彼の声 2026.3.24 「駆け引きの継続」
voice-173
現状では駆け引きに勝つか負けるかではな
く、駆け引きをやっていること自体がゲーム
の継続につながるのだろうが、そんなゲーム
に関心のない者たちは、最悪の事態になるこ
とに賭けるわけだが、実際には中途半端な結
果に終わるから、それが最悪の事態を回避し
たことになるのかどうかも、最悪の事態にな
ることに賭ける批判者たちは、それを中途半
端な結果だとは認め難く、それこそが最悪の
事態だと言い張り、批判対象となる者や勢力
がやらかしたと囃し立て煽り立てる者もいる
だろうが、そんな中でもまだ駆け引きが続い
ているとすれば、駆け引きをやっているつも
りの者にとってはまだゲームが続いていると
いう認識なのだろうが、それに対して最悪の
事態になることに賭けている者たちは批判対
象に向かってお前の負けだ、お前のせいで大
変なことになっている、と言い放ちたいわけ
だが、そんな構図が今回のイラン戦争に当て
はまるかというと、何とも言えないところか
も知れず、トランプゲームが成り立っている
のかどうかに関して、ただの戦争なんじゃな
いかと突き放した見方をしておくのが無難な
のかも知れず、また間違ってもトランプがゲ
ームの達人だなんて、そんな高評価が当ては
まるとも思えないが、誰がそんな基準で評価
するのかも意味不明だし、いくらでも結果を
評価する者の都合に合わせて高評価でも低評
価でも可能だろうから、どちらでも構わない
ようなことかも知れないし、交渉を有利に進
めるための脅しが軍事攻撃でしかないわけだ
から、戦争よりも交渉の方が優先順位が高い
なんて勘違いな認識を抱いてみても構わなそ
うだが、そうなると何が言いたいのかもよく
わからなくなってしまいそうで、戦争や交渉
の当事者が何を考えているかよりも、彼らの
意図や思惑を超えて事態が動いていると情勢
を捉えておいた方が無難なのかも知れず、だ
からといって彼らの意図や思惑を推測しても
無駄だというわけではなく、彼らの意図や思
惑よりもその場の情勢に強い影響を及ぼす要
素や要因があって、それが経済情勢なのだろ
うが、そんな経済情勢からも彼らの意図や思
惑が生じてくるだろうから、それらが渾然一
体となって、その場の情勢を動かしていると
認識しておいた方が無難なのかも知れず、だ
から短期的には様々な要素や要因が混ぜ合わ
さって流動的に事態が推移しているように感
じられるにしても、長期的な傾向としては現
状を維持しようとする力が働いている中でも、
絶えず自分たちの勢力が有利になるように現
状の変更を仕掛けていると見ておけばしっく
りくるだろうが、そうした現状維持と現状変
更との間でせめぎ合いが繰り返されている中
でも、どのように現状を変更したいのかを巡
って、それが対立を装うどちらの勢力が有利
になるか不利になるかというよりも、いかに
して誰もが安堵できる平和を取り戻すことが
できるかに関して、何か説得力のある意見や
主張を言えるかどうかも競われているという
と、そんな意見や主張を述べている者たちに
競っている感覚もなさそうだが、意見や主張
と述べるだけで平和を取り戻せるわけでもな
いこともわかりきったことだから、戦争ゲー
ムやマネーゲームや株式ゲームの参加者たち
にとっては余計なお世話でしかないだろうが、
そんな意見や主張を述べること自体も政治ゲ
ームの駆け引きの中で言われていることであ
るなら、何でもかんでもゲームに還元できる
わけでもないにしても、関わりたい者は誰で
もそこに関わって、その関わっている程度や
傾向に応じた範囲内で主導権を握りたくて、
世間の一般大衆から支持や賛同を得られそう
なことを語ろうとして、そういう意味では人
気取りゲームをやっているとも言えそうなの
だが、その支持や賛同というのも、下世話な
損得勘定や利害に応じた支持や賛同から、も
っともらしいことを述べて多くの人々から尊
敬されたいという下心が見え隠れするような
ことを述べている場合もありそうで、そうい
った方面へと言説内容が傾いてくると、利い
たふうなきれいごとを言いやがって、と逆に
反感を買ってしまう場合もありそうだから、
何かそれが逆効果のような様相を呈してくる
なら、自身が関わっている分野で主導権を握
れていないことにもなりそうだが、果たして
それもその人の功利的な利害や損得だけに応
じて言説や言動が生じてくるかどうかも怪し
いなら、その人にそんなことを言わせるよう
に仕向けてくる何かがあるらしく、それが何
なのかといっても、その人が何らかの思想信
条やイデオロギーの類いに傾倒しているなら、
そうした思想信条やイデオロギーの内容に沿
ったことを述べようとしてくるだろうから、
そうなればある意味でわかりやすい意見や主
張になってしまうのだが、例えばその人を右
翼や左翼だと決めつけても構わないなら、そ
ういうことを述べていることになってしまう
が、そうではないなら何なのかというと、そ
の人の利害や損得とも思想心情ともイデオロ
ギーの類いとも異なるどころか、その人とは
何の関わり合いもないことを、その場の情勢
に応じて言わせられているような事態が考え
られるかというと、その人にその自覚がない
ならそうなってしまうのかも知れず、それで
構わないような状況や情勢の中で、なぜその
人がそんなことを言っているのか、言わなけ
ればならないのか理解できないようなことを、
その人が述べているとすれば、それが何なの
かといっても、理由などなく、原因もその人
とは関わり合いのないところから生じてくる
から、お前がそんなことを言ったところで何
か意味があるのか?と疑問を投げかけそうに
なるのだが、それを言うことによって言って
いる対象に関わろうとするのだから、そんな
対象に興味や関心を抱いているとしか言えな
いことなのだろうが、たぶんそれを言うこと
によって、言っている対象との間で駆け引き
を生じさせようとしていると穿った見方もし
たくなるのだが、何かそれがその対象からは
相手にされていないようにも感じられるから、
勝手にそれについて一方的に述べているだけ
のことなのだろうが、そういう対象が日々メ
ディアを介してそれに関する情報と共に送ら
れてくるから、そういう言及の仕方にならざ
るを得ず、先週の土曜日に久ぶりに秋葉原ま
で格安SIMの契約手続きで出かけて行った
ら、暇そうな人々でごった返しているのを、
なるほど世の中には自分とは全くの無関係な
人々がこれほどいるのかと、ただそう思った
に過ぎないのだが、確かにトランプやネタニ
ヤフがイランに対して戦争を仕掛けたところ
で、少しはそれに関するニュースを介して関
心を持つのだろうが、それに何の意味がある
のか?と疑念を抱くわけでもないだろうし、
アメリカやイスラエルの損得や利害を考慮し
てやっていることであるにしても、それがア
メリカを中心とした世界秩序を構築する上で
邪魔になってくるのがイランや中国やロシア
になるのかどうかも、今やそんな旧式の構図
は当てはまらずに、アメリカを中心とした第
二次世界大戦後の国際秩序であるパックス・
アメリカーナは、民主主義や法の支配に基づ
くリベラルな秩序だったが、近年は中国の台
頭や米国内の孤立主義的傾向であるトランプ
第二次政権により解体・変動が進行中で、二
国間交渉や経済的実利を重視する新たな秩序
への転換期であり、欧米同盟の動揺も指摘さ
れ、戦後の秩序であった、自由・民主主義・
法の支配といった価値観に基づいた日米安保
やNATOなどの同盟体制を核とした秩序は、
現在において危機に瀕していて、トランプ政
権によって転換が促され、その動向として挙
げられるのが、WTO体制のような多国間ル
ールよりも、関税などを武器にした二国間デ
ィールであり、米国が欧州に対し安全保障上
の脅威として批判を行うなど、欧米間の対立
が顕著になるにつれて、戦後の国際秩序が本
格的に解体され、十九世紀のような力関係に
戻りつつあると評する声もあり、それに応じ
た新たなトレンドとして、アメリカの覇権低
下によって、指導者的な国家のいない複数の
有力国による群雄割拠の時代に入ったとも言
われ、アメリカ主導の秩序が揺らぐ中で、発
展途上国などが中国をモデルとし始めている
という状況もあるそうで、今後の世界秩序は、
従来の価値観に基づく多国間主義から、アメ
リカの特権的利益を追求する二国間体制や中
国・ロシアなどを含めた多極的な競争体制へ
と移行する可能性が高いと考えられているそ
うだが、果たしてそんなAIが提示する展望
を信じられるかどうかも、何かの冗談のよう
な気がするわけだ。
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彼の声 2026.3.23 「批判的思考の弱点」
voice-173
新たな批判材料がどこから生じてくるのか
と言えば、批判対象となる者や勢力の活動過
程から生じてくる一方で、これから起こるこ
とについて何か言及できるとすれば、それに
関する予想になりそうで、取り立てて何を批
判したいわけでもなければ、それが批判に結
びつくとも思えないが、安易な思いつきから
何が導き出されてくるとしても、批判よりも
先に分析が必要とされるから、何を分析する
のかというと、分析するも何も、ありふれた
批判的思考とやらを分析したくなってくるが、
批判と分析は、得られた情報を鵜呑みにせず、
客観的な事実やデータに基づいて、そんな情
報がもたらされる前提条件を疑って、なぜ?
