デタラメ!? ”白川郷の合掌造りは臭かった” | MoGaの『ネトウヨ戦記』 2nd Season

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白川郷の合掌造りは臭かった

yunnkji1789のブログ 2022-07-16 18:04:24)

リブログ元の記事は、私が柄にもなく歴史論争でコメント欄をネットネトにしてしまったものです。
ネットネトにせざるを得なかった理由は、記事の内容がデタラメすぎて指摘したのに、先方が一向に修正はおろか認識を改める事すらしなかったからなんですが(笑)
 
そのくせ、コメントは全承認してくれたわけですから、どうやら今でも自分の認識が正しいと信じ込んでいる節があり、もはや付ける薬もない状態となっています。
氏がなんと高校教員と称している事実はさておいても、岐阜に関する事柄でこのようなデタラメを放置しておくことは、ネトウヨである前に岐阜県人でもある私としてはちょいと看過できません。
 
そのデタラメとは、「合掌作りの家の床下で人糞を溜めて硝石(火薬の原料のひとつ)を作っていた!」というものです。
まあ当初は私も知識が殆どなくて、その話を即デマだと看破できていたわけではありませんでした。
辛うじて覚えがあったのは、白川郷で火薬だか火薬の素だかを作っていた、という程度の話でしたが、人のウンコなんか使ってないんじゃね?という覚えだったのです。
 
そして、私の質疑から延々と不毛なやり取りが続くのですが、まずは氏の記事に書かれている内容を簡潔にまとめたいと思います。
 

〇世界文化遺産として有名な岐阜の白川郷・富山の五箇山の合掌作りの家は、江戸時代まではメチャクチャ臭かった!

 
〇臭かったワケは、豪雪地帯だから外でウンコができず、家の中にボットン便所を作って床下にウンコを溜めていたからだった!
 
〇住人は、そのウンコを捏ねて硝石(火薬の原料のひとつ)を作っていたのだ!
 
〇戦国時代、東国の大名は貿易で火薬の調達ができなかったので、排便を結晶化させて硝石を作る方法を確立! 結晶化させるには、乾燥と低温が必要だったから、合掌作りの家屋はまさにうってつけ!
 
〇戦国時代、白川郷・五箇山は本願寺が勢力を持っていた! 当時、本願寺の鉄砲集団で使われていた火薬は、白川郷・五箇山の人糞から作られていた!
 
〇江戸時代になると、五箇山は加賀前田藩領、白川郷は幕府の直轄地になるが、(人糞による)硝石造りは幕末まで続いていたんですよ・・・
 
さらに、コメント欄のやり取りから、氏が以下のような認識である事も明らかになりました。
 
!ボットン便所のをそのまま使っていたので、人糞には当然尿も混じっていた
 
!人糞を捏ねて硝石を作るやり方は最も原始的かつ効率的なもので、紀元前から、古代中国でも行われていた
 
!やり方は、糞尿をそのまま床下に溜めて蓬等の有機物と定期的に攪拌する方法だったので、技術も何もない
 
・・・まあこんなところですね。
色々調べた結果、今見ると8割方デタラメしか書いていないように思えるのですが、私も当初はほとんど知識がなかったわけですから、あまり偉そうなことは言えません。
 
それでも、やはり氏の説はデタラメと言わざるを得ないんですよね。
 
以降、ポイントごとに指摘していきましょう。
 
1 硝石の製造って14世紀からじゃないんですかぁ!?
 紀元前でもなければ、古代中国でもありません!
 硝石自体は、確かに紀元前から採取や利用が行われていたのですが、それは薬として使われていたのであり、またその当時から製造されていたという記録は歴史上ありません。人類史に火薬が登場したのは中国で8世紀から、以降、原料として硝石の需要が高まったことで、西洋で土から硝石を製造する技術が確立したのです。
 なお、中国では普通に採取できており、製造の必要はありませんでした。
 
2 床下で硝石をつくるのって「古土法」のことじゃないんですかぁ!?
 14世紀から西洋で始まった硝石の製造は、家の壁や地下室などの古い土を灰汁で煮詰めて結晶化させる「古土法」という技術でした。それは鉄砲や火薬とともに日本にも伝わり、我が国では床下の土を利用して行われていたわけです。
 
3 人糞を使った硝石の製造は「硝石丘法」じゃないんですかぁ!?
 西洋では、15世紀ころに人や家畜の糞を土と混ぜて通気性の良い小屋に積み上げ、時折攪拌して発酵させる方法も確立されました。そうして出来た土を煮詰める最終工程は古土法と同じですが、古土法が適した土になるまで15~20年もかかったのに対し、こちらは2~3年で出来るので効率は最も良かったとされています。
 このやり方は、日本では幕末に伝わったものの、精製過程での悪臭が酷くてあまり流行らなかったらしく、また、明治維新以降に硝石の需要が無くなってしまった事もあり、すぐに廃れてしまったようですね。
 
