本書は2011年に出た短編集『夜と音楽と』と2019年の長編『石を放つとき』の贅沢なカップリングで、ファンにとって待望の一冊になっている。
まずは短編集『夜と音楽と』
「窓から外へ」(1977年)
初期に多く登場したアームストリングの店。そのお店でウェイトレスをしていたポーラ・ウィットロウワーと常連のスカダーは顔見知りになる。「また、明日と」声をかけられれば「神が許せば」と返すスカダー。しかし神様は無慈悲にもポーラを死なせてしまう。自宅のあるマンションの17階から裸で落ちたポーラ。薬物中毒でもあったポーラは自殺と警察は断定するのだが、その死に不審を抱いた妹がスカダーに再調査を依頼する。ポーラの部屋は鍵とチェーンがかけられており、状況は明らかに自殺。誰かに突き落とされた場合どうやって犯人は逃げたのかわからない。しかし、スカダーはポーラの部屋の状況、警察の撮った写真を眺め何者かの作為があったことに気が付く。
飛び降りは高層ビルの多いマンハッタンならではというか、怖い話だ。トリックは自体は大したことないが物語にうまく溶け込んでいるのがいい。
「バッグ・レディの死」(1977年)
スカダーが住むホテルにやってきた弁護士は意外なことを告げる。メアリー・アリス・レッドフィールドという見知らぬ女性がスカダーにささやかな1200ドルの遺産を残した、というのだ。困惑するスカダー、しかしメアリーが三か月前に惨殺された顔見知りの「バッグ・レディ」であったことを知る。もらえる物はもらっておく主義のスカダーは遺産を受け取るのだが、しかし、何かせずにはいられない気持ちになり、依頼人のいない仕事をはじめる。メアリーはスカダー以外にも沢山の人たち少額の遺産をのこしており、スカダーの調査が呼び水となり、誰もがメアリーのうわさをしはじめる。彼女がいないことに淋しさを覚え始めた時、事件は唐突に終わりを迎える。
人の噂も七十五日。メアリーの事も人々の記憶から蝋燭のように消えてなくなるだろう。それでも、その蝋燭が沢山集まれば一時のあいだとはいえ大きな輝きとなり、犯人をあぶりだすまでになる。謎解き要素はないが、殺伐とした都会でも人のつながりを感じられる名作。
「夜明けの光の中に」(1984年)
最初のMWA短編賞を受賞した作品。後に長編『聖なる酒場の挽歌』へと膨らむ。
スカダーはある新聞記事を読んで在りし日のアームストロングの店を思い出す。常連の飲み仲間のトミー・ティラリーとガールフレンドのキャロリン・チータム。ある日スカダーはトミーの妻が強盗に殺されたことを新聞で知る。キャロリンとトミーの大人の関係を察したスカダー。そして、当のトミーから妻を殺した強盗二人組がトミーにそそのかされて事件を起こしたと根も葉もない証言をしており窮地に陥っているから助けて欲しい依頼され、飲み仲間の為に調査を開始する。事件は二人組のうち一人が刑務所内で自殺したことで終結。しかし、祝いの酒宴でスカダーはトミーが口を滑らすのを聞き逃さなかった。悪人が罪を逃れることを手助けしてしまったことに自責の念を感じるも酒で紛らわすのだが、ある事件をきっかけにスカダーはトミーに制裁を科す。
初期にあった罪と罰のテーマが色濃く反映された作品。スカダーが「神の役を演じ」る行為は何度もあるが、それがとんでもない怪物を生み出し、しっぺ返しをくらうことにもなる。
「バットマンを救え」(1990年)
露店の商標侵害商品を取り締まる手伝いをするスカダー。最近では「ブルシットジョブ」なる呼び方もあるようだが、仕事のための仕事、しかもそれが移民から法の名のもとに生活手段を没収する仕事であることに気に食わないスカダーは一日で止める。日本でいえば「ドラえもん、駄目」「ピカチュウ、駄目」になるかもしれない。
「慈悲深い死の天使」(1993年)
HIV患者のホスピスを訪れる謎の女性”マーシー”。彼女が立ち寄った患者がほどなく死ぬことから疑念を抱いた職員がスカダーに調査を依頼する。安楽死をテーマにした一編。病気や加齢による認知症や寝たきりで人間の尊厳や生きがいがなくなってしまう場合、生きていることが苦痛になってしまうこともある。”マーシー”を見つけたスカダーは、彼女に同行し、言葉によって患者を苦しみから解放する様を見る。そして、”マーシー”が言葉以外にも苦しみから患者を解放したことを告白させる。”マーシー”は金銭を受け取っていないが、リアルでは「安楽死」するのにも金がかかるようだ。人間やっぱりピンコロが一番。