を繰り返すことで、本質的な問題解決や論理
的な最適解を導き出す思考法だそうで、分析
は分けること、批判は評価することに重点を
置き、批判的思考は、単なる誹謗中傷や粗探
しとは異なり、建設的に情報を検討するプロ
セスで、前提が正しいか、根拠は十分か、隠
れた偏見がないかを確認し、感情や思い込み
を排除し、事実に基づいたデータで判断し、
異なる視点や情報を検討することで、その精
度が増し、分析的思考が、直線的なアプロー
チによって物事を構成要素に細分化し、論理
的に関連性を解析するのに対して、批判的思
考は、分析された要素を基にして、その正当
性、価値、潜在的な問題点や影響を評価する
という、円環的・構造的なアプローチとなり、
批判と分析を実践する際には、何を判断した
いのか、何が問題なのかを定義し、収集した
情報、データ、前提条件を整理し、事実と意
見とを分けて、なぜその問題が起きているの
か、論理の飛躍や矛盾点を見つけ、根拠に基
づいて最適解を導き出して、それをどのよう
に活用するかを決めるが、批判的思考を鍛え
るには、自らの思考の癖を知り、自分にもバ
イアスがかかっていることを前提に考え、思
考に行き詰まったら、別のシナリオを想定し
てみることも重要で、なぜそうなるのか?を
何度も繰り返すことで、根本原因に到達しよ
うとすることが肝心で、批判的思考は、現代
の複雑な問題に対処し、正しい意思決定を行
うための不可欠な能力だそうだが、そんな批
判的思考の弱点と言えば、分析に時間がかか
り、それによって意思決定が遅れることや、
重箱の隅をつつくような批判によって、人間
関係に摩擦を生むことや、主観や感情が絡む
問題には適さない点が挙げられ、疑うプロセ
スはスピードと円滑なコミュニケーションを
損なうリスクがあり、あらゆる前提を精査す
るために、迅速な判断が必要なビジネス現場
ではスピードを落とす要因となり、完璧な答
えを求めて思考が循環し、行動に移せなくな
り、結果的に時間とエネルギーの浪費につな
がって、やっていることが徒労に終わる危険
性もあり、他人の意見や提案に対して、その
根拠は?それは正しいのか?と疑いを向ける
ため、攻撃的、あるいは否定的な印象を与え、
それによって人間関係を損なう可能性があり、
本質的ではない細かい点ばかりを指摘し過ぎ
ると、本題が進まず重箱の隅的な議論になり
がちで、感情、信念、倫理、好みなど、客観
的な根拠では割り切れない問題には機能せず、
唯一の正解が存在しないクリエイティブな場
面では、良いアイデアが出てくる芽を摘んで
しまう危険性もあり、しかも批判の前提自体
が誤っていると、どれほど論理的に考えても
間違った結論に辿り着き、全てを疑い始める
と議論の出発点が見つからず、結論が出なく
なり、確かにクリティカルシンキングは強力
だが、万能ではなく、常に使うのではなく、
重要な意思決定や問題の根本原因を探る場面
に絞り、または時間制限を設けるなどして、
ロジカルシンキングや直感的なアプローチと
バランスをとることが有効だそうだが、何か
それでは本質的な問題点を避けているような
感じもしないではなく、例えばイギリスのス
ターマー政権とニューヨークのマムダニ市長
が推し進める政策の問題点として挙げられる
のが、スターマー政権においては、前政権か
らの厳しい財政状態を引き継いでいて、大幅
な減税や公共サービスの拡充が難しいため、
有権者が期待したような迅速な生活改善が見
えないことへの不満が懸念され、グリーンエ
ネルギーへの転換を目指しているが、財源の
確保と雇用創出のバランスや、具体的な政策
実装のスピードが問われ、中国スパイ疑惑な
ど、デリケートな外交案件への対応において
も、前政権との明確な差別化や安定的な関係
構築が求められている一方で、マムダニ市長
の方は、急進的な公約を掲げているため、経
済界や穏健派から強い警戒感を持たれていて、
億万長者との闘いを掲げて、増税や規制強化
を示唆しているため、金融・ビジネス街が競
争力の低下を懸念し、企業や富裕層が市外へ
流出するリスクが指摘され、家賃高騰対策に
関連して家賃規制や公共サービスの拡充など
の、社会主義的な政策を実行するための巨額
の財源をどこから捻出するかが疑問視され、
急進的な左派政策により、民主党内や市民の
間で分断が深まり、ポピュリズム的との批判
がある一方で、住宅不足、治安・ホームレス
問題、地下鉄の資金難、教育システムといっ
た複雑な課題を、既存勢力に敵対的な姿勢の
まま、どこまで現実的な解決策を実行できる
かが疑問視されていて、スターマー政権は現
実的な財政運営と公約の実行とのバランス、
マムダニ市長は急進的な理想と都市の競争力
維持のバランスが最大の問題点であり、両者
とも支持層の期待と解決困難な現実の課題と
の間で板挟みに遭っているそうだが、彼らが
目指すような左派的な政策がうまくは行かな
いことも、それが右派ポピュリズムの台頭を
招いていることの原因であると共に、以前か
らわかっていたにしても、それらがうまく行
かないことがある程度は事前に誰もが予想は
していたから、それでもなぜ彼らに国や市の
統治をまかせようとするのかと言えば、うま
く行かないことを前提としてやらせていると
しか言えないし、逆にうまく行くはずのない
ことをやらせることによって、それが何かの
歯止めとして機能しているとも言えそうで、
それを批判しようと思えばいくらでも批判で
きそうなことを、実際にやってみせることに
よって、批判を引き出そうとしていて、実際
に批判が引き出されているはずで、彼らに対
する批判を背景にして、今後選挙に勝って彼
らに取って代わって国や市の統治を新たに担
う者や勢力が出てくれば、今度はそれらの者
や勢力が行なっている批判を基にして、彼ら
なりの政策を実行しようとするだろうから、
それもうまく行かなければ、それに対しても
いくらでも批判が浴びせられるだろうから、
またさらにそんな批判に世論が呼応すれば、
それらの者や勢力に取って代わって、また別
の者や勢力が選挙に勝って国や市の統治を担
うことになれば、そうやって選挙を基にした
政治システムが機能して行くことになるから、
そういう面ではそれによって政治制度も維持
されるだろうから、しかも根本的な面でそれ
を支えているのが人の経済活動であることも
わかりきっていて、経済活動が成り立ってい
る限りで、うまく行かない範囲内でもうまく
行く範囲内でもそれらの政治活動が成り立っ
ていて、政治ゲームが経済ゲームから制約を
受けながらも続けられている一方で、それら
の絡み合いから構成される軍事ゲームの方で
も、経済的な条件や事情や経緯などから制約
を受け限界づけられているのが、現状でも痛
いほどわかっているはずだが、それら全てを
同時並行的に行なっているのがトランプ政権
ではあるにしても、そんなトランプ政権にも
最低限の良心が作用していると考えるなら、
とりあえずそれらのゲームが破綻しないよう
に配慮しているところが、少しは良心的なと
ころなのかも知れないが、そんなトランプ政
権に対して批判や非難を浴びせる側の論理と
しては、このままではゲームそのものが破綻
して取り返しのつかない大変な事態を招くと
危機感を煽っていればいいわけだから、そう
いうお気楽な調子の批判や非難をどう捉えれ
ばいいのかと思い悩むわけでもないのだが、
破綻する原因や理由を挙げればきりがないわ
けでもないだろうが、必ずしもうまくは行か
ないところが、それに対する批判や非難の口
実となるにしても、ある意味ではそんな批判
や非難を受け止めながらやっていることだか
ら、それによって自制や抑制も利いていて、
それも歯止めとして機能しているわけで、経
済情勢の悪化を食い止めるための手も打って
いるところが、それが食い止められなくなる
と予想したい者たちによる批判や非難を招い
ているとしても、政治と経済と軍事のゲーム
を同時並行的に行うには、その種の批判や非
難をいくら弾圧したり封じようとしてもうま
く行くとも限らないから、それに合わせて必
要な対策や対応や対処を講じることが、それ
らのゲームを成り立たせるには必要な条件や
動作だと理解するしかないわけだ。
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彼の声 2026.3.22 「預言の罠」
voice-173
誰もが見て見ぬふりをしているうちに、何
となくそれらのカラクリがわかってしまった
ようで、しかも何がわかったのかが、メディ
アを介して明らかになることはないだろうか
ら、わかったことにはならないようなのだが、
ただ何となく誰もが気づくようなことが起こ
ってしまったからには、今後それが嘘みたい
な事態へと持って行かれるようにして、誰も
思ってもみなかった状況が実現するような成
り行きになりそうだが、そうやって明らかに
なりそうことがメディアによる情報発信によ
っては明らかにはならないのだから、依然と
してわからないままとなってしまいそうで、
そんなわかっていることが明らかにならない
ような事態が焦ったくも歯痒くも感じられる
ような情勢となって今後も続いて行きそうだ
から、たぶんそれが明らかになってしまうの
を回避することによって様々な物事が流通で
きるような社会や経済の仕組みなのかも知れ
ず、そんな事態を受け入れられる限りで世の
中が回っているのだから、それはそういうこ
とだと理解するしかないわけだが、何かそれ
に対して神の代理を装って真実を話せと迫っ
てくる勢力もいるらしく、彼らが民に向けて
語ったことが何なのかというと、それが迷信
に過ぎず、理解できないことを信じることが
苦難の始まりで、迷信なんて気にするなと歌
うスティービー・ワンダーが彼らに含まれる
わけでもないが、彼らが言うような罪に対す
る神の裁きが起こるなら、もうすでにそれが
起こっている最中なのではないかと言える根
拠が示されないと、悔い改めようにも改めら
れないだろうが、しかし彼らが非難する偶像
礼拝や不正行為が何なのかが明らかにならな
いことには、今ひとつ彼らの言うことを信用
できないわけだが、それが単なる宗教的な儀
式の違いではなく、神との契約関係を破壊し、
社会を腐敗させる根本的な罪として扱われる
そうで、それをどういう意味として捉えれば
いいのかは、勝手な解釈を許してしまえばき
りがなく、預言者たちは、唯一の創造主以外
のものに仕えることを偶像拝礼として非難し
たそうで、その偶像が、金、銀、木、石で作
られた彫像を神として崇拝することなら、比
較的わかりやすい一方で、形のない偶像とな
ると、自分自身やそこから派生した欲望や傲
慢や、権力、財産、知性など、神よりも優先
するあらゆるものを偶像視することが、どう
いうことなのかわかりにくそうだが、それも
宗教的・倫理的な観点から、偶像崇拝の現代
的かつ本質的な形態と定義されるそうで、こ
れは単に彫像を拝むという行為にとどまらず、
絶対的な真理、正義、愛を表す神以外のもの
を絶対化し、自らの人生の最優先事項や依存
対象にすることを指し、それに関しては次の
ような要素が挙げられ、自分自身の知性や能
力を過信し、神の意志や真理よりも自分の判
断や欲望を優先し、権力や財産を追い求め、
