石間稲荷神社(宮城県亘理郡亘理町) Part1 | 碧風的備忘録

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石間稲荷神社(いしま いなりじんじゃ)

 
亘理町逢隈下郡に鎮座。
御祭神は稲荷大神とされる宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
 
鎮座している下郡地区は、昔は「石間山」や「八ツ山峰」という山々と
その山々を水源とする水と阿武隈川の水に恵まれた土地で、
そのバランスの良い自然環境を利用して、田畑や集落などが形成されていました。
また、平安時代頃までは、鎮座する上郡・下郡地区付近から
東側は海で、神社の周りも葦の生い茂る沼地であったそうです。
八ツ山峰の北西側には名水「田澤清水」があります。
写真奥には鹿島緒名太神社、右手が安福河伯神社の鎮座する水上山。
 
由緒によれば、延暦16年(797年)、征夷大将軍の坂上田村麻呂公が
蝦夷征伐の折、犠牲になった崇神天皇の皇孫である
上毛野田道将軍や、この土地に住む先住民と豪族の霊を弔うために
椿山(現在のJR逢隈駅の西側付近)に観音堂をお祀りしました。
また、『伊治水門(いしみなと)』と呼ばれていた石間山の地には
石合稲荷を勧請し、武運長久や開拓の安全を祈願したのが
始まりと云われています。
 
勧請した石間山は巖山で、目の前で波が打ち合う場所であり、
石の間に祠を安置しお祀りしていたそうです。
 
その後も、時の豪族たちは石合稲荷をお護りし、拠点として
下郡地区をはじめ、逢隈地区の開拓開墾が進んでいきました。
石間山には弥生時代の「石間神社遺跡」や館跡があり、
神社の北側には「小松堂」とも呼ばれる国指定史跡「三十三間堂官衙遺跡」が
あるなど、古代から豪族たちが逢隈を入植の中心地としてきたことが分かります。
国指定史跡である「三十三間堂官衙遺跡(亘理郡衙跡)」
 
石間稲荷神社は修験者により祭祀が行われており、
神仏習合時代には『石合稲荷』や『石間大明神』と称され、
地域では『石間さん』という愛称で五穀豊穣や商売繁盛・除災招福に
霊験あらたかな神様として親しまれています。
慶応4年(1868年)に「神仏分離令」が太政官により布告され、
明治5年(1872年)には村社に列格されました。
 

亘理町逢隈に鎮座する石間稲荷神社です。
こちらの神社、JR常磐線の逢隈駅のそばに鎮座するので、
鳥居を目にしたことがある方も多いかと存じます。
電車から見える石間稲荷神社の第一鳥居はこんな感じ。
 
第一鳥居付近には多くの石碑や遥拝碑が鎮座しています。
 
「黄金山神社」・「庚申供養塔」・「古峯神社」・「天照皇大神宮」など
種類は様々です。
 
第一鳥居をくぐると、左手に赤い鉄囲いと石碑があります。
神社付近が海であった頃、岸の岩場に北から寄せる波と南からの潮が
ぶつかり合っていました。また、この囲いの付近には湧水の穴があり
上記に因み『波合いの清水』と呼ばれていたそうです。
その湧水の穴も埋まってしまったことから、有志の方々が
『波合いの清水』を後世に伝えるために石碑を建立したそうです。
 
 
『波合いの清水』を過ぎると凝灰角礫岩でできた「いぼ石」が
あり、その先の第二鳥居からは石階段が続いています。
 
石間山の頂上までは石段を登ればすぐ到着します。
 
石間山頂上部は開けていて、境内となっています。
2012年くらいまでは、杉やイチョウの大木に囲まれた境内でした。
 
2012年当時の境内。神さびた鎮守の杜ですね。
 
 現在の拝殿と境内は、日当たりが良く、明るい雰囲気です。
 
拝殿上部の旧称『石間大明神』『石間神社』扁額や神狐の絵がある石造扁額。
 
御本殿は瓦葺き一間社流造のもの。昭和26年(1951年)に
拝殿とともに茅葺きから瓦葺きに改修したらしい。
 
御本殿裏手には天照皇大神宮石祠と子安観音らしき石像が二体安置されています。
 
境内社としては、創建の由緒にある『椿山千手観世音』があります。
創建当初は常磐線の椿山踏切そばに鎮座していたそうです。
しかし、藩政時代の「寺社整理合併」施策や明治時代の神仏分離令などの
影響で、石間稲荷神社境内に遷されました。
ところが、神社と寺院を一緒にお祀りできないことから、
椿山千手観世音を石間稲荷神社の境内社として
祭神を誉田別命(八幡大神)とする『椿山神社』として登録し、
戦後になり元の椿山千手観世音へ名称を戻したのだそうです。
 
そのため、建物は仏道形式で、社殿内部には
神様の依代である御幣と小さな仏像が祀られているそうです。
 

また、御本殿裏手には『御室(おむろ)』という小さなお社が鎮座しています。
こちらは、稲荷大神のお使いである神狐がいるといわれている場所です。
石間稲荷神社の「御室(おむろ)」。お狐さまの住まう社。
 
石間稲荷神社では、現在も『御膳講』という風習があり、
氏子の方々が当番制で「おさご(おにぎり)」や油揚げや卵などの
お狐さまの好物を毎日欠かさずお供えし、お参りが済むと
順番が終わると名簿帳に「献饌済」と記入して廻すというものということです。
これは、稲荷大神と人々を取り次いでくれるお狐さまへ
日頃の感謝を示し、願い事を伝えてもらうために昔から続く信仰なのだそうです。
 
先日、雪の降った日の翌日に石間稲荷神社を参拝したところ、
御室から境内に続く狐の足跡を見つけ、本当にお狐さまがいるんだなぁ…と
思ってみたり。曰く「今もお狐さんがいる」という話は本当でした。
 
 
石間稲荷神社のお狐さまの石像。
 
石間稲荷神社にはお狐さまにちなむ話があるのですが、
それはまた次回に…。
 
(Part2に続く)