青い球。blauekugelという名に捧ぐ。

青い球。blauekugelという名に捧ぐ。

Since 2011
花鳥風月、理の系の人間が超感覚的に追求する美学。やや欧州、技。

久々の出張に加えて、出張直後に新たな生活を始めることになるという慌ただしい雰囲気。

住環境はだいぶマシになるだろう。

その昔、父兄と言う言葉が使われていたが、父母と言う言葉になり、そして同性婚が認められる中で親と言う言葉になっている。

 

やがては、親と言う言葉も無くなるのではないか。つまり、子供と親という区別自体が差別的である、という発想である。

 

未来はどうなるのか。現在の常識が通用しなくなる未来、それはそれで楽しみな気もする。

保守的な人たちには我慢できないのだろうけど。

 

5年ぶりに、職場でも何も制限のないお花見を行うことができた。

 

5年かあ・・・

 

このブログのサブタイトルに「研究者も一人の人間として人生を楽しむべきだという信念のもと、オフの時には仕事を離れてあらゆる楽しみを追求する。」と入れ始めて、はや10余年。ここ2,3年は、身体能力の衰えを急速に感じつつあり、そもそもの楽しみを追求するという意欲すらも薄れつつあるように感じる。

 

一回り上の年齢とは、そのようなものなのだろう。

 

幾度と繰り返してきた新年度の初めは、年と共にさらに多忙になってきた。所内の雑用が年々増加し、新年度の所感をまとめる暇(いとま)もなく1年前のルーチンを繰り返す日々。

 

この年度末に、人生の大大先輩ともいえるほど年の離れた方が創り出した理想郷を訪れた。その理想郷は確かに素敵だったけれど、所どころには手入れが行き届かず既に自然に還り始めた個所も目に付いた。理想郷は、その維持に常に人の手を必要とし、努力と強い意志が無ければ理想を保ち続けることはできない。

 

やがては、このサブタイトルをも変えることになるだろう。当時は、そんなことになるとは思いもしなかったけれど。まさか、自分があらゆる楽しみを追求することに限界を感じるなんて、思いもしなかったのだ。

 

これを、年を取ることで人間としての面白みが増えたと取るか、単に加齢を嘆くのか。

某トレンディドラマのリメイク版の主題歌は、コロナ禍に入った直後に発表された曲らしい。

 

もっとも、当時はコロナ禍に入った「直後」などと言う言い方はできなかったであろう。そもそも、現在生きている人々が初めて経験するパンデミックがそのあと3年以上も続くなんて、誰も想像できなかったのだ。あのとき、つまり2020年初頭には、その年の夏が始まる頃には元の生活に戻れると信じていた(希望していた)のだから、「コロナ禍に入った直後」などという言い方はきっと適切ではないだろう。

 
閑話休題。

 

この歌には、前向きで一歩一歩進んで行くようなメロディーとは裏腹に、当時の息苦しさや希望を持たなければ生きていけないという辛さが歌詞の中によく現れている。青春をいきなり奪われた若い人たちにとっては、尚更のことであっただろう。

 

交わした天の約束を裏切られたとしても

そんなことに僕たちは気付かずに生きていくだけ

天に裏切られる、すなわちどんなに理不尽な運命であったとしても、「僕たち」は「理不尽である」ということすらも知らずに生きていくしかない。令和におけるこのような諦観の雰囲気は、小松左京の「蟻の園」にも通じるものがある。

 

コロナ禍で失わされた膨大な時間、本来であれば享受できたであろう様々な営み。大人たちは、それが大きな損失だと理解できる。なぜなら、彼らはそれを経験しているからだ。一方で、若い世代は経験していないのだから、その価値を知ることもない。1日に100万円を使えるような生活をしたことがない庶民には、そのような贅沢の素晴らしさを理解することもできない(だから、残念に思うこともない)。

 

ありもしない滑走路

羽を広げ走る

揺るぎはしないよ僕たちは

何度も声を上げて ゝ ゝ ゝ

羽を広げ、飛び立とうとする「僕たち」。でも、実際には滑走路なんてものはありもしない。当然、飛び立つことはできない。それでも、飛び立てると揺るぎなく信じ、何度でも声を上げ続ける「僕たち」。何事も100%とは言い切れないから、滑走路が無くたっていつの日にかは飛び立つことができるのかもしれない。そう信じることができるのは、「僕たち」にはまだ膨大な時間が残されているからだ。我々大人が持ち得ないもの、それは「未来」である(それが実は、「膨大」ではないということを知っているのもまた、大人であるのだけれど)。

 

まだ見えない

未来を僕ら

灯火で照らしていくから

コロナ禍当時は、全く未来は見えなかった。全てが真っ暗な中、当時できたことは、ただ未来に希望を持つことだけだった。若者たちはまだまだ続く膨大な未来の可能性だけを信じて、「希望」という灯火を頼りに生きていたのだ。