それらを目的にして、他者への支配や利己的
な目的のために用い、欲望や傲慢から生じる
利己心は、神よりも自分自身を優先する姿勢
につながり、本質的に、これらの偶像化は、
本当の神、または真の絶対的な道徳や価値を
見失い、自らの手で作り出した幻想や仮の力
に心と行動を捧げている状態と言え、これは、
普遍的な愛や利他主義に背く行為であって、
精神的な不自由や真の平安から逸脱するもの
とされているらしいが、他の拝礼としては、
神の言葉ではなく、魔法や占いに頼る行為や、
異邦人が行う性的な儀式や、子供を火に投げ
込むような過激な犠牲を伴う礼拝が、偶像礼
拝として挙げられて、預言者たちは、神への
礼拝が形骸化し、寄留の外国人や弱者から財
産を奪ったり、法的に彼らを保護しなかった
りする行為や、賄賂を受け取り、正しい判決
を下さない行為、土地を不当に奪い、贅沢な
生活を送る一方で、貧しい人々を奴隷のよう
に扱ったり、不正な生活を送りながら、神殿
で形式的な礼拝や犠牲を捧げる行為を非難し
たらしいが、なぜ批判されたのかというと、
偶像を拝むことで、誠の神が注ぎたい愛が見
えなくなり、不義をもって真理を阻む行為で
あるため、自分の思いを神の思いより優先す
る傲慢さが芽生え、これらの偶像礼拝や不正
行為が神の怒りを買い、結果として国が滅ん
で、裁きに向かうと警告したそうだが、しか
し絶対的な真理、正義、愛とは何なのかとい
うと、哲学、宗教、倫理において古くから追
求されてきた深遠な概念であり、時代や立場
によって解釈が異なり、これらはしばしば神
や超越的な理=ロゴスと結びつけられ、普遍
的で不変の価値として語られ、絶対的な真理
とは、時間、場所、人間の意見や認識に左右
されず、常に正しいとされて、科学的に証明
可能な事実とは異なり、理性や信仰を通じて
認識される形而上学的な真理であり、多くの
哲学や宗教では、この絶対的真理に近づくこ
とが人間の知的な達成、または信仰の目的と
され、絶対的な正義とは、人間が作った法律
である相対的な正義とは異なり、神や普遍的
な倫理に基づく絶対的な基準があり、各人に
その持分を帰属させ、その人の価値に応じて
遇することと定義され、利己心を排除し、自
己と他者を平等に扱う精神であり、正義は時
として個人の固有性を無視する冷徹さを持つ
が、真の正義は、愛と表裏一体であり、自己
超越的な愛が基盤にあるとされ、真実の愛と
は、見返りを求めず、相手の利益のために自
分を犠牲にする愛で、敵も愛するような、利
己的な要素を一切排した普遍的な愛であり、
愛の反対は憎しみではなく無関心で、真実の
愛は無関心の対極にある、相手を深く思いや
る能動的な態度であり、相手を自分の都合の
良いように変えるのではなく、あるがままを
受け入れ、愛し続け、物理的な関係を超えて、
霊的、倫理的な結びつきを指す言葉であり、
これら三つの概念は、しばしば神の属性とし
て一つに統合され、すなわち、絶対的な神は、
愛そのものであり、同時に正義そのものであ
り、その存在自体が真理であると考えられ、
人間にとって、これらを実現することは非常
に困難だが、日常の倫理的な判断や、普遍的
な幸福を追求する上での究極の指標として認
識されているそうだが、どこの誰がそう認識
しているのかも定かでないが、それらしい説
明にごまかされたような疑念を覚えると共に、
どうやっても認めようとしない何かが世の中
にあるらしく、その認めようとしないことを
認めさせるには有無を言わせない絶対性が求
められ、絶対性ではなく物事の相対性の方が
優先される傾向に世の中がある中で、あえて
絶対性を重視する姿勢を示して民からの支持
を獲得する戦略だと解釈したいわけで、情勢
や状況に応じてころころ変わるような価値判
断では宗教としては不完全で、神の完全性や
完璧さを語るには相対的な価値判断の提示で
は矛盾してしまうから、あくまでも絶対的な
価値判断を提示せざるを得ないと考えるなら、
なぜそうなるのかと考えるまでもなく、実際
に世の中でその場その時の情勢や状況に応じ
た相対的な立ち振る舞いや言動が求められて
いるからで、相対的な価値判断が優勢となっ
ている時に、そうした相対的な価値判断によ
って不利益を被っている人々からの支持や賛
同を獲得するために、絶対的な価値判断を示
すという、それ自体も戦略的なやり方だとは
自覚していないだろうが、その絶対的な価値
判断を提示するやり方そのものも、その場そ
の時の世の中の情勢や状況に応じた戦略的な
立ち振る舞いであり言動には違いないわけだ
が、どちらがどうだということよりは、結果
的にどちらの勢力が優勢となるにしても、そ
れもその場その時の情勢や状況次第だと認識
しておいても構わないような気もするわけだ
が、それに応じて神から託された預言の内容
も変わってくるかどうかも、その種の預言者
がその時の時代背景から複数現れる実態もあ
りそうで、そんな実態の中で民からの支持や
賛同を得られなかった預言者の類いは偽預言
者として退けられる運命となりそうで、そん
な偽預言者と見なされて磔の刑に処せられて
から復活したのがイエスというわけでもない
だろうが、反体制派としてカルト的な人気を
得たから危険視されて殺されたと解釈するな
ら、ロシアのナワリヌイ氏もその種の系譜に
連なる人物だと評されそうだが、果たして彼
らが絶対的な価値判断を示していたかという
と、生前においては時宜をわきまえた相対的
な存在として複数の預言者が現れるかもしれ
ないが、それらの中から死後、絶対的な存在
として選ばれる者が出てくると解釈するなら、
約二千年前のイエスは、存在していたかどう
かも定かでないが、とりあえず死後神格化さ
れて絶対的な存在となったのに対して、ナワ
リヌイ氏は今のところはそうなる兆しはなさ
そうで、アメリカにおいてもMAGAの方面
で最近その種の人物が殺害されたが、それも
今のところはキング牧師やマルコムXほどに
は英雄視も神格化もされていない現状があり
そうだ。
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彼の声 2026.3.21 「何も選ばない選択」
voice-173
どうやら世界的に何かの試練に直面してい
るらしく、その何かというのが中東で起こっ
ている戦争に関連して起こっていることなの
かというと、直接的にはそうかも知れないが、
それをそのままそうだと受け止められるかと
いうと、どうもそうではないような気がする
のだが、その試練のイベントをクリアするこ
とによって得るものが何もないわけではなく、
得られるものが限られているからこそ、しか
も得られる機会も限られているからこそ、何
を得ようとするかで選択の余地が生じてきて、
それを選べるかどうかも、選ぶ機会がやって
くるかも、現状ではよくわからないが、知ら
ないうちにそれを選んでいるかも知れないか
ら、すでにそれを選んでいるとしたら、選択
の機会を逃してしまったと言えるかというと、
逃してしまったのではなく、実際に選んでし
まったわけで、しかもそれを選んだからこそ
試練に直面していると解釈できそうで、そし
てそれが政治的な選択だったからこそ、たぶ
ん選挙の際に選んだはずだが、中には選んだ
気がしない人もいて、そんな気がする人は選
ばない選択をしたのかも知れず、何も選んで
いないのに、選ばないことを選んでしまった
からこそ、そんな選択をしてしまったことを
後悔するわけでもなく、そんな自覚もないの
ではないかと想像できそうで、そこで何も選
ばなかったからこそ、今ここで試練に直面し
ているとも考えられなくもないし、しかも何
が試練なのかもわかっていないからこそ、そ
れが試練をもたらしているとも言えるわけで
もなく、試練など無視するまでもなく、何が
試練であるはずもないと思っておけば済んで
しまいそうで、実際に何でもないことかも知
れないが、何でもなければ試練でもないはず
で、そうなれば試練に直面しているとする前
提そのものが崩れてしまうのだが、そこで何
も選ばなければ試練に直面することもないな
ら、話が簡単になってしまいそうだが、選挙
で何も選ばなかったのだから政治方面には関
心を持たなくても済んでしまうかというと、
実際に関心を持たなくても何かしら試練に直
面しているかというと、それも各人によって
異なるだろうし、その試練と政治方面での試
練とは無関係というわけでもなく、何かそれ
に関して的外れなことを主張している人たち
とは一線を画したことが言えるかというと、
そちらの方面での専門家でもないのだから、
そんなことが言えるはずもないが、外交的な
面では微妙なところで何やら切り抜けようと
しているのだろうが、それを批判したい者た
ちの格好の餌食となることで、別の方面では
難局を切り抜けたことになるのだとしたら、
果たして現状が極めて困難な状況や危機的な
局面なのかというと、そう受け取りたいなら
それでも構わないが、笑い事ではないのに何
だか笑ってしまうようなことなのかも知れず、
だからといって笑っていれば困難を克服でき
るわけでもないのだが、立場が違うのに立場
の違いを利用して主張できることもあるらし
く、その人にとっては無理難題のようなこと
を主張しろと迫るのも、何だか笑ってしまう
わけで、お前それは無理だよと誰もがつっこ
みを入れそうなことを主張しているのだから
笑うしかなく、そんな主張をしている共産党
の田村委員長と山添拓議員のユーチューブ動
画を見ながら何を笑うしかないのかといえば、
では彼らはずるい立場なのかというと、そう
いうわけでもなく、選挙で彼らや彼らの政党
には投票しない人が世の中の人々の大半を占
めるのだから、誰もが彼らのことをずるいだ
なんて嘲る立場ではなく、無視していれば済
んでしまうようなことではあるわけだが、言
わせるだけ言わせておけばそれで構わないわ
けで、そういう役回りなのだから、それが気
楽な立場なのかというと、気楽である反面、
得られるものは何もなく、そう主張すること
によって利益にありつけるわけではないとこ
ろが、気楽な立場であることの報いだと思う
しかなく、そうやって試練を回避するやり方
もありそうだが、一方でそれが支持や勢力を
拡大できないという試練に直面していると解
釈できないこともないし、逆にそうしないと
彼らへの支持をつなぎ留めておくこともでき
ないとしたら、それが試練であると共にジレ
ンマにも直面しているとも言えそうだが、そ
れとは違い、スペインのサンチェス首相が、
イラン攻撃を目的に米軍が国内基地を使用す
ることを拒否し、トランプ政権を批判したこ
とをどう受け止めればしっくりくるのかとい
うと、スペインに進出している中国企業との
兼ね合いから、何やらその辺でバランス感覚
が働いている、と穿った見方をしておけば良
さそうで、スペインにおける中国企業の進出
は、特に自動車(EV)、再生可能エネルギ
ー、物流、ICTの分野で急速に拡大してお
り、存在感を強めているそうで、スペインに
おける中国車ブランドの数は15以上に達し、
一昨年時点では上海汽車傘下のMGが中国車
登録台数の約八割を占め、BYDの欧州第3
工場がスペインに建設される可能性が報じら
れ、生産拠点としての関心も高く、奇瑞汽車
