山に行ったマッシャには禁じられたが、ガドらはのミツライム(エジプト)の神を祭り祈った。
頭に角を付けた牛の姿を金の像にした。
ペルシャのスサからの住人たちは、男の頭に角を付けた。
ミケランジェロのダビデ像は、ギリシャ語誤訳した結果角を付けてしまったことは日本以外では良く知られている。
彼らが祭ったミツライムの記憶こそが、ミツライム➡ミツリ➡マツリの起源である。
移動前に荒ぶる神を過ぎ越す時に食すマッツァ(➡モチ)の習慣や、赤い鳥居の中で家族が過ごす習慣は、東の端の島国に、いまだに残っている。
奴隷時代の苦さを忘れぬように、マッツァ同様永遠に語り伝える苦菜を食べる習慣も、やはり東端の島国に残っている。
スサの名は、神の名として記憶されているが、今やマッシャとの関係を知る者はほとんどいない。
長野のバス運転手が太政大臣になったが、これは先祖の開封からの厳しい掟が関与していたことさえ、知らされていない。
江戸末期までは大名家にあった、捨て子を拾い育てる行事は、マッシャが姉のミリアム機転で王女に育てられた故事による。
西洋ではこれが、マリアの起源になった。
一方、見方によってはアブラハムの正当な後継者たるハガルの子イスマエルは、やがてキリスト教の弟たる世界宗教を生み出す。