Blackbyrd McKnight プログレッシブ・ファンク・ロック・ブログ

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伝説のギタリスト、ブラックバード・マックナイト。その一環した職人気質な音作りとは裏腹にお茶目なブラックバードの一面を、日本生まれの日本育ち、ミセス・マックナイトがご紹介します。

悲しい日です。スライ・ストーンが亡くなったとのニュースが届きました。

ブラックバードの人生を変えたアルバム十選の中にも、もちろんスライの作品はリストされています。伝説、パイオニア、なんか、ひとつの言葉ではうまく表現しきれない、本当に、時代にひとり現れるか現れないかの存在。

お会いしたのは、もう10年も前の話。クラブノキアのライブに飛び入りされたスライ。



その時書いたブログがこちらです。



まだ発表になってないけど、ブラックバードがこの秋に出演する予定のライブ、プロデューサーがスライにも声をかけるんだって嬉しそうに言ってた。実現していたら凄いことになっていたのに、とても残念です。


スライ・ストーン、あの時代に、人種、そして性別まで混合のバンドなんて、しかもそれで、テレビにまで出てしまった。サンフランシスコと言う特殊な街のカルチャーに育まれたバンド、その後世への影響力たるや、我が家のブログ読者の皆さんは既によくご存知。スライがいなかったら、人種間のカルチャーの分断は、もっと長く続いていたかもしれない。


スライにお礼を言おう。自由と言うものが、自分の自由にならなかったあの時代、今の私たちにとってのたくさんの当たり前を、彼は音楽と言うプラットフォームを使って勝ち取ってくれた。ありがとう、ミスター・ストーン。あなたの音楽を聴くとき、私たちにも大切なバトンを渡す役割があることを忘れない。

さて、本日は伝説のジャズ・ファンク・グループ、ザ・ヘッドハンターズについて。


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と、思っていたら、なんと言う偶然でしょう、Instagramにこんな貴重な映像がアップされていました。



アップしてくれたのはFUNK LIFE、本人も忘れていたこんな映像、一体どこで? ブラックバードの若さが強調されるこのインタビュー、まぁ、70年代なんですから当然のことですけれども、Mrsも含めて、当時の彼を知らないファンカティア達が見ると、笑っちゃうくらい可愛いですよね。ポール・ジャクソン、マイク・クラーク、ビル・サマーズ、本インタビューに何度も登場しているベニー・モウピン、そして、ブラックバード・マックナイトの五人による最強のグルーブ・マシン、これが巷では世界一サンプルされた曲のひとつと言われているGod Make Me Funky。


That same year, you worked on Herbie Hancock’s Man-Child and Flood.

 

“For Man-Child, Herbie was due to release a new album on Columbia Records, and he used the Headhunters. The two songs I played on are Sun Touch and Heartbeat. I enjoyed those sessions and working with Wah Wah Watson, who helped me with playing in the pocket.


“As far as Flood, after the Headhunters’ album Survival of the Fittest, Herbie embarked on a tour of Japan with his Headhunters group, and I joined. While on tour, we did two days of recording for a live album in Tokyo. It was my first time in Japan. I liked Japan very much.


“I was very happy. Maybe it showed in my playing because I still receive compliments on my playing from that album. I was stoked to be included on a live album with Herbie Hancock.”


同じ年、ハービー・ハンコックのMan-ChildとFloodにも参加したでしょう。


‘Man-Childの方は、コロンビアレコードからアルバムを出すことになっていたハービーが、ザ・ヘッドハンターズを使ったんだ。僕はSun TouchとHeartbeatの二曲に参加した。セッションは楽しかった。Wah Wah ワトソンと仕事をしたのもね。彼のおかげで、僕たちはシンクロできた。


‘Floodの方はと言うと、ザ・ヘッドハンターズのアルバムSurvival of the Fittest発売後、ハービーは自身のバンド、ヘッドハンターズとともに日本ツアーへ出立、僕も一緒に行くことになったんだ。ツアー中、東京で二日間ライブレコーディングをすると聞いた。あれは僕にとっては、初めての日本だった。日本が大好きになった。


僕はとっても幸せだった。それが僕の演奏にもにじみ出ていたのかもしれない。今でもあのレコードの演奏については、褒めてもらうことがあるからね。ハービー・ハンコックのライブアルバムに参加できるなんて、自分でも本当にびっくりしたよ。

 

How did you approach the tracks?

