ここらへんで、本来のジャンルへ一旦戻る。
最近見ていたドラマ『翔ぶが如く』の世界に触発されて読んだというよりも、この本を先に読んだからドラマを見たという順序になります。
岩波ジュニア新書なので、平易な文体で書かれておりシンプルで読みやすいです。
「生きづらさ」っていうのは今この時代によく聞くワードだけど、どの時代でも生きづらさってあるし、考えてみれば幕府が瓦解していきなり新しい考え方を植え付けられた明治時代は、全員がレベル段違いに生きづらかっただろうなあ。
まずこの表紙
「實業少年出世雙六」だそうです。
「奉公」「辛抱」「信用」「だらく」・・・
これ見ただけで、
うわー生きづらそうー
ってなりますね〜
頑張って耐え忍べば立派な人間になれるぞ、
でも怠けているとロクな人間になれないぞ、
とでも言いたいのでしょうか??
この本は、おもに明治の世の中で陽の当たらない人々、例えば貧困者、婦女子、仕事のない若い男性などの暮らしに焦点をあてています。そして、現在の生活保護法の元にあたる「恤救規則」の解説も。
恤救規則(じゅっきゅうきそく)
1874年(明治7年)12月8日に制定された法令。
この頃はまだ憲法が制定されていなかったし、その後制定された大日本帝国憲法にも、現在のような「健康で文化的な最低限度の生活」などというものは保障されていなかったので、基本、家族や地域で助け合うことが前提だが、どうしようもない時だけ国家が助けてやるという、上から目線な法律だし適用範囲も狭かったようです。
その後、帝国議会ができて、これに替わる法律の提案もなされたのですが、何せ政府にはカネがない。ことごとく挫折し成立まで至りません。
議会の議員のみならず、一般庶民の中にも広がる「通俗道徳」。それはつまり、
人が貧困に陥るのはその人の努力が足りないからだ
という考え方です。この考え方が広まったのは、江戸時代の後半に市場経済が広がった頃であるという説が紹介されていました。
これ、江戸とか明治のみならず、今でも公然と言ってのける人はたくさんいるんじゃないか?
新潟県新発田市出身の豪商、大倉喜八郎の言葉も紹介されています。
彼が出版した『至富の鍵』という懐古談(今でいうビジネス書にあたるのかな?)に、
富まざるは働かないためである
貧苦に苦しむは遊惰の民である
と述べているそうで。
そりゃお前、結果的に成功した人間は後からなんとでも言えるでしょうよ。その背景にある資金とかコネクションとか、あとは健康とか運とかという要素は抜きにしてさ・・・
この人のこういうとこも嫌いなんだよな〜
戊辰戦争の時に官軍向けの武器商人をして一儲けした人ですからね。その背後で泣いた人のことなんて考えてないんだろうなー
という、あまりに生きづらい明治の世の中。
だからと言って、現代人は恵まれているだろう、文句言うなと言っているわけではありません。
けれど、昔に比べて随分自由にも豊かにもなった現代社会に、なぜ依然として行き詰まり感があって、日本政府は人々の不安を和らげるためにカネをもっと使わないのか、そもそもなぜそれにカネが使える余裕がないほど借金まみれになっているのか、
この辺りを人々が考えなければならないテーマとして疑問を投げかけることで、本は終了していました。
まあね。
でもいくら恵まれている環境にあるからと言って、頑張って毎日働いた人としては大枚の税金を取られるばっかりじゃ納得いかないし(そしてその税金が働かない人に湯水のように使われるっていうなら尚更ね)、難しい問題ではありますわなあ。