PDJ逝去。また巨星が消えてしまった。
ご自身が死んで長編が未完になるのはいやだと言っていたので
ダルグリッシュの新刊はないだろうな、でもまだバイタリティはあるんじゃない?
とも思っていたが…・・・
まだ未読の長編があるので、追悼読書せんとな。
安らかに眠れ。おばあちゃん。
今年は完全に連城イヤーになったな。
作家が死ねば、残念ながら本屋の棚から消えてしまう。連城さんほどの作家でも避けられない。ただ本当に素晴らしい作品は何度でも甦るので、手に入らなくなった作品も気長に待てば、電子書籍化もされるでしょう。
三作順番に読んでみよう。
著者、最後の短編集(らしい)。正直言って衰えは否めないし、納得できない作品もある。でも、最後まで、ミステリにこだわった作品を書いていたのだなと思います。
「指飾り」
別れた妻と思しき後ろ姿にひかれ、女のあとを追う中年男。女はまるで自分に見せびらかすように結婚指輪をはずすしぐさを見せる。彼女は別れた妻だったのだろうか? 恋人と別れたばかりの部下の女子社員が、たまたまその現場に居合わせ、互いに傷をなめ合い、女の正体について考えるうちに一晩ともにすることに。やがて、女子社員は元奥さんをみつけたので、喫茶店に来てくれという。だが二人の姿はなく、思い出の結婚指輪だけが残っていた。
ここでちょっとした仕掛けがあるのだが、正直、ここから無理矢理感がする。
ただ会話がいいね。特に奥さんがたたきつける三行半は最高だ。子どもができる前に、男が出来たから別れてくれ、ってかなりの言い回しだ。ホントにこんなこという女性がいたら素敵だと思う。当事者でなければ。
「無人駅」
時効寸前の逃亡犯の愛人と思しき女が、北陸の温泉地をふらふらと歩く。通報をうけ調べにきた警察官は女とともに行動し、逃亡犯を逮捕しようと考えるのだが、女の行動に別の可能性を見出すようになる。
これもまた、なんでこんな行動をとるのかを十分に説明しきれていない気がする。
逃亡犯が生きていようが、死んでいようが、何もしなくても事態は変わらない。女が男を助けるための陽動作戦にでたのか、殺害した男を生きているようにしただけか分からないが、行動すればするだけ、主人公の刑事のように推測されるわけだから、何もしない方が合理的だと思うのだけど……。
「蘭が枯れるまで」
無関心な夫、可愛くない娘、日々の生活に疲れと倦怠を感じる妻は、同級生だった友人と再会。彼女は裕福な暮らし、何の悩みもないかと思いきや夫の度重なる浮気に心を痛めており、夫の死を願うと平然と告白してくるようになる。
この手の逆転劇ではかつて「二重生活」という作品で転がされる感じがとてもよかった。
「蘭が枯れるまで」では交換殺人の顛末は、いかに? といった内容に見せかけて実は、その手の話だという驚きが隠されている。設定にちょっと無理があるし、不自然ではあるけれど。
話は変わるがサザンのアルバム『キラー・ストリート』中の「殺しの接吻」なる曲に、連城的な物を感じたことがあった。
私が聴いた感覚では、夫が一人、妻が二人。夫を巡り妻同士がストーキング、相手を殺そうとするのを、一つの視点で描き、妻が一人のように錯覚させる趣向がある(と思っているが、ライナーノートには特に書かれていない。ただ「わたし」と「あたし」を歌い分けている)。そういうのを連城が小説で書いたら(というか書いてるかもしれないな)どんな感じなんでしょうね?
