あずさ弓の如く 飯沼貞吉物語 下巻(長州編) | あだちたろうのパラノイアな本棚

あだちたろうのパラノイアな本棚

読書感想文、映画感想、日々のつぶやきなどなど。ジャンルにこだわりはありませんが、何故かスリルショックサスペンスが多め。

現在、会津入りをしております。

今日から会津まつり音譜

明日はお待ちかねの藩公行列ですからね〜

 

先日は発熱で寝込んで焦りましたが、すっかり回復しましたよ。なんか職場では次々と人が熱を出して倒れて行きますが(だいたいインフルらしい)、むしろわたしはこの日に間に合うために早めにかかって良かったよ。神様ありがとう。

 

なので会津若松図書館へGO。やっとこの本の続きが読めました。

 

あずさ弓の如く、長州編。

 

飯盛山で集団自決した白虎士中二番隊の中で、一人だけ生還した飯沼貞吉さんの物語ですが、そもそもなぜこの話がほとんど知られていないかが明らかになりました。

 

貞吉さんが生還してから長州に預けられていた話は、一切、書き残されていないらしいのです。

唯一、貞吉さんの身の回りの世話をしていた庄屋の娘、高見フサさんが子孫に語り継いだ口伝として残されています。

 

この「高見フサ口伝」が初めて世に出たのが、昭和57年の『文部大臣 高見三郎伝 小杉の巻』。高見三郎というのは高見フサさんの孫で、第三次佐藤内閣の文部大臣を務めた人です。

この内容が飯沼貞吉さんの孫である一元氏に伝わり、平成20年に両家が山口県美祢市にある楢崎屋敷跡で会談し、事実が確認されたとのこと。

 

平成20年か。

それならわたしが子供の頃には教えられなかったはずだわ。

 

 

ところでマンガの内容なんですが、傷が少し癒えて歩けるようになった貞吉さんが、会津の戦後処理に来ていた長州藩士の岡八十吉と出会うところから始まります。

 

岡八十吉が、かなり話のわかる人でしてなあ・・・

 

貞吉の数奇な運命を聞いて、捨ておけないと思ったのでしょうか。他藩の脱走兵に紛れさせて貞吉を東京に連れて行き、自分の上官である楢崎頼三に引き渡します。

 

また楢崎頼三も話のわかる人なんですね。こっそりと、自分の知行地である長州の小杉集落に連れて行きます。

初めて貞吉が楢崎と共に小杉入りした日の様子が、高見フサ口伝で伝えられています。

 

「誰だあの若者は?」

 

という村人の興味の対象にはなったようですが、基本的に村の人にはあたたかく接してもらったみたいです。むしろ、貞吉が自責の念を抱いたり、これからの人生に困惑して、生きる気力を取り戻すのが難儀だったようです。

 

高見フサが健気に貞吉を支えるし、可愛い。

この二人の間には淡い初恋があったのだろうか・・・

 

楢崎がフランス留学に行くことになり、その前に貞吉を静岡の学問所に入れたので、フサと貞吉の間はそれっきり。でも、フサが口伝で遺したくらいなので、きっと彼女の人生においても貞吉は影響力の大きな存在だったのでしょうな。

 

 

貞吉の養育について楢崎が一切を書き残さなかったのは、敵方長州で養育されたという事実が知られたら、会津人の中でも言われなき誹謗中傷にさらされ、貞吉が傷つくのではないかという配慮です。

それは・・・あったでしょうね。

 

 

そういえば貞吉の従兄弟にあたる山川健次郎も長州藩士の奥平謙輔の書生になりましたが、個人レベルでは意外と分かりあえるっぽい長州人と会津人。もともと藩校を通じた交流はあったらしい。

そうすると、本当に幕末の政局は不幸としか言いようがなかった。

 

こういうイイ話こそ、もっと広まって然るべきかと思います。

 

 

栗いっぱい見つけた。秋ですねえ。