ヨウスが首だけ後ろを振り返ると、学生たちが申し訳なさそうな顔で二人を避けて行く。
 そういえば、まだ正門前だった。
 学舎の開放された玄関口からも、何人かがこちらを見ている。
 謹慎明け早々に目立っていた。

「クォーズ、まずは指導室に行くぞ」
 ランスの言葉に頷いて、トルクにルフェランを引き剥がしてもらう。
「……昼に、話そう」
「いや、終ったら、おまえの寮室に来い。
 話があるから」
 そう言ってトルクは寮室の鍵を受け取り、ルフェランを引きずって行った。

 珍しい光景に呆然としていたヨウスだが、ランスに即されてとりあえず指導室に向かう。
 途中、好奇心旺盛な学生たちの視線が突き刺さる。
 大人のそれと違い、無邪気な分、容赦がない。
 前を歩く東寮長のピンと張った背中が唯一の救いだ。

 指導室では司祭と講師が待ち構えていた。
 謹慎前と同じく、「慎み」を持って行動し、「謙虚」な態度で人と接するように言われる。
 半ば強引に引きずり込まれ、慎みのないことをされたのはヨウスのほうだったが、話が長くなりそうなので「はい」とだけ応えた。



「今日は授業に出ないほうがいい。
 周りが騒がしくて、それどころじゃないだろうからな」
「……わかった。
 ありがとう、寮長」
 ランスは器用に片眉を上げる。
「礼を言われるようなことじゃない」

 授業に戻るというランスとは東寮の前で別れた。
 大半の生徒が授業に出ていて、寮棟は静かだった。

 自分の寮室の扉を開けた時、ヨウスは眉を寄せた。
 東寮長と東寮の前で別れて自分の寮室に来たはずなのに、トルクの他に白い制服の青年がいた。
 部屋も狭いので、西寮のはずはない。

「何してる?
 入って来いよ」
 どうやら自分の寮室に間違いないようだ。
 ルフェランとトルクが入って左手の寝台、見知らぬ上等生が右手に座っていたので、しかたなく一番奥に用意されていた椅子に座った。
 まるで尋問を受けるような並びだ。

「まず言っておくけど、学舎辞めるなんて言うなよ?
 あのヘンタイのせいで辞めようとか、バカらしいからな」
「…………」
 トルクの声音はいつもと変わらない。
 いや、いつもより落ち着いたものだった。

「それより、問題はこいつだ」
 と、トルクが指差した上等生を見て、ヨウスは「あ」と声を上げた。
「ランディック様……」
 誰かと思えば、廊下で盛大にコケた上等生だった。
 肩を小さくしながら「やあ」と手を上げるランディック。

「お久し」
「気軽にあいさつしてる場合か!
 こいつのせいだぞ!?
 諸悪の根源なんだぞ!?」
 根源かどうかはともかく。
「わざとじゃない。
 俺から手伝いを申し出たんだ」
 むぅ、と口を尖らせるトルクはやはり子どものようで、ヨウスは溜め息を飲み込んだ。

「……ティスから聞いたのか?」
「あぁ、そうだ。
 このヘンタイの仲間が」
「ヘンタイはひどいよ」
「おまえを西寮に入れたあたりから、ホントに殴って逃げたとこまでな」
 ランディックの抗議を無視したトルクの横で、ルフェランが頷いた。

「ヨウスは悪くないんだから、そんなに堅くならなくていいよ」
 ルフェランは苦笑した。
「…………」
「……僕らが怒ってるのはさ、ヨウスがホントは、そんなにか弱くなかったってことなんだ」
「オレは怒ってないぞ」

「どうして武科を選ばなかったの?
 一つくらい武科を受けてれば、僕らも勘違いしなかったと思うし、他の学生への牽制にもなったよ?」
「…………」
 ヨウスはランディックをチラリと見た。

 ティセットは彼にも話したのだろうか?
 どこまで話したのだろうか?

「ヨウス?」
「……俺は…………」
 ティセットの時と同じく、言葉が喉に張り付いた。

 何が良くて、悪いことなのか、まだはっきりとはわかっていない。
 簡単に人を傷つけてはいけないことを知ってから、さらにわからなくなった。

 言えば傷つく。
 言わなければ誤解を受ける。
 自分が誤解されるくらいならまだ良いが、「信用されていない」と傷つく人もいた。

 寡黙さは昔からだ。
 人を傷つけるのが怖いから話したくない。
 だが話さないことも痛みに変わる。
 ……堂々巡りだった。



 ――まだ、人間が怖いか?

