすれば、それもこの時点ではどうと
いうことはないのだが、たぶんここから事態
が適当に進展して行って、結果的には何かが
どうにかなってしまうのかも知れず、それが
一見何でもないことであって、小池百合子と
も無関係に思われるだろうが、十把一絡げと
いう表現が適当かどうかは自信がないが、ま
とめてポイということにはならないだろうが、
そんな成り行きを信任して下支えしている民
衆と共に用済みになる機会が思いのほか早く
やってくるような予感がしているわけでもな
いが、それが的外れの勘違いからそう思われ
ることだとしても、それで構わないような気
がするわけで、なぜどういう理屈でそうなっ
てしまうのかも誰にもわからないようなわけ
のわからない成り行きからそうなってしまう
ようなら、何となく納得し難いことかも知れ
ないものの、そうならないようにトランプも
彼の取り巻きたちも、それがもっともらしい
理由づけができるように様々な方面から関わ
ってくる物事を調整している最中なのかも知
れないが、それがうまく行くようなことだと
は到底思えないにしても、結果的にはそれで
構わないようなことにもならないだろうし、
トランプを未練がましく執拗に批判する人た
ちもそれを改めるわけでもなく、延々と批判
し続けるだろうが、そうはならないと言える
ような兆候があるのかというと、それがここ
数ヶ月の範囲内で関わってくる人や団体がや
らざるを得ないことになってくるのだろうが、
まだ時間が残されているから、その時間内で
やるべきことがいくらでも出てくるわけでも
ないにしても、実際に何かを仕掛けてくるわ
けで、仕掛けないとこのままトランプが大統
領に就任して世界情勢をめちゃくちゃにされ
るわけでもないにしても、何かが従来の成り
行きからは違った方面へと逸らされて行くこ
とは確かかも知れず、そんな成り行きを利用
したければ利用できる人や団体が利用するし
かないとしても、果たしてそれで何を利用し
ていることになるのかならないのかも、その
時点になってみないことにはよくわからない
だろうが、それが現時点で予想がつくような
ことでもないのかも知れず、そうなってみな
いことには何もできないわけでもないが、多
くの人々が恐れつつも期待しているのが、多
くの人々がその当事者にもなれないような世
界情勢の変化かも知れず、だからそうなって
みればそれほど大したことだとも感じられな
いのかも知れないが、実際にそうなってから
それが思いがけないこととして驚けばいいよ
うなことになるのではないか。

