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【ここから抜け出せるのか?】

前回アダルトチルドレンの苦しみは大抵一生続くと話した。三つ子の魂百までのようにと。

では、そこから抜け出せないのか? 救いはないのか?・・・今回はこの問いについて、ブリキの思ってることを書く。・・・

先ず、アダルトチルドレンとはいったい何なのかと言えば、「アダルトチルドレンは病気(=不調)」だと思っている。

何の病気かと言うと、「家族の病気」であり、さらに突き詰めると成長の不調・・・つまり、「子育ての病気」だと思っている。

治るのか治らないのかで言えば、「治る」と思っている。

どうすれば治るのかと言えば、「成長すればいい」と思っている。・・・子どもでいられなかったのが原因なので、改めてそのプロセスを進めれば(=成長すれば)治ると。

だったら、話しは簡単かと言うと、残念ながら「言うほど簡単じゃない」と思っている。

【苦難の旅】

なにせ、人間が成長(=成熟)するには、二十年弱もかかる。(←子どもでいる期間)・・・そもそも大変な課題というわけだ。

その上、アダルトチルドレンの場合には、次のような難しさが加わる。

  • 1)お手本にすべき人物がいない。学習器で教師信号がない状況は致命的だ。
  • 2)生物の成長には適切な時期(=敏感期)があり、その期を逃すと成長しづらくなる。
  • 3)サバイバルに必要だったスキル(=回避パターン)は成長に逆行するため、それを手放し、再学習する必要がある。
  • 4)未熟な親たち(&未成熟な現代社会、間違った常識)による妨害を上手く回避する必要がある。

おサルさんの話しなら、岩山に封じ込められている処へ「妖怪たちの待つ苦難の旅に出るなら、そこから出してあげる。」と告げられる場面か。・・・

もし便利な呪文や筋斗雲があったとしても使えない。目的が「成長」なので、楽をしても意味がない。

自分の足で歩き、ときに闘い、ときに逃げ、ときに許し、ときに許されながら前へ進むことが求められる。

つまり、この課題は、生きるということそのものなんだと思う。

【安全基地がない】

この生きるという当然の課題を前にして、アダルトチルドレンは「よし分かった。それなら旅に出る!」と言うだろうか?・・・

残念ながら、そうはならない。岩山に囚われ続ける方を選ぶ。つまり苦しみ続けることを選ぶ。大概、自ら、一生。・・・

アダルトチルドレンがそう選ぶのには理由(わけ)がある。・・・それは、その子たちに安全基地が無いからだ。

安全基地とは、例えると、プールの上げ底(=プールフロア)みたいなイメージになる。

大人用の深いプールに上げ底を敷き詰めれば、子どもでも安心して入れる。このとき、上げ底の上が安全基地だと言える。

一方それがない状態で、子どもを深いプールに入れるのはとても危険で無謀だ。・・・が、アダルトチルドレンはそこにいる。

その中で、足が届かず、泳ぎ方も知らず、なんとか溺れまいとモガイている。・・・ある子は何かにしがみ付き固まっている。またある子は手足を激しく動かしジタバタしている。・・・

その子たちに向かって、「さぁ、プールの真ん中に出て来て泳ぐんだ! それが人生なんだ!」と告げるのか?・・・

【グリン・ゲイブルスのアン】

このように、安全基地は、大人用の環境(=実社会)を子どもの成長段階に合った環境に換えて、子どもが子どもでいることを支援する機能だと言える。

ここで子どもでいるには、足が底に着いているのがポイントになる。種の発根(はっこん)や卵子の着床のように、地に足が着けば成長が進み、離れれば止まる。・・・

つまり、「安全基地」は、子どもの成長のスイッチになっているわけだ。・・・

ただし、これは安全基地の一つの側面に過ぎず、また別の側面がある。それを「赤毛のアン」(ルーシー・モード・モンゴメリ著)が教えてくれる。

 

