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夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)

私はこの自然界に存在する小さな物が好きです。

私の小さな庭に咲く花々や、そこにやってくる日頃見過ごしてしまうような虫たちにもスポットを当てながら、私も小さき者の仲間として、この自然界で共存していければと願っています。


     夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)-2009,1,18



昨日は久しぶりに雨が降りました。

お昼前から降りだしたやさしい雨に寒さがとけて、

庭土を黒く湿らせていきました。


静寂と寒気を吸って豊かに膨らんだ水仙の蕾に

水滴が光り、青々とした葉が清らかな気品で花を

支えています。


見えるともなく春の匂いが紛れ込んだ雨上がりの

庭に、やわらかな空気が満ちていました。


明日は大寒、すぐに立春と季節は移ろってゆきます。

聞こえてきませんか?春の足音が・・・








    夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)-2009 1,12

  いざよひの 月はつめたき くだものの

   匂いをはなち あらわれにけり (宮沢賢治)



冷たい真冬の

バス停で

ぼうっとしながら

遠くを見ていたら

山の端に

大きな月が

のぼって来た。


凍てつく空に

レモン色が

りんりんと冴えて

冬ざれの風景のなかに

美しく輝いていた。



宮沢賢治のこの歌は知っていても、季節がいつなのか

わかりません。バスを待つ間、昇ってゆく月を眺めていたら

自然にこの歌が浮んできました。


つぎつぎと季節はめぐって、また新しい年にめぐり逢えました。

歳を重ねるごとに、新年にめぐり逢うことは貴重なことのように

思えます。年が改まってもう半月が過ぎようとしています。

遅ればせながら

今年もどうぞよろしくお願いいたします。











     夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)-2008,12,31

     ある建物の8階から見た今年最後の夕日です。

     雄大に、そして静かに沈んでいきました。


悲喜こもごも

今年はいろいろなことがありました。

それがどんなかたちであっても

私にとっては充実した一年だったと思います。


ゆく年 くる年


あと数十分で新しいページが開かれようとしています。

さて、2009年はどんな年になるのでしょうか?


「今ここに生きて在ること」に感謝しつつ

大好きなドン・ロスの『ワスレナグサ(Forgeto-me-not)』の詩

と共に2008年のページを閉じることにいたします。


  忘れるなかれ 放たれし風

 忘れるなかれ 凍れる海

  忘れるなかれ 志向なる力

 忘れるなかれ 花の秘めたる愛

  忘れるなかれ 過ぎ去りし時

我は全てを永遠に忘れじ


皆様今年もありがとうございました。

どうぞ良い年をお迎えください。



     夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)



    わが恋は 松をしぐれの 染めかねて

     真葛が原に 風さわぐなり (慈円 新古今和歌集)


恋の歌としては、あまりにも率直に「わが恋は」、と冒頭から語

りかけた大僧正慈円が恋をしていたかどうか、知るよしもありま

せんが、秘かに思い描く女性がいてもおかしくないと思えるこの

歌に、深く共感を覚えます。


人を恋しく思うことは、切なくて苦しい。思いの届かない恋は、

なおさら、胸に風さわぐほどの苦しみに、心はしぼみ、身体も

萎える。ぺしゃんこにしぼんで、つけなくなった紙風船のような

わが心に、慈円の心に吹いた風と同じ風が吹きすさんで、身も

心も風邪をひいてしまったかのようです。




真葛原(まくずがはら)

京都東山山麓、知恩院から円山公園一帯の広い地域の総称。

今では円山公園の中に小さくその後を留めているに過ぎませ

ん。かつて学生だった頃、通学の行き帰に、よく散歩した懐か

しい場所です。







     



家の近くに、いつもはヌートリアが棲み着いて黒く澱んだ水を

えた池があります。よく晴れた日には空の青さやあたりの風景

を水面に映し、到底黒く澱んだ池とは思えないような美しさです。

それでも、目を凝らしてよく見ると、もとの澱みが見えてきて、

日頃忘れている「無明」という言葉が水面に浮かび上がってきた

のです。


「無明」というのは仏教の言葉です。

辞書によると「人間の底にもつ欲望や執着心などの諸煩悩の

根本にあるもの」とあります。


池が美しく見えたのは美を粧っていただけなのです。その底
は、「無明」という濁りが層をなす暗闇の世界なのです。

美しく粧うとはどういうことなのか?鏡の前で自分の顔を覗きこ

で、ふぅー、と深いため息をついてしまいました。


はたして、自分の無明は人には見えているのだろうか?人の

無明は見えても、自分の無明は自分では見えない。

ということは「無明」とは、自分のことは自分ではわからない恐

ろしい世界ということなのかもしれない。








   薔薇 エーデルワイス

 春、美しく咲いた薔薇エーデルワイスです。

 夏、根元にカミキリムシの幼虫が住みついて枝をぼろぼろに

 削られてしまいました。来春まで療養中です。


  

  あなたの眼差しは

  いつも

  私の頭上をこえて

  はるか遠くにそそがれる


  それでもいいのです

  たった一度きりでいいのです

  一目だけでも会って

  「あなたが大好き」と

  言ってみたい


  「この気持ち」に

  愛だの恋だのと

  めんどうな言葉はいらないのです


  とても 簡単なようで

  とても むずかしい







久しぶりに聴くパガニーニのヴァイオリン協奏曲第4番です。

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  「すすきの精」が夕日に映えて天上へと舞い上がる。

 その時私もひともとの芒になって風に舞ってみたいと思った。

  