が現地でノックダウン生産を行うなど、単な
る輸入から現地化へ移行しつつあり、また水
素や太陽光などの再生可能エネルギー分野で
も、中国の復興基金などが関与し、外国投資
が流入していて、スペインが欧州のエネルギ
ー転換を牽引する拠点となる中、中国企業も
この潮流に乗っていて、貿易関係では、中国
はスペインの主要な輸出・輸入相手国の一つ
であり、自動車や技術製品、雑貨などの分野
で貿易が拡大していて、小売でも、以前から
安価な中国製品を販売する雑貨店は中国系が
多く、現地のコミュニティで確固たる地位を
築いていて、EUが中国製EVへの追加関税
を検討する中で、スペインに生産拠点を置く
ことでEU圏内での貿易障壁を回避しようと
する狙いがあり、スペインは欧州・北アフリ
カ市場へのアクセスが良いため、中国企業に
とって戦略的な拠点となっていて、このよう
に、スペインにおける中国企業は、従来の貿
易主導から、自動車やエネルギーを中心とし
た現地投資へとその程度を進化させているそ
うだから、それを単純化すれば、スペインは
EUの後ろ盾と共に中国の後ろ盾もあるから、
トランプ政権に対して強い態度に出られると
解釈しても良いかどうかも、単にスペインの
政権が左派リベラル寄りだからという理由か
らでは、一概には言えないような背景や事情
や経緯があると言えそうだが、それに対して
日本の共産党は何の後ろ盾もないのに、訪米
した高市に対して、スペインの首相と同じよ
うなことをトランプに向かって言えと主張し
ているみたいで、なんじゃそりゃ?と笑って
馬鹿にしたくなるわけでもないのだが、何だ
かその辺でも立場に違いがありそうなのだが、
そもそも大半の日本の有権者は日本共産党を
政権の選択肢には入れていないわけだから、
そんな主張でも構わないような気もしてしま
うのだが、しかしそれでは日本ではともかく
世界の現状に対して有効に機能していないよ
うな気もしないではなく、もちろん日本共産
党が有効に機能する範囲も限られていること
は承知しておかなければならないが、こう述
べてうまく他の政治勢力をあからさまに批判
するのを回避できるわけで、そのために共産
党を利用していることにはなるのだが、たぶ
んこういう物言いの仕方がずるいと言えるか
も知れないが、どうしても政治と経済が密接
に結びついているのは昔からそうなのだが、
それを避けているのがどんな政治勢力なのか
といえば、経済的な功利主義をカッコに入れ
て、政治的なきれいごとを主張している者た
ちが、立場上そうなるのは、ある意味で当然
だろうが、それにしては、何となくそれで構
わないようなことになっているから、そうい
う傾向や風潮を許しておいても構わないと妥
協したくなってしまうわけで、なぜかそれを
逆批判するわけには行かないような気がして、
彼らが否応なくそうなってしまうのを放置し
ておいても構わないような世の中の風潮なん
じゃないかと思う一方で、無理に少数派の枠
内にとどまろうとしているわけでもないのに、
それが何も選ばない選択であるようにも感じ
られるから、もうしばらく世の中が一段落つ
くまではそんな調子で振る舞っていれば、嵐
が通り過ぎて事なきを得るような算段なのか
も知れず、もちろんそんなことを意識して行
動しているわけでもないだろうが、それも否
応なくそうなってしまう成り行きなのかも知
れない。
https://www.koike-t.org
彼の声 2026.3.20 「成り行きの調整」
voice-173
現状で何が期待されているのかというと、
メディア的な感触からすれば戦争が短期間で
終わることが期待されているらしく、イスラ
エルのネタニヤフが速やかな攻撃終了を示唆
したと報道されただけで、高騰していた原油
価格が下がり、下げていた株価が一時的に反
発したが、どうせガセ情報なんだろうと疑い
ながらも、ひょっとして本当なんじゃないか
と信じたくなる気持ちも、半信半疑程度には
高まるかも知れない一方で、当事者のちょっ
とした発言ぐらいですぐにどうにかなるもの
でもないだろうから、実際にそうなれば本当
にそうだったんだと安心するかも知れないが、
そうならなければ、やはりあれはガセだった
んだと疑うだけで、結局は現状が現状である
がままに推移するしかなく、現状がどうなろ
うと現状であることには変わりないが、それ
でもどうにかなるような現状の変化を想像し
てみると、どうにかなってほしいと願ってい
るわけでも望んでいるわけでもないというと
嘘になってしまうが、願っていることも望ん
でいることも期待していることも、その意図
を考えてみればそれなりの本音が出てきそう
で、願うは実現を願う内面的な理想で、望む
は具体的な目標や意思で、期待は他者や状況
に対する予測だと、それらの違いを説明され
ても、今ひとつピンとこないのだが、願いは
執着せず結果を委ねる一方で、期待は結果を
求め、裏切られると失望につながるという心
理的な負荷に決定的な違いあると指摘されて
も、願いは自身の内面的な満足で、期待は他
者との関係性に依存する心理状態と言えるら
しいが、何じゃそりゃ?と納得できないまま、
何に納得できないのかも、今ひとつはっきり
しないのだが、たぶん願いが叶わず望みが失
われ期待が裏切られるようなら、一応はそれ
で構わないと強がってみせるのだろうが、そ
れが痩せ我慢なのかというと、自らが実現に
向かって努力しないことが美徳なのかどうか
も、美徳という言葉の意味も今ひとつ理解で
きないようだが、何となく勘違い気味にそう
思われることは確かで、自らの行為や行動に
おいて、努力とは違う何かを感じ取っていて、
努力してはまずいといっても、努力せずには
いられないのだから、それも努力には含まれ
るのだろうが、努力しているふうを装いたく
はなく、それが具体的にどんな態度なのかと
いっても、うまくは言い表せないのも毎度の
ことだが、自らの努力に合わせて自らを誘導
する成り行きが生じていると自己都合的に現
状を捉えてしまうと、それだけでまさか自己
中心的に世界が回っているというありふれた
妄想を抱けるわけでもなく、活動の実態がそ
うではないのはわかりきったことなのだが、
国家的な官僚機構の中で誰が指導的な役割や
役職を担ったところで、構造的には何も変わ
らないことを、イスラエルの攻撃によってイ
ランの政府の幹部たちが次々に殺害されたと
ころで、何でもないような事態の経過が生じ
ていることが、それを明らかにしていると現
状を捉えても構わないのかどうかも、そうい
うことじゃないと反論したくなるところなの
だが、要するにネタニヤフもトランプもうま
く軍事攻撃へと誘導されている一方で、経済
情勢から生じる制約によっても限界づけられ
ているから、それが何によって制御されてい
るのかということが、メディア的な情勢説明
からはさっぱり窺い知れないわけだが、その
辺の調整がうまく行っていると捉えてもいい
かどうかも、それが何の調整なのかも理解で
きていない一方で、そんな不明確な情勢に釣
られて先行きを予測したくなるにしても、材
料不足だからやめておいた方が良さそうだが、
結果的には最高指導者なんてハメネイじゃな
くても誰でも良かったんだということが、殺
害によって明らかにされたわけでもないが、
否応なくそれが証明されてしまうような成り
行きへと持って行かれるのではないかと見て
いて、あの辺の地域の役割は石油資源が安定
供給されている限りで、国家体制なんて何で
も構わないと割り切ってしまえば、それで済
むようなことなのかも知れないが、そういう
方向で事態の収拾を図ろうと誰が画策してい
るわけでもないだろうが、成り行き的にはそ
うなってしまうような予感もする一方で、そ
れでは万事が収まらないからこそ、周辺国が
納得しないまでも許容範囲内で体裁を取り繕
いたいのだろうが、そんな体裁の取り繕いの
過程で、イランの民衆の意向が国家体制に反
映されるのかと心配になってしまう者など、
今のところは皆無かも知れないが、必ずしも
民衆の意向通りの国家体制になるわけでもな
いことが、それも何によって証明されるわけ
でもなく、あまり外部からお仕着せがましく
介入しない方が得策だとは認識されるところ
だろうが、お仕着せがましいという言葉が誤
用判定されてしまい、それは恩着せがましい
の誤用だと指摘されて、すでにアメリカとイ
スラエルが軍事介入した結果として生じてい
る情勢なわけだから、何かその辺も一向に結
果が見えてこないし、収まりどころなんて元
からなかったのかも知れず、だからどうした
わけでもないというと、ただ無責任な立場か
ら勝手なことを述べているに過ぎないだろう
が、それを語るどんな立場からも八方塞がり
の破れかぶれな印象を醸し出すことなんて造
作もないことのように思われるのが、そちら
方面でも調整がうまくとられていることを示
しているようで、批判的な印象操作としては
よく言われる表現だからこそ、誰がどんな勢
力の意図や思惑がその場の情勢に反映してい
ようと、行き詰まりの打開を目指す試みの一
環として今回の軍事攻撃が行われたのだから、
無理やり情勢を動かしたというよりは、否応
なく押し出されるようにしてそうなったと情
勢を捉えておく方が無難な受け止めに近づき
そうだが、とりあえず石油資源と核開発とい
う条件が揃ったから、そこに経済的な思惑と
安全保障的な懸念が生じて、しかも民衆の意
向を無視した強権的な独裁体制だから、軍事
攻撃の口実としての条件も整ったわけで、あ
とは兵器を実戦で使ってその効果を試す機会
を捉えて、実際に使ってみたのだろうが、そ
の結果がこれなのだから、しかもまだ結果が
出ておらず、途中経過の中で各種の指標も右
往左往している段階だから、何を述べてみて
も的外れとなってしまうわけでもないが、要
は機会とタイミングを捉えて実行可能なこと
をやってみせたわけだが、それが何を意味す
るとしても、うまく行ったことにはならない
としても、実際にやってしまったのだから、
もう後戻りができない段階まできてしまった
と情勢を捉えておけばいいのではないかと、
事態を楽観視しているわけで、どう考えても
楽観視できるような情勢ではないと危機感を
高めても、そんな危機意識が杞憂に終わると
感じさせる程度には攻撃の程度が調整されて
いることは確かだろうが、そんな調整がいつ
までも続けられるかというと、調整が利かな
くなって、暴走してしまうような事態が起こ
ってみれば、なるほど調整なんて幻想に過ぎ
なかったんだと安心して、そらみたことかと
非難したい気満々な態度でいる人にとっては、
それが思惑通りの事態の推移となりそうだが、
今やそんな思惑も外れつつあることも踏まえ
ておかないと、かつての湾岸戦争やイラク戦
争当時に危機感を煽りまくっていた軍事専門
家たちと同じ過ちを犯すまでもなく、忘れた
頃に何が起こるわけでもないから、アメリカ
とイスラエルの軍事作戦の破綻を予言したく
なるのだろうが、その気持ちはわからないで
はないものの、すでにバイデン政権によるぶ
ざまなアフガニスタンからの撤退劇を目の当
たりにしているから、その轍は踏まないどこ
ろか、今回はそうじゃないと言える傾向があ
るのかも知れず、軍事力をちらつかせた交渉
術と言えるような過程で行われていることで