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彼の声 2024.7.17 「赤旗ジャーナリズム」

voice-163

 赤旗が共産党の機関紙という認識でいいの
かどうかは、それは誰もが普通にそう思って
いる範囲内ではそうだと言えるだろうが、直
接にはそれを読んだことなどないから、そう
いう部分があるとしても知らない事情に含ま
れるのだが、その一方で他のメディアを通じ
て目立っているのは、共産党の機関紙的な面
というよりは、政治や行政の不正を暴くジャ
ーナリズム的な面というのも、誰もが当たり
前のように認識していることなのかも知れず、
そういう意味では日本共産党という存在が、
レーニン的な革命思想ではうまく行かない事
情を反映して、マルクス的なジャーナリズム
の手法へと否応なく振れている現状があるの
だろうが、それも何がそうさせているという
よりは、時代状況が否応なくジャーナリズム
という面でしかアピールできない事情をもた
らしているのかも知れず、そういうところか
らある種の勘違いが生じているというか、そ
れを勘違いだとは受け止めたくはないのだが、
勘違いではないとすれば何なのかというと、
まさか共産主義=ジャーナリズムだから、否
応なくそうなってしまうとは言えないし、誰
もそうは思わないし、共産主義とは無縁のジ
ャーナリズムなどいくらでもあると思いたい
のだが、それが共産主義とは絶対に言えない
はずだが、なぜか共産主義=ジャーナリズム
になっているとしたら、そこで様々な事情や
経緯がどう絡み合ってそうなっているとして
も、そういうことになってしまっても構わな
いような成り行きがありそうで、しかも何か
の冗談でこんなことを述べていると受け取ら
れても構わないのだが、ある意味ではそうな
ってほしいし、そうであってほしいのだと嘘
をついても構わないが、ではそうなるとジャ
ーナリストこそが共産主義者でない理由が何
なのかというと、ジャーナリズムこそが共産
主義を世の中に拡散するための有効なやり方
になっているわけではないと主張したくなっ
てくるわけでもないが、もちろん冗談でこん
なことを述べていて、赤旗以外の新聞やテレ
ビなどのメディアに足りないのは、自らが共
産主義者だという確固たる自覚であり自信に
他ならないとは思えないし、赤旗の記者や編
集者でさえも自身が共産主義者だなんてこれ
っぽっちも思っていないような気もしてくる
のだが、いい加減な妄想を含んだ想像からこ
んなことを述べているわけだから、それとは
違って普通に考えて、世の中には政治や行政
が関係する不正行為以外にも伝えたいことが
いくらでもあって、むしろそちらの方が伝え
たいことのメインであれば、それで構わない
ようなことだと思いたいのだが、そういう認
識である方が気が狂っていないことの証しと
なるわけでもないし、そんな大げさなことで
はないと思っている限りで、何か他に伝えた
いことがあるかというと、たぶんそれがおお
よそジャーナリズムとも共産主義とも無縁の
何かかも知れず、その何かが政治にも行政に
も関わらないことであれば、政治にとっても
行政にとっても都合が良いわけでもないだろ
うが、なぜか都合が良いのだとしたら、そう
いうことに興味や関心を奪われて、そういう
ことにかかりきりとなってもらっていた方が、
政治や行政にとって不都合なことに首を突っ
込む機会が失われて、共産主義ともジャーナ
リズムとも無縁でいられるからというわけで
もなく、逆によりいっそう政治や行政へと興
味や関心が向かうように仕向けられてしまう
要因やきっかけとなるのが共産主義でもジャ
ーナリズムでもないとしたら何なのかという
と、それがそれらと共犯関係にある何かなの
かも知れず、それがお互いの共通の利害を形
成していれば問題ないわけだが、そうはなら
ないとしたら詐欺の一種となる可能性も捨て
切れないから、そういうところが用心しなけ
ればならないことでもあって、たぶんそれが
共犯関係などではなく、逆に政治や行政など
が原因で被害や損害を被るようなことであれ
ば、待ってましたとばかりに共産主義=ジャ
ーナリズムの格好の餌食となるわけで、そら
見たことかとばかりにそんな被害や損害の程
度や惨状が強調されて誇張されて、それに関
わる政治や行政の悪行三昧が指摘されて告発
されて糾弾されて批判されて非難されるわけ
だが、果たしてそれでは物足りないのかとい
うと、たぶんそれでも物足りないのであり、
もっと大げさに強調したり誇張して伝えたい
ことがあって、それが何かというと、それこ
そが政治や行政と民衆との共犯関係であり、
馴れ合いやもたれ合いを伴った不都合で不透
明な怪しげな関係となるわけだが、少なくと
も政治や行政の被害者であるよりも共犯者で
ある者たちの方が圧倒的な多数になるから、
それによって政治や行政が民衆から信任され
ている証しとなるわけで、それが最近の東京
都知事選挙でも明らかになって、それこそが
共産主義=ジャーナリズムが向き合わなけれ
ばならない不都合な真実だと言えるかどうか
が、何か認め難いことになりかかっていると
いうか、結果的には認めざるを得ないことで
あるのに、そうなると共産主義=ジャーナリ
ズムの方が民衆の敵になってしまうから、断
じて認められないということでもないのだろ
うが、それも誰がそれを敵認定しているわけ
でもないところがはっきりしないところだろ
うが、たぶん民衆の意識の中では敵でさえな
く、無視しても構わないような存在としても
認識されていないのかも知れず、誰もが知っ
ているのだから無視しているわけでもないは
ずだが、それが直接対峙するような存在では
なく、もちろん政治や行政もその範疇に入る
存在なのかも知れないから、実質的には敵で
も味方でもなく、それらに関わってくるきっ
かけが生じてこない限りは、確かに敵でも味
方でもないのだろうが、それがきっかけも関
わりも何も生じてこないのに被害や損害が直
接生じているわけでもない人たちにとっては
そうだとしても、被害や損害が少なからず生
じているのに民衆にはわからないようにして
おくのが、政治や行政の腕の見せどころなの
かも知れない。

