以前、「社会構造の「激変」にいまから備えるべきと思う」で「新型コロナウイルスによる危機が去った後、おそらく、これまでとは異なった社会状況に変化することが予測され、それに合わせて旧来の商品・サービス、又は働き方等が激変する可能性があります。」と述べました。
2020年4月7日に緊急事態宣言が出され、あまり拘束力は強くないとしても、やはり命は何物にも代えがたいので多くの人が外出を控え、リモートワークも一部の企業では推進されていくと思います。この流れは、緊急事態宣言が解除されたとしても止まらないと思います。というのも、そもそもこの危機は長期間続くでしょうし、例えば、在宅で仕事なんてできるはずがない等、いままで常識と考えていたことが常識ではなかったことを体感することがあるからです。
もちろん業種によりますが、実際に在宅で仕事をしてみると、案外、在宅でもできる仕事は結構あるという場合が多くあります(特許出願や商標登録出願等に関する仕事の多くは在宅でも可能です。もちろん、テレワークの準備、セキュリティの確保等が前提です。)。
したがって、今後、否応なしに働き方やコミュニケーションの仕方等が変わっていくと考えられます。例えば、テレワークを推進させ、人々が直接集まるのは、「必要な時に、必要な人が、必要な場所に集まる」というような形態(いわば、ジャストインタイムの人間版)になるかもしれません。
一方で、テレワークの利用が進むことにより、テレワークの欠点も明確になってくるでしょう。例えば、ビデオ会議において会話に入りづらいとか、リアルな場で仕事をして会議している人とリモートで仕事をして会議に参加している人との間でコミュニケーション量に差が生じる(いわば、コミュニケーションの非対称性が生じる)とか、色々と分かってくると思います。
◆デザイン思考もアート思考もKOIPは実は昔から触れていたかもしれない
そうすると、①「やっぱりテレワークなんて!」と思う人、②「そうか。ならばこうしよう!」と思う人、そして③「そもそも○○が問題なのだから、こうしたほうがもっといい!」と思う人が出てくるでしょう。
BLMさんが「『アート思考』について考える」で、秋元雄史「アート思考」(プレジデント社)という書籍を取り上げており、この書籍では『世の中の問題解決をするデザイナーの時代から、自分だけが信じる主観的な世界を世の中に問いかけていく問題提起型のアーティストの時代に変わろうとしている』(秋元63頁、以下『』内同書より引用。)と述べています。
そうすると①の人は論外として、②の人はデザイン思考の人、③の人はアート思考の人、ということになりそうです。
KOIPは理系大学・大学院出身なので、以前は、「デザイン」とか「アート」というとなんだか自分には関係ないなと思う口でした。
しかし、デザイン思考が問題解決型であり、アート思考が問題提起型であるとするならば、自分に関係がないことは全くなく、むしろ、知財に携わる人間としては、いずれの思考法もお客さんと接することで日々触れている(自分ができるかどうかはともかくとして)ものだと思い至りました。
というのも、特許の対象は発明ですが、多くの場合、まず「課題」があって、その「課題」を技術的な手段で解決しようとして「発明」が生まれます。そして、中には、特に課題を認識してはいないものの「どうしてもこうしたい」という想いから生まれる「発明」もあります(経験上、後者は前者より少ない印象ですが、基礎研究に近い技術に多い印象です。)。
デザイン思考もアート思考もなんだか難しそうとか思っていましたが、自分ができるかどうかはともかくとして、そういった思考には、実は昔から接していたんだな、と思います。
◆デザイン思考やアート思考を活かすには?
