リアルなれどフィルムノワールの世界 | 読んだらすぐに忘れる

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とりとめもない感想を備忘記録的に書いています。



実は写真集『張り込み日記』は三つある。
一つはオリジナルプリントを収録したフランスの『A Criminal Investigation』。二つ目は日本で保管されていたオリジナルネガをプリントし再構成した『張り込み日記』。
そして、ナナロク社版。こちらはお求めやすいお値段で手に入る。
しかも、文や構成に乙一さん、ブックデザインに祖父江慎さんを迎え、写真の構成を「物語」として編集している。その際、乙一さんはちょっとした「トリック」を仕掛けている。


昭和33年1月13日、茨城県水戸市、千波湖で男のバラバラ死体が発見される。
被害者は東京から来た人物と推定され、茨城県警と警視庁捜査一課で合同捜査本部が設けられた。
写真は、警視庁のベテラン向田刑事と彼の相棒となった茨城県警の若手刑事、緑川の姿を追った20日間ほどの写真家による張込の記録である。そもそも民間人が刑事の捜査を間近で撮影できたことも不思議な感じだ。今じゃ出来ないんじゃないだろうか? そういう意味では貴重な写真だ。


表紙の男が向田刑事だが、実に味のある刑事さんだ。笑顔が素敵で、捜査の途中で笑顔でこどもと遊んでみたり、
お茶目な一面をみせつつ、捜査となるや目つき、顔つきがギロッと変わる。
張込んだ渡部雄吉さんは向田さんの捜査を自然に捕らえていて驚く。カメラ目線になっている写真が少ないのだ。目立たないように細心の注意を払っていたのだろうと想像できる。唯一、印象的なカメラ目線は明らかに苛立った目をしていて、捜査の重大局面、または行き詰まりの時にパシャリとやられた感じで「なに撮ってんだ、この野郎!」と見ているこちらが言われているようでドキッとする。


昭和の雰囲気もまたいい。
歩きたばこ、咥えたばこ、捜査本部ではもう煙モクモクで相手の顔も良く見えない状態。今では考えられない。
当時としては単なる日常がもはや立派なフィルムノワールの世界になっている。
そんな大人な世界なのに、ピンバッチは今の厳ついデザインではなく可愛らしい桜の花びら。ギャップがすごい。


さて、最後にネタばらしという程ではないけど「トリック」について。
この写真集を支える短い文章を乙一さんが書いている。文章と写真を読むと事件が無事解決したことを読者は知ることになるのだが、実際は渡部雄吉さんが撮影した時点では、事件は解決しておらず、数カ月先のことだった。
撮られた写真に事件解決の写真はないが、あたかも解決できたような風に編集している。これは一種の叙述トリックにも似た仕掛けで、あとがきを読んで思わず「おっ」と言ってしまった。