三江線 実際に乗ってみました。第2話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

> その殆どが年配の夫婦で、地元の利用という雰囲気ではなく。
> 聞けば、三江線が廃止になると聞いたので松江から木次線を経由して三次まで来たとか・・・。
> こうしたグループが結構多そうでした。

列車の発車時刻が近づいてくると、閑散としていた車内は賑やかになりました。

列車は9;21に三次に到着、36分ほど折り返しに時間があるのですが、運転士はここで交代、恰幅のある運転士は貫通扉を開けて何やら作業中、どうも運転席その他の窓を拭いている最中でした。

ローカル線などの場合経費節減の意味合いから窓ガラスは殆ど拭かず、汚れがこびりついている鉄道会社もあるのですが、JR西日本では相対的に窓ガラスは綺麗な車両が多く、三江線などでもこうした地道な努力がなされていることに安心感を持ったものです。

窓ガラスを清掃する運転士

3分ほど前には広島からの列車が到着、

9:56にはコメントいただいて気付いたのですが、福塩線からの列車も向かい側のホームに到着するということで、2本の列車を三江線で受けることになるのですが、名残り乗車組が無かったら多分ガラガラだったんだろうなぁと思うのでした。


9:57定刻には運転士の発車しますの案内の後ドアが閉まり静かに動き出したのでした。

私は、1両目のラッピング車両に陣取っていたので後方の車両の様子はあまり気が付かなかったのですが、そこそこの乗車率は有ったようです。

さて、ここで簡単に三江線で使われている軽快気動車についていお話をさせていただこうと思います。

三江線で使用されている車両は、キハ120と呼ばれる軽快気動車で、三江線線用というわけでも無く運用で山陰本線に入ることもあるようです。

、国鉄末期に富士重工が開発したレールバスの進化系と言えるものでしょうか。

厳密にはエンジンの仕様など全く別物ですので、同じ系列と言うには無理がありますが、バス用部品で流用できる部分は流用するなど、コストダウンには配慮がなされた車両であることには間違いがなさそうです。

画像 Wikipedia

 

最初に導入された木次線では鋼製の車体でしたが、その後製造されたタイプは前面のみ鋼製で側面は軽量化のためステンレスになっています。
ちなみに。三江線で使われているキハ120は300番台と呼ばれる車両で、平成5年から7年にかけて導入された車両であり、20年以上使われている車両になります。

2両連結になっていた、三江線列車 三次駅にて


訪問した日は、2両に増結されており、そのうちの1両はラッピング仕様の車両(310番)でした。


さて、三江線ですが30km/hの徐行が多いということを聞いていたのですが、三次駅構内の分岐を渡り、芸備線を左に見ながら徐々に勾配を上っていきます、暫くは軽快な加速が続き、馬洗川を渡り右手に三次の市街地を見ながら尾関山に到着、ここで何人かの乗車がありました。


ただ、バリアフリーが当たり前になっている時代に有って、階段がこれほど多いというのは高齢者には辛いものがありそうです。
次の栗屋駅は乗降もなく、どんどんと市街地から離れていくのが判ります。

丁度その頃でしょうか。
三次市の腕章を巻いた女性職員が乗っておられました。
後方の車両から取材していたようで、栗屋駅を過ぎた頃、取材を受けることとなりました。

「本日はどちらから・・・」
「今日はどこかに留まる予定ですか・・・」等々

格好つけても仕方がないので、今日は江津まで乗り通すこと、観光目的ではなく存続の可能性を探るためといったことをお話したのですが・・・。
実は隣のシートにもサラリーマン風の人が座っていて仕事で乗ったのかなと思ったら・・・名残り乗車組でした。笑

仕事を休んだのか、営業なのかはわかりませんが・・・。
それは余談ですが、こうして三次市の職員さん車内の人にアンケートと言うか質問をしていくのですが、おじいちゃんたちの席で大変なことになってしまいました。

まぁ、その辺は次回にお話をさせていただこうと思います。

 

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