それから五番目の娘が面会を願い出たのは、ある晴れた日のことだった。

 シュワルド・アインス両国の和平条約調印式から帰って、まだひと月。
 あと半年すれば、娘はまたひとつ歳を取る。子どもの成長が早いのか、月日の流れが急速なのか。

 元敵国の姫で、アルフレッドにとって四番目の妻が産んだ娘には、同じ歳の四番目の娘ほどには見合いの話は来ない。

 この四番目の娘は恐ろしいくらい美しい。十歳のお披露目式を境に、乱れ矢のように相手の絵姿が送られてくる。
 うんざりしたアルフレッドは、宰相と母親である三番目の妻に任せた。

 五番目の娘には、地方領主、辺境伯からの見合い話が多かった。その大半が、忠実で石頭な男たちの息子だ。
 四番目の娘には噂だけで話が来るのに対し、五番目の娘には、直接または間接的にでも会ったことのあるものばかりだった。
 無論、本人同士は会っていない。父親がこの王女を、と願い出た。

 数は少ないが、堅実だ。

 しかしアルフレッドは、五番目の娘こそ手元に置いておきたいと思っている。
 珍しい金色の髪。王家の特徴的な薄い青色の瞳。ぬけるように白い肌。───そんな柔らかな外見とは裏腹に、小さな頃の姉を髣髴とさせる度胸がある。



 その娘が。
「お父さま。わたくし、アンディさまと結婚します」
 空から太陽が降ってきたような衝撃だった。

 アルフレッドは自分の子どもたちと遊んだ記憶がない。抱き上げたり、話をしたことはあるが、世話をしたことがなかったし、それは召し使いたちの役目であると思っている。
 子どもが嫌いなわけではないが、自分には『民』という子どもたちの世話があったのだ。

 それでも長姫たちの夫選びには頭痛がするほど悩んだし、長男の相手にも苦悩中だ。
 五番目の娘には、相手を選ばせようと思っていた。矢先のことであった。



「アンディ、というと?」
 アルフレッドは内心の動揺を見事に押し隠した。
 執務室の露台にお茶を用意させ、姉からもらった薔薇茶で一息いれてみた。
 素晴らしい香りだ。動揺を抑えてはくれないが。

「アンデイルさまです。ワイトニー国の第二王子でいらっしゃいます」
「ほう。あの小国の」
 アルフレッドの国の一領地ほどしかない田舎国だ。

 いきなり騎士が単独でやってきて、ぜひ姫君の絵姿をいただきたいとなど言うので、気前よく描かせてやった。
 騎士にしては器用な筆使いをし、見事に描きあげ、本人も満足して帰国した。
 数ヵ月後、再び騎士はやってきて、見合い話が飛び込んできた。

 してやられた!

「あちらには王太子がいるといっても、アンデイル王子の継承権は第二位だ。おまえは向こうへ嫁ぐ気か?」
 はい、と言った瞬間、アルフレッドは騎士と王子の首を絞めに行く予感がした。

 幸運なことに、娘は首を横に振った。
「アンディさまがわたしの夫になってくださいます。
 それで、二人で、ウィ……大叔父さまのお庭をお守りしたいのです」

 アルフレッドは言葉もなく、娘を凝視した。



 きらきらと輝く金髪。
 清々しい青い瞳。
 咲いたばかりの白薔薇のような肌。

 その中に、何か固いものが育っている。
 その子どもはレアフといった。
 子どものように見えて「僕は二一歳です」と言いやがった。
 アストが嫌いな金持ち坊っちゃんの雇われ人で、顔は女の子のように可愛いのに腹黒い。

 家出した身でいうのもなんだが、たとえどれだけ離れていようと母は怖……悲しませたくない。
 それを逆手にとってこの悪魔、いうことを聞かないと母に告げ口するというのだ。
 ヤツの腹黒さは右に出るものはいない。

 その黒い腹はぺたんとしていて、ほっそりとした体のどこにはいるのか、アストの分のパンまで食いやがった。

「返せ!」
「いま戻すんですか?」
 ヤツは口に指を突っ込もうとした。
「やめろ!」
「どっちですか。わがままだなぁ」
「……っ」
 可愛くない。なんて可愛くないんだこのクソガキ。