 

“I approached the tracks the same way as I did with all the sessions I got. I practiced religiously to be ready for whatever came my way during the sessions. Once the tune was played a couple of times, I had it down. Herbie let us do our thang. I love the whole Man-Child album, especially Hang Up Your Hang Ups and Sun Touch.”


楽曲にはどんな気持ちで挑んだ?


‘他のセッションと全く同じだよ。何にでも対応できるよう、たくさんたくさん練習をした。2回ほど曲を聴いたら、僕の番だ。ハービーは僕たちに自由にやらせてくれた。Man-Childは大好きなアルバムだけど、特にHang Up Your Hang UpsとSun Touchが好きだね。”

 

What gear did you have in the studio with you?

 

“I remember using a Les Paul with mini-humbuckers, an MXR Dyna Comp, which I permanently borrowed from Paul – yes, I still have it – and a Fender Twin Reverb. As far as Flood goes, I have heard pieces or sections here and there, but I haven’t listened to the whole album yet. I used the same Les Paul straight through a Fender Twin Reverb amp. If I had any pedal setup, I don’t remember.”


スタジオではどんなギアを使った?


ハムバッカーのレスポール、ポールから永久に借りたMXRのDyna Comp - もちろん、今でも持ってる(つまり、パクリ) - そして、フェンダーのツイン・リバーブだ。Floodに関して言うと、ちょこちょこ部分的に耳にした事はあるけれど、アルバム全体を通しで聴いた事は無い。同じレスポールを、フェンダーのツイン・リバーブに直接つないだ。ペダルを使ったかどうかは、覚えてないなぁ。

 

You didn’t meet Herbie until Survival of the Fittest, right? What did he think of your guitar playing?

 

“Correct. I met him at Wally Heider Studios in San Francisco during the recording session of the Headhunters’ album Survival of the Fittest. Meeting one of my favorite musicians and being involved with his band was nice.


“Herbie is one of the nicest guys I’ve met, so not only did I love his music, but I also loved him as a person. He didn’t comment on my playing then, so I don’t know what he thought.”


あなたはSurvival of the Fittest.までハービーに会った事はなかったんですよね。彼はあなたの演奏をどう思った?


うん、ハービーにはサンフランシスコにあるWally Heider Studiosで、ザ・ヘッドハンターズのアルバムSurvival of the Fittestをレコーディングしていた時に初めて会った。大好きなミュージシャンの一人に会い、バンドに関わることができて嬉しかった。


‘ハービーは、今まで会った人たちの中でも特にナイスな人の一人で、僕は、彼の音楽だけでなく、彼の人となりも大好きだ。僕のプレイに関して、その時何も言わなかったから、彼がどう思ったかに関しては、僕はわからないな。


ザ・ヘッドハンターズ、ブラックバードのインタビューを聞いていると、ちょっと、混乱する時があるんですけれども、理由は、ブラックバードの中に二つのザ・ヘッドハンターズがあるから。ハービーのバンドとしてもともと存在していたこのバンド、自分たち自身のアルバムを製作するにおいて、ギタリストを追加したと言う歴史があるので、ブラックバードがこの両者の違いをクリアにしようとすればするほど、読む方には混乱が生じるって図式。だって、インタビューではそこのところを一から説明している時間はありませんからね。でも、まぁ、そこさえ抑えれば、すべての謎は解けるんですけれども。


次回は少しレアな質問に答えるブラックバード。

イベント報告を優先させていたら、すっかり後回しになってしまっていた70年代特集号インタビュー、再開いたしましょう。第6回目はソニー・ロリンズに関する質問に答えます。

 

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What was it like working on Sonny Rollins’ Nucleus in ’75?
 

“It was both exhilarating and terrifying. Bennie Maupin called and told me he was about to do an album with Sonny Rollins, who was also one of the greatest reed men known to me, and he was going to submit my name as a guitarist.

