父は、「おまえたちの母」とも「わたしの妻」とも言わなかった。
 お母さんが二人いることが当たり前だと思っていた幼いポポドスに、父は淡々と告げた。

 病弱な母のためにとポポドスが摘んできた花が萎れるほど長くはない話。
 子どもにもわかるように簡単に。
 手短に。

 簡潔に。

 残酷に。

『わたしは、おまえの伯父だ。
 おまえのお父さんは、ずっとまえに亡くなっている。
 今日亡くなったのが、おまえを産んでくれた、本当の、お母さんだ』

 それでも、子どもの頭で理解できるような内容ではなかった。
 いや、理解したくなかったのかもしれない。

 ポポドスは泣き喚いた。

 なぜなのかわからない。
 突然、ひとりで外に放り出されたような気がした。
 手を伸ばせばあったはずのものが、一瞬にして消え去ったような気がした。



『あ、あ、ああ、ああ、あ、あぁああ───……!』
 暴れるポポドスを背中から羽交い絞めにしたのは、唯一の父だと思っていた養父だった。

 養父の親指を千切れるかというくらい強く噛んだとき、さすがの彼もうめいて手を放した。

 振り返ってみた養父の姿に呆れた。
 顔は引っかき傷だらけで、腕には噛み跡が連なり、頭髪が一部禿げていた。
 とてつもなく悪いことをしたのだと、直感的に思った。

 泣いて。
『ごめんさい。
 ごめんなさい。
 ごめん、い』

 また泣いて。
『ごめんさい。
 ごめんなさ、い……』
 声が嗄れるほど謝って、養父にしがみついて泣いた。

 怒られることはなかったが、無言で慰められることも辛かった。

 実の母が亡くなったことよりも。
 実の父を知らないことよりも。
 「この人が本当のお父さんじゃない」という事実のほうが辛かった。





『よく覚えておきなさい。
 楽しいことばかりしか知らないで、魔法を行使することはできない。
 涙を流したことのある人間が。
 人が流す涙の意味を理解した人間が。
 魔法を行使することができる』



 すっ───……

 何かがすり抜けていったような気がした。
 体の芯から細い糸のような、暖かい風が外へと。



 頬を滑り落ちた涙に気づき、ポポドスは目を開いた。
 頬に当てた指先に、すでに冷えた涙の名残を感じる。
「あ」

 ポポドスは目を疑った。
 夜闇に目を凝らした。

 自分のほかに誰かいないかとあたりを窺うが、人影は見つからず。
 遠くから聞こえる賑やかな声と砂が風に流される音しか聞こえない。

「あ」
 自分を取り囲む彩り鮮やかな絨毯を見渡す。

 水連、桔梗、秋桜。
 向日葵、七変化、薔薇、朝顔。
 白粉花、椿、牡丹一毛。
 麝香撫子、片栗、仙人草。
 鈴蘭、唐菖蒲、霞草。
 金魚草、金盞花、竜胆───。

 気候を無視した花々にポポドスは取り囲まれていた。

 自分を見上げる花たちが、風にゆらゆらと揺れる。
 ポポドスがいつまでも驚きから覚められないでいるのを笑っているかのように蕾が揺れる。

「……ま………………まほー……が」
 指先から流れるだけだったものが、今、目の前に形をもって誕生した。



『体から流れでる風を、手の平で形にするのだ』

 幼いポポドスが「わかんなぁい」と答えると、父は笑った。
『じきにわかるようになる。
 おまえは……



 おまえは、わたしの子なのだから』