↓橋の袂にかかっていたカンバン。
ほう、これが十六橋か。
今の姿はもちろん現代になって建設し直したものですが、江戸の当時から、この橋は石で出来ていたものらしい。
だから会津戦争のお話も、
壊そうとしたけど、堅牢すぎて壊せなかった
そうしているうちに西軍が来てしまった
って書いてあるのだけど、さもありなん。
ていうか、この橋を破壊するために派遣されたのって、会津の僧たちで構成されたなんとか隊(名前忘れた)じゃなかったっけ?
※奇勝隊、という名前でした(9/23追記)
そりゃボーズには無理だわなって思った記憶がある。せめて力士隊とか。力士でも無理かな。まあ、他にいなかったんでしょう。
この十六橋を突破されたことで緊急事態となり、急遽白虎隊が出陣することになります。本来はこんな少年たちを戦場に出す予定はなかったのですが、やむを得ず・・・
白虎隊が戦った激戦地、戸ノ口原古戦場にも行ってきました。
ここは草木が生い茂る野っ原になっていまして、嫌な予感がしたんですけど、、、ほらやっぱりね!
熊かよ!(写真のやつが強そうでおっかない)
マムシもいるでよ!
というわけでめっちゃ危険地帯なんですけど、だいぶこういうケースには慣れてきましたのでね
こんなこともあろうかと、熊鈴と熊スプレーは携帯してますよ!マムシに噛まれたら・・・もう観念するしかないが。
例によって、ひとっ子ひとりいない。
サク、サク、、チリンチリン・・・と進むのですが、怖いなあ〜
着きました。碑がありました。
この絵は飯沼貞吉さんが描き残したんですか?
すんごく絵が上手くない??
真ん中で指揮をとっているのが篠田儀三郎です。
この供養塔は、土佐の方が発起人になって建立されたんですね!なんでも、昭和になってから飯盛山の遺跡に行ってだいぶ胸を打たれたらしい。
こちらがその供養塔です。
同じ区画に、ちょっとホラーなもの発見しました。
夜泣き石
戊辰戦争ではなく、芦名家統治の時代なのですが、子供を魔物が喰い殺すのをとどめた不思議な石だとか・・・
子供の足跡が残っているって・・・溝みたいになってるこれかな?
てか何がホラーかって、石の側に子供の靴下とかサンダルとかがたくさん落ちているのが怖いよ!!!
多分、お参りした方がお供えしたのだと思うが。
少し離れたところには、戦死した会津兵のお墓が。
お参りしました。
今日は大丈夫かなって思ってたんですけどね・・・
なんかこの辺りから、頭が痛くなってきた。
西軍墓地とかではたまに怪現象にあってたけど、ここは東軍関係だから問題ないだろうと思ってたんだがなあ。つら。
古戦場って気をつけないといけないです・・・
(変な念が残ってたりするから)
もう一箇所だけ行って終わりにします。
ここが姥山陣跡らしい。白虎隊・篠田隊がいたところ。
ここはちょっとだけ山に入ったところになっていて、めちゃめちゃ怖い何が怖いって、お化けよりも熊が怖いよ!!
ここまで来ると本当に周辺に人が誰もいないので、なんか背後でパキッとか物音がすると、ドキーッ!!として心臓に悪いです・・・早々に退出しました。(ビビリ)
まだまだ知られざる史跡があるかもしれないですね。また発見したら訪ねてみようと思います。