ジュリオラーザ公爵がやるのならと、後尻にのる貴族もいれば。
 嗜みのひとつだと勘違いした富豪が名をあげることも実際にある。

 そのおかげで、資金的に余裕のない一般層でも学舎に通うことができる。
 もちろん返済しなければならないので、条件は厳しいが。



 ジュリオラーザ公爵ほどの影響は求めないが、気の良いどこかの富豪が思い付いてくれはしないかと願う。
 同時に、他力を当てにする自分が嫌になる。

 他のことならどうにかしてやれたかも知れないが、遺憾せん、金銭は専門外。
 自分の食い扶持しか稼いだことがないため、財産などもない。

「…………」
 ため息をついては落ち込むばかりだ。

 ふと視線を巡らせば、王宮の外堀の水がキラキラと輝いているのに気付いた。
 王宮は相変わらずシンとして、主のいない寂しさが窺える。

 五大貴族と大臣らが、今日も現れない主の替わりに政務を行なっているのだろう。
 それがもう、五百年近い間続けられている。
 気が遠くなる話だ。



 外堀の水を輝かせる焚き火。
 見張りが移動するのか、時折きらめきも流れる。

 キラキラと輝くものに触発され、いくつかの記憶が甦ろうとする。
 それを首を振って払い、額に手を当てた。
 自分の記憶は今に不似合いだから。



 しばらく歩くと林が現れ、左手にあった王宮を隠す。
 振り返っても王宮が見えなくなると、学舎の正門が現われる。
 見張りの警備員に学生証を見せて通り過ぎた。

 右に曲がると、聞き慣れた声がした。


   *  *


「あ、ヨウス。
 おかえり」
 ティセットの声に数人が振り返った。
 一気に注目を集めたヨウスが立ち止まって硬直する。

「遅かったな」
 ノロノロと近付いてきたヨウスを笑う。
 どこに行っても注目されるのに、相変わらずそれに慣れない。

「ん、……うん。
 司祭様を送ってきた」
「そっか。
 これから呑みに行くんだ」
 行くだろ、と尋ねると、いつもは返って来るはずの返事がない。

 ヨウスの視線はティセットの周囲を彷徨う。
 今、ティセットを囲んでいるのは、ルフェランやトルクではない。
 だからヨウスは落ち着かないのだろう。

 ルフェランとは店で落ち合う約束。
 トルクとヨウスを待っている間に、ティセットの退舎を聞いた東寮の学生がわらわらと集まったのだ。

「あ、こいつらは置いてくよ」
「うわっ、ヒデェ!」
「見送りぐらいさせろよ!」
「離さねぇぞ、ティスぅ」
 ティセットの一言で周りが騒ぎだす。

「ばーか、ヨウスが話せなくなるだろ?
 ただでさえ口数少ないんだからなぁ」
「おまえを見送りたいっていうこの気持ちはどーすんの?」
「おまえの学生最後の酒を共にしたいのさ」
「さーけ! さーけっ!」

 さらに喚きだす周囲にヨウスが何とも言えない顔をする。
 怖がっている風ではないが、呆然としていた。
 賑やかな場所に馴染めないのはわかるが、その顔は珍しくおもしろかった。
 春来祭から、時間はあっという間に流れた。
 間違いではないだろうかというほどに。


 ヨウスはその日も、授業が終わった後、クワイトル司祭の家にいた。
 今日は守り番として、クワイトル司祭が夜から出かける。
 その支度を手伝っていた。

「今日は戻られるのですか?」
 はい、とヨウスは頷いた。
 クワイトル司祭に法衣を留める飾りを渡す。

「ティセットが、明日には寮を出るので」
「あぁ、彼が。
 ……寂しくなりますな」
「……はい」

「では明日は、こちらには来られないのですか?」
「はい。
 荷物を下宿先まで運ぶそうなので、手伝いに行ってきます」
 そうですか、と頷くクワイトル司祭の襟元を直す。

 何を思ったのかクワイトル司祭は、苦笑した。
 何か、とヨウスは尋ねる。
「見習いが板に付いてしまいましたね」
「そうですか?
 まだ慣れないことばかりです」

「いいえ、充分です。
 ほかの人でしたら、腰帯を渡すのですが……」
 ヨウスが首を横に振るのを見て、肩を落とすクワイトル司祭。
 最初からわかっていたことだが、ヨウスの気持ちに変化はない。