 

“When I got the go-ahead to do the session, I was very appreciative. Still young and not yet experienced enough, however, I decided to take on the task as it was a great opportunity for me.”

 

ソニー・ロリンズと75年に"Nucleus"で一緒に仕事したでしょう、どうだった?

 

’とても楽しかったと同時に怖くもあったね。ベニー・モウピンが電話して来て、ソニー・ロリンズと一緒にアルバムを作るって言ったんだ。ベニーと言えば、僕にとっては最も素晴らしいホーン・プレイヤーの一人だけど、彼がギタリストにって僕を推薦してくれたんだ。

 

’セッション参加が決まった時、本当に感謝した。まだまだ若くて十分な経験もない僕だったけど、やらせてもらうことにしたよ。だってそれは本当に素晴らしい機会だったから。

 

Being as young as you were, did you have any nerves?

 

“The session went very fast. We recorded the songs I played in two days or quicker – for some songs, we were given directions, and for some, we were not. Mr. Rollins also gave us the freedom to do whatever we wanted. The butterflies in my stomach were flying fiercely, but I persevered.

 

“I was in awe of working with Mr. Rollins. My father had a broad collection of records, including Sonny Rollins’ records or albums he played on. When I was a kid, I used to go through his record collection, take out albums to look at the pictures – Pop didn’t like us messing with his record player – and read the graphics.

 

“Sonny Rollins’ mohawk hairstyle caught my eye, so I used to hand his albums to Pop and asked him to play them. Needless to say, they were great. So I knew about Sonny Rollins and his legacy when I got the phone call, and it was an absolute honor and privilege to have worked with such a jazz great.”

 

あなたは本当に若かった。度胸があったってこと?

 

’セッションは速いテンポで進んだ。僕が弾いた曲に関して言えば、2日か、もしかしたらそんなにもかからなかったかもしれない。指示をもらう曲もあれば、そうじゃない曲もあった。ミスター・ロリンズは僕たちに好きなようにやらせてくれた。本当に緊張したけど、やり抜くことができた。

 

’ミスター・ロリンズと仕事をさせてもらえるなんて、本当に恐れ多いことだ。僕の父親はたくさんのレコードを持っていたけれど、その中にはソニー・ロリンズのレコードもあった。子供の頃、彼のレコード・コレクションを探って、何枚か取り出してはカバー写真や絵を眺めていた。パパは僕たちがレコード・プレイヤーに触れることを嫌がったからね、見るだけさ。

 

’ソニー・ロリンズのモヒカン刈りが目に留まった。いつも彼のレコードをパパに渡してかけてもらった。いうまでもないことだけど、素晴らしい音楽だった。だから仕事の話をもらった時、僕はすでにミスター・ロリンズのことも、彼の成し遂げて来た偉業も知っていた。そんなジャズの巨匠と仕事ができるなんて、この上もなく光栄かつ特別なことだった。

 

モヒカン刈りと言えばパンクだと思い込んでいたMrs.、ブラックバードのインタビューで、それよりもずっと前に、しかもジャズの巨匠のアルバムカバーのエピソードで、モヒカンという言葉を耳にする日が来るとは、夢にも思っていませんでした。調べて見ると、ミスター・ロリンズのモヒカン、実は日本のジャズファンの間では有名な話らしい。何でも初来日の際、この髪型だったようで、音楽系雑誌のみならず、一般紙までもがその髪型に触れるほどの強烈なインパクトを残したとか。

 

1963年だったようです。

 

 

アメリカ原住民の気持ちを考えたら、いても立ってもいられず、この髪型にしたと語っていたらしい。モヒカン刈りについては、皆さんも調べてみるといいかもしれません。ジャズの巨匠の突然の髪型変更、パンクの反骨精神、どちらにしても、モヒカン刈りは精神世界に通じるものみたい。今、この髪型してる人、ちょいちょい見かけるよね。おそらく、ただのファッション・トレンドなんだと思うけど。


さて、次回はいよいよザ・ヘッドハンターズ。