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彼の声 2024.7.16 「換骨奪胎の意味」

voice-163

 換骨奪胎というと何かの間に合わせにやっ
ているとしても技術的に優れたやり方のよう
に感じられる面もあるが、人目を欺くという
か、それとはちょっと違うのかも知れないが、
例えばトランプなんかがやっているのがある
種のイメージ戦略であるのは、誰もが承知し
ていることだとは思うが、馬鹿で浅はかな大
衆がそれを真に受けているのかというと、そ
れもちょっと違って、大衆という存在を否定
的に捉えて馬鹿にしたがる紋切り型の思考に
染まっているだけのような気もするから、そ
んな安易な印象操作の類いにも染まってしま
ってはまずいような気もして、ではどう捉え
たらいいのかと考え込んでしまうが、そもそ
もそれの何が換骨奪胎だと思ったのかも、そ
の対象がよくわからないし、その意味など誰
もが承知していることだとしても、それをど
う使っているのかが、たぶん頭の良い人でも
気づきにくいところで使っているから、多く
の人々がそれに引っかかってしまい、結果的
には頭の良い人から馬鹿にされる対象となっ
てしまうような気もするのだが、それもそも
そも頭の良い人が大衆を馬鹿にするかという
と、馬鹿にしたら利用できないから、普通は
馬鹿で浅はかな大衆の味方を装いながら利用
するのだろうが、石丸なんかもそういうとこ
ろを熟知しているというか心得ている参謀み
たいな人に助言を受けながら大衆ウケするよ
うな暴論の類いを言い放つのかも知れないが、
そんな程度でうまく行くようなことなのかと
いうと、彼を支持する多くの人々も訳知り顔
の共犯者となっているから結果的にうまく行
くのだろうし、そういう意味ではどちらにし
ても誰も馬鹿でも浅はかでもないわけだが、
そんな成り行きの中で彼らが何を換骨奪胎し
ているのかというと、単純に民主主義をポピ
ュリズムへと換骨奪胎しているわけではない
とすれば、それを換骨奪胎とは言わないよう
なことかも知れないし、そうではないとすれ
ば何なのかと言っても、一言では言い表せな
いような複雑な紆余曲折を伴いながらも、そ
の場に居合わせた誰の思惑からも外れるよう
成り行きとなっているのかも知れないし、た
またまそれが多くの人々の自尊心をくすぐる
ような認識をもたらせば、そんなことを言い
放った人が支持や賛同を得られるようなこと
かも知れないし、そんなことではないとすれ
ば何なのかというと、いじめの対象としての
蓮舫などがその条件を満たしていることが世
の中に知れ渡ると、それを攻撃するように仕
向けられて、おもしろがって参入してくる馬
鹿が大勢湧いて出るのだろうが、別にそれが
おかしいと思われるようなことでもなければ、
それが一過性の娯楽のようにメディアを通じ
て機能して、そんな現象を目の当たりにすれ
ば大衆という存在が馬鹿で浅はかだと感じら
れるだろうが、それとこれとが無関係という
わけでもなく、それらが組み合わさった形態
が錯覚としてしっくりくるわけだが、それが
金権腐敗や官民癒着の談合政治が大衆の目を
欺くには都合の良い対象として利用している
実態もあるのだろうから、まさにそういうひ
