90s Pファンク 関西初上陸 | Blackbyrd McKnight プログレッシブ・ファンク・ロック・ブログ

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伝説のギタリスト、ブラックバード・マックナイト。その一環した職人気質な音作りとは裏腹にお茶目なブラックバードの一面を、日本生まれの日本育ち、ミセス・マックナイトがご紹介します。

Pファンク・ライブの会場となった場所を思い出してみると、時代の変遷を感じる。

 

バブルの頃、寂れた場所にある倉庫や跡地なんかを、ディスコとかイベントのできる空間に再開発するのが流行り始めました、MZA有明、汐留サイカなんかがそれかな。どんな場所だったんだと思ってサーチしてみると、MZAは、公共交通機関で行けない場所にあったらしい。Mrs.、あのライブ、どうやって行ったんだろう。しかも帰りの足は?全く記憶にない。でも、その後インクスティックとかって言う名前のディスコに行ったような気がする。いったい、どんだけ若かったんだ、Pファンクの長尺ライブの後、まだ踊れるって・・・。

 

一方、関西、ウォーターフロントや高架下なんかにそんなスペースでき始めていたけど、Pファンクが関西初上陸で演奏したのは大阪厚生年金会館だったかなぁ、あんまり記憶にない。我が家に、この来日時のビザ申請書のコピーがあるの。滞在日程表を見ると、7月23日、ブリティッシュエアで成田着、翌日パックス・シアター・サイカと書かれているんだけど、あとは7月29日まで同上となっており、7月30日に東京より成田へ移動、離日と書かれています。ということで、この書類、情報源としては、全く使えませんでした。

 

こちらブラックバードが写したショーの前の模様。これを見る限り、確かに会館っぽいですよね。

 

 

Mrs.が写ってますね。というか、ブラックバード曰く、Mrs.が可愛いかったので写したらしい、まだ、お互いに知らない同志の時です。まぁ、そういうことにしておきましょう。こうなったいきさつは、以前ご紹介しましたが、Pファンクのショーの前の日、パラディッソって言うクラブで出会った面々が、Mrs.のチケットを破っちゃって、ちょっと、もう入れないじゃんとクレームするMrs.と、大丈夫、大丈夫、俺たちと一緒に行けばと呑気な連中、翌日、指定されたホテルのロビーで待ち合わせ、一緒に会場に向かったと言う次第です。この年は、部外者でもバスに乗れたんでしょうね、すったもんだの記憶はありません

 

大阪でのショー、ブラックバード、ソロの時、通路で踊るMrs.の前に来て弾いてくれたんだよね。今、考えてみると、当時からワイヤレスだったんですかねぇ。

 

その翌日は別の会場だったと思う。我が家、二人とも、チキンジョージだと思い込んでたんだけど、チキンジョージは94年に演奏してるみたい。二回もやったのかなぁ、誰かわかる人、教えて。この日、Mrs.、行く予定ではありませんでしたが、誘ってもらったので、仕事を早引きして友人と一緒に出没しました。

 

ところで、チキンジョージは、小さい割に、結構有名どころのアーティストが出演する、地元では名の知れたライブハウスでした。震災で崩壊し、店じまいしてしまったと聞いていましたが、今見ると、別の場所でビジネスを再開しているようです。嬉しいですね。

 

帰りのバスの中、Mrs.となぜか駆り出された友人のYちゃん、偶然、ブラックバードの前の席に座ったんですよ。振り向いてブラックバードと話し始めたMrs.、自分がしていた透明のクロスのペンダントと、ブラックバードのラピスラズリと思われる数珠ネックレスのトレードを提案します。どう考えても、相手の物の方が高価、なんて大胆な申し出でしょう。厚かましいのにも程があります。結局、トレードは成立せず、でも、この二人、息があったのか、到着後、部屋で少し話をし、連絡先を交換してMrs.は帰宅しました。

 

その時の写真が例の写真、こちらです。

 

 

ブラックバード、いつも言うんですよ、あの時ネックレス、トレードしておけばよかったって。だってあの深く美しい藍色のネックレス、彼、あの後、なくしちゃったんですよ。