ダボス会議にはすごく関心を持っていましたが、金融危機以後、そもそも「ダボス会議」自体の意味が問われてきているように思いはじめました。
自分たちが変革するという意思を示すなら、すごく意味がありますが、従来の路線を守るための会議に終われば、それでこの会議の意義はなくなります。
世界賢人会議とともに、ある期待はあるのですが、自己変革のエネルギーがあるかどうか、議論すべき問題が多すぎて、その割には、雑多な出席者ですので、今回は期待できません。
今回も会場の外では反グローバリゼーションの反対運動があるでしょうか。
中露が何をいっても、あまり意味はありませんね。自らも同じ洗い桶のなかに足を入れているわけですから。