主人公のアンは個性的で、発達凸凹な子として描かれている。たとえば、生後三ヶ月で両親を亡くし、大人びた話し方をしたり、肩に力が入り過ぎてよく失敗したりする。

アンは、マシュウとマリラが住む緑の切妻屋根の家(=グリン・ゲイブルス)に引き取られる。そこが「安全基地」となりアンは急成長していく。まるで魔法の豆の木のように。

ちなみに、作者のモンゴメリも1歳のときに母親を亡くし、父親とも離れて暮らしていた。原題は「 Anne of Green Gables」と名付けられた。

【育つ力の作用と反作用】

でも、ここで注目するのはアンではなく、マシュウとマリラの方だ。

二人共未婚のまま初老を迎え、兄妹で暮らしていた。この二人も何か凸凹を抱えている。・・・

マシュウはとても気が小さく、人目を避けるようにして生きている。マリラは堅苦しく、周囲に笑ったり頼ったりするところがない。

そんな二人もグリン・ゲイブルスという「安全基地」の下で、アンと共に急成長していく。・・・これが安全基地のもう一つの側面だ。

つまり、安全基地は、子どもだけでなく親(=養育者)の方も成長させるわけだ。

ここで安全基地のイメージを見直す。・・・再び例えるなら、今まで台(=上げ底)だと思っていたモノは、実はただの板だった。となる。・・・重要なのは、その板の裏側で誰か(=親、裏方さん)が、それを支え適度な力で押し返してくれていたというコトだ。

つまり、安全基地はモノじゃなく人だった。・・・「板」を挟んで向かい合う力は同じ力だった。・・・そして、子どもがジャンプするとき親も一緒にジャンプしてくれていた。・・・だから、親も同じ分だけ育つわけだ。

【オセロみたいに裏表をひっくり返す】

この育つ力の作用(と反作用)を活用すると、先に挙げたアダルトチルドレンの(2)と(3)の障害を上手く乗り越えられる。・・・

つまり、子育ては、親が新たな環境でやり直し、回復し、子どもと共により良く成長するチャンスだと言える。

アダルトチルドレンに限らず、人類は世代を超えて成長して行ける。(負の連鎖ができるのだから、正の連鎖もできる。)・・・

やがて、発達障害も、差別も、戦争もない成熟した社会を築ける。・・・かもしれない。

だから、みんながこの力の作用に気づき、ひとりひとりが子育てを楽しみ、みんなで少しずつ成長できたらいいなと思う。

【補足1:息を合わせる】

子どもは成長しようと「板」を蹴ってくる。その「板」の裏側で、親が絶妙に押し返す。

このバランスが合えば「板」は「安全基地」になるが、ちぐはぐ(=凸凹)ならば「危険地帯」または「泥仕合」になる。

細かく見ると、子どもが「板」を押してくるタイミング、位置(=ポイント)、力の向き、力の強さを把握してないと上手くバランスをとれない。(ラケットでボールを打ち返すみたいに。)

だから、親が赤ちゃんをしっかりと見ていないと「安全基地」は作れない。(ボールから目を離したら打てないように。)

また、これをパッと築き上げる便利な呪文はなく、コツコツと反復練習しながら作るしかない。(子育て中の人は、併せて「抱っこ」や「夜泣き」も読んでほしい。)

【補足2:「赤毛のアン」を教えてくれた大切な本】

「赤毛のアン」が発達凸凹をテーマにしていることについては、茂木健一郎さんが「100分 de 名著(2018年10月) モンゴメリ『赤毛のアン』」で解説されている。・・・ので、凸凹を抱えている人はぜひ読んでみてほしい。

特に、アンを孤児院に送り返そうとするマリラに、マシュウが返す言葉。・・・彼が利他的になり、三人が成長を始めるきっかけとなる言葉にグッとくる。

【補足3:子育ての機会がなくても・・・】

子育ての機会がない人たちはどうすればいいのか?・・・は、「板」の向こう側は自分の子どもじゃなくてもいいし、できそうなところからでいい。となる。

もし、そんな機会も無ければ、本を読むのでもいい。実は本も「板」のうちで、作者と読者が向き合える。

グリン・ゲイブルスに来る前、アンの友達は2人だけだった。しかも、その一人「ケティ・モーリス」は棚のガラスに映る自分(=アン)の姿で、もう一人「ヴィオレッタ」は近くの谷に住むこだまだった。・・・

そこでも、アンは本を読み、自分にできること(=アンの場合は、想像や子守りなど)をして乗り切ってきた。・・・

ぜひ、茂木さんの解説やモンゴメリの原作を読んで、向こう側から支えてくれる力を感じ、回復のヒントを見つけてもらえたらいいなと思う。