「冬薔薇」「白雨」
実はこの二つを読んでいて真っ先に思い浮かんだのはスタンリー・エリンのケッサク『鏡よ、鏡』だ。
なんども夢の中で殺される主婦の悪夢を描く「冬薔薇」は、まさに『鏡よ、鏡』で。とんでもないことをしでかす父親の混乱した意識の流れの母親版。げに恐ろしきは不倫愛である。
一方「白雨」は、大昔におきた両親の心中事件について、母の間男から真実を伝えたいと手紙を受ける娘が、自分の子どもいじめ問題と母親がふと漏らした「私は除者だ」の言葉をオーバーラップさせ、背けていた真実に対峙する話だ。まさに『鏡よ、鏡』の父親を子ども側からのぞいた感覚だ。
こういうお下劣で、トリッキーな短編は好きです。
「風の誤算」
噂にまつわる攻防の話だ。誰と誰が闘っていたのかが最後に明らかになる。社内でまことしやかに流れる課長のよくない噂の数々。女子社員へのセクハラから通り魔事件の犯人までその根も葉もないうわさはだんだんと独り歩きし課長を貶めていくが、当の本人は慣れっこ。しかし、一人の女子社員はそんな噂に恐れ課長におずおず接していたが、ふとした契機で彼の家族団欒をみかけ、当事者である本人に真相を確かめることで、会社に飛び交う噂の出所を知る。
男二人の静かな暗闘と噂のバタフライ・エフェクトの様相にスリルあり、この短編集の中では一番引き込まれた。
「さい涯にて」
鉄道会社の上司と部下が期間限定で白馬から北へと不倫旅行を重ねる。二人の密かな旅行に、一人の女が、上司が窓口に努めている時、同じ旅行先の切符を不倫の証拠をちらつかせて無心する。
果たして、女は妻が雇った人間なのか。部下が退職する形で関係に終止符が打たれるが、謎はその後明らかになる。
連城作品で描かれる男女の愛は、実は誰かの身代わりという切ない設定が多いな。ストレートに結ばれる作品ってあるのだろうか?
「小さな異邦人」
十八番の誘拐物。
大家族の肝っ玉母さんのもとにかかってきた誘拐犯からの身代金要求。しかし、家には八人の子どもたち全員がそろっていた。不毛な誘拐犯の行為に目的はあるのか? 短いながらも推理が二転三転、主人公の女子高生の視点から誘拐事件の意外な顛末が描かれる。
アイディアは物凄くいい。
犯人は実際に人質を取っており身代金を要求できる立場にいる。しかし、身代金が支払われると人質は、助かるどころか、死んでしまうのだ。従来とは全く異なる見事な逆転設定に思わず「あッ!」と声が出てしまった。
でも、身代金の要求する犯人の行動があまり合理的でないと思うのです。万が一、ヒロインの母親にばれたらそれこそ全てがパーになってしまうのですから。誘拐物はやはり難しいのでせうね。
次回は『処刑までの十章』。

《倒錯三部作》の先にあるのは『死者との誓い』『死者の長い列』『処刑宣告』。
中年スカダーにヴァイオレンスはキツイのか、この三作に関しては比較的おとなしい犯罪を扱うことになる。『皆殺し』以降はまた強烈な悪意が降りかかるようだが、それはまた別途。
『死者との誓い』はハードボイルド、私立探偵小説といったジャンル小説ではあるものの、それだけで説明しにくい魅力がある。ローレンス・ブロックの持ち味が活かされた「小説」というべきか。マンハッタンで生きる人々の生活の喜怒哀楽、理不尽な死とそれに対する人々の対応をマット・スカダーという目を通して描かれる小説と言ってしまった方がいいような……。そういう感じです。
エレインが参加する夜間講座を通じて、スカダーはホルツマン夫妻と知り合う。四人で食事して楽しむのだが、どうにも夫のグレンが好きになれないスカダー。もう、夫妻と会うことも、考えることもないと思われたが、グレンが治安の悪いヘルズ・キッチンの路上で銃撃され殺されることで、探偵として深くかかわることになる。
事件は凶器の銃を手にしていたベトナム帰還兵のホームレスの即時逮捕で解決されたが、その弟は兄の犯行とは思えず、AA集会で知ったスカダーに事件の再調査を依頼。時間と金の無駄になると依頼人に諭すのだが、最終的には引き受ける。調べるうちにホルツマンは、妻にも周りにも隠している裏の顔があり、誰かに狙われた可能性があることを突き止める。