 背後から、居るはずのない人の声がした。
 衝動的に振り向く前に、背後から光が差し込んだ。
 寮室に一つだけある、中庭の見下ろせる窓から。
 まるで、背中を押されるように。
(…………ガルス……)

「…………。
 見てみたかったんだ。
 武器のいらない国を。

 ……平和な国が、どんなもので。
 そこで暮らす人はどんな顔をしているのか、知りたかった。

 いつか……いつか同じように、剣を、鍬や包丁に替えられたらと、思った」

『わたしと、お友だちになっていただけますか?』

 友だち、なんて久しぶりに聞いた。

 遠い昔。
 まだ小さい頃。
 自分の特等席にもよじ登らなければ座れなかったくらい。

 ずっと、ずっと、ずぅぅっと、友だちだよ!

 あどけない子どもが自分の手を掴んで涙目で訴えた。

 細い亜麻色の髪、黄金色の瞳。
 空色のドレスに鈴のついた靴。

 両親にとってもかわいい我が子だっただろう。
 彼にとっても大切な友人だった。

 あんなことがなければ……。





「……い、き……って…………おい、レ……バーカ……ハーゲ」
 ふと、頬を叩かれて気づいた。

「あ……」
「大丈夫か?」
 上司が彼の頬を叩いた手を振っていた。

「昨夜も遅かったみたいだな」
 再び、忙しく手を動かす上司は視線も上げずに言う。
「はぁ……」
 彼は気のない返事をした。

 昨夜は新月。
 上司の許可をとり、いつもより早めに仕事を切り上げて外出する日。

 上司は何も言わずに許可してくれる。
 いや、訊かれも答えられないだろう。
 答えにくいことだ。



「これ、ザオに」
 上司が視線も上げずに書類を渡す。
 厚さ一センチほど。
「はい」

「これはペルルに。
 ヘンな絵描くなって言っとけ」
 書類の厚さ十三センチほど。
 一番上の書類の端には、怪物らしき生き物の絵。
「はい」

「こっち、おまえが目ぇ通してみろ」
 厚さ六センチほど。
 今日は随分、少ない。
「はい」

「これはどうかと思うけど……ま、一応だしてみるわ」
「本部への申請書ですか」
「無駄だろうから、クラットのやつ慰めといてな」
「覚えておいたらやります」
 彼は絶対にやらないだろう。
 いや、やらない。



 陽が空の頂点に昇りきろうかとするころ、二人の周囲を取り囲んでいた書類は半分に減った。
 絨毯の色が渋い黄色だと思い出すことができた。

 しかし、おそらく午後の便でまた大量の書類が運び込まれ、彼らを囲うのだろう。
 紙圧で死にそうだ。

 壁という壁は本棚が並び、部屋の中央に居座る大机に向かう二人。
 天井は精緻な細工の木梁が走っているのだが、この仕事についてまじまじと見る余裕ができたことなどない。
 おそらく上司も同じようなものだろう。

 書類が飛ばないように窓も細くしか開けられず。
 開けっ放しの扉の向こうから次々と声がかかるが、(どうせ仕事が増えるだけだから)半分以上は無視。
 彼は真面目が取り柄だが、面倒見が良いわけではない。



「総支部長」
 彼は頼まれた本を開き、上司に指差して見せた。
「このあたりで良いですか?」
「んー……あぁ、いいだろう。

 おい、これ……?」
「はい?」
 彼の手から本を取り上げ、上司がうーむと唸る。

「傷、深いな」
 言われて彼は思い出した。
 昨夜はちょっとした言い合いをしてしまったのだ。
 親指の付け根に大きなかすり傷を付けられた。

 昨夜の傷の犯人を思い出し、彼は苦笑した。
 泣いて謝らなくてもいいのに……?
(まだ子どもだな)



「うまくいってんのか?」
「は? はぁ……まぁ、ぼちぼち」
 なぜか知らないが、上司はいつの間にか、彼が新月の晩、同じ人物に会っていることを知っている。
 許可を取っているのだから当然かもしれないが。

 だからと言って、責められることでは、もちろんない。
 ただ、上司がこの件を口にすることは珍しい。

 もしかして、その人物が『彼』だと知ったのだろうか?