上記書籍では『一流の科学者の思考回路は、一流のアーティストのそれと、とても似ています』、『両者でイメージを媒介にしたコミュニケーションが存在するからです』、『科学とアートには「直感」や「ひらめき」「ビジョン」といった、同じような思考が求められ、それらはイメージを媒介することが多いのです』(秋元39-40頁)と指摘されています。
確かに、優れた研究者と接していたり、過去の優れた発明の裏話を見聞していると、「直感」や「ひらめき」というものが大きな役割をはたしていることは疑いようがありません(例えば、「極端な状況も考えてみる、発想法のはなし」で取り上げた導電性高分子。通常は失敗ととられることを逆に利用したらいいと、ひらめいたからこそ、ノーベル賞につながったと考えられます)。
一方、科学者とアーティストとで大きく違うところは、アーティストは、ある文脈にのって創作されていると思われるものの、誤解を恐れずに言えば、極端な話、作品を世に出したら出しっぱなしでいい面がありますが(わざわざ作品の解説をせず、解釈は鑑賞者に任せる)、科学者は、筋道を立てて説明すること、文章で説明することが求められる点です。というのも科学においては、“第三者が追試して再現できること”が要求されるからです。
但し、これは科学者もアーティストも同じだと思いますが、「直感」や「ひらめき」は彼ら彼女らがこれまでコツコツと積み上げてきたもの(知識や作品)があり、かつ、「常に考え続けている」からこそ出てくるのだと思います。さすがに「無」から「有」は生まれて来ないと思うからです。
やはり、努力して積み上げてきたものがあるからこそ、デザイン思考もアート思考も活きてくるのでしょう。
◆アート的に考えデザイン的に実行する
上記書籍では『「問い」を見つける』に際し、『曇った目を取り除くこと』が重要であると指摘しています(秋元41頁)。
そして、『私たちは普段、文化という、人間が創り出した衣に包まれて暮らして』おり、『これはときとしてものごとを考える上では常識という壁にな』り、『既に既存の文化が刷り込まれているために、それを自分の意識から引き剥がして対象化して疑うことが困難』であり、もちろん『習慣化した常識があるからこそ、社会の中で難なく生きていくこともでき』とはいえ、『新しい発想やイノベーションを起こそうとするときには、それらが邪魔をする障壁にもなる』(秋元43頁)と述べています。
更に、『現代アーティストは、様々なものに懐疑の目を向けて常に自問自答し、曇ったガラスを磨くように「見る力」を刷新しています』(秋元44頁)としています。
今回の新型コロナウイルスの流行により、この『障壁』を壊しやすくなるかもしれません。上記で述べたように、否応なしに働き方やコミュニケーションの仕方等が変わっていく、あるいは変えざるを得ない状況が訪れるため、多くの人が「どうしたらよいか?」を考え始めるからです。
特に、これまでの『習慣化した常識』が通用しなくなる場面が増えていくと考えられますが、そうすると、やはり、『新たな発想』への期待が高まります。
そして、KOIPのあくまで個人的な感想ですが、アーティストは誰よりも早く世の中の問題を感じ取り、それをアートとして表現することに長けていることは理解できますが、その解釈をアートを観た人に任せるのではなく、一般人にも分かるように解説する人・批評する人の存在が重要であると考えます。
これは科学者にも同様に当てはまり、科学者が考えていることを一般人にも分かるように伝える人の存在(知財で言えば、科学者・開発者の発明という思想を、第三者に分かりやすく文章に表す人の存在)が重要であると考えます(もちろん、科学者自身が一般人に分かりやすく伝えることが最も良いことは言うまでもありません)。
そして、以下は発明の話ですが、いくら高度な技術知識があっても、それだけではイノベーションを起こすことはできず、また、知識だけではイノベーションを起こす基になる発明も生まれてきません。仮に発明を創出できていたとしても、その本当の価値に気が付かないこともよく起こります。
そうしないためにも、「常識を疑ってみる姿勢」が重要になるだけでなく、常識を疑い問題提起し、その問題を解決するために意識的に努力する姿勢が今後はこれまで以上に求められるのだろうと思います。いわば、アート思考的に考えてデザイン思考的に実行する、という感じです。アート思考とデザイン思考とは、互いに補完的に使うことがいいのかもしれません。
なんだか難しそうですが、デザイン思考とアート思考というものがあり、それぞれの特徴を把握しておけば、お客さんがどのような思考を持っていたとしても、対応しやすいだろうな、というのが今回の裏のテーマだったりします。
by KOIP
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