初期の頃ならば、ここでホルツマンを狙った犯人探し中心に物語が進むのだろうが、このメインの事件はあっけない解決を迎える。(とはいうものの筋の運びは、ベテラン作家ですから手が込んでいる。動機のある事件と思わせ、実は「八百万の死にざま」のひとつだったひっくり返す)
一方で事件と無関係なサブプロット。スカダーの昔の恋人ジャン・キーンの死とそれに動揺するスカダーのエピソードがメインを押しのけるほど読ませる内容になっている。
末期の膵臓癌に冒され余命幾ばくもないキーンは、薬やアルコールに頼らず苦痛のないまま人生を全うするには、銃しかないとスカダーにすがる。キーン病気と自死計画に動揺するスカダー。エレインとの会話もぎくしゃくした感じになる。
ブロックが、スカダーの年齢を自分と合わせるように意識し始めるのが『死者の長い列』からのようだが、実は『死者との誓い』からもう漠然と意識しはじめていたのではないかなと思う。
というのも今回のスカダーは「中年の危機」を迎える。
スカダーは告白する。形あるもの、愛する人は必ず壊れる、死ぬという将来に対する不安。悲惨な終焉が、すべて自分の過ちによって生まれるという思い。それが判明することの恐怖をキーンの死が思い起こさせると。
そういったもやもやした心情が、お腹の子どもと愛する夫を失ったばかりの未亡人リサ・ホルツマンとの浮気という形で花開いてしまう。(ミック流に言えば「男は何かせずにはいられないってことさ。それがたとえクソみたいなことでもな」ということです)
P302からの二人のやりとりは、心温まるものがあるが、背徳感もあって読んでいてえも言われぬ気分なる。この関係は『皆殺し』まで続くらしいから、なんとも……。
愛する者の死を受け入れられず現実逃避に走る探偵。容疑が晴らされる前に死んだ兄について悔しさと、後ろめたさを感じる弟。おのれの死よりも生き続ける元恋人の幸せを願う死にかけの芸術家。自分にもしもの事があった時に探偵を頼れと伝言を残す夫。など「死」を境に生者と死者の思いが、静かに力強く描かれており、読み終わった時の充実感というか、満足感というか、《倒錯三部作》や初期作にはなかった読後感があった。ブロックって凄い作家だったんですな。いまさらですが……。
映画「パワー・ゲーム」。テレビで予告みて
「あれ? 読んだことがあるような・・・」で調べてみたらやっぱりそうだった。
原作はジョゼフ・フィンダー『侵入社員』だった。
過去の感想
http://ameblo.jp/bjc2005/archive1-200601.html
300ページ以下の短編集結構あるなぁ。
とりあえず、ニ作だけ。
ネタはほとんど割った感想を書きます。
『運命の八分休符』
1980年代、唯一のユーモアミステリと銘打たれているが「ひだまり課事件簿」もあるので、唯一とは言えない。だが、後期の作品からみると珍しいタイプだ。
冴えない男が、綺麗な女性に頼られ事件を解決しては、振られていく寅さん的な内容で、ほのぼのしています。
探偵役の田沢軍平は、どんぐり眼に分厚い眼鏡、すこぶるお人よしで貧乏くさいと絵に描いた様な三枚目。
私のイメージは仲本工事さんだが、仲本工事さんが二〇才以上歳の離れた女性と結婚したように、見た目では分からない魅力がある青年だったりする。
「運命の八分休符」
売れっ子モデル装子のボディーガードに雇われた軍平は、装子にかけられた殺人事件の容疑を晴らすために、真犯人を探すことを無茶ぶりされる。
被害者はライバルで犬猿の仲だったモデル。東京の自宅マンションで殺されているのを発見される。
装子とならんで最有力の容疑者は、被害者の元恋人のデザイナーだが、彼には大阪にいたアリバイがあり、犯行を行うには二分だけ足りない。
大胆不敵に自分のアリバイを崩してみろと挑発する男に対して、軍平はベートーベンの交響曲5番の最初の有名なフレーズからトリックを見破る。
「本格」ミステリの良し悪しは、どこまで目配りしているかによると思う。
凡百なミステリならば、「殺害場所の誤導するために使われる電話トリックが使われました」で、終わりだろう。
しかし、連城三紀彦ほどになると、その短縮ダイヤルを用いたトリックを「運命」の出だしの八分休符になぞらえ、さらに「命」を「運ぶ」アリバイトリックとかける洒落まで用意する。
