白川郷の合掌造りは臭かった | yunnkji1789のブログ

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岐阜県の世界文化遺産として、白川郷・五箇山の合掌造り集落が有名である。正確には五箇山は富山県であるが。

あの合掌造りの家、あまり知られていないが、江戸時代まではメチャクチャ臭かったらしい。


食事中の人には大変失礼。

豪雪地帯だから外に用をたしにいけない。

だから家の床にボットン便所を作り、床下に排便を溜めていたのだ。

つまり家族の大便小便が溜まりに溜まった匂いなのだ。積雪時は軒より雪が高くなる。外に出ないし換気もできない。だから物凄い、現代人が嗅いだら吐き気をもよおすような臭さだった。しかし、住民は自分たちが臭いことすら気が付かない。

しかし、これこそがあの僻地の一大産業でもあった。そのことに関して説明したい。

戦国時代にポルトガルから鉄砲が伝来する。戦国時代だから鉄砲は恐るべき速度で普及し、数年後には日本は、世界最大級の鉄砲生産国になる。日本の元々の職人の技術力の賜物であった。しかし、鉄砲はともかく、火薬は輸入に頼らざるを得なかった。当時の一般的な火薬である黒色火薬の原料は、木炭、硫黄、そして硝石。木炭は十分。硫黄も、当時の日本は、輸出するほどの生産国だった。問題は硝石で、高温多湿の日本では、殆ど採れなかった。

実は鉄砲の原型はそれ以前に日本人は遭遇している。中国に、火槍と呼ばれる、もののけ姫にも出てきた火器がある。倭寇がいた日本人が見たことないとは考えられない。ちなみにもののけ姫では鉄砲らしき物をバンバン撃っているが、実はまだ鉄砲が伝来していない時代設定である。

なぜ広まらなかったかと言うと、火薬の問題だった。南蛮貿易では火薬の調達も同時に行えたため、火縄銃が爆発的に普及する。

しかし、貿易ができない東国の大名には、火薬の調達は難しい。そこで排便を結晶化させて硝石を作る方法が確立する。

ただし、結晶化させるには、乾燥と低温が必要だった。

一冬家族が閉じこもって同じ場所に排便し続ける。しかも寒くて乾燥している。合掌造りの家屋はまさにうってつけだった。

白川郷・五箇山は戦国時代、本願寺が勢力を持っていた。白川郷に関しては正確には内ヶ島と言う豪族だが、本願寺とは同盟関係だった。本願寺と言えば雑賀衆等の鉄砲集団を従えていたが、その火薬は実は白川郷・五箇山の人糞から作られていた。だから信長相手に、石山合戦のような大規模な戦を戦えたのだ。

江戸時代になると五箇山は加賀前田藩領、白川郷は幕府の直轄地になる。前田家は五箇山を引き続き厚く保護したし、白川郷を幕府が直轄にした理由はもう言うまでもないと思う。

硝石作りは幕末まで続く。