石間稲荷神社(宮城県亘理郡亘理町) Part2 | 碧風的備忘録

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石間稲荷神社(宮城県亘理郡亘理町) Part1からの続きです。

 

石間稲荷神社の神使のお狐さまの石像。
 
石間稲荷神社には、岩沼市の竹駒神社に関係する言い伝えが
あります。
 
竹駒神社には姉や伯母とされる神社があります。
『姉明神』と呼ばれているのは、名取市のJR館腰駅の
西側に鎮座する旧県社・館腰神社です。
館腰神社参道と社殿。
 
館腰神社の主祭神は、京都の伏見稲荷大社の祭神である
倉稲魂神・大宮姫神・猿田彦神の三柱です。
館腰神社は、嵯峨天皇の御宇である弘仁2年(811年)に
弘法大師空海が弘誓寺(現在、館腰神社北隣にある寺院)を
建立するにあたり伏見稲荷神社(現在の伏見稲荷大社)から御分霊を
勧請し奉斎したことを始まりとしています。
 
また、竹駒神社から北に200mほどの場所には
丸山神社というお社が鎮座しています。
丸山神社鳥居と社殿。
 
丸山神社の御祭神は牛馬の守護神や農耕神とされる保食神です。
古い棟札には「国常立命・天照大御神・天児屋根命」
書かれていたそうです。
こちらの丸山神社は創建時期も由緒は不明とのことですが、
竹駒神社の『伯母明神』として知られているそうです。
 

『竹駒神社志』には、もう一つの伯母明神のお社についての
昔話が書かれています。
 
 
慶長年間に岩沼舘の城主であった奥羽出羽兼清が
鷹狩りに出た際に、兼清の飼っていた愛鷹を
野狐が捕って食べてしまったのだそうです。
 
日頃から信心深い兼清でしたが
「狐ということは…そういえば狐は竹駒神社のお使いの動物だ!」と
思い、さっそく竹駒神社へ出向いて、神前で
「わたしの鷹を食べたあの狐を懲らしめてくださらないなら、
初午のお祭りを行いませぬぞ!」と訴えたところ、巫女から
「領主が憤り恨むのは全く当然だし、本当に悪いことをしちゃったね。
だけど、その狐は私のお使いの子じゃないよ。その野狐は
亘理の伯母明神のお使いの子だよ」という神勅が下されました。
  
その後、鷹を食べた野狐は竹駒さまが罰を与えたので
ひどい目にあったのだそうです。
この件があってから、兼清は一層信心深くなったとのことです。
 
この『亘理伯母明神』とされるお社が、石間稲荷神社なのだとか。
 
竹駒神社の神使の狐像。
 
館腰神社は弘仁2年(811年)に伏見稲荷大社から勧請され、
石間稲荷神社は延暦16年(797年)に勧請ということから、
館腰神社は『姉明神』、石間稲荷神社は『亘理伯母明神』
呼ばれているそうです。
竹駒神社に参拝する前には、姉明神である館腰神社へ
参拝する習わしがあったのだそうです。
 
他にも竹駒神社の『伯父明神』とされる神社があり、
奥州一関藩の田村右京太夫の家老に三神司馬之助という者がおり、
40歳になって子がいないことを竹駒明神に祈願したところ、
帰りの道中に萩ヶ原というところの藪で、枕元に白い幣束が建てられ
狐の皮の上に捨て置かれた赤子を拾ったのだそうです。
 
三神司馬之助は「これは竹駒明神がお授けくださったのか!!」と
喜び、その捨て子を拾い上げたところ、突然真っ黒な装束を
着た男が現れ、
「私はある御方から頼まれて、ここにこの赤子を置いたのですが、
獅子や狼たちに襲われないかと夜明けまで見守っておりました。
貴公のように情け深い御方に心から喜ばしいことで御座る…」
挨拶されたという。
 
この黒衣の男こそ、竹駒三所大明神の願いを聞き届けた
伯父明神の白狐の再臨であった…と言い伝えには
書かれておりましたが、洪水の折にその文書は水浸しになり、
末尾が読めなくなったので、どこの神社が竹駒神社の伯父明神なのか
不明となっているということです。
 
黒の神狐というと、亘理町に尊久老稲荷神社が鎮座しており、
境内のお狐さまの御室は竹駒神社につながっているという話が
あるのだとか。
また、一説によれば、尊久老稲荷神社こそが、上記の
竹駒神社の伯父明神であると言われているそうです。
尊久老稲荷神社と御室(亘理町長瀞地区)。
 

また、竹駒神社のお狐さま(命婦様)は雄狐で、
石間稲荷神社のお狐さまが雌狐なのだそうです。
竹駒神社のお狐さまが石間稲荷神社のお狐さまや伯母さまに
逢いに来るときは阿武隈川の渡し舟をよく利用していたそうです。
 
毎年季節になると、岩沼側の阿武隈川の舟渡し場に来て
人間の声で「おーーーーい!!」と対岸の船頭さんを
呼ぶのだそうです。
舟が着くと、お狐さまは姿を隠してこっそりと舟に乗り込みますが、
船頭さんは自分を呼んだ人影がないので逢隈側の対岸へ戻ります。
逢隈の舟場に到着すると、お狐さまは超ダッシュで急いで
石間稲荷神社のお狐さまに会いに行くのだそうです。
 

以上の通り、石間稲荷神社には歴史や昔話が多くあります。
一説では鹿島伊都乃比気神社の論社とされた時代もあったんだとか。
興味がお有りの方は、是非参拝してみて下さい。
 
石間稲荷神社の御朱印です。
石間稲荷神社は、逢隈牛袋地区に鎮座する
八雲神社の宮司さんの兼務社となっています。
 
宮司さんのお宅は石間稲荷神社や八雲神社から離れているので
御朱印や神札の拝受を希望される方は、事前連絡してから
参拝されるといいと思います。
(石間稲荷神社第一鳥居そばの由緒書きに連絡先が書いてあります)
 

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