かつてあるミステリ作家が、全てが結末への伏線となる究極の本格ミステリを書いてみたいと言っていたが、そんな徹底した目配りが本格物には重要で、こういう事を取り組める才能ってやはり特殊なのだ。
「邪悪な羊」は誘拐事件、「観客はただ一人」は衆人観衆の狙撃、「紙の鳥は青ざめて」は心中事件、「濡れた衣裳」はナイフによる傷害事件。
それぞれ違う話なのだが、読者が想定していた構図を180度ひっくり返してしまう点で、非常によく似ている。
そういう意味では、アリバイトリックをメインに添えた「運命の八分休符」だけ浮いた格好に見える。
「邪悪な羊」は誘拐犯と被害者がいつの間にか入れ替わる。(ここでも酷薄な親が登場する)
あとで読みなおすと誘拐事件に悲嘆にくれる親の会話が、巧妙な脅し文句であったことがわかるようになっていて手が込んだことをしている。連城は誘拐作品を何作も書いているが、好きなテーマだったのでしょう。『造花の蜜』『人間動物園』や短編では「過去からの声」、最近では「小さな異邦人」があるが、いつもアイディアが光っていた。
「観客はただ一人」は、スキャンダルまみれの女優が、一人舞台でかつての噂の相手たちを前に自分の半生を演じていくのだが、実は観客は、客席ではなく、女優だったという逆転の発想が見事。自分の舞台に見向きもしない観客たちに自分の人生がその程度だったことを知り敗北を認めた女優は、自殺を決意する。しかし単純な自殺をとらない。劇的な最期を演じる女優の執念の様だ印象的。
演劇とミステリは相性がいい。連城作品では、俳優が主人公のものが結構ある。
「紙の鳥は青ざめて」も事象自体はかわっていないのだが、逆転が描かれる。
自分の妹と蒸発した夫を探して、妹の許嫁とほうぼう探す妻。やがて、妹たちを見つけ、許嫁が逆上。許嫁は会社の金を使い込んで追いつめられており、妹と無理心中をはかる。
お人よしの軍平は、その人妻と一緒に行動するうちに、隠されていた事実を明らかにする。個人的にはあまり納得できない作品だ。手のこんだ嘘をつく必要がどこにあるのかと思ってしまうのです。
「濡れた衣裳」は高級クラブで起きたホステス傷害事件をたまたま居合わせた軍平が解決するという内容。本当の被害者が、加害者のふりをして、スケープゴートの被害者を用意するという逆転がまた見事。
『瓦斯灯』
「火」をモチーフにした作品と不思議な三角関係を描いた一編、異色の猟奇ミステリを合わせた短編集。
「瓦斯灯」「炎」「火箭」は、結ばれぬ男女の恋心を「火」に託して描いた連作短編。同じ「火」でも明るさ、熱さ、ゆらめきにそれぞれ違いがある。
「瓦斯灯」は、小さくくすぶっていた火が燃え上がるのかと思いきや、おおきくすれ違ってしまう男と女の話。ただ見返したいばかりに病気の妻をも捨てきる執念の炎、裏切ったのがどちらなのか思い知らせる男の行動がミステリの中心になる。外見は職人風の男なのに行動が女々しいなぁ。
「炎」は、戦地へ出陣する男が、最後の夜を遊郭で過ごすのだが、そこで出会った遊女のためにある偽証をするのだが……。時間の錯誤がミステリの肝だが、やはり情景の美しさがいい。火のともった小指と小指がかわす指きりが、死を前にした生命の輝きと相まって印象的。
「火箭」は、画家とその妻、不倫相手の編集者の三角関係を描いた作品。落人が放つ火矢を描いた大作を描き病死した画家。そのお披露目の席で関係者は落胆の色を浮かべる。煌めく火矢とそれを包むように描かれた稚拙な漆黒に画家の晩年の衰えを感じるのだが、妻はその絵の本当の意図を不倫相手に伝える。
寝取られ旦那の嫉妬の焔が、恋する二人の炎を焼き尽くし真っ黒にするそんな感覚をうける逸品。これは見事だと思う。『青き犠牲』でもあったが、作品自体が真相を語っているために破壊するという設定は結構好きだ。
連作から外れた二篇が、ミステリとしての出来がいい。
「花衣の客」
酷薄な親を描いたミステリが、連城作品には多いがこれもその一つ。というか、ここにでてくる大人は全員ひどい。