どいことをやっている勢力からすれば、うま
くやっていることになりそうだが、そのうま
くやっている状態というのも、必ずしも彼ら
の思惑通りに行っているわけでもないところ
が、彼らをダシに使って何かをやっているよ
うに装っている勢力がいるわけでもないから
何がどうなっているわけでもないのだが、そ
ういう面では何がどうなっているわけでもな
くても、それとは別の面では直接には無関係
だとしても、それなりにうまく行っている面
もあるのかも知れないから、普通にそれとこ
れとは無関係だと思いたいのだが、例えば東
京の神宮外苑の再開発なども娯楽目的のスポ
ーツ観戦施設などのスタジアムや周辺部分も
合わせて改築したいわけで、またそれに伴っ
てホテルとかも併設して収益も上げたいのだ
ろうから、それなりに合理的かつ功利的にも
納得できる切実な理由があるから再開発が行
われるわけだが、それに伴って多数の樹木が
伐採されるから、そこだけを強調して景観破
壊だ何だのと煽り立てるようなことが行われ
ると、蓮舫なんかはそういうことをやってい
る人たちの味方を装わなければならないだろ
うし、そういうところで都市の再開発を推進
する東京都政と対立せざるを得ないのだろう
が、さらにそれとこれとは一見無関係なとこ
ろで、蓮舫を攻撃したい思惑が働くと、テレ
ビタレントなどを使って蓮舫を批判一辺倒の
カミツキガメだなんて嘲笑しながら、争点逸
らしの印象操作が行われるわけだろうが、そ
の一方で蓮舫を野田や枝野なんかと一緒くた
に扱って緊縮財政派のレッテルを貼りつけて
批判してきた側の人たちも、叩かれている蓮
舫を眺めながら、ざまあみろと思っているの
か、その辺はそう思っている人たちの良心や
良識や倫理などの問題となってくるだろうが、
そういう成り行きを見てひどい世の中になっ
てきたと嫌な感じがする人の割合の方が多い
と思いたいのだが、そういうのはアメリカで
陰謀論の標的になっているクリントンやペロ
シなどにも言えることかも知れないが、世界
的にはトランプやプーチンやエルドアンやネ
タニヤフなどを右派と見なすのも少しずれた
認識となってしまうが、またクリントンやペ
ロシや蓮舫を一緒に扱うのも抵抗感を覚える
のだが、傾向としてそう捉えるとしっくりく
るようなことかも知れず、何かそういうこと
に関して事態を正確に捉える必要などないと
いうと、ただ単に間違った認識だと思われて
も構わないのだが、あえて間違った認識にな
ってしまっても構わないようなことでもある
から、あまり説得力など求めてもいないし、
いい加減に世界情勢を捉えられる範囲内で適
当なことを述べておいても構わないのかも知
れないが、それらの中で何が非難されるべき
ことかもわかりすぎるくらいにわかっている
ことだとしても、実際に起こっている成り行
きが非難されるべきことに深く関わっている
側に有利に働いていると認識しておくしかな
く、誰もがそれをどうにかしなければならな
いという課題に直面しているはずなのだが、
それを理解していない人々や理解していても
功利的な観点から見て見ぬふりを装っておい
た方が得策だと認識している人たちが、非難
される側に加担していると事態を捉えておく
しかないのかも知れない。