「実はもうすぐ、息子が帰って来るのです」
 クワイトル司祭は聖具を首に掛け、親指で撫でる。
 その親指を自分の額に付けた。

「ご子息が……」
 カルオネ国の教会にいると聞いていた。
 学舎の交換生と同じく、教会同士で僧侶を交換するらしい。

「一緒に食事でもいかがですか?
 実は、まだあなたのことを話していないのです」
「……」
 答えに詰まるヨウスを見て、クワイトル司祭は笑う。
「もちろん、カザーカ国からの来客として紹介します」

 それを聞いて一息つく。
 確かにヨウスはカザーカ国から北上して来た。
 だが、ラディンネル国が目的地だった訳ではなかった。

 たまたまラディンネル国に入り、偶然クワイトル司祭と再会した。
 ただそれだけだ。
 事を大きくしたくはないという気持ちに変わりはない。



「あと十日ほどで着くそうです。
 またその時にお話しましょう」
「はい、司祭様」

 途中までクワイトル司祭と連れ立って、大聖堂の前で別れた。
 司祭が若い僧侶とともに大聖堂に姿が消えるのを見届けて、また歩きだす。

 よく晴れた日だった。
 暖季の風が頬に心地良い。
 長くなった前髪が風に踊るのを手で押さえた。



 奨学金制度があれば……歩きながら、そう思った。

 皇都の学舎では、優秀な生徒に学費を貸し出す仕組みが敷かれている。
 出資者は商人などの富豪層のほか、一部の貴族も侍従や侍女の育成のためにと名をあげている。

 トルクの憧れの人、ジュリオラーザ公爵もその一人。
 女帝の叔父であり義父である彼の影響は大きい。
 ヨウスが寮に戻って来たのは、その日の夕方だった。
 新しい芝居の出来を語るトルクの熱の入りように腰の引けたヨウス。

 寝台に土産を広げて見せると、目を大きくして驚いた。
「こ、こんなに……?」
 驚き過ぎるほど驚くので、悩んだ甲斐があった。

 トルクの誇張された土産話に突っ込みを入れるルフェラン。
 土産を一つひとつ説明するティセット。
 ヨウスは楽しそうに聞いていた。



 結局、土産の大半は四人のお腹に消え、それが夕食となってしまった。
 ルフェランが興奮冷めやらないトルクの襟首を掴んで、欠伸混じりに「休むよ」と消えて行く。

 嵐が去った後も、ティセットの興奮は冷めきれなかった。
 それぞれの寝台に潜ったものの、口が止まらない。

「カッコ良かったなぁ。
 アキシュ役が女の人でさ!
 やっぱり、アキシュ女説は本当なのかも!

 授業ではさ、男だって言うんだ。
 戦場で女が指揮を執れるはずがない!って。
 ヨウスはどう思う?」
 すっかり聞き役になっていたヨウスは、突然振られて「え?」と聞き返す。

「だーかーら!
 アキシュが男か女。
 どっちだと思う?」
「うー……ん。
 男、かな」

「どうして?」
「カルオネ国境問題の使者を依頼されたとき。
 当時まだ皇女だった現皇帝は、アキシュのことを『彼』と呼んだんだ。
 彼、というからには男だろう」



 なんと。
 ぐうの音も出なかった。

 ヨウスに言い負かされるとは思ってもみなかったティセットは、しばらく呆然とした。

 確かに、そうだ。
 歴史の本に書かれていたような気がする。



 ラディンネル国から東にあるカルオネ国と、その北に居住を構える混合民族の間で起こった争い。
 隣国のことともあって、まだ故郷にいたティセットは恐怖を覚えたものだ。

 結局、当時の皇女、現皇帝は一人の青年と数名の騎士を派遣し、事なきを得たのだけれど……。

 残念ながらまだ驚かなければならなかった。

 その派遣された青年は、ティセットと変わらない年頃だったというのだ。
 青年というより少年だ。

 これを知ったときには学舎にいた。
 家出してやっと自分の道を切り開いたばかりのティセットには衝撃的だった。



「スゴいよなぁ。
 陛下の信頼を一身に受けてさー」
 ラディンネル国から出たこともなく、女帝の姿は絵や刺繍でしかしらないティセットには、本当におとぎ話同然だった。

「ヨウス。
 カザーカ国ってどんなところ?
 ここまでは船で?
 歩きじゃはキツいよな?
 どんな国が間にあるんだっけ?」

 矢継ぎ早に尋ねるティセット。
 祭りの余韻が残っていて気付かなかった。

 ヨウスが複雑な顔をしていることに。


   *  *