顔を上げて前を向いた人には手を差し伸べたくなるもので | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「応援される人とされない人」

 

 

先日、

 

「今、大変な状況にありまして」

 

とブログでカミングアウトした人が

いらして、

僕もひっそりと

応援させてもらったのですが、

僕はその人のお姿を見て、

すぐに

 

「自分にできることはないか」

 

と思ったんですね。

 

 

なんでそう思ったのかというと、

かつて

お世話になったことがあったから

というのは、

勿論大きいのですが、

それ以上に

僕がその人のことを

 

「応援したい!」

 

と思ったからなんです。

 

 

これって一体、

何が起きているのかなと思って

ちょっと考えてみました。

 

 

失くした本音を見つけて言語化する専門家

ウエダミツトシです

こんにちは

 

 

理由はいくつかあると思うのですが、

おそらく僕の中では

こう思ったからだと思います。

 

「その人の今後の活躍を見てみたい」

 

これです。

これでした。

 

 

今だけを切り取ると

たしかに

大変な状況にあるかもしれない。

でもきっとその人は、

今後復活して

今以上に

ご活躍されるであろうということが

容易に想像できたんです。

 

 

だから

そのためだったら

微力ながらでも

その人のことを

応援したいなと思ったんですね。

 

 

つまり、

簡単に言ってしまえば

 

その人に対しての信頼

 

が僕の中にすでにあったんです。

 

 

僕の中で、

その人に対する信頼が

ちゃんと

築かれていってたんです。

だから僕は、

迷いなく

その人を応援しようという気持ちになった。

 

 

そしてそれは、

どうやら

僕だけではなく、

実にたくさんの人たちからの応援が、

その人の元には、

雪崩のごとく流れ込んでいきました。

 

 

つまり、

そうなる前から

たくさんの人たちに対して、

その人は

信頼を築いていっていたんです。

 

 

だからこそ、

その呼びかけに対して、

すぐに

応援という形で

他力が発動したんだと思います。

 

 

あと、

呼びかけ方も素晴らしかったんですよ。

 

 

どういうことかというと、

 

「斯々然々で、

 こんな状況なんで

 なんとかしてください」

 

ではなくて

 

「私には”これ”ができます。

 だから、それをさせてください」

 

というお願いの仕方だったんです。

 

 

めちゃ応援しやすい!

 

 

僕が思うに、

人って、

誰かのことを応援したい生き物だと思うのです。

でも、

どう応援したら喜んでくれるのか

そして、

応援したら迷惑じゃないかなとか

色々考えちゃって

応援できないみたいな人たちって

けっこういるんじゃないかなと思っていて、

そこを

 

「こうしてくれたら嬉しいです!」

 

と明確に伝えた。

勿論、

 

「こうしてくれたら」

 

だけでは人は動きませんから、

それを言う前に

 

「私には”これ”ができます」

 

と先に伝えられたのも

良かったんじゃないかなと思っています。

 

 

だって、

こう言われたら、

 

「あ、だったら、それをお願いします!」

 

って言いやすいし、

それで喜んでもらえるのなら、

こちらとしても

喜んでお願いしますって

なると思います。

 

 

それと、

これが一番大事かなと思うのですが、

そういう状況になったことについて

その人は、

 

1ミリも誰かのせいにしていなかった

 

これが大きいと思います。

 

 

すべてを

「自分の責任です」とした上で、

 

「今の私にできることは

 ”これ”と”これ”と”これ”です。

 よかったら

 それを私にさせてください」

 

とお願いした。

 

 

なんていうか、

感動しました。

 

 

きっと、

色々と

複雑な事情がおありだったと思うのです。

でもそれについて、

1ミリも誰かのせいにはせずに、

すべてを

自分の責任として

お考えになられていた。

 

 

たとえどんな状況にあろうとも、

自らの力で

そこから立ち上がって

周りに人たちに

これから

還元していこうとされていたんです。

 

 

誰のせいにもせず、

それはそれとして、

顔を上げて

ちゃんと前を向いた。

 

 

その姿に僕は感動したんですね。

だから、

すぐにでも

 

「僕に力になれることはないだろうか」

 

と思えたんだと思います。

 

 

応援される人って、

こういう人です。

 

 

ちょっとキツイ言い方には

なってしまいますが、

ここで

 

「でも」

「だって」

 

と思った人は、

 

応援されにくい人

 

だと「僕は」思います。

 

 

たとえ

自分に非がなかろうとも

そうなってしまったものは

もうしょうがない。

 

 

だったら、

いつまでも

その状況に悲観するのではなく、

そして

誰かのせいや

環境のせいにするのでもなく、

「今自分にできることは何か」

それを考えて

それを実行する。

 

 

結局は

それしかないんです。

 

 

常に、

 

「これからどうするか」

 

しか

現実に対しては

対応ができないので、

過去を引きずったままで、

 

「私は悪くない」

 

と思って

誰かや何かのせいにしている人には、

応援はなかなか入らない。

 

 

基本的に

人って優しいと思います。

別に

見返りなんてなくたって、

喜んで何かを差し出そうとする人は

たくさんいます。

 

 

でも、

そうさせてくれないんですね

 

応援されにくい人

 

って。

 

 

誰かや何かのせいにしている人って、

誰かからの応援も

同じように

 

抵抗

 

しちゃってるんで、

なかなか入らないんです。

 

 

きっと

自分じゃなくて、

誰かや何かのせいにしている人って、

自分のことを

「被害者だ」と思っていて、

「かわいそうな存在」にしちゃってるんじゃなかと

思います。

 

 

本当はそうじゃないのに。

 

 

だから、

逆に

そういう人を応援しちゃったら、

手を貸してしまったら、

「またそうしてくるだろう」と思われて

なかなか応援しにくいんです。

 

「大変な状況にありまして」

 

とカミングアウトしたその人は、

「大変な状況」とは言っても、

自分で自分のことを

「かわいそうな存在」としては

扱っていないので、

「またそうしてくるだろう」とは思われない。

 

 

この違い。

 

 

だから、

色々な見方はできますが、

僕が思うに、

「応援される人」って、

自分を被害者にせず、

自らの力を信じている人なんじゃないかと

思います。

 

 

そして、

「応援されない人」って、

自分を被害者にして

自分の力を

自分で信用していないので、

その後の活躍が

想像できないんだと思います。

 

 

自分で自分の力を信じている人が

今後どういう活躍をするようになるのか、

ちょっと見てみたいと

思うじゃないですか。

 

 

だから、

そういう人には、

雪崩のごとく、

応援が入りやすいと思います。

 

 

まあとにかく、

人間生きてりゃ

色々とあるもんです。

でも、

何があろうとも

自分の力を信じて

顔を上げて

前を向いた人には、

必ず、

他力が入ると思うので、

自分を被害者にして、

自分で自分の力をなくそうとするのは

やめとこ。

 

 

あなたは自分でなんとかできる力がある。

 

 

《終わり》image

 

 

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