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彼の声 2024.7.15 「何か嫌な感じがする世の中で」

voice-163

 何か嫌な感じがすることが実際にそういう
世の中の空気を読んでしまう人の言動にも表
れて、そんなことを言ってしまう人々がそん
な成り行きにとらわれているように思われる
のだが、そんな嫌な感じがする人々がメディ
アを通じて世間に蔓延ることにもなり、実際
にもそんな言動に及んでしまう人々が世間と
呼ばれる嫌な感じがする世の中の空気を作っ
ているようにも思われるのだが、意識せずそ
んな言動に及んでしまう人たちもメディアで
持て囃される軽薄なキャラクターに含まれて
くるから、そういう軽薄な人気者的な人物が
嫌な感じがする典型例のようにも思われるわ
けだが、そういうある意味でテレビの芸能人
的な傾向の人々が政治家や官僚の不正行為を
許容する腐った世の中を代表しているように
思われてきたのとは対照的に、そんな人々を
批判したり非難することによって良識ある識
者や見識のある著名人気取りの嫌な感じがす
る人々も一方にはいるわけだから、どちらに
してもそんな嫌な感じがする予定調和の二項
対立から脱却したいわけで、それらの人々の
揚げ足取りをやっているようではそこから抜
け出られないような気もするから、そういう
成り行きを無視したくなるわけだが、無視し
ようとしても嫌でもメディアを通じてそんな
言動から逃れられないようにされてしまって
いる現状の中ではどうすることもできないと
あきらめかけてしまうのだが、そういう面で
はあきらめても構わないどころか、それも否
応なく積極的にSNSなどを利用して良識あ
る識者や見識ある著名人気取りの人々の味方
を装いつつも、そんなふうに装っている自ら
の卑しさにも嫌気が差すどころか、何か演技
として何の嫌悪感も良心の呵責も覚えずにそ
うなってしまう成り行きに身をまかせている
現状もあるから、その良し悪しなど問題視す
る必要もなく、要するにそういうところでは
そう振る舞っておけば済んでしまうようなこ
となのかも知れず、自分が意識してそう振る
舞っているのに、まるで自分には全く関係の
ないことのように感じられて、実際に無視さ
れているのが自分自身であることも自覚して
いるわけだから、そんなことをやっている自
分がどうでもいいような存在に思われてくる
わけで、そんな心境を梃子の原理のようにし
て利用して他の何かをやらなければならない
とは思うのだが、実際にやっていることがそ
れとは無関係かというと、そんなわけでもな
いから、その辺が微妙に意味不明で理解不能
な状況の中で活動しているのかも知れず、こ
れといって自らが積極的にやらなければなら
ないことを設定できずにいるわけでもなく、
実際にやらなければならないことはこれだと
思っているのに、積極的にそれをやっている
かというと、なぜかそれをやらずに放置して
いるところも微妙に意味不明で理解不能なの
だが、それも全くやらないわけでもなく、途
中まではすでにやっていて、これからさらに
それを続けてやろうとしているところなのに、
なぜかそこから続けてやろうとする度に強烈
にブレーキがかかって、気がつけばもう一年
以上も全くやらずに放置しているような感じ
がしないでもなく、正確にはまだ一年も経っ
ていないような気もするが、それをそのまま
やり続けてはまずいような気もしてくるのだ
が、それを再開させるには何かが足りないよ
うな気がするわけで、それが自分の思惑とは
全く関係のないところから起こる出来事なの
かも知れないが、今はそれが起こるのをひた
すら待っているわけでもないだろうが、それ
がいつものように引っかかるものを感じさせ
て、これから得体の知れない何かが起こる予
兆のようなものを感じ取っている気でいるわ
けだが、その何かが起こる機会を捉えて何を
やらなければならないかが、果たして今の自
分にはわかっているのかというと、それが勘
違いなのかも知れないし、このまま何も起こ
らないまま寿命が尽きて死んでしまうなら、
それでも構わないようなことなのかも知れな
いが、少なくとも自分に何ができるとも関与
できるとも思えないようなところから何かが
起こって、それについて部外者の立場からも
っともらしい見解を示さなければならないか
というと、何を述べても無視される立場から
なら、そんな感じがしないでもないが、どう
もそうではなく、直接それに関与しそうな存
在としてトランプやプーチンやエルドアンや
ネタニヤフなどが挙げられるにしても、何か
それらの人物自体が歴史上の過去の存在であ
るルーズベルトやスターリンやヒトラーやム
ッソリーニなどと比べてどうなのかと言える
ようなことでもないとすれば、そんなことも
枝葉末節な範囲内で語るべき関心の薄いこと
かも知れず、もちろんそれが訳知り顔で専門
的な知識を交えながらNBAやMLBなどに
ついて熱っぽく語る輩たちとどう違うのかも
よくわからないところだが、何やらさらっと
受け流すべきこととして語られるそれらの内
容の中に注目すべき出来事の予兆を感じられ
るわけでもないとすれば、だいぶそれが的外
れな方面だと思っておいても構わないが、そ
れでもそれらがきっかけとなって起こるよう
なことかも知れないから、わざとであっても
そういう話題にも注目しているふりも装って
しまうわけで、その気もないのにそういう話
題に接して何かそれとは関係のない方面から
思いつくことがあるわけでもないのだが、こ
れ見よがしにメディアが見せつけようとする
話題をうまく受け流すアイテムとしてそれら
の枝葉末節な話題が欠かせないとも思えない
が、それを枝葉末節なことだと思わずに普通
に関心を持っているのかも知れず、それも技
術的な取り扱いとして活用する成り行きへと
持って行ける気がするわけで、それが何の技
術なのかもわかっているつもりだが、勘違い
的な言語術のような扱い方なのだとしても、
嘘も方便とはちょっと違っていて、現実に起
こっていることをそのまま受け止めて、それ
に関して何か述べている輩たちの主張も真に
受けることになるのだが、その主張の内容が
自分とは無関係であることもわかっているか
ら、素直にそれを受け止められて、待ち望ん
でいる出来事の到来をそれによって先延ばし
にできるわけでもないが、少なくとも思いが
けない出来事になるように持って行くには、
いったんそれを忘れてしまわなければならず、
それを忘れるために必要な話題としてそれが
あるような気にもなれるのだが、本当はそう
ではないこともわかっているつもりなのかも
知れない。

