「つい先日勢いよく飛び出していったかと思えば!
 こやつめぇ!」
 父は机を飛び越えてポポドスに襲いかかろうとした。

 慌ててポポドスは長椅子から飛び退き、父から逃れようと部屋を駆ける。
「なんだよ!
 いきなり……ちょっ、まて親父!」

 掴みかかろうとする父から逃れるポポドス。
 息子を一捻りしてやろうと追いかける父。
 ぐるぐる、ぐるぐると父子は飽きずに部屋を駆け巡った。



 かつん、と少しだけ足が何かに当たった。
 ポポドスの体は態勢を崩し、手が何かを掴んで持ちこたえる。

 その隙を見逃さなかった。

 父はポポドスの襟首を掴んで引き、どすん、と重い音がするほど強く引きずる。
「いってー!」
「捕まえ……」
「お待ちなさい」

 父子は同時に扉のほうを見た。
「む」
「あ」
 そこには銀色の髪の女が立っていた。

 前で揃えられた両手の指は白く、長い。
 細い首が支えるのは小さな頭。
 叡智を思わせる瞳は濃い青。
 銀髪は里の女の証。

「…………セ」
「…………か」
「セ、セシア」
「か……あさん?」

 母の視線が父へ向く。
「スイク。わたくしは忙しいのです。
 そのわたくしの前で息子と戯れるとは何事です」
「………………」
 遊んでなどいない。
 と、言いたかったのだろうが、父は沈黙でもって答えた。

 良妻賢母に程遠い母は、息子を見るなりため息をついた。
「ポポ。一人前に成ったからには、忘れていたでは許されません。
 以後、お気をつけなさい」
 どうやら、了承なく里に帰ってきたことを言われているらしい。

 つかつかと部屋に踏み込むと、母は押し倒されたままのポポドスの顔を覗き込み、ふっ、と笑った。
 六人も産んだとは思えないほど若い。
 そして美しい。

 見惚れる一人息子の頬を撫で、母はやさしい声音を落とした。
「おめでとう、ポポドス。
 さすが、わたくしたちの息子です」

「セシア、許すのか!?」
「許すも何も、開放されたものを塞き止める必要はありません」
「……なに?」
 父はポポドスを見下ろした。

 両親に見つめられるなんて何年ぶりだろう。
 ていうか、起き上がっていい?



「ポポ、おまえ……」
 そろそろと身を起こしたポポドスは、二人の視線にいたたまれず、視線を上げずに告げた。
「開花、したよ」





 父は声もあげられず、ポポドスを抱きしめた。

 一番喜んでくれるだろうとはわかっていても、その人からの祝福はくすぐったく体を包み、だからといって突っぱねることもできない。
 父の気が済むまで、ポポドスはじっと抱き付かれていた。



 この体はこの両親の間に生まれはしなかった。
 直接、二人の血が流れているわけでもない。

 けれどこの身には確かに、二人の愛情が注がれている。

 そう、実感した。


  *   *


「ポッピー!?」
 ポポドスが扉の向こうでおとないを告げただけで、師匠は興奮気味に叫んだ。
 扉を開けると案の定、ギラギラした眼の師匠が二王立ちでいる。

 故郷からすぐに戻ったとはいえ、すでに昼を過ぎ、夕方に近い。
 無断で現場を離れた上に、連絡すらなかったことに兄弟子たちからたっぷり怒られ、また情報通からは祝福の平手をいただき、師匠の部屋の前にたどり着いたときには陽は落ちていた。

 けっしてポポドス一人のせいではない。
 と思う。



「お願いですからポッ、ぐぇ!」
「でかしたポッピー!」
 ポポドスが来るより先に知らせが届いていたらしい。
 師匠イグリスは、愚弟子の顔を見るなり強烈な抱擁をしてきた。
「うぎっ」
 太い腕がギリギリと身体を締めつける。

