モヤモヤは、表面にでてきました。
でも、一つではありませんでした。
アフリカの奴隷問題…
原爆…
沖縄…
一つ箱を開けるたびに、黒い煙の中に次の箱がでてきて、
黒い煙が抜けるとともに、中にはいっていた小箱の
表面はきれいになるんだけど、次はその小箱の蓋が開いて…。
最初の箱は、
人間が人間の自由を奪う残虐さに怒りと悲しみは感じたものの、
まださほどしんどくなかった。
2番目の原爆の箱は、私が小学生ぐらいの頃からずっと感じていた、
人間が手を出してはいけないものに、
手を出してしまったことに関する神々の怒りを感じた。
最後の沖縄の箱は、とても苦しかった。
他の二つとは違って、
このモヤモヤは絶対に自分自身の問題だと思っただけに、
かなり自分の感情にくっついていた様だ。
押し付けられる価値観はもう沢山だ。自分らしくいたい。ありのままで認めて…
そして、昔から感じていた、防空壕に向かって必死に逃げる姉妹を思い出す。
久しぶりに沢山泣いた。
途中から何で涙が出るのかも、
何で泣いているのかもわからないけど、
まるで何かを洗い流すように水が溢れ出た。
![20140131222102f88.jpg](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-61.fc2.com%2Fb%2Fl%2Fi%2Fblissofgaia%2F20140131222102f88.jpg)
私は度々、息子を見つめながら、
人間が誰かのことをこんなにも愛しいと感じられることに驚異を感じる。
そして、誰もが誰かの子供だ、という当たり前の事実。
みんな、みんな愛しい魂。
その愛しい魂同士が、奪い合う、傷つけ合う、競り合う…。
誰かが得をすれば、誰かが損をする。
誰かが勝てば、誰かが負ける。
誰かが自分の価値観を押し付ければ、誰かの価値観は押さえつけられる。
当たり前のようになっているその事実。
でも、誰かを傷つければ、自分も傷ついているという事実には気がつかない。
何かを奪えば、自分も何かを失っているという事実には気がつかない。
たとえそれが「善意」という名の下に行われたもにであったとしても…。
愛に飢えている。
自分が誰かにこんなにも愛しいと思われいることも知らずに。
神が皆を平等に愛しいと思っていることも知らずに。
もうそこにある愛を、ないと思い込み、
空の場所(心)をせっせと奪った愛の代替品で埋めようとする。
やればやるほど、そこにあった本物の愛のスペースがなくなって、
押し出されて流れてしまう。
そしてそこに愛があったとも知らずに、愛を探し彷徨う。
私が息子に向ける眼差しを、世界の全員に向けられたなら…。
世界の全員が全員に、私が息子に向ける眼差しと同じ眼差しを向けられたなら…。
そして皆が、自分がその眼差しを、愛を差し出されていることを自覚できたなら…。
そこにはもう何も他人から奪いたいものはないだろう。
そこにはもう誰も傷つけたい人はいないだろう。
そんな世界を思い描きながら、
自分がはじめの一歩を踏み出す一人になりたいと願いながら、
まだまだとても未熟な自分を感じる。
悔しいけれど、まだまだとても未熟だ。
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