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彼の声 2024.7.14 「それでも構わないこと」

voice-163

 そんなことはないと思うほどのことでもな
いが、なぜかそう思っていた方がうまく行き
そうな気がするから、そう思っているような
ことかも知れず、そう思っていればうまく行
きそうな気がするということが、それが宗教
的な信仰の類いだと思われても構わないが、
成り行きとしてはそんな大げさに思うような
ことでもないのだから、ちょっとしたきっか
けからそう思われて、そんなことを思ったと
ころで何でもないことには変わりなさそうだ
が、思わないよりは思っておいた方が良さそ
うに思われることでもあるから、そう思って
おいて損はないと思っておくだけでも気休め
程度の効果があるのかも知れないし、だから
本気でそう思っているわけでもなくても、大
した理由もなく何となくそう思っている程度
のことなのだが、それに関しては例えばエン
トロピー増大の法則に逆らえるわけでもない
のと同じようなことでもないが、そうなって
しまう成り行きには逆らわない方が身のため
であり、自然に逆らってしまうならそれでも
構わないようなことであるから、なぜか自然
に逆らってしまう成り行きというのがなかな
か意識していても気づかないことかも知れず、
それも例えば自然の成り行きに逆らうのが自
然の成り行きだと思うなら、その通りのこと
でもあるから、結果的にどうなろうと結局は
そうなってしまうと思っておけばいいような
ことになり、それ以上に何がどうなるわけで
もないのだが、実際にそうなっている中でも
普通に生きて行けるから、普通に生きて行け
る限りで、経済的に豊かであろうと貧しかろ
うと生きている実態がそれなりにあるわけで、
それで構わないようなことであるなら、自身
にとってはそうなっているに過ぎず、それで
も世の中には不満を抱いている人もいくらで
もいるから、その不満をぶつける対象となる
何かがあるなら、そういうところへと不満を
ぶつけるのだろうが、果たしてそれが不満を
ぶつける対象を間違えているのかというと、
たぶんそれが間違えている方が都合が良いの
かも知れないから、間違えていても構わない
わけだが、何かそれが言いがかりのようなこ
とでもあるから、不満をぶつけられる側にと
ってはたまったものではないのかも知れない
が、それでも構わないとしたら、何がどうな
っているから構わないのかもよくわからない
ようなことだとしても、それも結果的にはそ
れで構わないようなことになってしまい、そ
んな不満だらけな人とは違って、世の中でう
まくやっている人や団体がいれば、それが運
を味方につけているからうまくやっている以
外にも、何かこれといってやっていることを
正当化できるような理屈を持ち合わせている
なら、その理屈が通用するような世の中にな
っているわけで、そんなふうにしてうまくや
っているならやっている当事者にとっては心
強いだろうが、その理屈が何かというところ
で、それに対して不満をぶつけたい人にとっ
ては納得が行かないところでもあるから、是
が非でもその理屈の欠点をあげつらって、理
屈そのものを葬り去りたくなってくるのだろ
うが、それが実際に世の中で通用している理
屈なのだから、客観的には理屈の欠点をあげ
つらっている方が不利な立場にあるのは明ら
かであり、自身が不利な立場であるのを自覚
しているからそれが不満なのも明らかで、す
でにそうなっている時点で不満を抱きながら
自然の成り行きに逆らっているわけだから、
負けを覚悟しなければならないのかも知れず、
それが何に負けていることになるのかといえ
ば、そこで生じている自然の成り行きに負け
ていることになるのかというと、そんなふう
には思わないだろうが実質的にはそうなのか
も知れず、その場で生じている自然の成り行
きに逆らっている当人がそれを自覚できない
場合も多そうだが、役割分担としてはそうな
っているから、そうなっていること自体もそ
の場で生じている自然の成り行きに含まれる
わけで、たぶんそういう成り行きに巻き込ま
れてしまうと勝てないと思っておけばいいの
だろうが、だからこそ他のやり方があると思
っても構わないし、それが勝つためのやり方
ではないかも知れないが、うまくその場で生
じている成り行きを利用してうまくやろうと
することになれば、結果的にはそれで構わな
いようなことでもあるから、なるべくならそ
ういうやり方を採用したいわけで、そういう
やり方が具体的にどんなやり方なのかといえ
ば、その場で不満をぶつけている人をやり過
ごすようなやり方だと言えなくもないが、具
体的にはこれといって特定できるようなこと
でもないのかも知れず、少なくともそれが無
理して自身の寿命を縮めるような過酷なやり
方になってしまうとまずいわけで、他人から
見れば何でもないようなことをやっているだ
けでも、その場の成り行きに逆らってはいな
いはずだが、それが自分に関してなら、昨年
母が亡くなって、母名義の土地や株式は父が
全て相続したが、金融機関の預貯金は父と兄
と自分と妹で4等分して相続して、その金の
一部で自分はEVを買って、先日EV補助金
の85万円が自分の口座に振り込まれたのを
確認してにんまりしている程度のことなのだ
が、それが自力で何をやっているわけでもな
ければ、何も誇れるようなことでも正当化で
きるようなことでもないのだから、そんなの
は黙っていても構わないようなことなのに、
何かのついでにそんなことを語ってしまえる
のだから、それだけ余裕がある証拠なのかも
知れないが、だからといって何もやらずに生
きていることがどんなに苦しいことかと自慢
がしたいわけでもないわけだから、それもそ
の程度で構わないことでもあるから、特にど
うということでもないわけで、そういう意味
ではその場の成り行きに逆らっている気はし
ないというよりは、どちらかと言えばその場
の成り行きに従っているからそういう面では
うまくやっていることになるとしか思えない
わけだが、果たしてそれとは別の面ではその
場の成り行きに逆らって何かをやっているこ
とになるのかというと、こういうことを述べ
ていること自体が、成り行きに逆らって述べ
ていることになるのかどうかが自分には判断
がつかないような気がするわけで、それも判
断する必要もないことなのかも知れない。