 依頼を受けて一週間。
 アストたちは出発した町から西へ進み、国境の砦まで来ていた。

 アストの分の通行証明書を発行するのに、明日の午後までかかると言われ、今日は砦の宿に泊まることにした。
 国境の町らしく宿はほぼ満員で、食堂は合い席だらけだった。

 アストたちの合い席相手は赤鼻の商人だった。赤い鼻よりも大きな宝石のついた指輪が四つ、腸詰め肉のような指にはまっている。
 赤鼻の商人はアストたちの漫才(本人は否定)に腹を抱えて笑い、酒を追加し、頬まで赤くするほど呷った。
 最後には椅子から転げ落ちて寝てしまった。

「運んであげてください」
「俺が?」
「ほかに誰が?」
「宿の人間に……」
 と目を彷徨わせると、厨房にはハムのような腕の女将が鍋を振り回し、食堂の机の間を駆け回る少女が一人、二人……。

「か弱い女性になんてことを……」
 ヤツは非難の目でアストを見た。

 か弱い? あんなでっかい鍋振り回して豚の首を包丁一本で切り落としてるおばはんが、か弱い? おまえ一度、医者に目玉診てもらってこい───と言いたいのを堪え、アストは赤鼻の商人に肩を貸して部屋に連れて行ってやった。

 一日一善なんて信条、絶対に掲げるもんかと思った。

「…………………………………………………………は?」
「屋敷にはいなかった。
 実家に帰ったと執事から聞いた」

「それで、若。若はここで何をしておいでで?」
「うん。いや、追いかけるべきかどうか考えてな、またわからなくなって……」
 老人は重いため息をついた。

「若は今朝、どんなお返事をなさるおつもりでしたか?」
「あらためて……わたしから求婚しようと思っていた」
「それで、まだそのお返事はされていないのですな?」
「そうだ。すでに従妹殿はいなかったから」

「若。追いかけなされませ」
「追いかけるべきか?」
「若はお返事をなさるお約束をしておいででした。
 それならば、相手がどこにいようとお返事なさるべきです」

 そうか、と呟くイルス。
 無言で立ち上がり、老人に礼も言わず部屋を後にした。
「馬を引け!」





 五歳の時に落馬して以来、乗馬を嫌ったイルスを馬鹿にしたのは従妹だった。
『馬にものれないの?
 人間じゃないわ』
 なんて恐ろしい女の子だと思った。



 砂埃を蹴立てて馬が荒野を延々と北上する。
 遠く背後に護衛たちの声が聞こえた。

 前方に黒胡麻のようなものが見えた。
 どんどん近づくと、それは動く箱のように見えた。

 馬車に施された紋章は剣。
 皇帝と大神官のみに許された紋───ダーナ家の馬車だ。

「イエラ!」
 叫んだ声は枯れていた。
 砂埃を大量に吸い込んだらしく、いまさら喉が痛いと思った。



 十四歳のとき、寝込んだイルスが蜂蜜水を飲んでいると、従妹がじっと見上げてきた。
 二人で蜂蜜水を飲んだ。
『はちみつ水も半分こだから、お病気も半分こしてあげる』
 おやつの時間になっても、彼女はイルスの寝台に座っていた。



 止まらない馬車の横に並ぶ。
 片手で扉の取っ手を力任せに引くと、壊れるような音を立てて扉が開く。
「イエラ!」
 片足を馬の背に乗せて鞍を蹴り上げ、頭から馬車に飛び込む。
「きゃっ」
「閣下!?」
 侍女が一人、従妹と乗っていた。

 馬車を止めさせ、イスルは従妹の腕を掴んで引き摺り下ろす。
「痛い! 放して!!」
「閣下! お許しください閣下!」
 従妹の声と、主人を守ろうとイルスに縋りつく侍女の姿を見てイルスは気づいた。

 これではまるで、追い剥ぎだ……。