ジュネーブ半径500Mな毎日 -9ページ目

それはつまり私が「異教徒」で「異質」ってこと?風呂敷はどうよ?

という訳でジュネーブはイスラム教徒も多いので、

私にもイスラム教徒のお友達がいる。

彼女達は本当に親切で、献身的で、忍耐強く、

素晴らしい部分がたくさんある。

イスラムの教義がどうとか、コーランの教えがどうとか良く分からないのですが、

イスラム教徒のママが、お誕生会の時に私の次女のおでこにキスをしてくれたときには

ものすごい神聖な母性がみなぎっていて、その姿が神々しく思えた事は忘れられないし、

別の子供がおでこを怪我した時に、自分の服が血で汚れても一生懸命止血をしていたイスラム教徒のお母さんの態度には本当に頭が下がる思いがした。

私は言葉が出来ない事を理由に何事にも消極的だったし。




そんなお友達の1人に、私は日本から子供用のスポーツシューズをお土産に持って帰って来た。

それはもともと彼女から頼まれていた物で、彼女がカタログから選び、注文した物だから

彼女もとっても喜んでくれたのだけど



「Yoko、本当にありがとう。

もう本当にありがとう。

すっごい感謝している。

もう本当にありがとう。」


とまくしたてている?かのように言いながら、

一方ではその両手は忙しく、

私が持って来た紙袋(すでに結構大きい)を、再びさらに別の袋にせっせと入れ直している。


「ああ、その角度で入れると、紙袋がビニール袋をやぶっちゃうよ」

と言いながら手伝った後で、

「でも、どうして、すでに頑丈な紙袋に入っている物を、別の袋に入れ直すの?」

と、今思えば、笑いながら無邪気な顔で聞いてしまったものだ。

彼女も一緒に笑ったけれどその後、別れ際に



「・・・ごめんね。ルールなの・・・・じゃあね」



と言い残して、彼女はさっと去って行った。

ルールとは、きっとイスラムの戒律の事なのだろうか。




外国の製品が欲しい彼女

でも、戒律は破れないから、自分の袋に入れ直して、外からそれを家の中に持ち込んでも良いことにしているのだろう

私との友情もあるだろうし

彼女とアラーの関係もあるだろうし

周りのイスラム教徒のお友達の目もあったかもしれないし

でも、安くて良い物は欲しいし、なにしろ家計が助かるし

でも、戒律は破れないし

でも、ちょっと気まずくして悪かったな

という堂々巡りが、

彼女の中にあるかもしれないけど、

あるかもしれないと思う私が間違っているかもしれないとも思う。

ラマダン(断食)もつらくないと言い切る彼女の信仰からは、そんな迷いは生じないのかもしれない。

なんだか急に彼女と距離を感じる。

それとも近いと思っていたのは私だけだったのか。




でも、どうなわけ?わざわざ日本から箱に入った靴二足、スペースを取る荷物を持って帰って来たというのに

「異教徒からもらったものは、直接家に入れてはいけない」

とかいう戒律があるの?

これは私の友情の証の行動なのに、

そこで、私から一線ひくなんてひどすぎない???



という気持ちが、温泉みたいにぽこぽことわき上がって来なくもない。


が、それと同時に


「あんな破れやすいビニール袋じゃなくて、風呂敷にすればいいのに。日本の風呂敷。あれは、小さく持ち運べて、大きい物でも包んじゃうんだから。次は風呂敷をあげちゃう?」

とか思っている、まだ優しい私がいる(笑)。

上善水の如し

深く考えずに流す、これ鉄則。






























近い将来イスラム教徒がヨーロッパでマジョリティになる予想

最近、本当に多い、次女のクラスで「あかちゃんが生まれた」報告。
生まれるのはすべてイスラム系の家族だ。

普通赤ちゃんが生まれると
「おめでとう!かわいい!」
となるわけだけど、
4人目や5人目ともなると
「すごいね」と同時に
「家が狭いけど大丈夫?教育費とか足りる?」
という差し迫った感想を漏らす人もいる。

その微妙な温度差を
私はやはりキリスト教国はイスラム教徒の人口爆発を恐れているのではと、深読みせずにはいられない。


下の数字は、インターネットで出回っているものなので、リンクを貼ってみます。
下記は抜粋です。
一例と思って読んでみてください。
内容はキリスト教徒からみたら悲観的な予想となっていると思います。


http://youtu.be/4wqHdR1tDD4



出生率が2、11を下回るとその文化は継承されずに衰退して行く。
それを回復するには80年から100年の歳月が必要。

2007年の出生率
フランス 1、8
英国1、6
ギリシャ1、3
ドイツ 1、3
イタリア 1、2
スペイン 1、1
ヨーロッパユニオン全体では1、38(文化の継承が行われない数値)

しかしヨーロッパの人口は減らない。その理由は移民である。
1990年以降の90パーセントの移民がイスラム系である。

フランスの場合
フランスの出生率が1、8なのに対し
イスラム教徒の出生率は8、1
20歳以下の人口の30パーセントがイスラム教徒で、
パリやニースやマルセイユと言った大都市ではその数字は45パーセントにまであがる。
2027年までには5人に1人はイスラム
35年以内にフランスはイスラム国家になる

英国の場合
30年前に82、000人だったイスラム教徒は今は30倍の240万人に増えている。

オランダの場合
新生児の半数がイスラム教徒
15年以内に住人の半数がイスラム教徒になる。

ロシアの場合
5人に1人がイスラム教徒
軍隊の40パーセントがイスラム系になる

ベルギーの場合
人口の25パーセント、新生児の半数がイスラム系
2025年にはヨーロッパで生まれる子供の3人に1人がイスラム系住民の子供として生まれると発表。

ドイツの場合
出生率の減少は止められず、この負のスパイラルはもう止められない。2050年にはイスラム系国家になっているかも

カダフィー大佐も
アラーによる勝利の印。イスラム教徒はもはやテロリストも自爆テロも必要なく、数十年のうちに、ヨーロッパで増えるイスラム教徒が、征服も、銃も剣もなしに、ヨーロッパをイスラムの大陸に変える。