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彼の声 2024.7.13 「利益と御利益の違い」

voice-163

 現状の世の中で何が問題となっているのか
と言えば、それが技術や制度の問題でなけれ
ば何なのかというと、気持ちの問題かと言え
ばそうとも言い切れないような気もするが、
もっと単純に割り切って利害の問題だと理解
するなら、その通りだとも言えないこともな
いが、何らかの技術を使って利益を出すため
の制度やシステムを作って、それを運用する
過程で何か問題が発生すると考えれば、利益
と共に損失や損害も発生するからそれが問題
であり、下手をすればそちらの方が大きくな
ってしまうから、それを何とかしてなくそう
としたり、なくすことができなければ、損失
や損害を最小限に食い止めることが目標とな
るだろうが、そもそも何かを行なった結果と
して利益が得られる制度やシステムにすれば
良いと単純に割り切れるかというと、それの
何が問題かと問うなら、必ずしもそうはなら
ないからそれが問題なら、そうなるように工
夫を凝らせば良くなってしまうだろうが、工
夫を凝らしても良くならなければあきらめる
しかないかも知れないが、それ以前に生きて
行くにはそんなことをやらざるを得ないと考
えるなら、それをあきらめることが自らの死
に直結するようならあきらめるわけには行か
ないはずだが、社会の中で生きている誰もが
制度やシステムを作る側になるわけでも、そ
れを運用する側になるわけでもなく、それを
利用する者がその大半を占めているかという
と、作る側にも運用する側にも利用する側に
も何らかの形で関与しているはずだが、それ
らのうちでどこから利益を得ているとしても、
直接にはそれが仕事となっているところから
利益を得ている者が大半を占めているはずだ
が、利益といっても直接的には金銭的な利益
となる他にも何か利益と見なせるような物事
があるかというと、それもすぐには思い浮か
ばないが、なぜか倫理的に振る舞うことから
利益が生じると勘違いしている人もごくわず
かながら存在しているのかも知れず、それが
論理的ではなく倫理的に振る舞うということ
が、普通に利益を求める者にはわからないよ
うで、何か倫理と道徳を混同するようなわか
りやすい勘違いも生じてくる場合もあるらし
く、倫理が何なのかを履き違えて不合理な慣
習の類いを守ることだと勘違いしたいらしい
のだが、意識して勘違いしたいわけではなく、
それが宗教的かつ集団的な甘えから生じてく
ることでもあるらしく、利益を共有できる者
たちが寄り集まって集団的な利害共同体を形
成して、その集団に属さない人間を排除する
ことによって集団の利益を守るような成り行
きへと持って行っているつもりなのだが、集
団内の小さな利益を守ることと引き換えにし
て、集団外の不確かで大きな利益を取り逃し
ていることになるかというと、集団内にいれ
ばそんなふうには思えないし、その不確かで
大きな利益が何なのかもわかりようがなく、
そんな当てにならなそうで幻想のような利益
を求めるよりは、目の前の確かな感触を伴っ
た集団の利益の恩恵に与ろうとするだろうか
ら、正気であるなら集団的な利益を追求して
しまうのだろうが、それが正しいからこそ間
違っているというと意味がわからなくなって
しまいそうだが、たぶん心身的にも経済的に
も余裕があるなら、間違っている方を求めよ
