江藤新平と明治維新 | あだちたろうのパラノイアな本棚

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読書感想文、映画感想、日々のつぶやきなどなど。ジャンルにこだわりはありませんが、何故かスリルショックサスペンスが多め。

はあ、やっとこの本の感想が書ける。

 

長い長い書物ながら大変興味深く読み、感慨にふけり、しばしば悲しくなっちゃって涙を拭いてみたり。

読んだ後で少し頭の中を整理していました。

 

 

筆者の鈴木鶴子さんは、江藤新平のご親族の方です。

新平の弟に江藤源作さんという方がいて(兄弟仲は良かったらしい)、その源作さんの孫が鈴木鶴子さんです。江藤新平が大伯父になるわけですね。

 

この本は佐賀の観光パンフレットに「江藤ファン必読の書」と書いてあるくらいおすすめらしく、なるほど納得、と思いました。読んで良かった。

(※のわりに絶版らしいが・・・図書館にはあるのかな)

 

「佐賀の乱を起こした国賊」と教師に言われ傷ついていた鶴子さんは、自分の親族のことを調べていくうちに、明治時代に出されたとある新聞記事の不自然さに疑問を持ちます。

「勝てば官軍」の歴史の中に、何かが隠されている。

もうあとは執念というか、あらゆる史料を読み、現地取材にも出かけ、専門家の協力を得ながらこの一大ノンフィクションを書き上げます。

史料を裏付けとした史実の中に親族としてのあたたかい眼差しがあって、心が込められた書物だなあ、と思いました。

 

 

さてあらためて、江藤新平とは。

写真のせいで、だいぶ損していると思います。

 

仏頂面。

 

仏頂面。

 

仏頂面。

 

この人、写真嫌いだったのです。

なのであんまり遺ってないし、わずかにある写真も全部仏頂面。これだけ見ると、「頭はキレるらしいけど、いっつも怒ってんじゃん、めっちゃコワ〜〜もやもや」ってなります。

 

しかし各種エピソードを読んでいると、初対面の人にも妙に好かれ、意気投合し、瞬く間に盟友になったりするので、何か不思議な魅力があったんじゃないですかね。

桂小五郎もそのクチだったみたいです。いきなりボロい服着た奴が京都の長州藩邸を訪ねてきて「ヘンなのが来たなあ」と会ってみたら、一目で気に入ったらしい。それからは江藤の生活の世話をしてたり、姉小路公知に紹介してやったり。

 

ちなみに、なぜか女性にもモテたらしいです。

妻は江藤に会って恋してしまって、親を通じた逆プロポーズみたいになってるし。

あと佐賀の乱で江藤が逃亡している時も、ゆく先々の女性たちが「なんとかしてあげたい」と親身になってくれたりして。

 

なんなんだろう。

 

真っ直ぐすぎるとこが可愛く見えるんだろうか。

 

モテたといえば、江藤の夫婦仲は睦まじくてあたたかい家庭に恵まれたようですが、生涯ただ一人、妻以外に愛した女性がいました。

「小録」という芸者さんで、新潟県士族の娘らしい。新潟県士族か〜〜どこ藩なのかなあ、と想像してしまいました。この二人のラブストーリーもほっこりする。子供も生まれたけど、夭折したとか。

 

 

こういうサイドエピソードばかり書いてあるわけではなくて、ちゃんと幕末から明治にかけての政治的な動きと、江藤が関わった内容について細かく記載してありました。

鳥羽伏見の戦いの時とか、佐賀藩は実はものすごく危なかったのね!いっこうに薩長側に与しない佐賀藩は幕府側だと見なされ、まずは佐賀討伐せよという案が出るほどに。

 

そこで、(普段は絶対着ないような)立派な黒紋付の服装で、佐賀藩を代表して堂々と弁明をおこなったのが江藤新平でした。

この交渉が成功して佐賀藩は罪を免れ、官軍の一員となることができました。同時に江藤は徴士という、新政府官僚の一人として登用されたというわけです。

 

なるほどー!!

こういう、歴史のつなぎ目の詳細が分からなかったから、すごく勉強になるー!