あり、そのとばっちりを被った人や勢力にと
ってはたまったものではないにしても、そん
な迷惑行為に対して文句の一つも言えない立
場というのもありそうで、そういう痛いとこ
ろを突いて批判材料としたい輩にも一定のも
っともらしさがもたらされるだろうが、そう
いうわざとらしくもいやらしい戦略的な態度
ではなく、あさっての方角から不意打ちを喰
らわせるような姿勢というのも、実際に不意
打ちを喰らわせられない限りは、その有効性
が証明されないままとなってしまうが、たぶ
んすぐには効いてこないとしても、じわじわ
と後から効いてくるような遅行的の効果が期
待されているわけでもないのだが、そうなる
ことを誰が願っているわけでもないし、それ
を望んでいるわけでも期待しているわけでも
ないところが、成り行き的にそっち方面の現
状の中でやらされていることになるような気
がするわけで、近い将来に向けてその効果を
調整している過程の中で誰もが漠然とそう感
じているのではないか。
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彼の声 2026.3.19 「答えは風に吹かれている」
voice-173
何かの制約があってそんな結果を招いてい
るのかというと、それとこれとを結びつけよ
うとするからそうなってしまうという結論が
もっともらしく感じられるとしても、それと
これがそれぞれに何を指すのかも、あるいは
何を意味するのかも、それとこれが指す対象
を具体的に述べないと、何を述べているのか
わからなくなってしまうことにもなりかねな
いが、人の思考がそれによって制約を受けて
いると考えると、何となくそういうことかと
納得してしまうようなら、世間的な話題に絡
んでそうなっていると推測しても構わないだ
ろうが、その世間的な話題というのが、あか
らさまに取り上げると支障をきたすようなこ
とかも知れないが、ではいったい何が支障を
きたすのかといえば、ビジネスに支障をきた
すというなら、そちらの方面ではセンシティ
ブな話題となるのだろうが、センシティブな
話題とは、主に政治、宗教、病歴、性的指向、
家庭環境、差別、格差など、個人の心情やプ
ライバシーに関わり、配慮や慎重な扱いが求
められるデリケートな情報やテーマで、これ
らはトラブルや炎上の原因になりやすいため、
会話や情報発信の際は相手を尊重し、中立的
かつ丁寧な表現を心がけることが重要だそう
だが、SNSやオンラインの場では、ヘイト
表現や成人向けコンテンツなどが、その種の
内容として注意喚起の対象となるらしく、運
営側の判断で表示されないことがあるのだろ
うが、その対象が多種多岐にわたって広範囲
に及んでいるなら、何やら規制だらけな社会
情勢であることを裏付ける結果になりそうだ
が、もちろん実態としてはそんなはずがなく、
そういうところだけ誇張して伝えようとして
いるに過ぎないが、ビジネスシーンで避ける
べき話題は、対立や不快感を招いて、信頼関
係や業務に支障をきたす話題となりそうで、
特に政治、宗教、お金、健康問題、論争の的
となるニュース、プライベートすぎる内容は、
信頼関係が築かれる前は厳禁だそうで、これ
らの話題は、たとえ悪気がなくても、差し障
りがあると見なされ、ビジネスの円滑な進行
を阻害するため、注意が必要だそうだが、そ
れが暗黙のルールとは言えないまでも、慣行
のように機能して、功利的な活動を円滑に進
めるには必要最低限のマナーとなりそうで、
そんな捉え方ではおかしいが、そうやって何
かをうまい具合に避けようとしているから、
奥歯に物が挟まったような物言いになってし
まうかどうかも、そうやって言いたいことを
はっきり言わず、何かを隠しているようで遠
回しな、すっきりしない言い方になるかも知
れないが、話の要点が不明確で、回りくどい
表現に終始しながら、まるで本心を全て隠し
ているようにも感じられ、そう述べることに
よって含みを持たせているのだろうが、歯切
れが悪く、オブラートに包んだような直接的
でない表現が意図するところを、推測するよ
うに仕向けてくる理由を考えてみるまでもな
く、案外何も言うべきことが見当たらないの
ではないかと推測したくなってしまうのだが、
さらには言うべきことだけでなくやるべきこ
とも何も見当たらないようなら、完全に活動
が行き詰まっていると情勢を捉えても構わな
いのかというと、そうなってからが正念場だ
と考えるなら、土壇場が追い詰められた状況
であるのに対し、正念場は実力を発揮すべき
重要な場面という意味合いが強いそうだから、
それが自身の焦りを跳ね除けるための強がり
や痩せ我慢だと逆説的に現状を捉えたくなっ
てきて、困難や苦境を乗り越えてきたような
自身の物語を後から語る上では欠かせない重
要な場面に差し掛かっていると自らに言い聞
かせているだけではないのかと穿った見方を
したところで、その実態はたわいないものだ
と馬鹿にしたいわけでもないのだが、この後
に及んで何を嘲りたいのかと考えてみても、
これといってそれほど強く印象に残るような
場面などすぐには思い浮かばないが、日本の
どこかで船が転覆した話などが最近あったの
かも知れず、それを何かの抗議活動に結びつ
けるのではなく、ただの事故だと捉えるなら、
それで済んでしまう話題なのに、それがそう
ではないような恣意的な結びつけ方がえげつ
ないような印象を伴ってしまうらしく、正義
の味方のようなお笑い芸人が歯切れの悪い物
言いで語っていたのが印象に残ったほどのこ
とでもないのだが、そこでうまく立ち回って
いるように見えるのは、その種の人物とは正
反対の立場や姿勢を装う誰かになるだろうが、
それでさえもたわいない言い回しで言われて
いることだから、それほどわかりにくい印象
は覚えないのだが、真のわかりにくさという
のがどこから生じてくるのかというと、唐突
に愛を訴える政治家というのが話題となって
いるから、その意図が何なのかと考えてみる
までもなく、要するに何事もビジネスライク
な姿勢では駄目なのかという問いに答えてい
るわけではなく、愛こそがこの世界で最も強
い力だと教えてくれるそうで、米民主党の期
待の新星だと評されるジェームズ・タラリコ
氏は、この時代に愛は弱くないかという問い
に対し、愛は世界で最も強い力であり、困難
な時でも自分や相手、世界を支える力になる
と述べているそうで、人工妊娠中絶を容認し、
LGBTQの権利を擁護し、アメリカが直面
する課題は保守対リベラルという左右の分断
ではなく、富裕層による政治支配という上下
の分断だというのが持論だそうで、富裕層や
大企業は批判の矛先を逸らすために左右の対
立を煽っていると主張し、過激な言葉は使わ
ずに社会の結束を訴え、よく比較されるのは、
彼らはクレージーだ、卑劣なやつだ、とてつ
もなく無能な男だ、と意見の異なる人を攻撃
的な言葉で批判するトランプ氏で、そんな政
治姿勢への嫌悪感がタラリコ氏の人気を押し
上げていると分析していて、オバマの再来と
評されるそうだから、保守地盤の強いテキサ
スで民主党候補として38年ぶりの歴史的勝
利も現実味を帯びているそうで、それに対し
トランプは、過激左派の対抗馬を断固として
排除する、と息巻いているそうで、それに対
してタラリコ氏は、私たちは政党・人種・性
別・宗教の垣根を越えて団結し、私たち自身
とコミュニティに力を取り戻す、と語ったそ
うだが、批判の代わりに愛を語る政治家はア
メリカの政治に新たな風を吹かせるのでしょ
うか、と実況者は締めくくっているようだが、
風に吹かれているのは、ボブ・ディランの方
だから、人はどれだけの道を歩まなければな
らないのか、彼を男と呼ぶ前に?白い鳩はど
れだけの海を航行しなければならないのか、
彼女が砂の中で寝る前に?はい、そして砲弾
は何回飛ばなければならないのか、永久に禁
止される前に?答えは風に吹かれているよ、
友よ、答えは風に吹かれている、はい、そし
て山は何年存在する必要があるのか、海に流
される前に?はい、そして何年生きられる人
がいるだろうか、彼らが自由になる前に?は
い、そして人は何回振り向くことができるだ
ろうか、そして見て見ぬふりをするのか?答
えは風に吹かれているよ、友よ、答えは風に
吹かれている、はい、そして男は何度見上げ
なければならないのか、空が見える前に?は
い、そして一人の人は何個の耳を持っていな
ければならないのか、人々の泣き声が聞こえ
る前に?そう、そして彼が知るまでに何人の
死がかかるだろうか、あまりにも多くの人が
亡くなったということなのだろうか、答えは
風に吹かれているよ、友よ、答えは風に吹か
れている、と歌っているらしく、そんな歌を
歌ったからノーベル文学賞をもらったという
ことなら、トランプがノーベル平和賞をもら
う可能性は限りなくゼロに近いかも知れない
が、何かそれが皮肉めいた結果をもたらすな
んて予言するまでもなく、案外何ももたらし
はしないと予想したくなってしまい、それが
現在の世界情勢から受け取っている実感のよ
うな気がするわけだが、要するに作用反作用
のような事態となっていて、民主党の立候補
者は何も持ち合わせていないからこそ、そこ
に愛があるような、そんな幻想を有権者にば
ら撒いているようにも思われる一方で、彼が
数年後の大統領選に立候補するわけでもない
だろうから、オバマのような二の舞にはなら
ないのだろうが、そうでなくてももとから世
界的に政治が行き詰まっているのだから、そ
れが十九世紀の昔から行き詰まっているから、
こうして今も大衆市民社会が執拗に継続して
いると事態を捉えてみても、それが何に対し
ての答えになっているわけでもないだろうし、
答えは風に吹かれている、と歌うしかないの
かも知れない。
https://www.koike-t.org
彼の声 2026.3.18 「大丈夫な事態」
voice-173
こんな事態になっても大丈夫だと思いたい
のも、何が理由で大丈夫なのかも、その場の
成り行き次第でそうなっているだけではなく、
他からも有形無形の作用や影響が及ぼされて
いるからそうなっていると言えるようなこと
らしく、また現時点で言えることは、数十年
前の当時と今とでは、そうなっている前提条
件もそこに及ぼされている作用も影響も異な
るから、少なくとも当時のようなことにはな
らない、と言えるのはいつの時代でもそう言
えそうなことである反面、いつの時代でも言
えない現代に特有な特殊な要素や要因が絡ん
でいて、それが起因して現状を形成している
と言えるようなことだと考えるなら、それに
よって何が言えるわけでもないとあきらめて
しまうわけでもなく、メディアから伝わって
くる情勢分析のインフレ気味な情報過多に嫌
気がさしているわけでもないのだが、その場
の成り行きに応じて絶えず思考を巡らせなが
ら解釈しようとしているというと、それが解
釈だと言えるような解釈なのかどうかも、か
なり強い程度で疑念を覚えるのだが、実際に
そうなった結果からそういうことだと解釈で
きるにしても、もっとスマートにやりようが
ないのかどうかも、現時点では何とも言えな
いようなことだから、それはそういうことだ
と事態を捉えておくことしかできないが、事