 …………いやいやいや。



「……何か?」
「うん? んー。
 いや、うん、最近な、傷が多いのがな、気になってな」
 喧嘩でもしているのではと心配してくれているのだろう。

 喧嘩別れできたらどれだけ平和になることだろうか。

 件の『彼』が悪いわけではない。
 『彼』は善悪どちらかというと善人だ。
 礼儀正しく、頭も良い。

 若者らしい元気な声は、彼も気持ちが高揚して明日もがんばろうという気に(そのときだけは)なる。
 箱入りらしい素っ頓狂な質問は新鮮で、彼を楽しく驚かせてくれる。

 この頃では籠いっぱいに夜食を持ってきて、品評会まで催されている。
 彼もお礼にと狐を狩って丸焼きにしたら、食べもののありがたみに気づいたと感動された。
 どうやら、食卓に並ぶ肉と野を駆ける動物たちが結びつかないような暮らしをしているようだ。

 忙しない日々の中での、楽しいひと時。
 それが、彼といるときだ。

 ただ、気軽に話題にできる人物ではない。



「ありがとうございます、総支部長。
 若いので、元気があり余って力んだようです。
 じきに慣れて落ち着くでしょう」
 気にしないでください、と彼が言い終わらないうちに上司の顔は真っ青になった。

 どうしのただろうか?
 今日の上司はいつも以上におかしい。

「あ、あのさ……」
「はい、総支部長?」
「おまえ……………………いや、うん、元気ならいいんだ」

 後味の悪い態度で上司は去っていった。
 一服しに行ったのだろう。

「……?」
 あの態度は非常に気になる。
 もしかして、彼が寝ぼけている間におかしな行動でもしていたのだろうか。
「………………」

 気になる。

 彼は思い切って上司の後をついて行った。





 長身、頑健、頭脳明晰。
 切れ長の目は常に厳しく光り、廊下を歩くと風圧で書類が舞った。(らしい)

 世界一忙しい東総支部の副総支部長は、部下からの信頼も厚い若者だった。
 ただ、残念なことに、彼には着任早々に恋人ができてしまい、数少ない女性たちは毎日ハンカチを噛む思いだったという。

 恋人とよく喧嘩をするのか、彼はいつもどこかに引っかき傷をつけていた。
 傷つけられても別れることができないほどの美女を、ぜひひと目見たいと誰もが思った。
 思ったので訊いてみた。
『どんな方なんですか?』

『……爪がスゴイ』

 副総支部長は恋人の爪がお気に入りなのだと瞬く間に広がった。
 そして女性たちが熱心に爪を磨きだすころには、副総支部長は「爪のレオナット」と囁かれるようになっていた。





 後に、女性たちの爪の過度の装飾が自分のせいだと知って悩む彼は、物陰から上司と部下たちの会話を盗み聞きした。

「あいつ、やっぱりヘンだ」
 落ち込んだ声で総支部長が言えば、部下がその肩を叩く。
「だーいじょうぶですよ。
 ここに来る人はいつもヘンな人です」
「そ、そうなのか?」
(納得するなよっ)

「先代のサーラ導師だってものすっごい散らかし魔でしたし、その前のアンダー導師は鍋を被ってたそうですよ」
(な、鍋?)
「股間に葉っぱ一枚つけて仕事してた人もいたそうですよ」
(それはヒドイ)

「とにかく、ここにまともな人なんでいないんです」
「気にしちゃいけませんよ」
「ハゲますよ」
「イモ、食べます?」

 部下たちに励まされ、上司はそうか、そうだよな、と放心状態でうなずいている。
「男と付き合ってるなんて、大したことないよな」
(…………何だって!?)

 それは知らなかった。
 上司は男性とお付き合いしているのか。

 だがそれよりも、相談を自分にではなく部下たちに持ちかけたことに、彼はショックを受けた。
 自分はそんなに頼りないだろうか?
 だから今日は目を通せといわれた書類が少なかったのだろうか?
 あぁ、なんてことだ……。

 彼はしょんぼりしょげてその場を後にした。
 その落ち込みようは、誰もが驚き、心配のあまり後をついてくるほどの暗さで、執務室に着くころには大行列になっていた。



 二人の誤解が解けるのは、まだ先のようだ。
「だって、さ……」
 なんとか笑ってみる。
 泣きそうなのを我慢して、ヨウスに微笑みかける。
「ヨウス、もうガマン……しなくていいだろ?
 俺はもう、知っちゃったんだから、隠すことなんてないし、俺たちに、え……遠慮すること、も、なくなったんだ」

 悲しいような、嬉しいような、ごちゃ雑ぜな気分。
 ヨウスに我慢させていた申し訳なさと、本当のヨウスを知ることができた喜び。
 両方が一度に来るものだから、ティセットはきっと変な顔をしているだろう。