茶道の師匠である母親と茶室で密会する学者。二人が茶室にこもるのは、母が所有する名品「蝋月」を愛でるためではないことは、子ども心に娘は気がついている。やがて、学者の妻が母のもとにやってくる。静かに話をする二人の会話、学者の妻が嫌味のように送りつける若者向けの高価な着物、それを裁断してから仕立て直し、着る母。静かな女同士の戦いはやがて母と学者の心中事件で頂点に達する。思春期の娘は事件後、一層、学者に思いを寄せるようになるが、成長し女になっても学者を振り向かせることができない。三角関係に割り込むことのできなかった娘は、学者の最期の時にその真相を知ることになる。
伏線が回収され、劇的な逆転がおきる。
慎み深いロリコン野郎とそんな男を愛してしまった哀れな女たち、そして実ははぶられていたと思いきや全ての中心だった娘の奇妙な三角関係だったことが明かされる。これだけでも相当ひどい話だが、さらに追い打ちをかけるように学者は、強烈な事を言う。娘は若い自分にも勝てず、最終的には母にも勝てなくなる。人生の大半をつまらん男に台無しにされてしまう姿が哀れで仕方がない。
「親愛なるエス君へ」
佐川事件にインスパイアされた、かなり異色のSM猟奇ミステリ。綾辻行人さんお気に入りの作品のようでアンソロジーを組めばかならず、これが取られている。
フランスに留学した男が、オランダ人の女学生を殺害し、食した。日本に留学生としてやってきたフランス人青年は、このショッキングな猟奇殺人に感銘を受け、事件を起こしたエス君へ手紙で自分の思いを書きつづる。幼少のころから「生贄」の欲望にとらわれた青年は、事件に触発され、自分でも事件を起こそうと用意周到に計画をたてはじめる。まるで神が自分の計画を賛成しているようにトントン拍子に生贄となる女性医師をみつけた青年は、情事のあと、風呂場で斧をふりかぶる。
「最後の晩餐」の料理を客にふるまう彼のこころは十分に満たされる。そして、ラストで読者は重大な勘違いをしていたことに気がつくようになっている。
読者は当然、佐川事件や芥川賞作『佐川君からの手紙』を知っている。
「親愛なるエス君へ」なるタイトルを見れば、殺人と食人を行う主人公の話だと思いこむ。ところが、作者はこの「エス」の字にもう一つの意味「サディスト」の意味を伏線として込めている。書き手であるフランス人青年は、彼=サディストを求めているのだから当然マゾヒストだ。
親愛なるサディストへ宛てた究極にたちの悪いマゾヒストの手紙。まさに食べられたいと願う青年の意図を示唆したタイトルともとれる。
ある本でも書いてあったけど「この世にマゾヒストほど我儘な生き物はいない」のです。
いじめられる立場のマゾヒストのはた迷惑な欲望が、晩餐会に出席したノーマルな人たちに
最悪の犠牲を強いる。タイトルに込めた意味やこの逆説的な設定。読者を誤導する技巧的な筆致。ここまで考え、つくりこまれた短編を読むともうただただ感動するのみですね。傑作です。
来月あたりに傑作集がでるみたいで、そちらも楽しみですね。
まさか一年ちょっとで訳されるとは……。これはもしかしたら、コナリー並みに一年に一作、翻訳されるとか!?
シリーズ17作目。リーチャーも遂に天命を知るお歳になるわけだが、相変わらず定職にもつかず、諸国漫遊を続けておられます。
ネブラスカ州でヒッチハイク中のリーチャーは、男二人、女一人の三人組の車に拾われる。
仕事仲間が遠方に向かっていると思いきや、世間話をするうちに何か不自然なものを感じるリーチャー。道路では検問にひっかかり、ヘリコプターが空を舞う中、持ち前の洞察力で、実は女性は誘拐された被害者で男二人は重大な犯罪をおかした逃走中のカージャッカーであることを見抜く。
一方で、保安官とFBI女性捜査官は、給水場の廃墟で処刑された男の死体を捜査していた。
犯人は二人組の男だと目撃証言があったことから、すぐさま検問を手配するが捕まらない。しかし、捜査の結果、地元のカクテル・ウェイトレスが車とともに消えた事、そして、女性が消えた近くで犯行時に犯人が使用していたと思われるマツダが乗り捨てられていた事から最悪の展開になったことを悟る。
事件はFBI、CIA、国防省まで出てくる大事件に発展する。
確かシリーズ五作目の「エコー・バーニング」もヒッチハイクした結果、事件に巻き込まれる話だったと思う。この男は、まったくもって懲りてねぇ!
