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【成長のきっかけになる「利他」とは?】

前回『赤毛のアン』で、マシュウの言葉が、家族の成長のきっかけになったと話した。少し補足する。

そもそもマシュウは心臓が悪く、マリラはひどい頭痛持ち。二人は畑仕事の支えになる「男の子」を引き取るつもりだった。ところがやって来たのは「女の子」。・・この手違いに腹を立てていたところへ、日頃女性と会話もできない様な兄が、突然「女の子を孤児院へ送り返すのは可哀想だ」と言い出す。・・

マリラは驚き「あの子がわたしらに、何の役にたつというんです?」と問いただす。・・するとマシュウは、「わしらのほうであの子になにか役にたつかもしれんよ」と答える。

このときマシュウの意識が自分らから他者に移る。つまり、利他的になる。・・これをきっかけにして「Anne of Green Gables」(=安全基地)が誕生し、三人の急成長が始まる。

そう聞けば、「なるほど。じゃ~『利他的』になればいいのね。」と、岩山に閉じ籠ったおサルさんも思い直して行動を起こすかもしれない。・・が、ここに危険なワナがある。

「利他」には、「本物」と「偽物」がある。本物はアダルトチルドレンを回復に向かわせるが、偽物は破滅に向かわせる。・・しかも、アダルトチルドレンは大抵、偽物を掴む。

今回は、誤解されることの多い「利他」について考察する。

【なんで月にうさぎがいるの?】

「チコちゃんに叱られる!」(NHK、2019年9月13日放送)で、「なんで月にうさぎがいるか?」が出題された。・・その答えは、「うさぎは自分を犠牲にしてでも人を救おうとする美しい心の持ち主だったから」だった。

これはインドの「ジャータカ」という古い(仏教以前の)経典に残る伝説にまつわる。あらましは、

ヒマラヤで老人が行き倒れる。彼を助けようと動物たちが食べ物を持って集まる。が、うさぎだけ何も採れず無力さにうなだれる。そこで、うさぎは老人に火を起こしてもらい、・・突然その炎の中に飛び込み自らの身を捧げる。・・その姿が昇華し、月のうさぎになる。・・

この場面は、手塚治虫さんのマンガ「ブッダ」の冒頭でも描かれ、アニメにもなっている。それを観ると少なからず衝撃を受けると思う。

それでも、多くの日本人は、利他ってそーゆー「自己犠牲の精神」のコトだよねと言うだろう。チコちゃんも「美しい心」と言っており、それが日本人の美徳になっている。・・

しかし、実はこの社会通念がアダルトチルドレンや多くの日本人を追い詰めることになる。

【アダルトチルドレンの暴走】

ここで、「もののけ姫」(宮崎駿監督)の登場人物について考える。・・(「たぶん、こーだったんじゃないか劇場」みたいに。)

まず、主人公の「アシタカ」は、どー見ても正義の味方で、一方、タタリ神となった「ナゴノ守」は恐ろしい悪者にしか見えない。・・が、ブリキには、この二人が、同一人物に見える。・・

みんなと暮らしていた森に、突如外敵(=けがらわしい人間ども)が現れる。大勢の仲間たちが殺され、森も焼き尽くされる。それを食い止めようと抗うが、石火矢に撃たれ酷い苦しみを受ける。・・って、二人の境遇は、まるで同じでは?・・(←「ナゴノ守は森を守り、乙亥らを守ったのですぞ?!」)

そして、普通瀕死の重傷を負った者は、帰巣本能でホーム(=味方の地)に戻ろうとするハズ。が、なぜか、ナゴノ守はアウェイ(=無縁の地)に向かって暴走した。・・これを痛みと恐怖から闇雲に逃げ出したと思うかもしれないが、ブリキはそーは思わない。

たぶん、ナゴノ守は、気が狂いつつ、自分がタタリ神になってしまったと悟り、「仲間たちに『祟り』をうつしたくない、みんなを守りたい!」と覚悟を決めただと思う。だから、一人でアウェイを目指したのではないか?・・アシタカがカヤに「触れるな!」と言ったように。

おそらく、この二人には肉親が居ない。(アシタカの村の場面で、それらしい人物が出てこない。) それでも、幼い頃からリーダーとして頭角を現し、周囲に期待され、立派に応えてきた。つまり、ヒーロータイプのアダルトチルドレンだと思う。

二人とも、周囲の者は大切にし傷つけず絶対に救おうとする。が、自分の身は傷つくコトを厭わず粗末にし絶体に救いを求めない。・・まさに月のうさぎと同じ「利他」の観念に囚われている。・・しかも、その道を曇りなき眼で一心不乱に突き進もうとする。

その信念によって、ナゴノ守はタタリ神になってしまう。また、アシタカも、物語の主人公でなければ2、3回は死んでる(←スーパーマリオみたいに)と思える。

可哀想だが、自ら「自己犠牲が正解なんだ」と思い込んでるので、身を滅ぼすのは当然の結果だろう。

つまり、二人共その認識ではダメでしょ。と言いたい。・・・<つづく