  

  人間には

  行方不明の時間が必要です

  なぜかわからないけど

  そんなふうに囁くものがあるのです


  三十分であれ 一時間であれ

  ポアンと一人

  なにものからも離れて

  うたたねにしろ 

  瞑想にしろ

  不埒なことをいたすにしろ

  遠野物語の寒戸の婆のような

  ながい不明は困るけれど

  ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です   

              茨木のり子「行方不明の時間」)

  


久々テレビをつけない台所で『茨木のり子』の

詩集を読んでいたら、FM放送からベートーベンの

交響曲第9番(ベーム指揮ウィーンフィル)が流れてきた。

深沈の闇にひとすじの光りがさし込んで、

だんだんと視界がひろがっていくのがわかった。

再び自分の扉を開いてみたい

そう思えた、たった一人の

ぜいたくなのひととき。










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きょう6月30日は夏越と呼ばれ太陰暦(旧暦)の晦日のことだそ

です。古くから「夏越の大祓い」「6月(みなづき)の晦日の大

祓」がとりおこなわれ、今年前半の穢れを祓い来るべき次の半年

無事を願う行事だそうです。


「成り出でむ天の益人等が過ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪事」

を、風が吹き放つように、霧を風が吹き払うように、船を海原に押

し放つように、鎌で木をうちはらうように・・・

「遺る罪はあらじと祓へたまひ清めたまふ」と、もろもろの罪やけ

がれは水で洗い川に流され清められるとされていた。


  

  久しぶりに空のブルーを見た感じがして感慨無量・・・

   ちょっとオーバーな表現・・・?


神秘にみちた自然への敬意と畏敬の念は農耕儀礼として、古く

から日本各地でさまざまな習慣を生み、生活に密着しながら受

継がれてきているように思います。今でも各神社では、参詣

形代を水に流したり、茅の輪をくぐったりして祓をうける行事

っているそうです。


そういえば子供の頃、6月になると剣のように尖った菖蒲の葉に

蓬を添えて屋根の上に置いたり、軒端につるしたり菖蒲湯に入っ

たりしていたことを、懐かしく思い出しました。私はいい香りのす

る菖蒲湯が大好きで意味もわからないまま特別の日のような気

がしていました。母はこのような風習を大事にしていて、「菖蒲湯

に入ると健康になるよ」と言って、ニコニコしながら菖蒲ぶろを

たてていました。


今からおもうと邪気を祓うために精気を持つ菖蒲には草の霊力

あると昔から信じられていたのでしょうね。

私は田舎育ちなので新暦よりも旧暦(太陰暦)で物事がとりおこ

われる風習に今でも愛着を感じます。


      
水田とはよく言ったものですね。水をたたえた田植えの終わった

田んぼに、さざなみがたっていました。


月並みながら、月日のたつのは早いですね。もう今年も半年が

ぎ去ろうとしています。日々雑事に追われて夕方の散歩もま

ないこの頃ですが、月日だけは季節の移ろいとともにどん

過ぎていくように感じます。


久しぶりに夕方、ホッとする時間が取れたので、夕日が恋しく

なって散歩に出てみると、田植えの終った早緑の田をわたる

は、言葉では言い表せないくらいの心地よさです。

思わず「あー気持ちいい」声に出さずにはいられませんで

た。こういう風のこと「青い風」と呼ぶのでしょうね。

胸の奥に去来するいろいろな想いが、青い風に吹かれて早緑

田を渡っていきました。どこまでもどこまでも風に吹かれて・・・。




       

    
  明日、今我が家で一番美しく咲くこの花をつんで手向けて

  やりたいと思います。


きょうはとても悲しい日です。

今朝からあの泣き声が聞こえてこないのです。

やっと楽になれたのでしょうか?。

夕方から降りだした雨が、悲しみの涙のようにとめどもなく

私の心を濡らします。


重い病気でやせ細っていたご近所の犬のランちゃん(シベリアン
ハスキー)が、ここ一週間ばかり「ワーン、あーんあんあんあん、

ワーン、えーんえんえんえん」と、哀しそうな鳴き声をあげるので

す。それは朝となく昼となく夜となく、、、、すこしまどろんではま

泣きはじめるのです。


地の底からうめくように

哀しみをたたえた叫びのように
痛みに耐えているかのように

自分の命の終わりを悟った

うめきな声なのでしょうか。


もともと犬の吠え声には絶望のひびきがこもっていると言われて

いますが、私はこれまであのような絶望的な哀しい犬の鳴き声を

聞いた事がありません。その声を聞くたび胸が張り裂けそうにな

って涙がとまらなくなってしまいました。


抱きしめてやりたい気持ちにかられながらも一度も抱きしめてや

ることが出来ませんでした。昼間留守にしているランちゃんの家

族の変わりに時間があればたびたびそばにいてランちゃんと共

に悲しみの涙を流すことしか出来なかったのです。


私は人間である前に犬と同じ生物の一員だと思っています。

ただ本能のままに悲しみの声を上げながら死にゆくことが出来

のだろうかと・・・。流れる涙を抑えることが出来ないまま、

いま、ふとそのようなことを考えてしまいました。






      




長い間ご無沙汰していますが

お変わりございませんか?


雨上がりの庭に

ラベンダー色の風が

吹き抜けていきました

まるで

ハープの調べのように


フレンチ・ラベンダーの

妖精のつばさに乗って

涼やかな風

あなたのもとに

とどきますように・・・。





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