4 合掌造りの家でやっていた硝石の製造は「培養法」じゃないんですかぁ!?
 白川郷や五箇山で独自に行われていた独特の硝石製造は「培養法」と呼ばれています。
 これは、合掌造りの家の囲炉裏のあたりに穴を掘って、そこにホロホロと乾燥した土にカイコの糞を混ぜたものと、干した山草・タバコやソバなどのガラ・穂殻を混ぜたものを交互に敷いていくような方法でした。こういう作業を季節ごとに5年くらい繰り返して、翌年以降は毎年冬に土を取り出し煮詰めて硝石を精製していたということです。
 この方法は西洋ではおろか、日本の他の地域でも行われていない独自のもので、一体どうやって編み出されたのか、いつから行われていたのかも不明とされています。
 ただ、氏のブログでも言及されている石山合戦が1570年ころですが、その頃に行われていた硝石の製造は前述した「古土法」とされており、硝石の生産量の増加具合から見て「培養法」はそれ以降の事ではないかと考えられているようです。
 なお、氏からは「カイコでも人でもウンコなら何でもいいんじゃないですかぁ!?」と反論されましたが、原理上は確かにそれでも良いらしく、培養法で人糞が使われたという説もあるにはあるようです。ただ、そういった記録が一次資料にはないという事ですし、そもそもこの方法だと氏の説明しているのとは全然違うんですよね。
 
5 そもそも合掌造りの家自体、江戸時代からじゃないんですかぁ!?
 これを私が氏に指摘したところ、「合掌造りの屋根裏で養蚕が行われていたのが江戸時代からで、俺はそれ以前の時代の話をしているんだ!」と言い訳をしていました。「じゃあ『あの合掌造りの家が臭かった』という言い方はおかしくね?」と追い詰めたところ、「合掌造りの原型はあった!私は何も矛盾していない!」とキレられましたね(笑)
 
さて、これらの事実はもちろん私からすべて氏にぶつけて、語っている内容からして、氏は「古土法」と「硝石丘法」をゴッチャにして理解しているのではないか、と指摘してみたんですが、(後付けで嘘ついてるのでなければ)そうでもなさそうなのは以下のような返信内容から窺えます。
 

>3つしか方法がなくて、それぞれの地域がその3つにきちんと分けられると思っていますか?
>そして、その全てに「これを何法と名付ける」ときちんと区別されていると思っていますか?
>では聞きますが。江戸時代の白川郷の精製方法は何法に当たるんですか?

 
>同じ物を作っているんだから似てる部分はあるに決まっているでしょう。
>どんな物でも同じでしょう。同じ製品をつくるのに会社によって1から10まで全く違うことなんて寧ろありえなくないですか?
 
>「この部分はこっち」「あの部分はあっち」という考え方が無意味だってことわかりませんか?
>私からしたら、カツ丼を見て「カレーライスと同じでライスがあるから、カツとカレーライスとのハイブリッドだ」というようなものです。
 
また、氏が根拠としているのは『飛騨記』とか『飛騨鑑』と呼ばれる一次資料であり、語った内容はそこに記載されていると言うのですが、該当箇所の引用を求めてもスルーされるし、これ以上はどうにもならないと見て、あとは自分のブログにまとめるとしてリブログの許可を頂き、こうして記事にした次第です。
 

議論した中でこれはメチャクチャだなぁ、と感じたのは、氏は当初自分の語った話が「インターネットに無数に出ている」と言っておきながら、じゃあ一つ二つでもいいから該当記事を紹介してくれと求めても、

 

>見つかりませんってか、最初からあるなんて言ってませんし、探してすらないですが?

 

という痴呆ぶりで、空いた口が塞がりませんでしたね(笑)

最後には「世の中ネット検索すればなんでもわかるってのは間違いだよ」などと捨て台詞を吐く始末です。

 

まあ私も確かに調べていく中でネット記事も参照しましたが、ちゃんとした研究論文に基づいているのであれば氏も納得するだろうと、複数の論文も読んでみました。

中でも分かりやすく網羅されていたものを、幾つか紹介しておきます。
 
加賀藩の火薬 1.塩硝及び硫黄の生産
(日本海域研究,第33号,111-128頁,2002)
硝石製造法の史学的調査と実験的検証に関する研究 ─わが国における 3 種の硝石製造法の比較─
(薬史学雑誌 55(2),179-193(2020))
(野澤直美、高木翔太、福島康仁、高橋孝、村橋毅、高野文英)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhp/55/2/55_179/_pdf/-char/ja

 

富山県の合掌住宅(第2報)その生産的役割

(新福祐子)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhej1951/26/4/26_4_303/_pdf/-char/ja

 

中でも1個目に紹介している論文は、金沢大学名誉教授の方のもので、他にも数多くの論文があり、この分野では専門家と言って良いと思われます。

 

そしてここまで書いておいて最後にアレですが、「五箇山や白川郷の合唱造りの家で人糞から硝石が製造されていた」事実そのものについては、氏の言う『飛騨記』などに記述があるのかもしれませんし、だとするとそれは大学教授などの学者勢がまったく把握していない史実なので、是非教えてあげたいところですが、紀元前から硝石の製造が行われていたという凄まじい勘違いをしているところからして、

 

多分そんな事はないんでしょうね(笑)