「夜と音楽と」(1999年)
スカダーとエレインが夜のニューヨークを徘徊し、オペラからジャズまで夜通し音楽を聴きまくるお話。誰も傷つかない、誰も死なない良い話。「ピノキオさん、もっと嘘をついて」というジョークはかなりエロい。こんなんベッドで言われたら・・・。
「ダヴィデを探して」(1997年)
アンソロジー『短編回廊』にも含まれているホワイダニットの逸品。
ダヴィデ像のあるフィレンツェに旅行に出かけたスカダー夫妻。ある日、スカダーはかつて殺人で逮捕した男、ホートン・ポラードに遭遇する。年老いた彼もスカダーを認め、食事に誘う。刑期を終えたポラードはなぜフィレンツェに住んでいるのか? そもそも25年前なぜ、恋人だった若い男を猟奇的に殺害したのか? ミケランジェロのダヴィデ像に「恋」をした男の倒錯した動機が明かされる。「愛すること、人のことを深く気づかうこと。それは正気のなせる業」であって「恋とは凶気の一形態」という警句が見事。
「レッツ・ゲット・ロスト」(2000年)
エストレリータを死なせる前の刑事時代のエピソードだ。エレインの口利きで、ある高級住宅の男の死体について刑事としてアドバイスしてほしいと頼まれる。現場は明らかに何か工作したあとがあるのだが、スカダーは「もみ消し工作」のもみ消しを勧める。過去のエピソードを回顧するうちにスカダーはあるミュージシャンを思いだす。
タイトル「レッツ・ゲット・ロスト」はチェット・ベイカーの十八番のトランペットと歌。また彼のドキュメンタリー映画のタイトルでもある。ただ、個人的には「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が一番好き。
「おかしな考えを抱くとき」(2002年)
スカダーとエレインは、エレインの友人モニカと新しい恋人とともに夕食を共にしていた。話題に拳銃自殺した男のことがあがったことで、スカダーは制服警官時代に担当した事件の事を思い出す。オートマティックでこめかみを撃った夫とそれを目の前で見た妻と子供。夫の自殺を先輩のヴィンス・マハフィは、オートマティックのマガジンが死者のポケットに入っていたことから、夫は死ぬつもりはなく、オートマティックからマガジンを取り除いても自動的に弾倉に一発装填されていることを忘れていた事故だと断定する。しかし、スカダーはマハフィが自殺を事故の捏造したのではないかと感じる。それは優しさからか? それとも別の計算があったからか? 差し出されたものは黙って受け取っておけ、という信条をスカダーに教えたマハフィの事を描いたリドル・ストリー的な要素のある一編。「もらえるものは病気以外もらっておけばいいんだ」にも通じる処世訓だ。
「ミック・バルー、何も映っていない画面を見る」(2011年)
ミックから呼び出しをうけ、深夜にグローガンの店に行ったスカダーは、ミックから死にまつわる話をされて不安を覚えるのだが・・・。『すべては死にゆく』でのエレインの予想がめでたく的中する短い一編。紀州のドンファンにも劣らない歳の差婚だが、こちらの夫婦は両方金持ちだから超円満。
「グローガンの店、最後の夜」(2011年)
クリスティンと結婚したミックはグローガンの店を売ることを決め、金曜日に盛大なお別れ会を実施する。しかし、本当のお別れ会が土曜日に四人でしめやかに営まれる。血塗らた恋しい過去より大切な今を生きるミックやスカダーたち。このシリーズが面白いのは時を経るにつれ主人公たちの心境に変化があること。アル中時代オンリーなら、ここまでシリーズは長く続くことはできなかっただろう。
未収録短編について触れておこう。
「ブッチャーとのデート」はミステリマガジン1989年5月号に訳載されたスカダー物の一編。実はアメリカでは未発表で日本オリジナルの短編になっている。故に『夜と音楽と』からは零れ落ちている。
「ブッチャーとのデート」(1989年)
タイトルの通りグローガンの店のオーナーと初めてご対面する短編だ。ただし、このオーナーは名前がミッキー・バーゴインになっている。ミックのプロトタイプを作ったが、この時点ではスカダーの生涯の友人になるとは考えていなかったのかもしれない。なおパディ・ファレリの生首ボーリングエピソードはそのまま長編『慈悲深い死』に移行され『皆殺し』へと繋がっていく。
短編ではエディの死の顛末のプロットが中心になる。ニューヨークの家賃統制というのは、いまでもあるのだろうか?
