ブームはブームである以上、いつか必ず終りが来る | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「ひとりを基準に」

 

 

今考えると

お恥ずかしい限りなんですが、

以前、

心屋塾というところにいた時に、

「そこにいるから」

という理由で

人が集まっていたことを

 

自分の実力

 

という風に勘違いしていた時期が

ありました。

 

 

あなたの本音を見つけて言語化する専門家

ウエダミツトシです

こんにちは

 

 

イタイ

実にイタイ……

 

 

でも当時の僕は

本当に

そんな風に思っていたんですね。

 

 

僕という存在を知ってもらえたのも

僕が何かをやる際に

人が集まっていたのも

それって結局、

僕の実力というよりは

 

コミュニティーの力

 

だったわけで。

そちらのほうが

圧倒的に大きかったわけで、

それを

 

全部、自分の実力

 

という風に

勘違いしていたことを

ここに告白いたします。

 

 

オレの実力、関係なかった……

 

 

image

 

 

と言っても

大抵の人は

そういうものだと思うので、

そこで自分を卑下する必要は

全くないのですが、

逆に

「だからこそ」

今でも

僕とつながってくださっている人には

感謝しかないですはい(敬礼)

 

 

僕も含めて

多くの人は、

「うまくいっている」状態を

基準にして考えてしまうところがあって、

でもそれって

絶対に変わるんですよね。

 

 

時代の流れと共に

そして

環境によっても

いとも簡単に変わることがあるんです。

 

 

良い時もあれば

悪い時もあって、

それが普通なんだと思います。

 

 

それを忘れて

「良い時」だけを

自分の標準だとしてしまうと

それ以外はすべて

「うまくいっていない」状態

という認識になってしまうため

変化が起きたときに

あたふたしてしまうことに

なると思います。

 

 

実際に

あたふたしましたんでね。

 

 

僕が

心屋塾を卒業して、

その前に

心屋仁之助さんが

「心屋仁之助」を卒業して

ということが続いたときに、

 

多くの人が離れていきました。

 

それが原因じゃないかもしれませんし、

逆に

「心屋」に関係なく、

ただ「僕という人間」から

離れていっただけかもしれないんですが、

実際に、

多くの人たちとのつながりが

その時期と同じくして

なくなっていった、

もしくは

薄くなっていきました。

 

 

これはもう

そういうものだと思うんですね。

 

 

この本で

 

 

著者の大原真樹さんは

自身が経営する

『ファティマ・モロッコ』で

モロッコ雑貨のスリッパである

「パブーシュ」が大ヒットしたときに

心の中で

こうつぶやいていたそうです。

 

「これはいつか終わりがくる」

「これはいっときのブーム」

 

そうやって、

「うまくいっている」状態を

お店の標準にするのではなくて、

「うまくいっていなかった」時期を

標準として考えて、

流行に乗り過ぎずに

時代の変化を受け入れていったそうです。

 

 

だからブームが去ったあとでも

安定して

経営を続けることが

できている。

 

 

良い時の次には

必ず

悪い時というか、

そうじゃない時というのが

どうしたって来るものなんです。

 

 

どちらもあって

「人生」だと思います。

 

 

これは

事業を拡大していはいけない

ということではありません。

 

 

「うまくいかない」状態になったとしても

それに耐えうる体力を

今のうちからつけておくべし

ということです。

それと、

 

ブームを自分の実力と勘違いすることなかれ

 

です。

 

 

「それも実力のうち」というのも

一理あります。

たしかにその通りかもしれません。

ブームであったとしても、

そのブームが起きたときに

「そこにいた」のは、

他でもない自分自身なので、

それも実力と言えば

その通りだと思います。

 

 

ただし、

どんなに実力があったとしても

そのブームは

ブームである以上、

必ず「去る」んです。

終わりが来る。

 

 

その終わりが来たときに、

何事もなかったかのように

平静を保てるかどうかという話です。

 

 

正直、

僕は保てなかったです。

軽くパニックになりましたし、

具体的に

どうしたらいいか

わからなくなりました。

 

 

自分の実力ではない以上、

もうどうすることも

できなかったからです。

対処のしようがなかった。

 

 

その時に目が覚めたと言っても

いいかもしれません。

僕のところに

人が集まっていたのは

(と言ってもそんなにじゃないよ)

 

「心屋にいるうえさま」

 

だからであって、

 

「ウエダミツトシ」

 

にではなかったんです。

 

 

僕に人が集まっていたんじゃなくて

「心屋」に人が集まっていたんです。

 

 

それをすっかり忘れていました。

 

 

そして、

そのコミュニティーからも

人が違うところに流れていったら、

それはそれで

益々

人との距離が開いていった。

 

 

それが悪いとかではないです。

たとえ

「僕」じゃなくて

「心屋のうえさま」だから

という理由だったとしても

その時に

「僕」という人間を知ってもらう

「いいきっかけ」であったことは

間違いないので、

そこの部分では

めちゃくちゃ

ラクをさせてもらったと

思っています。

 

 

じゃないと

誰にも

見つけてもらえてなかったよきっと。

 

 

だから、

ブームが来たときに、

それにうまく乗って、

自分という存在を知ってもらうための

「いいきっかけ」にするのは良いのですが、

その状態を

「自分の標準」としてしまうと、

そのブームが去ったときに

困り果てる人が

ある一定数は出てくると思いますんで、

もし今

「思うようにうまくいっていない」状態であれば

それを「標準」として

考えるといいと思います。

 

 

「そこを標準にしてしまうと

 それよりもっと飛躍できない」

 

という風に感じるかもしれませんが、

「標準にする」というのは、

 

その状態でも

十分にやっていけるだけの余裕を

常に持っておく

 

ということなんで、

今の状態よりも

ドカンっ! と飛躍できる人は

どんどんしていってくだされ。

 

 

僕は

心屋塾にいたときに、

「心屋」に人が集まっていたことを

「自分の実力だ」という風に

勘違いして

それを

「自分の標準」としてしまったところに

人としてのイタさがありました。

 

 

だから、

人が離れていったときに、

それまで

どうやって

人を集めていたかということが

全くわからなかったので、

何の手も打つことができなかったわけです。

 

 

自分で考えて

人を集めていたのなら、

どうすればいいかが

わかるはずです。

 

 

それまでと同じようにするか、

今までと違ったパターンを

試していくかだけなので、

立ち直りは早いと思います。

 

 

でも僕には

一から人を集めたこともなければ、

そこから

どうやって

巻き返しをしていくかという

具体的な案が

全くなかった。

 

 

その結果として

多くの人が離れていって、

逆に

今でもつながりのある人たちには

心から

感謝ができるようになりました。

 

 

「うまくいっている」状態だけを

「良し」とするのではなく

そうではないときも

同じように

「それで良し」として、

ただ淡々と

飄々と

やるべきことをやっていく。

 

 

「うまくいっていない」状態を

自分の標準として、

そうはならなくても

そうなった場合に

いくらでも

そこから巻き返しができる余裕を

常に持っておく。

 

 

それの繰り返しなんだと思います。

 

 

ブームは

ブームである以上、

いつか必ず終わりが来ます。

 

 

それが終わったときに、

自分でいられるか、

それが何より

大切な態度なのかもしれません。

 

 

《終わり》image

 

 

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