「だって、さ……」
 なんとか笑ってみる。
 泣きそうなのを我慢して、ヨウスに微笑みかける。
「ヨウス、もうガマン……しなくていいだろ?
 俺はもう、知っちゃったんだから、隠すことなんてないし、俺たちに、え……遠慮すること、も、なくなったんだ」

 悲しいような、嬉しいような、ごちゃ雑ぜな気分。
 ヨウスに我慢させていた申し訳なさと、本当のヨウスを知ることができた喜び。
 両方が一度に来るものだから、ティセットはきっと変な顔をしているだろう。

「……ティス……」
「だ、大丈夫だって!
 ちょっと、胸が、苦しいだけなんだ」
「…………」
「な、んでかな?
 涙が……泣きたくないのに、泣きそうだ」

 両手で瞼を押さえても涙は止まらなかった。
 泣くほど悲しい目にあったわけでもないのに。
 悔しい……わけでもなく、そう、惜しいことをした。
 ティセットたちが経験できないことを知っているヨウスに我慢させて、その知恵と経験を腐らせていた。

 なんて、惜しいことをしたのだろう。



 ティセットの頭に何かが乗った。
 ゆっくり、優しく髪を撫でる。

 優しく。
 極、ゆっくりと。

 暖季を知らせる風のように暖かな空気。
 顔を上げれば、心配げなヨウスの、無駄にきれいな顔が近くにあった。
 これで男だなんて、神様は意地悪だ――思いながら、その肩を引き寄せる。

 しがみついて、ヨウスの肩に涙を染み込ませる。
 嗚咽を胸に聞かせる。
 そうやってしばらく、久しぶりに子どもに戻った。

 嗚咽の隙間に、ありがとう、と聞こえた気がした。


   *  *


 翌朝、何事もなかったように空は晴れた。
 瞼を腫らしたままニッチの店に戻ったティセットは、お女将さんに笑われながら仕入れに出かけた。

 賑わう市場。
 目が覚めるような大きな呼び声。
 しかし今日のティセットには見えない、聞こえない。
 ニッチの親父の後を歩きながら、難しい顔をして考えごとをしていたから。

 昨晩のことを二人に話そうと持ち掛けたのだが、ヨウスは躊躇ったのだ。
 ティセット一人が知っていても、四人の間がギクシャクするだけだと説得し、何とか承諾してくれた。
 武科のトルクはいいとして、問題は、ルフェランだ。
 ヨウスの傷跡を見て吐くほどの衝撃を受けて、冷静に聞いていられるだろうか。



「なんだ、エビはいやか?」
「は? エビ?」
 突然話しかけられて、ティセットは鸚鵡返しに言った。
「うぅんとか言いやがって」
 どうやら、今日の日替わりはエビと玉葱のすり身団子にするか、とか何とか聞かれたようだ。

「あ、や、た、玉葱より葱のほうが色見がいいんじゃないですか?」
「……てめぇ、玉葱のほうが目に染みるから言ってんじゃねぇだろうな!?」
「違います!」
 余計な誤解を受けたようだが、結局は葱になった。

 とにかく二人と会って話そうと、ティセットは思いながら葱を刻んだ。
 涙が止まらなかった。


   *  *


 五日間の謹慎が明けたヨウスは、複雑な気持ちでクワイトル司祭宅を出た。
 学舎を辞めたいと、クワイトル司祭には相談したが飄々と躱されてしまったからだ。
『これも経験です』
 さすがに司祭は口先が上手いと感心した。

 いたたまれず狩りに出たが、こんな時でも確実に獲物を得る自分が嫌になっただけだった。
 家人のラナに寒季の保存食ができたと、喜んでもらえたことが唯一の救いか。
 少し外に出て、気分転換にもなった。



 はぁ、と重い溜め息。
 清々しい小鳥の鳴き声さえ濁ってしまいそうなくらい、重い。

 学舎の正門前に立つ守衛にあいさつをして、重い足を一歩踏みいれた。
 その時。
「……!」
 何かに体当たりされた。
 踏ん張ったが、はがいじめにされて持っていた本を落とす。

 何事かと目を見開いたヨウスの視界いっぱいに金髪が映った。
 人だ、と認識したとたん誰なのか気付く。
「…………ラン?」
 しがみついたルフェランの顔は見えないが、先日のように気分が悪くなったわけではなさそうだった。

「……どう」
 どうしたんだ、と問うまえに、ルフェランの向こうにトルクを見つけた。
 口を堅く結んだトルクは二人に近付くと、おもむろに言った。
「クサい」
「…………は?」

 おもわず、昨日肉の酢漬けを作ったことを思い出した。
 ということは、一緒に作ったエイトルも、匂うまま教会に行ったことになる。
(気付かなかった……)
 クワイトル司祭も教えてくれていいのに。

 ヨウスが軽い衝撃を受けていると、真面目顔のトルクはもう一言。
「水臭いぞ、ヨウス」
「…………」
 どうやら臭い違いのようだ。

 何が、と尋ねようとするより先に、また別の声が遮った。
「イチャつくのはいいが、そこは邪魔だ、ラン」
 東寮長ランスが、不機嫌そうな顔でトルクの背後から現われた。