を単純に捉えるなら、目下のところ、型には
まった内容を語ろうとしているのに対して、
それが決まりきった形式、習慣、またはマニ
ュアル通りで、個性や独創性がないと否定さ
れるのを承知で何を語ろうとしているのかと
いっても、絶えず語っていることが無難で安
定している一方で、それがワンパターンでつ
まらない、あるいは融通が利かないと否定的
な文脈でそんな表現が使われているから、わ
ざと目眩しのような意図や思惑を虚仮脅しの
ように仄めかしているのかどうかも定かでは
なく、そういう喩えがマンネリ化していると
受け取られるならその通りで、たぶんわざと
そうしているわけではなく、それもいつもの
ように成り行き上否応なくそうなっているわ
けで、そんな退屈な成り行きに従いながら何
を我慢しているわけでもなく、その種の型に
はまった分析によれば、例えばマックス・ウ
ェーバーとは、西洋社会の意識、分析、解読
の諸様相としてのユダヤ=キリスト教のカテ
ゴリーと資本主義のカテゴリーを、自己分析
の唯一にして同一の織目のなかで、可能な限
り互いを結び合わせようとした人物なのだそ
うだが、ウェーバーは、近代西洋における特
有の合理的資本主義の形成要因を解明するた
め、宗教的理念、特にプロテスタンティズム
の倫理が経済行動に与えた影響を分析し、『
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精
神』において、カルヴァン主義などの宗教観
が、無目的な金儲けではなく、天職としての
合理的・計画的な資本蓄積を正当化し、それ
が資本主義の精神を醸成したと論じて、自身
の生きる近代西洋社会が脱魔術化し、官僚制
という鉄の檻に囲まれて行く過程を分析しつ
つ、その中で人間がいかに意味や情熱を見出
せるかという問題意識を持っており、社会の
基盤にある経済の物質的要素と宗教・思想な
どの観念的要素の両方を統合的に見ようとし、
それが社会学の基礎を築いたと言えるそうで、
ウェーバーは、価値や意味としての宗教と行
為や構造としての経済という一見異なるカテ
ゴリーを、近代西洋の特殊な展開という独自
のフレームワークの中で再構成しようとした
思想家なのだそうで、やはりそれとこれとは
無関係だと感じられるわけでもなく、要する
に自分たちが囚われている金儲け主義を何と
かして正当化したいわけで、果たしてそれが
宗教を持ち出してまでも正当化するようなこ
となのかどうかも、その人が囚われている成
り行きに応じてそうなる可能性があるにして
も、手段としての金儲けが目的化した宗教は、
信仰や救済という本来の目的が、資金獲得や
経済的利益にすり替わった状態を指し、これ
らはしばしばカルトや宗教ビジネスとして批
判の対象となり、救済や先祖供養を口実に信
者から多額の金銭を巻き上げる世界平和統一
家庭連合=旧統一教会などが典型例だそうで、
集められた資金は、教団の拡大、指導者の贅
沢な生活、海外への送金、政治的な影響力の
行使としての政界工作などに使われることが
多く、勧誘時に正体を隠し、ボランティアや
スピリチュアルなセミナー、カフェなどを装
って近づく手法が指摘され、それに関連して
宗教法人は収益事業以外が非課税となる優遇
措置を受けており、これが宗教ほど儲かる商
売はないといわれる背景にあり、活動実態の
ない法人が、節税スキームやマネーロンダリ
ングの道具として売買される問題もあり、中
世の免罪符の販売のように、信仰の歪曲が宗
教改革の引き金となった事例もあり、宗教の
目的を経済的合理性に結びつけるのには否定
的な印象が伴うが、その合理性を効率性、生
産性、利益の最大化などに結びつける視点は、
宗教社会学や経済学において、宗教の経済学
や合理的選択理論として研究されているそう
で、宗教は個人的な価値観や意味を提供する
だけではなく、社会制度として経済的な合理
的行動を促進したり抑制する役割を果たして
いるそうで、労働を神から与えられた使命と
捉えることで、勤勉に働くことが宗教的な義
務となり、浪費を避け、利益を再投資に回す
姿勢が、資本の蓄積と近代資本主義の発展を
促進した歴史的経緯があり、宗教は共通の倫
理観や規範を提供し、信者間の信頼関係を築
き、誠実さや正直さを教義とすることで、契
約や取引において裏切り行為が減り、監視の
ためのコストや紛争解決コストが低下し、共
通の規範としての、嘘をつかない、約束を守
るという倫理は、経済活動におけるリスクを
軽減し、効率を高め、宗教団体は、信者とい
う強固なコミュニティを形成するから、それ
が信者間の相互支援を促すことで保険の役割
を果たし、ビジネスの機会を創出し、宗教コ
ミュニティ内での相互融通や寄付行動は、特
定の経済基盤を形成して、現代の宗教経済学
では、信者が自らの精神的満足を最大化する
ために宗教を選択するという、合理的選択理
論が提唱され、仏教の縁起や祈祷などの宗教
的な力によって、病気が治り、仕事がうまく
行くなどの現世の利益を求める行動は、期待
通りの結果を求めるための合理的な行動とし
て分析され、宗教団体を信頼という財を提供
する産業とみなし、信者を消費者、教義をサ
ービスとして経済理論で分析して、宗教教育
は、勤勉、正直、自律性といった、経済活動
に有用な人間的特質を持つ人的資本を育成し、
このように、宗教は歴史的・社会的に、個人
の欲望を節約しつつ、労働や信頼といった経
済活動の基盤を強化する合理的システムとし
て機能してきた側面があるそうだが、その一
方で現代的なマイナスの影響としては、カル
ト宗教にはまって、高額献金による生活破綻、
2世信者の問題、家庭崩壊などが大きな社会
問題となって、その種の宗教団体が政治団体
への献金や選挙支援を通じて、政治に影響を
及ぼそうとする構造が指摘されて、純粋な信
仰心を持つ人をターゲットにして、経済的な
搾取を通じて運営されているため、反社会的、
反道徳的であると批判されているそうだが、
そういう意味では宗教にもピンからキリまで
あって、良いようにも悪いようにも利用可能
なところが一概に良し悪しが言えないところ
だが、それを良し悪しや是々非々で判断する
のも、型にはまった結論へと導かれてしまい
そうだが、良い方にも悪い方にも向かってし
まっても大丈夫な理由というのが、最終的に
それが国家的な無理や限界に行き着くから大
丈夫なのであって、例えばそれがイスラム教
ならイランや湾岸諸国で行われている無理な
政治的・経済的活動に行き着いているわけで、
それがアメリカやイスラエルを巻き込んで大
規模な軍事作戦にも行き着いているわけだか
ら、政治的・経済的な限界にも直面していて、
果たしてそれらの現象を宗教的に取り組むべ
き課題に結びつけても構わないかどうかも、
トランプやネタニヤフはそれを軍事的に解決
しようとして、それなりにこじれていると見
ておいても構わないだろうが、なぜ軍事的的
に解決しなければならないのかというと、そ
れが国家の安全保障に絡んでくる事案だから
こそ、現在進行形で戦争が行われているわけ
だが、しかも地域紛争程度にとどめたいのだ
から、そこでも無理や限界に直面しているわ
けだが、何とかしてそうやって大丈夫な範囲
内にとどめたいわけだ。
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彼の声 2026.3.17 「君たちは間違っている」
voice-173
そんな台詞をすぐに真に受けるわけでもな
いが、たぶんいつもの調子で間違っているの
だろうが、またごちゃごちゃとなりふり構わ
ず腕を振り回してみたら障害物に当たって怪
我をしたわけでもないのだが、それも動機不
明な無意識のなせる業なのかも知れないし、
結果的にうまく行ってしまうのかどうかも、
今はまだ途中の段階なのだろうからわかりよ
うがないが、妙にしつこく絡んでくるから、
そんな面倒くさい奴らはさっさと片付けてし
まわなければならない事案が発生してしまう
らしく、嫌々それをやっている最中であるよ
うで、現状でやっているのはそんな本筋とは
無関係な作業なのかも知れないが、また性懲
りもなく思わせぶりにそれがオワコンだと呟
いて、結局後から実はそうではなかったこと
がわかるのも、予定調和な結末には違いない
が、それとこれとがどう結びつくのかもよく
わからず、わからないまま放置していたら、
いつの間にか再起動して元通りに戻っている
のだから、それをどう考えても故障の原因だ
なんてその時点ではわかりようがないのだが、
たぶん故障していたわけではなく、スリープ
状態だったのかも知れず、気づかないままし
ばらくほったらかしにしていたら、いつの間
にやら忘れてしまったわけで、それに気づい
た頃には再起動していて、いつものように使
えるようになっていたに過ぎないのに、それ
が驚くべき事態でも何でもないのに、何か勘
違いしているようで、それを勘違いとは言わ
ないのかも知れないが、勘違いと間違いの違
いが、勘違いは事実を誤って認識・理解する
思い込みや誤解を指し、個人の頭の中での認
知ミスである一方で、間違いは計算ミスや事
実と異なるなど、客観的に誤っている状態を
指すそうだが、前者は思い違いで、後者はエ
ラーというニュアンスが強いと出力してきた
が、両者を組み合わせて、勘違いによって間
違った行動をとると使われることもあるそう
で、そうであるなら勘違いと間違いが連動し
て起こると考えても良さそうで、今回のイラ
ン戦争はそういうレベルでの勘違いや間違い
ではないだろうが、それを後から振り返って
みれば、何かの勘違いから起こった間違いで
あったと解釈しても構わないような時期が今
後やってくるかも知れないし、それがいつや
ってくるのかも現時点では予想のしようがな
いから、現時点では根拠の定かでない勝手な
憶測には違いないが、憶測とは確かな根拠や
裏付けがないまま、自分の想像や思い込みで
推測することで、正しい情報が不足している
状況で、こうではないかと勘や主観で判断す
る際によく使われ、類語には当て推量や想像
や推察や見当などがあるそうだから、憶測の
使い方としては妥当なのではないかと思われ、
そういう面では勘違いや間違いではないだろ
うが、やはりそれとこれとは違う方面での判
断になるから、憶測が根拠や証拠が全くない
か極めて薄い状態であるのに対して、推測が
ある程度の事実や根拠に基づき推し量ること
であるなら、ここでは憶測という言葉を使う
のが妥当であるように思われるだけで、彼ら
のやっていることがその全体から見れば枝葉
末節で部分的な瑣末な作業であるのも、それ
に携わっている誰もが思うところなのかも知
れず、それが不満の原因なのかも知れないが、
それを外部から指摘されると逆ギレして激昂
してしまうのもありふれた反応にはなるだろ
うが、だからコーヒーを毎日何杯飲む人がど
うたらこうたらとか、五十代で物忘れが激し
い人がどうたらこうたらとか、そういう枝葉
末節などうでもいいことが大事なことだと思
い込ませようとしてくるのかというと、そう
思うのもあっち方面からもたらされる自意識
過剰な勘違いで被害妄想には違いなく、何だ
かそれがあっち方面で仕掛けられている罠だ
と思ってしまうのも、やはり勘違いな思い込
