「…………………………………………………………は?」
「屋敷にはいなかった。
 実家に帰ったと執事から聞いた」

「それで、若。若はここで何をしておいでで?」
「うん。いや、追いかけるべきかどうか考えてな、またわからなくなって……」
 老人は重いため息をついた。

「若は今朝、どんなお返事をなさるおつもりでしたか?」
「あらためて……わたしから求婚しようと思っていた」
「それで、まだそのお返事はされていないのですな?」
「そうだ。すでに従妹殿はいなかったから」

「若。追いかけなされませ」
「追いかけるべきか?」
「若はお返事をなさるお約束をしておいででした。
 それならば、相手がどこにいようとお返事なさるべきです」

 そうか、と呟くイルス。
 無言で立ち上がり、老人に礼も言わず部屋を後にした。
「馬を引け!」





 五歳の時に落馬して以来、乗馬を嫌ったイルスを馬鹿にしたのは従妹だった。
『馬にものれないの?
 人間じゃないわ』
 なんて恐ろしい女の子だと思った。



 砂埃を蹴立てて馬が荒野を延々と北上する。
 遠く背後に護衛たちの声が聞こえた。

 前方に黒胡麻のようなものが見えた。
 どんどん近づくと、それは動く箱のように見えた。

 馬車に施された紋章は剣。
 皇帝と大神官のみに許された紋───ダーナ家の馬車だ。

「イエラ!」
 叫んだ声は枯れていた。
 砂埃を大量に吸い込んだらしく、いまさら喉が痛いと思った。



 十四歳のとき、寝込んだイルスが蜂蜜水を飲んでいると、従妹がじっと見上げてきた。
 二人で蜂蜜水を飲んだ。
『はちみつ水も半分こだから、お病気も半分こしてあげる』
 おやつの時間になっても、彼女はイルスの寝台に座っていた。



 止まらない馬車の横に並ぶ。
 片手で扉の取っ手を力任せに引くと、壊れるような音を立てて扉が開く。
「イエラ!」
 片足を馬の背に乗せて鞍を蹴り上げ、頭から馬車に飛び込む。
「きゃっ」
「閣下!?」
 侍女が一人、従妹と乗っていた。

 馬車を止めさせ、イスルは従妹の腕を掴んで引き摺り下ろす。
「痛い! 放して!!」
「閣下! お許しください閣下!」
 従妹の声と、主人を守ろうとイルスに縋りつく侍女の姿を見てイルスは気づいた。

 これではまるで、追い剥ぎだ……。