リーチャーが同乗者が犯罪者であることを見抜く手がかりの見せ方や、被害者の女性とのアイコンタクトなどかなりいい線いって面白い。正直、上巻だけなら大満足だったんだけど、下巻にはいるやこれがなんとも「ぬるーい」話に徐々になり始める。
敵の本拠地へ潜入捜査官を助けにいくスニーキング・ミッションのアクションシーンはなかなか面白いが、謎解きの方は今回イマイチだった。そもそも黒幕「ビッグボス」(核廃棄物に軍事倉庫なんて、まるで二足歩行ロボットが出てきそうと連想しましたけどね、まさかこの名称が出てくるとは……)が捕まっていないので、なんとも締まりの悪い。(結局、最初の殺人も悪いダブル・スパイをやっつけたんだからかまわんだろ? って感じ)
ただ、面白かったところもある。以下、ネタをばらします。
ル・カレ『誰よりも狙われた男』でも描かれたテロリストの資金源問題だ。(そういえば、原題がこのル・カレの作品と似ているんだよなぁ、意識したのかな?)
チャイルドが描くテロリスト組織像は、実はル・カレの描くテロリストの資金源(と思われるというのが作中の扱いだけど)と似ている。軍隊でもゲリラでも兵站ができないようでは死に絶える。各国のテロ対策で銀行口座が凍結されるなか、いかに資金を供給できるかが、テロリストにとって問題になる訳だが、本書で登場する「ワディア」は風変わりな方法でこれを可能にする。このアイディアは面白かった。
信用取引というのはなんとも奥が深い。
でも、出来はぬるい!
さて、お次はここ3カ月ちまちま読んだ、この本について
『警鐘』の事件後、ニューヨークに定住することになったリーチャー。ジュディとの交際も続いている。しかし、亡きガーバー少将によって遺された家も放浪者にとっては財産というより、身動きのとれない碇。疎ましく感じている。
そんな時、リーチャーはFBIに捕まってしまう。
FBI曰く、退役女性将校を次々と殺すシリアルキラーが出現。プロファイルの結果、リーチャーが当てはまったので捕まえたと言う。
優秀なMPだったリーチャーは、FBIの対応について冷静に分析し彼らの弱点を指摘するが、FBIは恋人ジュディを盾に頑固にリーチャーを拘束。
目を塞いで走っているような迷走している捜査協力を強要する。
被害者は全て軍でセクハラを受けて退職した女性将校、犯人は被害者宅に入り、バスタブに緑のカモフラージュペンキをたっぷり張ったあと、裸にした被害者女性を沈める。
不思議なことに抵抗された点も薬物も暴力的な跡もない。
しかも、死因が溺死ではく、なんらかの方法による窒息死。その方法は法医学でも解明できないという一種の不可能犯罪めいた有様。
はたして、リーチャーはシリアルキラーを止めることができるのか? といった内容。
いままで暴力組織と闘ってきたシリーズの中では、異色のシリアルキラー物。アクションよりも謎解きの要素が色濃くでているが、
あからさまに「あっこいつが犯人だろうなぁ」と思わせるような伏線を敷いているので、ミステリファンならば当然、先行する作品が思い浮かび、犯人もわかっちゃう。
ここから完全にネタを割ります。
ようは連続殺人事件は、狂人のてすさびではなく、本当に殺したい人間を殺すためのカモフラージュという実に割にあわない、もうクレイジーな犯罪なわけです。
ただ、このシリーズらしいダミープロット(横領軍人がかつての証言者を消している)を用意する工夫を施している。
さらに犯人側の視点(これがフェアだったかどうかは再読しないとなんとも言えんが)を織り交ぜたり、犯人っぽい人の描写も入れることで、次の犠牲者への犯人の魔の手が伸びるのが、早いかリーチャー達の行動が早いかサスペンスを盛り上げ、さらに読者を誤導する。
不可能と思われる殺人についても犯人側の描写からなんとなく予測できるところも「フェア」に気を使っているだろうなぁ。
このトリック解明の手掛かりが、女性捜査官との「ベロチュウ」だというのは笑った。