「……ティス……」
「だ、大丈夫だって!
 ちょっと、胸が、苦しいだけなんだ」
「…………」
「な、んでかな?
 涙が……泣きたくないのに、泣きそうだ」

 両手で瞼を押さえても涙は止まらなかった。
 泣くほど悲しい目にあったわけでもないのに。
 悔しい……わけでもなく、そう、惜しいことをした。
 ティセットたちが経験できないことを知っているヨウスに我慢させて、その知恵と経験を腐らせていた。

 なんて、惜しいことをしたのだろう。



 ティセットの頭に何かが乗った。
 ゆっくり、優しく髪を撫でる。

 優しく。
 極、ゆっくりと。

 暖季を知らせる風のように暖かな空気。
 顔を上げれば、心配げなヨウスの、無駄にきれいな顔が近くにあった。
 これで男だなんて、神様は意地悪だ――思いながら、その肩を引き寄せる。

 しがみついて、ヨウスの肩に涙を染み込ませる。
 嗚咽を胸に聞かせる。
 そうやってしばらく、久しぶりに子どもに戻った。

 嗚咽の隙間に、ありがとう、と聞こえた気がした。


   *  *


 翌朝、何事もなかったように空は晴れた。
 瞼を腫らしたままニッチの店に戻ったティセットは、お女将さんに笑われながら仕入れに出かけた。

 賑わう市場。
 目が覚めるような大きな呼び声。
 しかし今日のティセットには見えない、聞こえない。
 ニッチの親父の後を歩きながら、難しい顔をして考えごとをしていたから。

 昨晩のことを二人に話そうと持ち掛けたのだが、ヨウスは躊躇ったのだ。
 ティセット一人が知っていても、四人の間がギクシャクするだけだと説得し、何とか承諾してくれた。
 武科のトルクはいいとして、問題は、ルフェランだ。
 ヨウスの傷跡を見て吐くほどの衝撃を受けて、冷静に聞いていられるだろうか。



「なんだ、エビはいやか?」
「は? エビ?」
 突然話しかけられて、ティセットは鸚鵡返しに言った。
「うぅんとか言いやがって」
 どうやら、今日の日替わりはエビと玉葱のすり身団子にするか、とか何とか聞かれたようだ。

「あ、や、た、玉葱より葱のほうが色見がいいんじゃないですか?」
「……てめぇ、玉葱のほうが目に染みるから言ってんじゃねぇだろうな!?」
「違います!」
 余計な誤解を受けたようだが、結局は葱になった。

 とにかく二人と会って話そうと、ティセットは思いながら葱を刻んだ。
 涙が止まらなかった。


   *  *


 五日間の謹慎が明けたヨウスは、複雑な気持ちでクワイトル司祭宅を出た。
 学舎を辞めたいと、クワイトル司祭には相談したが飄々と躱されてしまったからだ。
『これも経験です』
 さすがに司祭は口先が上手いと感心した。

 いたたまれず狩りに出たが、こんな時でも確実に獲物を得る自分が嫌になっただけだった。
 家人のラナに寒季の保存食ができたと、喜んでもらえたことが唯一の救いか。
 少し外に出て、気分転換にもなった。



 はぁ、と重い溜め息。
 清々しい小鳥の鳴き声さえ濁ってしまいそうなくらい、重い。

 学舎の正門前に立つ守衛にあいさつをして、重い足を一歩踏みいれた。
 その時。
「……!」
 何かに体当たりされた。
 踏ん張ったが、はがいじめにされて持っていた本を落とす。

 何事かと目を見開いたヨウスの視界いっぱいに金髪が映った。
 人だ、と認識したとたん誰なのか気付く。
「…………ラン?」
 しがみついたルフェランの顔は見えないが、先日のように気分が悪くなったわけではなさそうだった。

「……どう」
 どうしたんだ、と問うまえに、ルフェランの向こうにトルクを見つけた。
 口を堅く結んだトルクは二人に近付くと、おもむろに言った。
「クサい」
「…………は?」

 おもわず、昨日肉の酢漬けを作ったことを思い出した。
 ということは、一緒に作ったエイトルも、匂うまま教会に行ったことになる。
(気付かなかった……)
 クワイトル司祭も教えてくれていいのに。

 ヨウスが軽い衝撃を受けていると、真面目顔のトルクはもう一言。
「水臭いぞ、ヨウス」
「…………」
 どうやら臭い違いのようだ。

 何が、と尋ねようとするより先に、また別の声が遮った。
「イチャつくのはいいが、そこは邪魔だ、ラン」
 東寮長ランスが、不機嫌そうな顔でトルクの背後から現われた。