寒さと温かさ(暑さ?)のジェットコースターのような年度末・年度始めで、ようやく落ち着いてきた頃。
桜も終わり、ゴールデンウイークが視野に入り始めた季節である。後少しすれば、また蒸し暑くやれやれになる日々が近いだろう。
相手の生活が異動で大きく変わり、それはそれで大変な日々。
寒さと温かさ(暑さ?)のジェットコースターのような年度末・年度始めで、ようやく落ち着いてきた頃。
桜も終わり、ゴールデンウイークが視野に入り始めた季節である。後少しすれば、また蒸し暑くやれやれになる日々が近いだろう。
相手の生活が異動で大きく変わり、それはそれで大変な日々。
新年も明けて、あっという間に2月もぼちぼち終わる。新年は、休暇を温泉で過ごし、今年一年分の温泉を満喫ということか。
新生活も、半年を過ぎた。旧い生活の記憶も急速に過去の彼方となる一方で、取り得たかも知れないもう一つの道について想いを馳せる。
藍色の風にそよぐ夏の香りは、もう一度肺まで染まることは出来な いのだろう。耳を髪に捧ぐ仕草と、頂点に達するときに自分を見つめるあの眼差し。
今年の春くらいにChatGPTを使い始めたものの、しばらくは放置状態が続いていた。
本格的に使い始めたのは夏頃であろうか。ちょうどそのくらいの時期に、大幅に改善が見られ、ハルシネーションも大幅に減ってきた。恐らく、インターネットに接続できるようになったことが大きいのであろう。
秋頃には、もうChatGPTが無い生活には戻れない状態になりつつあった。英語はもう原文で読む気が起きない。英語を書く時も、下書きはChatGPTにやらせることが多い。若い人たちは積極的に利用しているものの、単に丸写しするだけとか、あまり使い方が分かって無い者も多い。
引越からはや半年、あっという間に師走が来る。
既に半年も経っていたことを、いまこのブログを書いていて改めて知ることになった。
文字通り職住近接となり、案の定運動不足に陥る。通勤は、それなりに運動不足解消になっていたのであろう。去年の服が軒並み着られなくなり、それなりのショックを受ける。
今年は、旧い友人が相次いで訪問をしてくれた。学生時代の友人ほど気の置けないものはない。この年齢になって、それなりの地位のある人を呼び捨てにできるなんて(むしろ、呼び捨てにしない方が変な感じがする)、考えて見れば不思議な感じがする。数十年間も友人だなんて、すごいとしか言いようがない。
引っ越し作業をしていて、片っ端から押入れのモノを処分する。
出るわ出るわ、不用品の数々。見た目はそれほどの体積ではないと思っていた箱も、開けてみるとまるでタイムカプセルのような。二十代に着ていた服まで出てきたのには閉口した。こんなものまで持って来てたんだな。
カセットテープはあることは知っていたが、この地に移り住んでほぼ聞いていなかったと思う。開いてみると、中高生の時に作ったものがほとんど。そのあとはデジタル化してたからな・・・
自作のテープの中には、大学受験時に聞いていたと思われるものも。掛けてみると、確かにこんなのを聞いていた気もする。これを聞きながら勉強していたのか、それとも当時ウォークマンを持っていたらきっと受験の時にも持って行ったのだろう。
CDを初めて聞いた時は、テープなんて音がクソだと思ったが、改めて聞いてみると柔らかい気もする。不思議なものだ。
先週の今頃は、新生活に向けて多少なりとも夢や希望を持っていたのだが・・・
出張から戻る直前から体調の雲行きが怪しくなり、その日のうちに寝込む羽目となった。引っ越しは最低限は済ませたものの、計画の半分も進まず、大幅に予定が狂ってしまった。
検査の結果、見事にコロナ陽性。よりによって、コロナをもらってくるとは・・・
一寸先は闇、とはまさにこのこと。まあ、自分の人生はいつもこうなるんだけど・・・
それにしても、このタイミングでこれ、かあ。
久々の出張に加えて、出張直後に新たな生活を始めることになるという慌ただしい雰囲気。
住環境はだいぶマシ になるだろう。
その昔、父兄と言う言葉が使われていたが、父母と言う言葉になり、そして同性婚が認められる中で親と言う言葉になっている。
やがては、親と言う言葉も無くなるのではないか。つまり、子供と親という区別自体が差別的である、という発想である。
未来はどうなるのか。現在の常識が通用しなくなる未来、それはそれで楽しみな気もする。
保守的な人たちには我慢できないのだろうけど。
5年ぶりに、職場でも何も制限のないお花見を行うことができた。
5年かあ・・・
このブログのサブタイトルに「研究者も一人の人間として人生を楽しむべきだという信念のもと、オフの時には仕事を離れてあらゆる楽しみを追求する。」と入れ始めて、はや10余年。ここ2,3年は、身体能力の衰えを急速に感じつつあり、そもそもの楽しみを追求するという意欲すらも薄れつつあるように感じる。
一回り上の年齢とは、そのようなものなのだろう。
幾度と繰り返してきた新年度の初めは、年と共にさらに多忙になってきた。所内の雑用が年々増加し、新年度の所感をまとめる暇(いとま)もなく1年前のルーチンを繰り返す日々。
この年度末に、人生の大大先輩ともい えるほど年の離れた方が創り出した理想郷を訪れた。その理想郷は確かに素敵だったけれど、所どころには手入れが行き届かず既に自然に還り始めた個所も目に付いた。理想郷は、その維持に常に人の手を必要とし、努力と強い意志が無ければ理想を保ち続けることはできない。
やがては、このサブタイトルをも変えることになるだろう。当時は、そんなことになるとは思いもしなかったけれど。まさか、自分があらゆる楽しみを追求することに限界を感じるなんて、思いもしなかったのだ。
これを、年を取ることで人間としての面白みが増えたと取るか、単に加齢を嘆くのか。