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【劇的な成長期】

『イモムシ』は『サナギ』になり、やがて『チョウ』になる。・・・その成長過程はとても劇的で「変容、変態」(= メタモルフォーゼ、蛹化や羽化)と呼ばれる。

同じように、ヒトも『赤ちゃん』から『子ども』になり、やがて『大人』になる。

「赤ちゃん」から「子ども」に変わるのは生後3年くらいの間で、「三つ子の魂百まで」と呼ばれるとても重要な時期となる。

(ちなみに、「子ども」から「大人」に変わるのは中学卒業後3年くらいの間で、こちらも重要な時期となる。)

ヒトの場合、外見上、羽や手足が生えたりシッポが無くなったりするわけじゃない。・・・

でも、アタマの中ではイモムシがチョウになるほどの劇的な変化が起きてると思える。

【子どもになれない子たち】

このとき、わけあって上手く「赤ちゃん」から「子ども」になれない子たちがいる。・・・

その子たちは「アダルトチルドレン」と呼ばれる。

日本語に訳すと「成熟した子どもたち」となる。・・・それは、この子らが、子どもっぽく見えないからだろう。が、それは上辺(=擬態)に過ぎない。

本質的には、「子どもでいるコトが許されない子たち」だろう。

ちなみに、子どもになれなかった子らは、大人にもなれない。

イモムシもサナギを経なければ、チョウに成れない。・・・子どもという成長過程は、ヒトが大人になる(=成熟する)ために必要だから存在する。

だからアダルトチルドレンは、子どものときだけでなく大人になってからも苦しむ。大抵、一生その苦しみを背負うことになる。・・・三つ子の魂百までなので。

歳を重ねる毎に何とも言いようのない苦しさと凸凹のレッテルが雪だるま式に積み重なっていく。

【成長という大玉】

では、なぜ、この子たちは「(ただの)チルドレン」ではなく、「アダルトチルドレン」になるのか?・・・

それは、親(=養育者)が「成熟した親」ではなく「未熟な親」だから。・・・

そもそも「アダルト(=成熟した)」という修飾語は、子ではなく親の方に付くべきだろう。

それが、子の方に転嫁(=丸投げ?)されて「アダルトチルドレン」になっている。

実際、この子たちには、「赤ちゃんから子どもになる」という本来の課題に加え、「親の代わりに大人になる」という無茶苦茶な課題まで課されている。

しかもその親たちの、子らに対する関心や期待は、無茶苦茶な方に偏っている。なぜなら、親の方が(子らに)甘えたいと思っているから。

親自身が第一の課題をクリアしていないから、どうしても利己的(=親の自己中)になってしまい、利他的(=赤ちゃん中心)になれない。

だから、赤ちゃんや子どもたちに「無償の愛」や「安全基地」を与えられない。

これを以てその親たちのコトを、カラダは大人かもしれないが、アタマは大人(=成熟した人、アダルト)じゃない。と言いたいわけだ。

そうした親たちによる養育環境(=家庭環境)を「機能不全家族」という。

【いったい何が凸凹なのか?】

このような養育環境の下では、子の成長・発達が遅れたり、凸凹になったりする。(←そーならない方がオカシいと思える。)

そして、この子たちは、周囲から「アダルトチルドレン」、「発達障害」、「自閉っ子」、「発達凸凹」などと呼ばれるようになる。・・・

が、いったい何がへこんでいて、何がでっぱっているのか?・・・本当にこの社会で言われるように、この子たちの因子(=遺伝子)の問題なのか?・・・

ここで、どう見ても悪玉としか思えないアダルトチルドレンの凸凹に注目しながら、その問いを追いかけていく。・・・

たとえば、≪子どもになれなかった人は大人にもなれない?・・・世代を超えて同じことを繰り返している?・・・大玉送り競技のように、何か大きな玉を世代間で次から次へと送っている?・・・何の玉を送ってるんだ?・・・あぁ~コレね。≫と、

そして赤ちゃんのときには担いきれなかったその大玉にあらためて向き合う。長年積み重ねてしまった覆い(=回避パターン)を一つひとつ引き剥がしながら。・・・すると、

「利他的」って何?

「成熟した人」ってどんな人?

「親になる」ってどういうこと?

・・・など、ずっと探し求めてたモノが、人が生きるうえで大切なモノが、偽りじゃない本モノが、次々と現れ救い出されてくる。

そして、≪あぁ、ただの悪玉じゃなかったんだ。ここへ辿り着くためにへこんだりでっぱったりしてきたんだ。≫と気づく。・・・と思う。

だから、この凸凹について、もう一度考えてもらえたらいいなと思う。