 

そして、それは大人たちには決してできなかった、若い彼らだけの貴重な経験であったのだと信じたい。諦観から生まれるささやかな希望と、その希望が照らす無限の未来を胸に抱えて。

 

 

 

某ドラマにて、令和時代のコンプラに縛られた現代が揶揄されている。比較対象は、昭和末期のあの時代。そう、確かに不適切にもほどがあるセリフの数々。

 

改めて思い返すと、昭和末期は偏見と差別に満ち溢れていた時代だった。が、人の心はあったと思う。何が悪くて何がだめなのか、その最低限の境界は守られていたのではないか。

 

今のように、庶民の箸の上げ下げにまで国家や社会が口を出してくるような、お節介な雰囲気を、当時の人間はどう見るだろうか。きっと頭がおかしいと思うに違いない。そう、不適切にもほどがあるのは、昭和から見ればこの令和なのである。

 

 

お題:そこそこの嘘をついてみてください

 

GPT:私は、この番組の視聴率が高いと思っています 

 

元ネタがあるのだろうか、なかなか面白い回答だと思う。

 

 

恐らく、星新一のショートショート、または彼が主催する一般公募作品だったかもしれないが、未来のサラリーマンは自分で会社に行かず、ロボットを行かせるようになる時代が描かれていた。

 

そのロボットにいかに良い対応をさせ、良い仕事をさせるか。毎晩、会社から帰ってきたロボットに対して、この人工知能が良いか、などと言いながら子供の前でメンテナンスするお父さん。

ここ1年で、AIが急速に発展してきた。

Chat GPTに必要なのは、プロンプトエンジニアリングとのこと。

 

AIに指示するための指示書などと言われるが、全く意味のない、生産性のない「工学」だと言ってよい。

 

昔、SF水滸伝という小説があった。その小説では、人類を中央コンピュータが支配している。役人どもは、そのコンピュータの決裁を仰ぐことでその国の運営がなされている。そのコンピュータに決裁を通すためには申請の「コツ」(作中ではプログラミング)が必要で、そのコツを究めてコンピュータに自由自在な決裁をさせることが可能な者たちがその国を支配することができる。

 

その小説はディストピアとしてそのような状況を描いていたが、まさにプロンプトエンジニアリングはその小説を想起させる。

 

AIへの指令(コマンド、ないしプロンプト)が重要だって?????呆れて、モノも言えない。恐らくは仕様も刻々と変わっていくだろうAIへの指令を工学だなんて。

 

まさに、この世界はディストピアへの一歩を踏み出そうとしている。

 

そして。この小説の作者の先見性には頭が下がるということも付け加えておこう。

地震の揺れは、私の記憶を一気に巻き戻した。そう、あれは。

 

あれは、私がまだ中学生のころだった。あれが来たのは。あれは、日常を少しずつ非日常に変えてゆく端緒として発現した。

 

最初の揺れは、棚から物が落ちた程度であった。酒屋で、年代物のワインやらウイスキーやらが割れたというニュースの他は、この国の屋台骨を折るような事態を招くことを想像させることは、残念ながらできなかった。

 

5度目の前震のあとで、あれはやってきた。凄まじいエネルギーを持つ地の神は、震源から半径10km以内のあらゆる人工物と自然造形―丘、切り立った崖、海岸線―を初期化した。つまり、徹底的に破壊された。

 

私は、2週間、親のない状況で避難所をさ迷ったのち、集団避難に入って自分の死んでいた町から200km以上も離れた町に移されることとなった。言葉すら異なる地域。親のない身上となった自分に、地元の子たちからの容赦ない方言を嗤う蔑みは、ただただ身を切られるような痛みを伴った。

 

そこで初めて、最初の前震から何が起きて行ったのかを映像で見ることができた。自分の持っていたスマホはとっくの昔に充電切れとなっていたから、避難中はろくにニュースを見ることもできなかった。女子学生は大人から情報をもらっていたようだったが、それは幼い身体を対価として得た情報であった。日本は、戦時中から何も変わっていない。いや、戦後の時代にも、おっさん世代が若い女性を食い物にする構図は健在であったのだろう。この国の最悪な横面が、最高の効果をもたらした時期だったのだ。

 

そして、私が避難していた200kmの真ん中の地点に新たに国境なるものが引かれ、私はかつての故郷に戻ることができなくなった。そして、代わりに流入してきたのが外国軍であった。彼らは、純粋な日本人を根絶やしにせよという指令を帯びていたのであろう。徹底的に婦女暴行の限りを尽くした。徹底的に、なぎ倒すという表現が最適に感じられるほど、その勢いは絶大であった。