前提が変わるということ | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「そう思っている」

 

 

「前提」という言葉を

よく使います。

 

 

なぜなら、

「前提」が

すべてを決めているからです。

 

 

あ、「前提」が

変わったからって、

それで

現実がコントロールできるって話しでは

ないですからね。

 

 

現実は

こちらの思うように

コントロールすることなんて

できないですから。

そんな「魔法」は

どこにもありまへん。

 

 

「前提」が変わるっていうのは、

こちらの

「認識」が変わるってことで、

目の前の現実を

コントロールするってことでは

ないんです。

 

 

多くの人は

それを望むけどね。

 

 

ウエダミツトシです

こんにちは

 

image

 

現実を

自分の思うようにコントロールしたいと

望むってことは、

 

目の前の現実さえ良いほうに変われば幸せになれると思っている

 

ということだと思います。

そして、

それと同時に

 

現実は自分の思うようになっていない

 

という認識があるってことです。

 

 

つまり、

 

お望み通りの現実を体験している

 

ということになりますね。

思い通りになっていないという、

その認識通りになってるんでね。

これが、

前提の力なんですわ。

 

 

自分がどう思っているかで、

現実に対する認識が

変わってくるんです。

ということはつまり、

目の前の現実は

かんけーねーってことになるんです。

 

 

「前提」っていうのは、

自分でも忘れているくらい、

小さいころに

「ふと」

「ついうっかり」

そう思ってしまったことが

残っていて、

「そうなんだ」という風に思っている、

その通りに、

自動的に現実を認識してしまうという

働きのことだと

「俺は」考えています。

 

 

「そう思っている」から

「そう見える」んです。

そういう風に認識する。

 

 

本当の本当は、

目の前では何も起きていなくて、

それを見たときに、

自分の中にある「前提」が

目の前の現実を

 

「いいことだ」とか

「悪いことだ」とか

 

そういう風に認識”させている”んです。

 

 

言葉はね、

なんでもいいんですよ。

ビリーフでもいいし、

信念でも観念でも

なんでもいいんですが、

要は、

事前に

自分の内にインストールされた情報によって、

現実を

どのように捉えるかという、

その判断軸になっているわけです。

 

 

自分のなかに

何の判断軸もない人だとしたら

(赤ちゃんしかいねえが)

目の前の現実に対して、

何の認識も起こらない。

 

 

ただ「在る」ものが

見えているだけの状態になるんです。

 

 

それが

どういう状態かは

俺にもよくわかりませんが、

体験する現実が、

前提通りになっていることは、

なんとな~く、

感覚でわかるようにはなってきていると

思っています。

 

 

「事実」ではなくて

「印象」に引っ張られているのは、

自分でも

ほんの少しならわかる。

 

 

その「前提」によって

感情がわいてきているのもわかる。

 

 

「事実」ではないところで、

右往左往しているのも

なんとなくわかるようには

なってきました。

 

 

良くも悪くも

自分の「前提」に

引っ張られてしまっているわけです。

 

 

だからまずは、

自分がどんな「前提」を持っているのかを

知ることです。

それを知らないことには、

何も起きていない現実に、

振り回されてしまいます。

 

 

誰かの

何気ない一言が気になって、

モヤモヤしたり、

そんなことは

誰も何も言っていないのに、

「きっと、あの人は私のことを

 大事には思っていない」

という認識になってしまって、

そういう感情が湧いてきて、

そして、

それに引っ張られるような行動を

取ってしまう。

 

 

そのほとんどが、

 

誤解であるにもかかわらず

 

です。

 

 

自分の認識のほとんどが

誤解です。

間違ってます。

 

 

それは、

「前提」そのものが

間違っているからです。

 

 

だって、

小さいときに、

特に母親との関わりの中で

「ふと」

「ついうっかり」

そう思ってしまったことを元に、

前提を強化してきているからです。

 

 

小さいときの認識なんて、

それこそ、

視野が狭いですから、

間違って認識して

当然だと思いませんか?

 

 

それなのに、

それを元にして、

これまでの人生を

築いてきてしまっているんで、

間違っていて当然なんです。

ほぼ誤解だと思っていていいです。

 

 

あ、母親が悪いと

言っているわけではないです。

母親の影響が鬼デカいってことです。

 

 

人によって違いますけど、

誰もが、

生まれて初めて目にする「他人」が

母親ですから、

そりゃ、

母親の影響がデカくて

当然ですわな。

 

 

だから、

しっかりしてねって意味ではなくて、

良くも悪くも、

影響を及ぼしちゃうってことです。

それはもう

誰にも止められない。

この世の仕組み上、

仕方のないことです。

 

 

つまり、

母親をなんとかしようしても

無駄なので、

そんなことよりも、

母親の影響で、

自分がどんな「前提」を

持ってしまっているかを

知っていくことが

大事だと思います。

 

 

ただし!

 

それがわからんのよ。

 

それこそ、

自分でも忘れてしまっているくらいだから、

探ろうにも

探れない。

 

 

自分が

何をどう思っているかなんて

自分では、

なかなか

わからないもんです。

 

 

そのためってわけでもないですけど、

他人がいたり、

目の前の現実が

あったりするわけですが、

そこから気づいていくには、

ある一定の技術というか、

「慣れ」みたいなものは

必要かもしれません。

 

 

それくらい

認識が変わるっていうのは、

ときに

むずかしいものだったりするわけです。

 

 

でも、

その長年持ち続けてきた「前提」が

変わることで、

目の前の事象に対する、

認識の仕方が

ガラッと変わってしまうので、

それをして、

 

「世界が変わった!!」

 

と言うわけです。

 

 

「前提」が変わるっていうのは、

「認識」が変わるってことで、

「事象」そのものが変わるってことでは

ないんですね。

 

 

「お金がない)という前提の人が、

「お金がある」という前提に

変わったからといって、

空から

お金が降ってくるみたいな現実には

なりまへん。

 

 

そんなの当たり前です。

 

 

じゃあ

どう「認識」が変わるのかといったら、

いままで

「ない」と思っていたところに

「お金があった」ということに

気づきやすくなったり、

あるいは、

お金を得る方法が見えるようになったり、

お金以外の「あるもの」に

感謝できるようになる、

みたいな感じです。

 

 

だから、

その人からは、

「お金がない」ということで

感じていた深刻さが

なくなると思います。

 

 

なくなるというか、

めっさ小さくなる。

 

 

蟻レベルです。

 

 

ないにも等しいので、

気にならなくなって、

視野が広がって、

より多くの

豊かさを

受け取れるようになる、

みたいな感じですね。

 

 

突然、

お金が

ポンッと出てくるわけじゃない。

いきなり、

借金が帳消しになることもない。

 

 

「前提」が変わるってことは、

そういうことなんで、

「魔法」ではないんですが、

当人にとっては

「魔法」のように

感じられる場合も

あるでしょう。

 

 

それくらい

「前提」の力は大きいので、

人生を変えたいと思うのなら、

自分が

どんな前提を持っているのかに

気づく必要があるって話しでした。

 

 

そもそも、

どう思っていますか?

 

 

《終わり》image

 

 

 

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