 今日ばかりは、兄弟子たちも助けてくれなかった。
 師匠の、涙混じりの笑顔に誰も止めようなんて思わなかった。

「よくやった!」
「ポ、ッピーぐぇ、は、やめ、んぎゃー!」

 締め付けられる本人は、本当に死ぬかと思った。





 その日、高らかに悲鳴をあげたポポドスは、能力を持った魔導士として認められ、改めて師匠に頭を垂れた。

 第四位二段。
 中位魔導士。

 院にはいって、ゆうに二十年が経っていた。



――完――
「だいおじいいさまあああぁぼおぉ!」
 勢いよく扉を開けたポポドスの顔が何かに覆われた。
 慌てていたポポドスは混乱し、両手を突き出してあたふたとする。

「大お祖父さま! 夜です!」
「それはおまえだけだ」
 ふっ、と顔を覆っていたものがはがれる。
 明るさを取り戻したポポドスの目に、前にいる人型の召喚獣の手元が映った。

 ……雑巾?

 ポポドスが慌ててはいってくると察した曽祖父が、見計らって投げつけたものらしい。
 どうりで臭いと思った。
 っていうかヒドイ。

 鼻しかないので無表情な召喚獣は、雑巾を持って外に出た。
 洗いに行くらしい。
 召喚獣が雑巾を洗う姿を拝めるのは、この家だけだろう。



「慌ててなんだ、ポポ」
「だ、だい、まほーおじいさま、花がだいだい、地面にポポポポポポって!!」
「落ち着きなさい」
 ぺち、とポポドスのひたいを曽祖父の指が叩く。

「座りなさい。
 お茶を淹れさせよう」
「大お祖父さま……」
 わかっている、と言うように曽祖父がうなずく。
 その口元は優しい笑みを浮かべていた。

「おめでとう、ポポドス」


「──────……」
 すとん、と体のなかの何かが降りたような気がした。
 腰が抜けたように椅子に座り、床の感触をつかめないでいる靴先を見つめる。
 血の跡が付いている。

 自分の起こしたことを認識した途端、仲間に報告もなくここに来てしまった。
 そろそろ起きている時刻。
 あとで怒られるだろう。



「…………おれ……」
「召喚士か。
 かなり限定されているが、現界のものを呼び寄せるのは珍しいな」
「げんかい?」
「この世界のことだ。
 通常、わたしが呼び出す召喚獣は異界のものだ。

 現界の召喚士なら、ウバルト導師やルッチエ導師らがよく知られている。
 ルッチエ導師は隠居されているが、ご存命だ。
 お会いすることは可能だろう」

 はぁ、とポポドスは判ったような判らないような返事をする。
 だって、まだ信じられない。

 自分が開花したなんて───。



「ポポ。
 疲れているだろうが、師匠どのに報告に上がりなさい。
 それから、故郷に。
 誰よりも喜んでくれる人がいるだろう」
 曽祖父の優しい笑みに押され、ポポドスは登りきった陽射しのもと、故郷へと飛んだ。





 父との再会は最悪だった。
「…………」
「…………」
 牢屋の中と外で互いに見つめ合った。

「何を、している……?」
 里の掟は特に、男に厳しい。
 出入りするのですら事前の連絡がいる。

 ポポドスのように混乱した頭のまま父に会いに行こうとすれば問答無用で捕まって、今のように牢屋に入れられてしまう。
 その場で始末されなかっただけまだ良いほうだ。

 保護者(?)の確認が取れたところで、ポポドスはやっと外に出ることを許された。



 父は無言だ。
 その背中を追うポポドスも、重たい空気に口を開くことができない。

 二人はそのまま父の執務室に入り、やはり無言でそれぞれの定位置に座った。
 父は仕事机と対の椅子に。
 ポポドスは部屋の隅の長椅子に。

 座ったまま、まだ一言もない。



「あー……」
 沈黙の長さに耐え切れず、ポポドスは口を開いた。

 父はおそらく、ポポドスが来た理由を知っている。
 里を出た男が帰ってくるときは限られている。

 結婚したとき。
 我が子に素質を発見したとき。
 そして、魔導士に成ったとき……。

「ゆ、…………ぞ……」
「は? 何?」
「まだ許さんぞ!」
「はぁあ?」

 父は力いっぱい机を叩き、怒りの形相でポポドスを指差す。
「いいかポポ!
 リーイ家の男が成すべきことはまず、己が力を磨くこと!
 おまえのような半人前に何ができる!」

