またまたお金の話し | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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突然思い付いたので

 
勢いだけで、突然書きます。
 
僕ね、
 
自分でビジネスするようになって
 
めっちゃ《お金》の話し好きになったんですよね。
 
っていうか、そこからは絶対に逃れられんと。
 
今まで逃げようとしてたなと。
 
「お金じゃないんだよね」とか、
 
「お金のためじゃないし」とか、
 
まあ、色々言ったり思ったり態度で示そうとしてたり。
 
そんなことばっかやってたんですけど。
 
今になって思いますわ。
 
「バカなの!?」って。
 
こんなに《お金》の話しって楽しいのにね。
 
何をカッコ付けてたんだと。
 
なんていうか、
 
かつての僕は
 
《お金》の話しをする人とかを
 
ちょっと距離を置いて見てたところがありまして。
 
なんなら、不浄な人だ、くらいの勢いで。
 
ほんと恥ずかしいですね。
 
不浄て……。
 
お前の方がよっぽど不浄だわと。
 
自分が清浄だとでも思ってたのかと。
 
今なら思う。
 
《お金》の話しをする人を、
 
「卑しい人」だとか、
 
スピ的に言うと、
 
「エネルギーの低い人」みたいに言う人いると思うんですけど、
 
それ、《今の自分の姿》だからね。
 
自分が《お金》に対して抱いてる自分の価値観を、
 
その人に映し出して見てるだけだから。
 
それ、自分だよと。
 
だって、かつての僕は、その時の自分の姿を他人の中に見出して、
 
そこから距離を置こうとしてましたからね。
 
「お金お金……」言ってる人を見て、
 
「なんか卑しい人だな」とか、
 
「エネルギーが低い人」だとか、
 
「もう少しお金以外のことで、何かないのかこの人は!」
 
みたいに思ってるとしたら、
 
それ、
 
「私は卑しい人間です」
 
「私はエネルギーが低い人間です」
 
「私はお金のこと以外何も考えられません」
 
って告白してるようなもんだからね。
 
どちらかといえば、
 
不浄なのは自分の方ですからね。
 
自分の人生が上手くいってないことを、
 
いい加減《お金》のせいにするのはやめよう。
 
上手くいかないのは、自分以外のところに原因を見出そうとしてるからだよ。
 
特にわかりやすい《お金》に責任を持ってもらおうとしてるその卑怯さじゃないの?
 
その卑怯さを他人の中に映し出して、誰かを蔑むことによって、自分を蔑んでるんだよ。
 
目に見えるものの中に、不浄なものなんて何もない。
 
それを不浄なものとして見ている自分がいるだけ。
 
どうせなら、楽しく《お金》の話しができる人と、僕は繋がっていきたいもんですな〜。