みには違いないだろうが、何かそれがそれに
関する言説の中で比喩として機能するなら、
それが何なのかというと、そこだけに思考の
焦点を絞って、そうすることを正当化するよ
うな判断材料を出してくるから、そうやって
都合よく限定された判断材料だけで判断する
ように仕向けられるともっともらしいと思え
るわけで、ではそれ以外の都合の悪い判断材
料が無視されているのかというと、都合の悪
い判断材料などすぐには思いつけないから、
結局あっちから出してくる判断材料から判断
すれば、あっちの言い分が正しいと思われて
しまうシステムなのだろうが、そんなシステ
ムに誘導され引き込まれてしまえば、否応な
くあっちの言い分が正しいと思うしかないか
ら、まずはそれがそんなシステムだと認識で
きるかどうかに関して、こちらの判断力や分
析力が試されていると考えるなら、そういう
ことでしかないわけだが、果たしてそういう
ことである以上に何がわかるのかと問われて
いるとも思えないのだが、当事者でない者た
ちが外部からいくら利いたふうな意見を述べ
てみても、勝手に言わせておけば済んでしま
うようなことだから、そんなのは無視しても
構わないようなことでしかないと軽んじるわ
けにも行かないが、しかしその一方で、コー
ヒーを一日何杯飲めば健康に良いとか、五十
代で物忘れが激しいとヤバいとか、そういう
ところで当事者意識を発揮するのも、それも
枝葉末節で些細なところにこだわっているに
過ぎず、それが今日的な生活の技法に直結す
るような関心事であると部分的に捉えるなら、
それも部分的にそういうことだと認識するし
かないが、そうやって部分的な面で思考を働
かせておけば、物事の本質的な部分について
考える手間を省けると考えられるわけでもな
く、ではいったい何が本質的な部分なのかと
思考を巡らせても、その人がかかわっている
物事に応じて本質的な部分も違ってくるだろ
うから、ただ漠然と本質的な部分で思考を巡
らせることがその人にとって重要だとは言え
ないわけで、本当にそう言えないかどうかも
あまり自信がないが、例えばその人にとって
のステータスとやらが、その人にとっては本
質的な部分であるのかというと、ステータス
とは、英語の状態、地位、立場を指す言葉で、
人や物事の現在の状態や位置づけを表し、ビ
ジネスでは未着手や完了などの業務の進捗状
況、社会的には高い地位や名声、IT分野で
はシステムやキャラの攻撃力やHPなど能力
値を指し、類語は状況、状態、立ち位置、立
場、身分などだそうだが、ここでは地位や立
場や身分だとすれば、それに相応しい持ち物
を持つことで、自身の社会的なステータスを
示すことになると信じている人がどれほどい
るかも、信じていなくてもあからさまに意識
していなくても、否応なくそうなってしまう
成り行きにとらわれてしまう場合もありそう
で、だからそれを自分一人で決められるわけ
でもなく、勝手に決めつけられてしまう場合
の方が多そうで、そう決めつけるのがあっち
方面での権威を担うような立場や地位や身分
や役職などが伴ってくれば、自分がそれを認
めなくても周囲の世間が認めてしまうから、
いくら抗ってもそう決めつけてしまうような
社会的な暗黙の申し合わせのようなものがあ
るのかも知れず、だから嫌なんだと不快感を
露わにするような場面に出くわすわけでもな
いとすれば、そんな勝手な決めつけなど無視
していれば良さそうだが、程度の違いはある
にしても他の人々と何かしらかかわってくる
と、そうも言っていられなくなる場合も出て
くるなら、それもそういうことだと認識する
しかないだろうが、そんなふうに勝手に決め
つけてくる者たちに向かって、君たちは間違
っている、なんて言い放つ機会が巡ってくる
ことなどあり得ないだろうし、それがフィク
ションの中では言い放つ人物が登場してくる
なら、フィクションだからそうなるんじゃな
いかと、それも勝手に決めつけても構わない
かといっても、そんなフィクションにも出く
わしたこともないなら、それも勝手な妄想の
中で思い描いていることに過ぎず、ではイラ
ン情勢について利いたふうなもっともらしい
意見を述べている専門家気取りの識者たちに
向かって、君たちは間違っている、なんて言
い放てるかというと、それも門外漢の自分が
言い放つようなことでもなく、要するにそれ
が今後の展望や予想などになってくると、確
からしいが不確かな展望や予想になってしま
って、そういう内容をもっともらしい情勢分
析と共に述べるように求めるのがメディア的
な制度なのだろうが、そんな制度的な要請に
答えるのがその種の専門家の責務だと認識し
ておけばいいのかも知れない。
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彼の声 2026.3.16 「何かがおかしいとき」
voice-173
毎度のことのように何かがおかしいことに
気づいてしまい、というかそれがおかしいと
は感じるのだが、何がおかしいのかうまく説
明できないという焦ったい感覚にとらわれて
しまい、そんな考え方がおかしいのかも知れ
ないが、何をどう考えているかなんて、そん
なことを普段から考えているわけでもないか
ら、考え方がおかしいと感じるのも、よほど
のことがない限りそうは感じないだろうが、
ついに見切りをつけるときがきたというなら、
そういうことになりそうで、なぜ見込みがな
いと思うのか、そんなことを思っている自分
の方がはるかに見込みがなさそうに思われる
のだが、それとこれとは非対称な関係にある
から、それと自分を比較するなんて、それこ
そおかしいのだろうが、どうしても自分の都
合に合わせて早合点する傾向にあるから、そ
れが勘違いの原因と言えそうで、向こうはそ
んなことは考慮に入れていないわけだから、
ただ事務的に作業をこなしていれば、それで
不都合はないと考えるなら、そんな考え方の
何がおかしいわけがないはずだが、それでも
何かおかしいと感じられてしまうのだから、
そのおかしいことについて語ろうとして行き
詰まってしまい、たぶん見栄や体裁や虚栄心
や自己満足などを軽んじてはならず、そんな
心理状態にとらわれた人を馬鹿にするのは比
較的容易だが、そんなふうに他人を貶す一方
で、自分がそうなっているのに気づいたとこ
ろで、別にそれでいいんじゃないかと思うな
ら、それの何がおかしいわけでもなく、人と
はそういうもんだと呆れていればそれで済ん
でしまいそうだが、そう振る舞うことによっ
て何かが試されていると思うなら、それが自
意識過剰な心理的傾向だと推察できそうで、
誰がそうなっているのかと問えるわけでもな
く、自分もそうなっているのではないかと考
えるなら、それもその通りだと思っておいて
も構わないが、多くの人のそうした心理状態
が経済の支えとなっていると考えるのも、ち
ょっと大げさ過ぎるし、一部ではそうかも知
れないが、それだけが全てではないと考えて
もしっくりくるだろうが、必要に応じて経済
が回っているとしても、その必要性にも人の
生死を伴うような深刻な必要性からたわいな
いちょっと我慢すれば済んでしまうような必
要性まで色々と程度に差があるわけだから、
スナック菓子など食わなくても生きていける
なら健康に悪いから買わないに越したことは
なく、高級品の類いもそもそも高価で買えな
いなら我慢するまでもないことで、見栄や虚
栄心にとらわれながら無理に背伸びして買お
うとするから、ちょっとしたきっかけから破
産してしまうかも知れず、自分もかなりの馬
鹿だから、数千円の中古スマホにするか、ス
マホも買わずに格安SIMだけにするかと迷
っていながら、ついつい中古や未使用品の九
万円弱のiPhoneへと目が移ってしまっ
て、ヤバいヤバいと思いつつも、それなら十
万円弱の新製品が買えるじゃねえか、といっ
た感じで、簡単に価値観がぐらついてしまう
から、結局高い買い物へと誘導されてしまう
かも知れないが、何とかここでこらえて、セ
コく安い買い物へと自意識を誘導できるかど
うかの正念場に立たされているなんて、そん
な大げさなことでもなく、それによって生死
を分けるような伸るか反るか二者択一を迫ら
れる局面であるはずもなく、冗談もほどほど
にしておかなければならないが、アップルの
新製品の開封動画なんてユーチューブで見な
がら、こんなものを見ている人が多いんだと
羨ましいと思う反面で、その製品を使って何
をやっているんだと疑念も覚えつつも、スマ
ホもPCも単なる情報端末以上の機能がある
とも思えないが、それを言うなら何百万円も
する高級腕時計はどうなんだと問われるわけ
でもないが、時間を見るだけじゃないかとい
ったごく真っ当な回答では、問いに対する答
えにはならないわけだから、宝飾品の類いを
身につけている感覚がどんなものなのかも、
その感覚を言語化するようなこととは違う感
覚からそうなっていると考えるしかないのだ
が、そういう意味では個々人の経済格差に応
じた社会構造となっていて、しかもそれがゼ
ロサムゲームだとも言えないところが安易な
単純化を退ける要素や要因となっているのだ
ろうし、貧乏人が金持ちに搾取されていると
か、経済の南北問題とか、そういう被害妄想
に結びつけるのはありふれた認識なのかも知
れず、実際に北半球に多い豊かな先進国と南
半球や赤道周辺に多い発展途上国との間の深
刻な経済・技術・所得格差を、植民地支配な
どの歴史的背景、特定の一時産品への依存な
どのモノカルチャー経済、不利な貿易条件が
原因であり、工業化の遅れや低賃金、貧困、
栄養不足などの問題を挙げて行けば、もっと
もらしく説明できるだろうが、根本的なとこ
ろでそうじゃないと決めつけそうになるが、
ではその違和感をどうやって説明するのかと
問われると、答えに窮してしまうわけだから、
どうもその辺のところがわかっていないわけ
で、社会の中でそういったありふれた紋切り
型的思考にとらわれた人を馬鹿にしたり嘲笑
ったりすることはできるだろうが、じゃあお
前はそれとは違う思考を提示できるのかと問
われると、やはり答えに窮してしまうわけだ
から、それもそうではないと考えておくしか
なく、たぶん少なくともそれらの人たちを馬
鹿にしたり嘲笑ったりするのではなく、そこ
にも程度の差がありそうで、何でもかんでも
大げさに煽り立てられるわけでもないだろう
し、そうすることが恥ずかしかったり情けな
く思うなら、それとは違った方面で何か肯定
できるような価値観にとらわれているのかも
知れず、その価値観が何なのかといえば、そ
れがわかれば苦労はしないのだが、わからな
くても苦労はしないかも知れないから、興味
がなければそんなことは無視しておいても構
わないだろうが、政治や経済の現状があるか
らそれに応じた社会構造になっている面と、
社会構造に応じた政治経済状況となっている
面とが相乗効果をもたらしていると説明して
も、それを説明していることにはならないだ
ろうから、それとは違った方面からそれを説
明しなければならないとは思うものの、それ
もそんなことには興味も関心もなければ無視
しても構わないだろうから、そうなっている
結果から語るなら必要に応じてそうなってい
ることになるのは確からしいが、その必要性