「…………」
 なんだか知らないが怒られている。
 なぜだろう。
 何か勘違いされているようだ。
 父は、「おまえたちの母」とも「わたしの妻」とも言わなかった。
 お母さんが二人いることが当たり前だと思っていた幼いポポドスに、父は淡々と告げた。

 病弱な母のためにとポポドスが摘んできた花が萎れるほど長くはない話。
 子どもにもわかるように簡単に。
 手短に。

 簡潔に。

 残酷に。

『わたしは、おまえの伯父だ。
 おまえのお父さんは、ずっとまえに亡くなっている。
 今日亡くなったのが、おまえを産んでくれた、本当の、お母さんだ』

 それでも、子どもの頭で理解できるような内容ではなかった。
 いや、理解したくなかったのかもしれない。

 ポポドスは泣き喚いた。

 なぜなのかわからない。
 突然、ひとりで外に放り出されたような気がした。
 手を伸ばせばあったはずのものが、一瞬にして消え去ったような気がした。



『あ、あ、ああ、ああ、あ、あぁああ───……!』
 暴れるポポドスを背中から羽交い絞めにしたのは、唯一の父だと思っていた養父だった。

 養父の親指を千切れるかというくらい強く噛んだとき、さすがの彼もうめいて手を放した。

 振り返ってみた養父の姿に呆れた。
 顔は引っかき傷だらけで、腕には噛み跡が連なり、頭髪が一部禿げていた。
 とてつもなく悪いことをしたのだと、直感的に思った。

 泣いて。
『ごめんさい。
 ごめんなさい。
 ごめん、い』

 また泣いて。
『ごめんさい。
 ごめんなさ、い……』
 声が嗄れるほど謝って、養父にしがみついて泣いた。

 怒られることはなかったが、無言で慰められることも辛かった。

 実の母が亡くなったことよりも。
 実の父を知らないことよりも。
 「この人が本当のお父さんじゃない」という事実のほうが辛かった。





『よく覚えておきなさい。
 楽しいことばかりしか知らないで、魔法を行使することはできない。
 涙を流したことのある人間が。
 人が流す涙の意味を理解した人間が。
 魔法を行使することができる』



 すっ───……

 何かがすり抜けていったような気がした。
 体の芯から細い糸のような、暖かい風が外へと。



 頬を滑り落ちた涙に気づき、ポポドスは目を開いた。
 頬に当てた指先に、すでに冷えた涙の名残を感じる。
「あ」

 ポポドスは目を疑った。
 夜闇に目を凝らした。

 自分のほかに誰かいないかとあたりを窺うが、人影は見つからず。
 遠くから聞こえる賑やかな声と砂が風に流される音しか聞こえない。

「あ」
 自分を取り囲む彩り鮮やかな絨毯を見渡す。

 水連、桔梗、秋桜。
 向日葵、七変化、薔薇、朝顔。
 白粉花、椿、牡丹一毛。
 麝香撫子、片栗、仙人草。
 鈴蘭、唐菖蒲、霞草。
 金魚草、金盞花、竜胆───。

 気候を無視した花々にポポドスは取り囲まれていた。

 自分を見上げる花たちが、風にゆらゆらと揺れる。
 ポポドスがいつまでも驚きから覚められないでいるのを笑っているかのように蕾が揺れる。

「……ま………………まほー……が」
 指先から流れるだけだったものが、今、目の前に形をもって誕生した。



『体から流れでる風を、手の平で形にするのだ』

 幼いポポドスが「わかんなぁい」と答えると、父は笑った。
『じきにわかるようになる。
 おまえは……



 おまえは、わたしの子なのだから』