ちなみに、大隈重信・大木喬任・副島種臣がどういう経緯で新政府に登用されたのかも書いてあり、いやー色々と判明して嬉しいよ。スッキリ。

 

 

明治政府が動き出してからの江藤は猛スピードで改革を実施しております。特にやっぱり人権擁護のための法律作りで、改めて一つ一つ見るとすごい数です。

 

余談ですがそれまで全国の寺社にあった「女人禁制」を一気に無くして女性に解放したのは、江藤だそうです。

筆者はフェミニスト新平などと呼んでました。江藤は家が貧しくて学校に通えなくても、教養ある母親に四書五経を教えられていたから、女性に対する差別的な概念があまりなかったのかもしれない。

(これもモテるポイントの一つなのか?)

 

 

この本では、岩倉使節団に対して非常に辛口です。確か我々が教科書で習っている限りでは、富国強兵のための知識を学んだとかでそれなりに華々しいイメージがありますけれども。

まあはっきり言って、

大失敗。タダの大金無駄遣い。

 

まあ江藤擁護に立つとそうなるよね・・・

使節団不在の間の留守政府の方がよほど有意義な政治をやってた、みたいな。

 

ほら、大久保利通の目がどんどん冷たくなっていくよ・・・

 

けれども大久保にこれだけタテついておきながら、当の江藤は、自分がそんなに大久保に嫌われているとは思っていなかったらしい。(これは筆者の見解ですが)

そういうトコがあったらしいんですよこの人。

カミソリなどと呼ばれ非常に頭が切れる人物でありながら、愚かなまでの人の好さというのがあったのだと。

 

それまで、

「なんでこんなに頭のいい人が、易々と佐賀の乱みたいなのに引き込まれて祭り上げられちゃうんだろう?」

と疑問に思っていたことが、なんとなく腑に落ちてきました。

 

本っ当、

素直ですこの人ロケット

(馬鹿正直という表現もあったな)

 

どストレートすぎて、大久保の掌でコロッコロ転がされてるじゃないかよ〜〜

 

しかしここから、江藤亡きあとの記述が凄まじい。筆者が渾身の力を込めて書いたような迫力があります。

 

佐賀の乱で捕えられ、佐賀城で梟首の刑を告げられた江藤は猛然として面をもたげ、『私は』と大喝したのですが、その鋭い眼光と声は、ありありと耳目に残るほどだったとか。もちろん大久保も陰からその光景を見ていたわけで。

 

東京に戻り、何者も自分に逆らわない絶大な権力を手に入れた大久保は、過労なのか何なのか、ノイローゼ気味だったといいます。

 

あるとき新平の弟である江藤源作が、子供を東京の学校に入れるために上京したことがありました。

毎朝政府高官が馬車で通る道というのがあって、何の気なしに大久保を一目見てみようかなと、源作は道で待ち伏せしていたんだそうです。ちょうど大久保の馬車がやって来た。

 

大久保が通りかかって、鋭い視線を感じたのか、ふと源作の方を見るや、さっと顔色を変え、身を震わせたという

 

新平と源作はよく似た兄弟だったから、大久保にしてみれば、江藤の亡霊でも見た気になったのもしれないガーン

 

大久保はその後、登庁の道筋を変えました。それは現在に至るまで誰にも理由のわからない謎だそうです。遠回りであり、草の生い茂った陰気な裏道である清水谷〜紀尾井坂を・・・

結果、大久保の命を狙う石川県士族の島田一郎らに、とても好都合な襲撃場所を与えてしまうことになるのです。・・・

 

この最後の記述は少し想像が入ってフィクションめいたところがあるけど、本当だったら

ほぼホラーではドクロドクロドクロ

 

 

遺された江藤新平の家族は不遇な身になりながらも、生前江藤が親しくしていた人たちから親切な助けを受け、江藤の遺稿を守り後世に伝えてくれたようです。

江藤の息子である江藤新作は、その後衆議院議員になり、犬養毅のブレーンとなったとか。

 

本当に・・・後世に伝えてくれてありがとう!

もうちょい江藤新平ブームとか起きないかな??

 

ハートハートハート