8章 | 青い球。blauekugelという名に捧ぐ。

青い球。blauekugelという名に捧ぐ。

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花鳥風月、理の系の人間が超感覚的に追求する美学。やや欧州、技。

地震の揺れは、私の記憶を一気に巻き戻した。そう、あれは。

 

あれは、私がまだ中学生のころだった。あれが来たのは。あれは、日常を少しずつ非日常に変えてゆく端緒として発現した。

 

最初の揺れは、棚から物が落ちた程度であった。酒屋で、年代物のワインやらウイスキーやらが割れたというニュースの他は、この国の屋台骨を折るような事態を招くことを想像させることは、残念ながらできなかった。

 

5度目の前震のあとで、あれはやってきた。凄まじいエネルギーを持つ地の神は、震源から半径10km以内のあらゆる人工物と自然造形―丘、切り立った崖、海岸線―を初期化した。つまり、徹底的に破壊された。

 

私は、2週間、親のない状況で避難所をさ迷ったのち、集団避難に入って自分の死んでいた町から200km以上も離れた町に移されることとなった。言葉すら異なる地域。親のない身上となった自分に、地元の子たちからの容赦ない方言を嗤う蔑みは、ただただ身を切られるような痛みを伴った。

 

そこで初めて、最初の前震から何が起きて行ったのかを映像で見ることができた。自分の持っていたスマホはとっくの昔に充電切れとなっていたから、避難中はろくにニュースを見ることもできなかった。女子学生は大人から情報をもらっていたようだったが、それは幼い身体を対価として得た情報であった。日本は、戦時中から何も変わっていない。いや、戦後の時代にも、おっさん世代が若い女性を食い物にする構図は健在であったのだろう。この国の最悪な横面が、最高の効果をもたらした時期だったのだ。

 

そして、私が避難していた200kmの真ん中の地点に新たに国境なるものが引かれ、私はかつての故郷に戻ることができなくなった。そして、代わりに流入してきたのが外国軍であった。彼らは、純粋な日本人を根絶やしにせよという指令を帯びていたのであろう。徹底的に婦女暴行の限りを尽くした。徹底的に、なぎ倒すという表現が最適に感じられるほど、その勢いは絶大であった。