タイトルが示すようなデートシーンがなかったので長編に発展する際に、失踪した女優の卵のエピソードを加え、ミック自慢のオマラの農場でのデートシーンが付け加えられることになる。思えば『皆殺し』も決戦の地まで二人でデートしていたな。ホント仲良し。
『石を放つとき』(2019年)
探偵稼業からほとんど足を洗ったスカダーは、エレインと穏やかな老後を送っている。ある日、スカダー夫婦は、エレインがコールガールをしていたことのある女性の集まり〈タルト〉で知り合った若い女性、エレンから「恋人体験」で知り合った男性からストーカーされていると相談を受ける。「ポール」としかわからないこの男性とたびたびお客として同衾をしていたが、コールガールを引退することを宣言したとたん、彼氏ヅラし始め、アブノーマルなプレイをしようと迫ってくる。脅威を感じたエレンは、アパートを出てホテルに逃げるが、男は彼女のアパートの中にまで入ったことを電話で知らせる。ストーカー男に危険な兆候を嗅ぎ取った齢八十の探偵は、老体に鞭打ち、久しぶりに探偵稼業に繰り出す。
傘寿を過ぎたブロックさんが、シリーズファンに向けたボーナストラック的作品だ。タイトルは旧約聖書の「コヘレトの言葉」の一節から採られている。この世のすべてのことに定められた「時」があり、喜びも悲しみも人智を超えた大いなる力が働いている。人生にまつわる十四の活動を明るい「時」と暗い「時」と対になるように表現した詩になっている。マット・スカダーシリーズはまさにこの「コヘレトの言葉」のままに一人の探偵の人生の「時」を描いてきたシリーズだ。少女を死なせ、アルコール中毒になり、家族を失い、もがき苦しんだ男がゆっくりと立ち直っていく。ミック・バルーという無二の友人、エレイン・マーデルという伴侶を得て悲痛な出来事があっても、支えあい、暗黒面に落ちることなく平穏な晩年に至る。シリーズが始まった1970年代の時点で、作者も読者も『石を放つとき』のような穏やかな小説が登場するとは夢にも思っていなかっただろう。
だからこの小説を読むのにも十分な「時」が必要だ。シリーズをあらかた読んだ読者だけがじ~んと感慨にふけることができる。一見さんは間違っても、この小説から読んではいけません。
ひと昔のスカダーならばミック、TJ、ダーキンといった仲間に手伝ってもらったかもしれないが、ミックはグローガンの店を閉め、クリスティン・ホランダーとの幸せな結婚生活を送り、TJは登場しないが40代の立派な中年男性になり、ダーキンはエディ・コーラと同じように引退後、フロリダに引っ越してしまっている。痛む膝に鞭打ち、単独でストーカー男を捕まえて撃退しようとする。
その他にも懐かしい名前が出てくる。レイ・グルリオウ弁護士は禁酒に成功したり失敗したり、レイ・ガリンデスはもはや警察官よりも画家としての時代の方が長くなったが、その似顔絵は今回も役に立つ。噂にもでなかったダニー・ボーイ・ベルは遂にくたばってしまったかもしれない。
職業作家としてデビューした当時、ブロックはポルノ小説を書いていた時期がある。今回そんなキャリアを発揮した内容にもなっている。事件解決のお祝いに待っていたのは、スカダー夫妻とエレンの3Pである。老いても夜の生活が充実しているというのは素晴らしいことだ。直接描写があるわけではないが、妙に艶めかしい。スカダー夫妻のように生涯現役で頑張れるようになりたいもんです。