現在5400万人いると言われているイスラム教徒は、20年以内にその倍になるという予想をドイツがしている。
一方、ヨーロッパの住民の出生率はすでに文化の継承が行われにくいレベルに達しているので、ヨーロッパが自分たちの文化を保持し続ける事も難しい。



というものだ。

ヨーロッパで、ヨーロッパ化されたイスラム教徒も出るかもしれないから、彼らの方がヨーロッパに同化する事とかないかな?とも楽観的な意見を出したいとも思うけれども。

でも私の身の回りをみても、出生率によるイスラム教徒の増加は本当だと思う。

この物価の高いスイスでも、イスラム教徒は3人以上の子供を産んでいる場合が多く、そして、日本人ですら「狭い!」と思われるようなアパートに、身を寄せ合って暮らしている場合もある。そのバイタリティはやはりすごいと思う。



スイスのイタリア語圏の州でも
「ブルカ(イスラム教徒の女性が身につける全身を覆う黒い布)を禁止する」条例が採択されたというニュースもある。
これも、ブルカ着用が人権侵害という意見のみならず、イスラム教徒に、もうこうなったら同化してもらいたいとか、移住や定住を食い止めたいとかいろいろな思いがあるのだろうか。

ヨーロッパではすでに教会よりもモスクの数が多い街もある。スイスでは、これ以上モスクの建設を禁止する条例を持つ州もある。

しかし、上の予想が当たるのであればこれらの条例も20年後には覆されるのかもしれない。
また、上記の流れをふまえて、ネオナチなどの民族主義もまた台頭してくるかもしれない。
マジョリティだった自分たちがマイノリティになるとはやはり考えると怖いだろうと思う。
十字軍って中世だけの話ではなかったんだなと思う。
400年の時を越えて、越えてというかその間ずっと、イスラム教徒の進行は続いていて、しかも今回は内部から移民という合法手段によって、という感じなのだろうか。

移民という手段を使って、まずは、ヨーロッパ、それからロシア、カナダ、アメリカとイスラム教徒は増え続けるだろう。イスラム教徒うんぬんというよりも、その文化、男尊女卑的な考えが主流になるとしたらそれは避けたい。

日本も移民の問題や、近隣諸国との軋轢を抱えているけれど、
少子化を理由にして移民政策を推し進めたら、その結果を受け入れなければいけないから
公に議論して欲しいと思う。
日本の失業率が低下して低い数字で安定するまで、全ての仕事を今国内にいる人達で回す。そのためには教育システムも変えた方が良いかもしれないし。


しかし、イスラム教徒であってもそうでなくても、一人一人向き合えば、皆良い人達なのだ。
イスラム教徒の労働者が、ヨーロッパの人々があまりしたがらない3kと言われる労働に汗を流して、国や地域を支えてくれている事も確か。
人は生まれる場所を選べないし、チャンスは平等に与えられるべきだとも思うし。

きっとそういうキリスト教的価値観をもった、博愛精神のキリスト教徒には、やはりそこでイスラム教徒の受け入れにノーとはおおっぴらに言えないだろうとも思う。それが良心ってものかも?

負けるが勝ち

って、ことわざもあるけれど。

ヨーロッパに、移民政策は失敗だったと半ば思わせるのは、移民して来たイスラム教徒達がその国の文化に同化しないで、自分達のコミュニティを作るからだとか。ドイツ人はドイツのある国を、「まるでイスタンブールそのもの」といって、受け入れた移民が同化しない事を嘆く。
こういうことは、どの国でもある事だと思うけど。


周りの国々と陸続きのヨーロッパだからか、海に囲まれた日本で暮らしていた時よりも、時代のうねりが強いなと思うのでした。



ローカルラジオと「想像ラジオ」


最近、iPadのアプリで、日本のラジオを聴く事にはまっている。

家事をしながら、たまった書類に目を通しながら、

日本のラジオを聴くのは楽しい。



メジャーなFM局は聴く事が出来ず、ローカルなものしか聴けないので、

地元に一番近いFM局を選んで聴いているのですが、

さすがローカルなゆるい味わいがあっておもしろい。

たとえば、「キャビン・アテンダント」が舌がもつれて言えずに、4回も言い直して、最後には周りの人に「CA」でいいよ、と言われたり、

ペンネームが上手く言えなくて笑い出したり、

曲紹介に至っては2つ先のタイトルを紹介してしまったり、と、



このように勝手にくすっとさせてくれて、勝手に選曲までしてくれるラジオって本当に便利で好き。

ただし、時差のある私は、午後2時(日本時間の9時)をまわるともうジャズを聴き始めないといけなくて、

まだまだそんな時間じゃないのに勝手に、リラックスしすぎていたりするのですが。



そんなラジオとリスナーの心のやり取りをえがいた小説が「想像ラジオ」(いとうせいこう)。

これは舞台劇にもなるのではと思う程、読んでいて画像処理ができるような作品でした。

地震と津波の後の東北のある場所で、ある電波が新たな交流を生んで、育んで行く。

想像ラジオは、共感、共鳴、共存という「共」という言葉がキーワードとして書かれていると感じられます。

この「共」の意識が「絆」という言葉も生んだのだろうと。

一件軽いタッチの作品ですが、でも実はその意識は深くて、心に残る作品でした。