うとしてしまうわけで、集団の利益を追求す
る者にはあり得ないことだが、意識してそう
なってしまうわけではなく、結果的にそうな
ってしまうといっても、なおのことあり得な
いのだが、そうなるのが倫理的なことかとい
うと、それも倫理と道徳を混同している者に
もあり得ないことだと思われるだろうが、そ
もそも利害と倫理とが関係のあることだと思
えるはずもなく、それが論理的にも理屈の上
でもおかしいからこそ、不合理なのか非合理
なのかもよくわからないことだが、勘違いに
は違いないと思うならその通りかも知れない
し、今回の蓮舫の件でも、蓮舫が都知事選へ
の立候補を表明した時点で、直感としてこり
ゃダメだとわかってしまって、野田だの辻元
だのが応援に駆けつけて、途中から変なR文
字の入ったTシャツを着た奴が出てきた時点
で、お前ら馬鹿か?と内心では思いつつも、
倫理的な観点からは投票所で「れんほう」と
書かざるを得ないわけで、何か違うのだが、
それがうまくは言い表せないし、日本初の女
性首相が蓮舫でも構わないのだが、それも直
感としてそんなのはあり得ないと確信してし
まうような何かがありそうで、たぶんそれが
蓮舫本人のせいではないような気もするわけ
だから、別に野田や枝野や蓮舫などが緊縮財
政派だと揶揄されて消費税廃止を訴える人た
ちや積極財政派を自称する人たちから批判さ
れていても、そんなのもどうでもいいような
ことのように思えるのだが、その一方で小池
や石丸に投票した人たちや投票に行かなかっ
た人たちが正気であることには変わりなく、
そういう人たちがリアリティを感じているも
のが何なのかもわかりすぎるくらいわかって
いるつもりにはなれそうだが、彼らの正しさ
が自分にとっても正しいことなのだが、どう
いうわけか自分には間違う余裕があるらしく、
蓮舫に投票しただけで倫理観があると言える
のか言えないのかも、確実にそうだと言える
ようなことでもないのだが、少なくとも集団
内の小さな利益の恩恵に与ろうとしたわけで
はなく、その時点ではそれが集団外の大きな
利益だとも感じられないものの、たぶん結果
的にはそうなってしまうのではないかと予想
できて、それも自分に利益がもたらされるわ
けでもないのかも知れないし、何とも言えな
いことであるにしても、直接に金銭的な利益
がもたらされるかというと絶対にそんなのは
あり得ないことだが、それが現時点ではそう
だとしても、なぜか自分が思いもつかないと
ころから、あるいは誰にも思いもつかないと
ころから、何らかの利益がもたらされると確
信しているわけでもないのだが、たぶんここ
は利害抜きで投票用紙に「れんほう」と書か
ないとまずいような気がしたから書いて投票
したまでで、後悔もしないどころか、そうし
ないとまずいと思ったからそうしたまでのこ
となのだが、もしかしたら今後小池や石丸に
投票した人や投票に行かなかった人たちに何
か地獄へ堕ちるような信じられないような理
不尽な災禍が降りかかるようなことなど起こ
らないとも思わないにしても、自分の直感が
そう感じたのだから、そうしないと何かヤバ
い事態となるような気がしたわけで、まさか
今後致命的な何かが起こって「れんほう」と
書いた人だけ選別的に救われるとも思えない
が、笑い話的には何らかの御利益があるよう
な気がするわけだ。

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