という程度が、簡単に言うならピンからキリ
まであると言えるはずだが、それが生死に直
結する方面での必要性であれば、何やら深刻
な問題となる反面、見栄や体裁や虚栄心や自
己満足をもたらす程度の必要性であれば、場
合によってはそれを満たすことがその人にと
っては死活問題だと認識していても、他の大
勢の他人から見れば、そんなのはその人の勝
手であって、知ったこっちゃないようなどう
でもいい些事になるかも知れないが、その人
にとってはそれを達成することが最優先すべ
き至上命題のような位置づけなのかも知れな
いし、その辺のところは人それぞれで価値観
の違うところだと思いたいが、それがそうで
はなく、そんな自分の姿や立ち振る舞いを他
人に向かって見せびらかすことが、その人に
とっての戦略であり、そうすることによって
他人を欺いているつもりはないにしても、何
か無意識の目眩し効果のようなものが自覚な
く期待されているようなことなのかも知れな
いから、こんなふうに語るのも言語表現的に
は意味不明かも知れないが、それに関してか
なり昔のことかも知れないが、都知事選挙に
確か鳥越何とかという名前の人が立候補して、
それも本当かどうかもわからないが、その人
がアルマーニのスーツを着ているとどこかの
コラムだか記事だかに書かれていたのをちょ
っと読んだことがあったのだが、ニュースキ
ャスターなのかジャーナリストなのかよく覚
えていないが、その人がアルマーニのスーツ
を着ていることが、選挙戦で労働組合がその
人を応援しているのと不釣り合いな印象を覚
えたという内容を読んで、なるほどと合点が
行ったわけでもないのだが、たぶんそこに経
済格差というありふれた紋切り型の価値観が
潜んでいることは大抵の人なら気づくところ
かも知れないし、それをその人が選挙で負け
た敗因の一つだと分析するのも、何だかそれ
が少しは正解にかすっているような印象を抱
くなら、その種の価値観にとらわれているこ
との証拠かも知れないが、もちろん他にも色
色とそちらの方がもっと重要だと感じられる
ような要因があるのだが、要するに左派リベ
ラル勢力としては、もともと宇都宮何とかと
いう人が立候補するつもりだったのを、強引
に知名度を優先して鳥越何とかという人に一
本化したのも、宇都宮何とかでは勝てないこ
ともわかりきっていただけに、そんなジリ貧
な情勢を反映した経緯や事情があるようで、
それはその延長上で行われた先の衆議院解散
総選挙でも言えることなのではないかと考え
たくなってしまうわけだ。
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彼の声 2026.3.15 「言いたいことを言う人の言い分」
voice-173
何か言いたい人は言いたいことを言ってい
れば、それで気が済んでしまうわけでもない
だろうが、では言いたいことを言うことによ
ってその人の心身にどんな効果や影響がもた
らされるのかと考えてみるまでもなく、まさ
か健康に良いから言いたいことを言っている
のかと考えてみても、そんな理由では場合に
よってはそれも理由として成り立つかも知れ
ないが、いちいち理由を考えながら言いたい
ことを言っているわけでもないだろうし、言
いたいことを言う前にその理由をどこまで意
識できるかなんて絶えず問われているわけで
もないから、言いたいことを言っている人が
いちいちそんなことを気にしているわけでも
ないだろうことはわかりきっていそうだが、
考えるだけ意味がないんじゃないかと思いな
がらも、そんなことを述べようとしていたわ
けではなかったことに気づいたわけでもない
が、言いたいことを言っている理由ではなく、
言っている中身が問題視されなければならな
いわけでもなく、普通は誰かが述べているこ
とについて、それを自身が述べるための材料
として利用しようとするわけだから、それを
語ればもっともらしい言説を構成できそうな
のだが、それに関してその人が何が言いたい
のかと考えるなら、事の真相を明らかにした
いというありふれた理由に沿って何か言いた
いと推測するなら、そう考えるのがもっとも
らしいような気がするわけだが、もっと事態
を客観的に捉えるなら、言いたいことを言っ
ているレベルでは確かにそうだが、言いたい
ことを言わせられていると共に、衆議院の予
算委員長のように、言いたくないことまで言
わせられている現状もありそうで、さらにそ
の言いたいことというのが、その人の社会的
な立場やポジションによって決まってくると
事態を捉えるなら、その立場やポジションに
応じた言いたいことも、その場の情勢によっ
て変わってくると捉えるなら、枝野が予算委
員長では予算委員会が面倒なことになりそう
だから、解散総選挙に打って出て、政治情勢
を変えようとして、結果的にそれがうまく行
って、後は野党側に一通り文句を言わせるだ
け言わせてから、強引に採決に持って行けれ
ば、それでうまく行ったことになると情勢を
捉えておけば良さそうで、面倒な枝野は選挙
で落選させて葬り去ることに成功したのだか
ら、そのついでに面倒くさい安住も選挙で落
選させて葬り去ることに成功したのだから、
そんなふうに面倒な奴らを次々に葬り去るこ
とによって、言いたいことが言える環境を整
えることに成功したはずだが、そうなったか
らといって何がどうなったわけでもないと現
状を捉えられるかというと、そう捉えたいな
ら捉えておいても構わないが、どうも実態は
そうではないらしく、そうなったからといっ
て、現状は何も変わらないと言ってしまうと、
それらの努力や尽力が徒労に終わったかのよ
うに言えてしまうが、そうではなくて、世の
中の情勢に応じて政治情勢もそれなりに変わ
ったと捉えるなら、何となくそれでしっくり
くるような気がするわけで、政治情勢をいく
ら変えようとしても、それを相殺したり無効
化するような世の中の情勢や傾向がありそう
で、そんな情勢や傾向に必死に抗っていると
表現しても構わないかどうかも、当事者意識
としてはそうではないのかも知れず、政府の
官僚機構の意向に沿った成り行きが形成され
ていることは確かなのだが、それもそういう
成り行きに抗っているつもりの人たちにはそ
うは思われないようで、抗っているのに否応
なく従わされているように見えてしまうから、
そういう面では言いたいことを言っているの
ではなく、言いたいことを言っている感覚な
のに、実態としてその人の社会的な立場やポ
ジションに応じたことを言わせられていると
感じられる限りで、その立場やポジションが
保たれると事態を捉えたいわけで、そう捉え
るなら、枝野や安住はその立場やポジション
には相応しくないことを言っていて振る舞っ
ていたから、その立場やポジションが示す地
位を追われたと解釈できそうで、その一方で
言いたくないことまで言わせられている衆議
院の予算委員長は、その立場やポジションに
は相応しくない言動や振る舞いに及んでいる
ように見えて、実際にその地位を追われない
なら、実はその場の情勢に応じた言動や振る
舞いに及んでいると解釈できないこともなく、
そんな逆説が世間で通用するのかといっても、
実際にその人がその地位を追われないなら、
その限りで通用していると言えそうなのだが、
しかもその地位を追われてしまった枝野や安
住の方が、結果的にその地位がもたらす重責
から解放されて気楽な立場やポジションにな
ったわけで、これまで以上に言いたいことを
言える立場やポジションを獲得するに至った
というと負け惜しみの強がりになってしまう
が、一方で不快な態度や言動や振る舞いに及
んで、そのストレスから自身の寿命を縮めて
自業自得な事態に陥っているように見える予
算委員長の方がかわいそうな気もしないでは
なく、せっかく選挙で大勝してやりたい放題
やっているつもりなのに、高市もかなりやつ
れているようにも見えるのだが、そういう意
味では社会の制度や慣習に縛られてがんじが
らめとなっている感覚はないだろうが、それ
らは確実に人の心身を消耗させ消尽させるわ
けで、社会自体がそれを支える制度や慣習に
よって成り立っている面もあるのだが、その
社会の構成員を構成する人々がそうした制度
や慣習に従わされている感覚もないままに、
その制度や慣習がもたらす地位や役職に応じ
て、その責務の度合いも異なるから、それが
重責になるほどそれを担っている者の心身に
その重みが加わって、それに耐えているうち
に自身の心身をすり減らしているのだろうが、
どう見ても現状では強引に事を進めているわ
けだから、それだけそれに関わっている者た
ちの心身に負荷がかかっているようにも見え
てしまうわけだが、だからどうしたわけでも
なく、そうなるべくしてそうなっているに過
ぎず、何をやっても良識派を装う奴らも批判
や非難で応じるしかないだろうが、政治的に
はそれが国家の運営の無理から生じてくるの
も毎度のことで、いつの時代でもそうなって
きたのだから、現状でも普通にそうなってい
るだけで、そうなる経緯や事情は各時代ごと
に異なるとしても、確実にこうやればうまく
行く当てなどないわけだから、方針や指針が
どうであっても、どんな対策や政策を講じた
ところで、新たに対策や政策を講じている限
りで、何かしらそれによって情勢の変化がも
たらされて、そんな変化に応じてさらなる対
策や政策を講じなければならず、そんなこと
をやり出したらきりがないのだろうが、実際
にそういうことをやらざるを得ないのだから、
それをやっている最中なのだろうが、うまく
そういうことをやるように仕向けておいて、
なぜかそこから責任逃れに成功したと枝野や
安住の現状を捉えるのも、何だか違うような
気がするだろうし、逆に彼らはそこから再起
して重責を担う立場や地位へと戻りたいわけ
だろうが、要するに個々人の意図や思惑とは
無関係に情勢が揺れ動いていると捉えても、
それも当事者意識を信用するならそうは思わ
れないし、逆に意図や思惑通りに情勢が動い
ていると思いたいわけで、実際に個々人の意
図や思惑通りに情勢が動くように持って行き
たいわけだが、そういう願望に応じて陰謀論
の類いも部外者の側から妄想されるわけだが、
そこでもアダム・スミスが言うような神の見
えざる手が働いて、個々の利己的な利害関心
が集団的な意図や思惑となって社会に作用す
ると、たとえ個々人の意図や思惑を裏切るよ
うな落胆させる結果をもたらすとしても、そ
れによって人間社会が栄えるような結果をも
たらすかというと、それに対して批判や非難
によって応じている人々から見れば、人間社
会の終焉や人類文明の滅亡を意識せざるを得
なくなってしまうのかも知れないが、そうや
ってそれらの終わりを物語る者も時代状況に
応じていくらでも現れるから、そういう人た
ちの言っていることを真に受けるのも、そん
な末法思想のような時代状況からもたらされ
る終わりの物語の流行り廃りに反応している
ことの表れとなるのかも知れないが、だから
といってそんなことの繰り返しの中で社会が
続いてきたわけだから、そんな感慨に耽って
いるうちに歳月が経過するばかりなのかも知
れない。
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