結局、FBIも犯人も完全に打ち負かしちまいリーチャー大勝利で終幕。
しかし、ニューヨークに帰るとジョディは勤めている法律事務所のパートナーのとしてロンドンに引っ越すことになり、関係も自然消滅。
しかし、リーチャーはそれほどめげていません。
狩猟民族は次の狩りに出かけます。
巨匠と同じ名乗る作家もいるが、それは作家だけでないところですでに劇作家として確立しているからかもしれない。
精神科医のシリーズ物も警察官のシリーズ物も読んだことはない。しかし、その子どもの作品は親とは全く異なることは分かる。
これは、かなり風変りなスリラーだ。風変わり過ぎて笑える。なんというか芸風でいえば「天丼芸」。同じことを何回も繰り返すことで笑いを誘う。(扇風機の件や、「冗談だろう」「黙れ」の応酬とか)ただ、めちゃくちゃ面白いかと問われると、ビミョーだ。
ベストセラー作家で百万長者ウィリアム・ド・ヴァレーと売れない文藝作家で貧困にあえぐアーサー・プフェファコーン。二人は昔からの親友であったがプフェファコーンは、自分の作家としてのプライドは持っているものの、売れっ子作家の親友への嫉妬、金がない故に娘の結婚に何の支援もできない屈辱、そんな卑しい感情に対する自己嫌悪から厭世主義のおっさんになっている。
しかし、その親友が航海上で死を遂げる。
追悼式に招かれたプフェファコーンは、書きかけの遺作の存在を知り。誘惑に抗えず、無断で持ちだし、自作と偽り刊行。たちまちベストセラー作家の仲間入りを果たすのだが、次作が書けずまたもピンチに。しかし、他人の作品をパクったつけは、思いもやらない形で訪れることになる。
この出だしを読むと折原一的なサスペンスを想像する人が多いと思うが、段々普通のサスペンスから遠ざかっていく。
原タイトルは「ポットボイラー」。金目当ての通俗小説という意味もあるらしい。量産されたご都合主義のエンターテインメントという感じだろうか? 昔はそういう本をちょっと小馬鹿にしていた時期もありますけどね(西○京○郎とか、赤○○郎とか、内○○夫とかね……)、社会人になってからは、逆にそういう作家が出版業界を支え、多くの読者に手軽で、すぐ読める暇つぶしを提供していることを思うと、そういう縁の下の大作家を蔑ろなんてできない。好き嫌いはあると思うけどね。
広げに広げた大風呂敷が徐々に畳まれていく後半、ご都合主義もここまでくるともう、楽しくなる。
作品では「機械じかけの神<デウス・エクス・マキナ>」について再三言及している。
古代ギリシャ演劇の手法で、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在「神」が現れ、一気に解決に導く存在だそうです。
『駄作』に現れる神さまはとにかく主人公を翻弄し、読者を引きずり回す。正直、愛と友情のしんみりした話に収斂したり、雄大な自然の美しさと意識が混然としていく幻想的なラストになるとは思わなかった。
でも、やっぱりビミョーです……。
最後はニック・ハーカウェイだが、それはまた後日。
講談社ノベルスが最も輝いていた時代のシリーズですね。
まさかのドラマ化にびっくらこいています。
一話目は『冷たい密室と博士たち』みたいで。
しかし、『すべてがFになる』は映像化できるのだろうか?
私がミス研部員だった時、「素肌年齢問題」で大いに盛り上がったんですけどね。
まあ、楽しみにしておきましょう。
協賛はSKⅡ、四季先生は綾瀬はるか、か、桃井かおりだ!
ちなみに一番好きなのは『笑わない数学者』
シマソー的トリックばかり目が行くけど
デクスターの『死者たちの礼拝』を彷彿とさせるような「藪の中」の設定が
好きでした。
シリーズはまだまだ続いておるみたいですが、もう全然わかりません。
森家の鉄道レールの一部に貢献する気ももうない。
はたしてどうなります事やら。