鹿島伊都乃比気神社・月山神社(宮城県亘理郡亘理町) | 碧風的備忘録

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鹿島伊都乃比気神社(かしま いつのひけじんじゃ)

月山神社(つきやまじんじゃ)

 

亘理町吉田字作田に鎮座。

旧社格は鹿島伊都乃比気神社が無格社、月山神社が村社。

御祭神は鹿島伊都乃比気神社が武甕槌神

月山神社が月讀命(月夜見命)八幡大神(誉田別命)を祀る。

 


鹿島伊都乃比気神社は、川口神社所蔵の『亘理郡神社明細帳』に

よれば、景行天皇41年(111年)8月6日に勅命を受けて勧請された

神社で、清和天皇の御宇である貞観4年(862年)6月15日に

従五位上の神階を賜ったという。

明治43年2月8日に月山神社へ合祀された。

 

鹿島伊都乃比気神社の社殿は三尺四面のもので、

民有地に鎮座していた。祭神が武神ということもあり、

合祀される前は郡内から多くの人々が武運長久祈願のために

参拝したという。しかし、社殿が長期間荒廃し衰微したため、

明治43年に月山神社へ合祀されるに至る。

 


月山神社はいつ創建勧請されたものかは不明だが、

もともとは現在の吉田小学校の場所にあった

龍光寺という寺院で祀られていた『月山大権現』を、

文久元年(1861年)に現在の鎮座地に遷し、

明治2年に社名を月山神社へ改めたという。

明治43年に延喜式内社・鹿島伊都乃比気神社と

村社である八幡神社を合祀した。

月山神社へ合祀された村社・八幡神社。

 


亘理町に鎮座する延喜式内鹿島三社の三社目である

鹿島伊都乃比気神社です。

 

実は、鹿島伊都乃比気神社ですが、現在は社殿はありません。

上記の由緒のように、鹿島伊都乃比気神社は吉田字作田地区に

鎮座する月山神社に合祀されています。

 

鹿島伊都乃比気神社の鎮座地には諸説ありますが、

作田地区には『鹿島御林』と呼ばれる場所があり、そこに

鹿島伊都乃比気神社が鎮座していたという話があるそうです。

鹿島伊都乃比気神社の鎮座していた『鹿島御林』があったという場所。

近くにお住まいの方のお話では

「昔、作田地区には鹿島神社があったと聞いたことがある」とのこと。

 

さて、月山神社ですが、作田地区のりんご園などが並ぶ道路を

黒森山方面に向かった先になります。

が、道路の途中にはイノシシ侵入防止の金網が置かれていますので、

車を金網の前に駐車して、そこから鳥居まで歩き、

そこから山道をちょっとした里山登山になります。

 

月山神社参道。

参道は比較的整備されています。が、所々にイノシシが

地面を掘った形跡があったりとワイルドな一面も…。

 

杉の木立に囲まれた参道を登っていきます。

晴れていると木漏れ日が気持ちいい林道ですね。

 

どんどん登っていくと、月山神社の社殿が見えてきます。

 

一際大きな杉と横に曲がった桜の木が社殿前に立っています。

 

月山神社拝殿。

拝殿は平入りのシンプルなものです。

 

月山神社御本殿。

御本殿も平入りの簡素な作り。亘理町でも山間部に位置する

神社なので、あまり雪を降らない地域と言えど、

雪害などに強い造りを採用した結果なのでしょうか。

 


月山神社の御朱印ですが、月山神社は鹿島緒名太神社と同じく、

亘理町中心部に鎮座する亘理神社の兼務社となっております。

鹿島伊都乃比気神社・月山神社御朱印。

2016年末の時点で、鹿島緒名太神社と同じく

御朱印には「宮城縣亘理神社之印」という亘理神社の御朱印を

押していただきました。こちらも、御朱印を拝受希望の場合は

事前連絡をおすすめ致します。

 

追記:2017年6月現在、亘理神社では宮司不在ということで

   御朱印の授与を停止しているようです。

   祭典前などに事前連絡して伺うほうが良さそうです。

 


< 地図 >

備考:駐車場なし。金網前に駐車して歩いて移動する必要あり。