人を寄せ付けない極地の荒々しい自然の力と人間のダークサイドな力に晒される若き医師が生き残りをかけて、何者かに変貌を遂げていくサバイバル・サスペンス。
19世紀半ば、英国。時代は鯨油から石油に代わろうとしている転換期。捕鯨船ヴォランティア号は鯨を捕まえるために曲者揃いの荒くれを乗せて、出港する。
乗組員は、かつて航海で大勢の船員を犠牲にした船長ブラウンリー、デリーの戦いを経験しアヘン中毒となった船医サムナー、他人の物を横取りしようと虎視眈々とうかがう一等航海士キャヴェンディッシュ、凶暴な銛打ちのドラックスらと曲者揃い。順調に捕鯨しているなか、サムナーはある少年給仕を診察すると強姦された跡を認める。被害者の少年は誰が犯人か言わず、船長も騒ぎを大きくしないために、事故という形で有耶無耶にする。しかし数日後、当の少年が首を絞められ無残に貯蔵樽に押し込めらた状態で発見される。
殺人事件以外にもヴォランティア号にはある思惑が働いており、やがて乗組員たち全員を過酷な状況に追いやっていく。
なかなか読みごたえ満点。人間同士の衝突もさることながら、白熊や吹雪との格闘などぞわぞわしながら読んだ。
殺人事件の犯人は、既に読者には明かされているので、謎解きの楽しみはない。ドラックスはスケープゴートまで用意して、逃げ切ろうとするのだが、若き医師サムナーは犯人を問い詰める。おぞましい「動かぬ証拠」を突き付けられたドラックスはルール無視の場外乱闘に持ち込む。囚われの身でありながらも、いざ「文明」の外では獣が有利。「文明」に寄りかかった乗組員たちは途方にくれ、終りの時を待つのだが、サムナーだけは違う行動をとりはじめる。
読んでいて、一番作風が似ているなと思ったのは、大藪春彦や船戸与一。
とくに船戸作品にはちょっとはみ出し者だが、いたって普通の人間が、過酷な運命を通して「怪物」へと成長する物語が多いが、サムナーもその類のキャラクターだ。怪物ではないが、登場時とは異なる強かな人間へと変貌する。「社会」からドロップアウトしたサムナーは、自分探しの旅で捕鯨船に乗り込むが、結果、エスキモーたちも一目置く立派な「魔法使い」となる。何物にも縛られない何者でもない男は、最後にある企みでドラックスと対決するはめになり、さらに獣性を開花させていく。
怖気をふるう血と暴力の熱量、生死を見つめる不思議な解放感を味える中盤から、寂寥の終盤までぐいぐい引き込まれた。イギリスで権威ある文学賞、ブッカー賞のロングリストにも挙げられたようで、こういう本を読むと、なんだか仕事をほっぽりだして旅に出たいような気分になる。